さあ、浅草の街を少し歩いてみよう。吾妻橋の西詰には、東武鉄道浅草駅が入る駅ビルが建つ。地上7階地下1階のアールデコ様式のこのビルは、かつての鉄道省初代建築課長、久野節が設計し、1931年に完成したもの。上階には松屋デパートが入り、東京初のターミナルデパートになった。
歩き出すとすぐに「神谷バー」の看板。ここは日本初のバーで、明治期以来多くの文学者に愛されてきた。
右に曲がると、もう雷門が見えてくる。言ってみればこの門は浅草のランドマークでもある。この門の正式名称は「風雷神門」なのだが、正面から見ると「雷門」の文字だけしか見えず、何時しかこの呼び名が一般的になってしまった。 そのため
風の神 雷門に 居候
といった川柳のネタにもされてしまっている。
この門は1865年の田原町火災で焼失してしまったが、約1世紀後の1960年に松下電器(現パナソニック)の創業者松下幸之助の寄進によって復元された。提灯の大きさは高さ3.9m、直径3.3m、重さは700kgもあるという。
提灯の底には龍の絵が描かれている。
また、浅草は伝統芸能の一拠点であるだけに、落語の世界にもよく登場する。雷門を舞台とした話に「そこつ長屋」がある。
長屋の住人・八五郎が雷門で行き倒れの人間を見つけて熊さんに教える。
「おい、お前が雷門の前で死んでるぞ!」
そう言われた熊さん、あわてて雷門に駆け付け、死体を抱き上げる。 そしてつぶやく。
「どうもわからねえ」 「何が?」
「抱かれているのは確かにおれなんだが、抱いているのは いってえ誰なんだろう・・・」
仲見世はいつも大賑わい。私たちが訪れた日は妙に着物姿が目立つ。
と、思っていたら、友人が「彼女らはみんなレンタル着物を借りた外国人だよ」と教えてくれた。 確かに。
このところ外国人観光客の急増ぶりは本当にすごい。
かつては作家林芙美子も、新宿カフェー勤務時代、休日に大好きな浅草を歩いた。
「だれ一人知った人もない散歩でございます。少々は酔い心地。まことに懐かしい浅草の匂い。
・・・鳩が群れている、線香屋さんの匂いがする。
ああ、どこに向いても他国のお方だ。
埃っぽい風が吹いている。あらゆる音がジンタのように聞こえてくる」(放浪記)
境内に入った。まずは常香炉の前で例によって煙を体にかけ、本殿の階段を上ってお参り。
休日だったせいか、お参りにも列が出来ていて順番待ちをしなければならなかった。
本殿の天井には二体の天女像が舞っていた。日本画家堂本印象の「天人散華の図」。力作だ。
この後は西参道側に移動した。すぐに、評判だというビッグなメロンパンを発見。
大衆演劇の木馬館をかすめて六区周辺を歩く。
佐多稲子は著書「私の東京地図」で浅草六区をこう描写している。
「頭の上はあくどい色彩の幟で空も見えない。張り巡らせたその幟には大きな字で毒草と、活動写真の広告。
看板には、誰かを祈り殺す丑の刻参り、わら人形に呪いの五寸釘を打ち込む絵・・・・」
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