新イタリアの誘惑

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ベルガモ⑦ ヴェネツィアから派遣された悲劇の王妃カテリーナの最期 カッラーラ絵画館

2018-05-26 | イタリア・ベルガモ

 カッラーラ絵画館で惚れ惚れするような聖母に出会った。

 この日の第一の目的地はカッラーラ絵画館。その前まで到着したものの、前庭部分が大規模な工事中で、入口が見つからない。向かいの近代美術館で係員に聞くと、庭の右端に細い通路が出来ているとのことで、ようやく入ることが出来た。

 その時一緒になった子供たちの団体。

 ここはジャコモ・カッラーラ伯爵のコレクションを中心に陳列された美術館だ。主として15-18世紀のヴェネツィア派絵画が充実している。我が国ではあまり知られていないが、非常に高い内容が評価されている。長年にわたって改修のため休館していたが、ようやく再開された。

 早速作品を見て行こう。ロレンツォ・ダ・ヴェネツィアーノの「キリストの物語と聖母子」。キリストの誕生から復活までが丁寧に描かれている。

 マンテーニャ「聖母子」マンテーニャの聖母はとても知的な表情が特徴的だ。

 一方、ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子」は彼のお得意のテーマ。ヴェネツィアを旅した時は至るところで彼の聖母に出会った。

 そんな彼の聖母像の中でも、この聖母は珍しくふくよかな母性を感じさせる。

 この美術館の至宝といわれるラファエロの「聖セバスティアーノ」。聖母の画家といわれるラファエロが描いた、初々しささえ感じられる若者の表情をした聖人像だ。

 一方、ボッティチェリが描いた男性は聖人ではなく、メディチ家の悲劇の主人公「ジュリアーノ・メディチの肖像」。3点あるジュリアーノの肖像のうちの1点。どこか孤独の影を宿した印象だ。
 
 ジュリアーノは1478年、バッツィ家の陰謀によってフィレンツェのドゥオーモ内で暗殺された。その直後に描かれた作品とみられている。


 これはちょっと怖い。「祈るキリスト」。ボッティチェリはこんな作品も描いていた。

 ロレンツォ・ロット「若い男の肖像」。彼の代表作の1つとされる「聖カテリーナの神秘の結婚」は、ローマへ貸し出し中とのことで、見られなかった。

 サッソ・フェッラート「祈る聖母」。この絵の前でしばらく立ち尽くしてしまった。美しさ、慎ましさ、神々しさ。出会えてよかった。

 女性の肖像画。作者がだれか調べられなかったが、見事。

 ほぼ順路の最後で見つけたのが、この絵だ。「キプロスの玉座を降りるカテリーナ・コルナーロ女王」フランチェスコ・アイエツの作品。18世紀のロマン主義画家で、代表作「接吻」で有名だ。

 妙にこの絵が気になって、カテリーナ・コルナーロのことを調べてみた。

 カテリーナは元々ヴェネツィアの貴族コルナーロ一族の娘だ。それがなぜキプロスの王女になったのか、またどんな生涯をたどったのか。塩野七生が著した「ルネサンスの女たち」に従って概略をたどってみよう。
 1472年、カテリーナは14歳でキプロス王ジャコモ2世のもとに嫁いだ。といっても当時のキプロスはイタリアのヴェネツィア、ジェノヴァ、ミラノ、ナポリに加えてトルコという列強に囲まれて不安定な国家状態だった。

 そこでジャコモ王はヴェネツィアに対して商売の特権を与える代わりに、対トルコで同盟を結ぶことなどの提案を行った。対してヴェネツィアはコルネール家の娘と結婚することを条件に、連携に同意した。

 そもそも初めからこの結婚は政略結婚だった。

 ただ、ジャコモ2世はその翌年急死。その時カテリーナは7か月の身重だった。ヴェネツィアはどうしたか。数か月後、誕生間もないジャコモ3世に戴冠させた。完全なリモ-トコントロール態勢だ。

 これによって名目上はカテリーナの統治時代が始まったが、彼女には全く権限は与えられなかった。立法、司法、行政すべてを、ヴェネツィアから派遣された人間が取り仕切り、一切の公文書にも関与できない傀儡王妃。

 結局1488年にはキプロスのヴェネツィア併合が決まり、カテリーナはヴェネツィアへ帰還することになる。

 サンマルコ聖堂で行われた式典でも、あらかじめ作成された証書「大きな喜びとと共にキプロス王国をヴェネツィアに贈る」と読み上げさせられただけだった。

 全く自らの意思を表すことが出来ないままに過ごした生涯。悲劇の王妃の遺体はいま、サンテ・アポストリ教会に葬られている。


 そんなカテリーナが、翻弄され続けた末に玉座から追われる日の、無念の心情。

 ヴェネツィアの権力を象徴するような男性の、非情な追放宣告。

 そして、身の回りを世話してきた女たちからも冷たい視線を浴びせられる。

 全く救いのない、ピンと張り詰めた空気を、この絵は冷徹に描き切った。心に深く突き刺さる作品だ。


 カッラーラ絵画館は、実に充実した宝石のような美術館、という印象を抱いたこの日だった。

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