新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ベルガモ 2017年に世界遺産に登録された街。宿選択の失敗も、ベッキオ広場に癒される

2018-05-06 | イタリア・ベルガモ

 イタリア半島再上陸後、今日の目的地はベルガモ。

 まずはジェノヴァ駅のバルでカプチーノを一杯、電車に乗ってミラノへ。そこから乗り換えてベルガモに着いたのが午後2時前だった。

 人口約12万人のこの街は、駅前に広がるのが新しい都市計画によって形成された新市街バッサ(低い街)、丘の上にあるのが旧市街のアルタ(高い街)と2つに分かれている。おもな見どころはアルタにあるため、宿はアルタに決めた。

 鉄道駅舎を背に進むとバスセンターがあり、そこで切符を買ってアルタ行きのバスに乗った。ただ、アルタ行きのバス停はセンター前ではなく、西寄りのマクドナルド前にあった。

 途中、フニコラーレ(ケーブルカー)を利用するルートもあるが、アルタ行きバスはアルタの一番奥まで行くので、そのままバスで向かった。

 というのは、高低差の大きいベルガモの街なら、極力見晴らしの良い宿にしたいと調べた末、最も高台付近のB&Bを予約していたからだ。これが、正解半分、失敗半分だったということが、着いてみて明らかになった。


 というのは、宿は確かに見晴らしの良い場所にあったのだが、そこに到着するまでの道が、河原の石を敷いたようなでこぼこ道で、スーツケースが今にも壊れそうにガタガタ音をたてた。

 宿そのものも途中から客用に改造したものらしく、入口が道路に面しておらず、建物横のがけのような急傾斜の坂を下った途中に、急造の階段入口をつけた、デンジャラスな構造。

 さすがにその急傾斜部分は、オーナーに手伝ってもらって二人掛かりでようやく荷物を室内に運び入れるという、冷や汗ものの体験をした。

 さて、アルタの街歩きは、中心部のベッキオ広場から始まった。

 広場の中央にはコンタリーニの噴水。18世紀のヴェネツィア共和国の元首コンタリーニが寄贈したものだ。ライオンがにらみを利かし、人像が口から水を吐いている。

 この像は後から見ると、長い髪をしていて女性のようだ。

 ベルガモは1425年から1797年まで約370年間ヴェネツィアの支配下にあった。その間外敵からの防衛を目的に古代ローマの城壁に加えてさらに強固な要塞を4キロにわたって築き、現在の姿を形成した。

 今も残る城門の上部にはヴェネツィアのシンボルである獅子の紋章が刻まれており、そうしたヴェネツィア時代からの軍事防御設備群が、他の地域と共に2017年、世界遺産に登録されたばかりだ。

 噴水の背後にある建物がラジョーネ宮。3つのアーチ型通路があり、正面バルコニーの上にもライオン像レリーフが残されている。

 広場両側にはカフェやレストランが入っている。

 中でも向かって左側の「cafe del tasso」は1476年から営業しているという、イタリアでも最古のカフェとして有名だ。

 アーチの通路を通り抜けるとドゥオモ広場。といってもドゥオモは左横にひっそりとしている。

 正面にはコッレオーニ礼拝堂が「主役」の役割を果たしているような構成だ。

 この礼拝堂は、名前の通りヴェネツィアの傭兵隊長を務め、ベルガモの領主だったバルトロメオ・コッレオーニの墓として1472~76年にかけて造られた。
 ヴェネツィアに行ったことのある人なら、サンジョヴァンニ・エ・パウロ教会の脇に建つ大きな騎馬像を見たことがあるかもしれない。ヴェロッキオ作の傑作だが、あの馬上の主がコッレオーニだ。

 墓といっても本人が生きているうちに、自らが命じて建設させたもの。美しく豪華な建築だが、実は隣に既にあったマッジョーレ教会の聖具室を取り壊して造られたという、かなり強引なやり方が伝えられている。

 設計者は、当時の最高の建築家ジョヴァンニ・アメーディオ。

 白、赤、黒の多色大理石を菱形に組み合わせ、バラ窓やアーチを伴った北方ルネッサンス建築の傑作と言われている。

 内部には黄金の騎馬像があり、その下のキリストの生涯を描いた浮彫のある棺の中にコッレオーニが眠っている。

 また、入口左側には娘メディアの墓碑があった。

 扉付近には聖書の物語を描いたレリーフが添えられていた。これはアダムとイヴの創造。

 二人が禁断の実に手を出してしまう。

 そして、楽園追放。

 とにかく、その建設に関する経緯は別にして、様々な意匠を凝らした貴重な建物であることは確かだ。

コメント (2)
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