今回の旅行についての連載を続けてきたが、最後にはやはりパリ・ノートルダム大聖堂を取り上げたいと思った。 というのは、私が既に帰国した後だったが4月15日に突然の出火によって、大聖堂は尖塔を始めとして多くの部分が焼失してしまった。
現在建物へは入館禁止の措置が取られており、フランス政府は国を挙げての再建を宣言したが、その完成は何年先になるか不明の状態だ。
改めて、ノートルダム大聖堂の歴史を踏まえて、もう1度その姿を眺めてみよう。
この大聖堂が建設されたのは1163年。ルイ12世時代に、聖母マリアを祀る教会を、という趣旨でパリ司教シュリーによって起工された。
建設途中の1239年には聖ルイがコンスタンティノープルの皇帝から買い求めたキリストの聖遺物・茨の冠がパリにもたらされた。
当初はこの聖遺物を納める建物としてサントシャペルが造られたが、最終的には大聖堂に納められることになった。
現在の大聖堂の実際の完成は1272年。以来ゴシック様式の代表的建築の1つとして厚い信仰の対象となってきた。
ただ、荒廃の時期を過ごしたこともあった。1789年のフランス革命。王政を筆頭とする権力への反抗から出発した革命は、大聖堂をも古い権力の象徴として軽視する風潮を生み、建物は倉庫として使われるなどの荒廃が続いた。
そんな時登場したナポレオン・ボナパルトは、自らの戴冠式をこの大聖堂で行い(1804年)、大聖堂の存在価値を再認識させた。
文化面では、ヴィクトル・ユゴーが「ノートルダムの背むし男」を発表すると同時に大聖堂の修復を呼び掛けた。
こうした動きによって、1844年に大規模な修復工事が開始されることになった。
中央部の高さ90mの尖塔が新たに加えられたのはこの時だった。
そんな歴史を刻んで1991年にはユネスコの世界遺産にも登録され、全世界にその価値が認識されて現在に至っている。
マクロン大統領が再建宣言を行い、全世界から善意の寄付が寄せられているが、再びあの勇壮な大聖堂の姿を見ることが出来るのはいつになるのだろうか。
堂内には華麗なステンドグラスだけでなく、聖母子像など様々な美術品が備えられていたが、それらは果たして被害を受けなかったのかどうか、心配も尽きない。
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場が火災に遭ったものの、まさに名前の通り不死鳥のように復活した姿をこの目で見た時の感激を今でも覚えているが、ノートルダム大聖堂もまた、一日も早い全面復旧が叶うことを願わずにはいられない。