goo blog サービス終了のお知らせ 

新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ケルン大聖堂② 入口ドアに、意外性たっぷりのワクワクさせる仕掛けがあった

2019-06-11 | ドイツ・ケルン

 まずはケルン大聖堂の外観から眺めてみよう。

 その高さは157m。同じドイツのウルム市に161・3mという世界1の高さを持つ大聖堂があるが、その規模、歴史、壮大さなど何といってもケルン大聖堂が自他ともに認めるゴシック建築の代表だろう。

正式名名称は「ザンクトペーター・ウント・マリア大聖堂」。聖ペテロと聖母マリアの大聖堂ということになる。

 正面扉口には聖人たちの像が両脇にずらりと並び、大きなアーチが広がる。

 タンパンに描かれるのは聖書の物語。近年に修復されたのか、黄金色に輝いている。

 上方の三角形の中央にはキリストが位置する。

 聖人たちの像の位置は結構高く、近づくと見上げる形になる。

 聖人たちの顔は見事にヒゲだらけ。

 中央の柱に立つのは聖母子像。

 アップしてみるとキリストの張りつめた表情に比べて聖母マリアは穏やかな顔つきだ。

 面白かったのは南口扉のイラスト。サラリと伸びた白い手がとてもファッショナブル。

 また、ドアノブはライオンがにらみを利かせている。まるでヴェネツィアみたい。

 ただ、違うのはその横に人間の顔をした鳥がこちらを見つめていること。なんか面白い。

こんな外観だけでも人をワクワクさせる意外性を持った教会だ。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケルン大聖堂① 大聖堂前広場は、時代や人種を超えたまさに開かれた交流の場になっていた

2019-06-08 | ドイツ・ケルン

 4年前ドイツ旅行をしたときに、ベルリンについてはかなり詳しくブログにアップしたが、他の地域についてはまだ触れていなかった。

 だが、今回ストラスブール、アミアンなどの大聖堂をレポートしていて、やっぱりケルン大聖堂をまとめなくては、との思いが改めて沸いてきた。そこでケルン旅日記に取り掛かることにした。

 ケルンへはマインツから電車で約1時間40分。

 大きなアーチ型の屋根に覆われた駅ホームに滑り込んだ。

 到着時はどんよりとした秋の午後。何の気なしにホームから外に出ると、突然巨大な塔が目の前に出現した。ケルン大聖堂。世界最大規模のゴシック建築だ。

 はやる心を抑えながら、まずはホテルへのチェックイン。荷物を抱えたままではじっくりと大聖堂見学は出来ない。改めて大聖堂広場に向かった。

 塔の高さは157m。まさにそびえ立つという表現がぴったりだ。全体をカメラに収めるのには相当に後ろに下がって屈まなければならないほどだ。

 広場は大勢の人で賑わっている。

 駅前にあることも手伝って、常に人々の声と姿が交錯している。

 と、目の前をこんな超現代的な車が通り過ぎた。中世と現代の融合の風景だ。なんか気分が高揚する。

 明らかにイスラム系の女性がキリスト教の大聖堂前で記念撮影!

 そう、集う人種も様々だ。

 学校帰りなのか、少年少女の団体も次々と通り過ぎる。まさに多種多様な人たちの交差する開かれた広場という第一印象だ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パリを歩く⑮ 幾多の歴史を積み重ねたパリのシンボル。甦れノートルダム大聖堂

2019-06-04 | パリ・街歩き

 今回の旅行についての連載を続けてきたが、最後にはやはりパリ・ノートルダム大聖堂を取り上げたいと思った。 というのは、私が既に帰国した後だったが4月15日に突然の出火によって、大聖堂は尖塔を始めとして多くの部分が焼失してしまった。

 現在建物へは入館禁止の措置が取られており、フランス政府は国を挙げての再建を宣言したが、その完成は何年先になるか不明の状態だ。

 改めて、ノートルダム大聖堂の歴史を踏まえて、もう1度その姿を眺めてみよう。

 この大聖堂が建設されたのは1163年。ルイ12世時代に、聖母マリアを祀る教会を、という趣旨でパリ司教シュリーによって起工された。

  

建設途中の1239年には聖ルイがコンスタンティノープルの皇帝から買い求めたキリストの聖遺物・茨の冠がパリにもたらされた。

 当初はこの聖遺物を納める建物としてサントシャペルが造られたが、最終的には大聖堂に納められることになった。

 現在の大聖堂の実際の完成は1272年。以来ゴシック様式の代表的建築の1つとして厚い信仰の対象となってきた。

 ただ、荒廃の時期を過ごしたこともあった。1789年のフランス革命。王政を筆頭とする権力への反抗から出発した革命は、大聖堂をも古い権力の象徴として軽視する風潮を生み、建物は倉庫として使われるなどの荒廃が続いた。

 そんな時登場したナポレオン・ボナパルトは、自らの戴冠式をこの大聖堂で行い(1804年)、大聖堂の存在価値を再認識させた。

 文化面では、ヴィクトル・ユゴーが「ノートルダムの背むし男」を発表すると同時に大聖堂の修復を呼び掛けた。

 こうした動きによって、1844年に大規模な修復工事が開始されることになった。

 中央部の高さ90mの尖塔が新たに加えられたのはこの時だった。

 そんな歴史を刻んで1991年にはユネスコの世界遺産にも登録され、全世界にその価値が認識されて現在に至っている。

 マクロン大統領が再建宣言を行い、全世界から善意の寄付が寄せられているが、再びあの勇壮な大聖堂の姿を見ることが出来るのはいつになるのだろうか。

 堂内には華麗なステンドグラスだけでなく、聖母子像など様々な美術品が備えられていたが、それらは果たして被害を受けなかったのかどうか、心配も尽きない。

 ヴェネツィアのフェニーチェ劇場が火災に遭ったものの、まさに名前の通り不死鳥のように復活した姿をこの目で見た時の感激を今でも覚えているが、ノートルダム大聖堂もまた、一日も早い全面復旧が叶うことを願わずにはいられない。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする