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ルネサンス華やかなりし時代、その時代を象徴するような出来事があった。
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1475年、フィレンツェのサンタクローチェ広場で馬上槍試合が行われた。この催しは、ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ間で結ばれた同盟を祝うものだったが、これと共に20歳になったロレンツォの弟ジュリアーノの、政界、社交界へのデビューも意図されていた。
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メディチ家の代表として槍試合に登場したジュリアーノは見事勝利を手にし、市民から選ばれた「女王」から祝福を受けた。 その女王こそシモネッタ・ヴェスプッチ。フィレンツェで並ぶものなしといわれた美貌の持ち主だった。
詩人ポリツィアーノがシモネッタについて綴った詩がある。
彼女は純白で 衣服も白地
しかしそこには 薔薇と草花が描かれ
黄金の頭部から 編まれた髪が
慎ましくも高貴な額に しなだれかかる
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この美男美女の理想的なカップルによるロマンスに、フィレンツェ市民は熱狂した。
ボッティチェリがそのシモネッタを描いた肖像画が何点か残されている。上の絵はドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館にあるシモネッタ像だ。
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2点目はこれもドイツ・ベルリンのバルリン絵画館のシモネッタ。
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フランクフルトとは逆の左向きのポーズをとっている。
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3点目は日本の丸紅が所有するシモネッタ。
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こちらも右向きだ。
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さらにもう1点。フィレンツェ・パラティーナ美術館のシモネッタ。
このロマンスはシモネッタの病死、ジュリアーノの暗殺事件による殉死であっけなく消え去ったが、2人を描いたボッティチェリによる肖像画が、後世にその面影を伝えることになった。
実はこのシモネッタはヴェスプッチ家のマルゴ・ヴェスプッチの花嫁だった。従って彼女の棺はヴェスプッチ家の菩提寺であるオニサンティ教会に納められている。
そう、最初に紹介したようにボッティチェリも同様に同じ教会に眠っている。一説にはボッティチェリ自身がシモネッタと同じ教会に葬って欲しいと希望したとも伝えられる。
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また、ジュリアーノの方はミケランジェロがメディチ家のために彫像を製作したメディチ家礼拝堂聖母像の下に(右側の壁面)埋葬されている。