いよいよの極貧状態に追い込まれた一葉一家は、窮余の一策として商売を始めることになった。1893年(明治26年)7月、下谷区(台東区)竜泉寺町に引っ越しし、荒物や駄菓子を商う店を開いた。
参考までに、周辺の地図を掲載しておこう。
旧居跡には標識があったが、もちろん当時の家は残っていない。
この通りは、ちょうど遊郭のある吉原への通り道。人力車などの通行は夕方から夜にかけて激しくなり、これまで住んでいた菊坂とは別世界の雰囲気が支配していた。
「此の家は下谷よりよし原がよひの只一筋道にて、夕方よりとどろく車の音飛ちがう灯火の光 たとへんに詞なし。行く車は午前一時までも絶えず、帰る車は三時よりひびき始めぬ」。
まさに生き馬の目を抜くような生の人間社会の様相が息づく中で、吉原のざわめきが宵闇と共に伝わる日常や、駄菓子店に集まる下町の子供たちの姿を、一葉は克明にその胸に刻み付けて行った。
店で扱った商品は駄菓子、おもちゃ、せっかんなどの種々雑多な日用品。商売そのものは繁盛することもなく、次第に破たんしていくが、この場所での体験は、後に「たけくらべ」の中での子供の描写などに確実に生かされていくことになる。
「たけくらべ」のストーリーを下敷きにして、竜泉の街を回ってみた。
小説の冒頭「廻れば大門の見返り柳いと長けれど・・・」
これは遊郭のあった吉原の風景だ。1657年の明暦の大火によって焼け野原になった江戸の街。その復興の一環として、花街も人形町から新たに新吉原地区に造成された。吉原の入口は大きな門のある「大門」一か所。
その手前に柳の木があった。
お目当ての花魁とのひと時を過ごした男たちが、別れを告げて大門を出たものの、後ろ髪を引かれる思いで吉原方面を返り見ることから名付けられた「見返り柳」。
碑にはこんな川柳が。「きぬぎぬの 後ろ髪引く 柳かな」「見返れば 意見か柳 顔を打ち」
柳の後方には現代の象徴ともいえるスカイツリーがそびえていた。
書き出しの文章に続いて「大音寺前と名は仏くさけれど」と地名が出てくる寺。
今は国際通りに面して「大音寺」の寺柱が立っていた。主人公の一人信如の寺、龍華寺は、この大音寺がモデルといわれる。
「たけくらべ」の前半のハイライトは千束神社の祭礼の日に起きた子供同士のけんか。
千束神社に行ってみた。
入ってすぐ左手に一葉の胸像がある。まだ新しく、像の基部を見るとこの神社の宮司によって像と文学碑が2008年に建立されたことが記されている。
正面の文章は一葉の「塵中日記」からの抜粋。「明日は鎮守なる千束神社の大祭なり 今年は殊ににぎはしく山車なども引き出るとて 人々さわぐ 樋口 夏」
その祭りで起こった子供同士のけんかを機に、主人公美登利とほのかに恋心を抱いた僧侶の息子信如とが反発しあってしまう、という展開が待ち受けている。
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