新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

神戸旅⑤ 東遊園地には、慰霊と復興の思いを込めたモニュメントが並ぶ

2024-02-10 | 神戸旅

 神戸市役所庁舎の南に東遊園地がある。

 ここは明治維新直後の1875年、居留外国人専用の運動公園として開放されたのが始まりだ。

 現在では、市民の憩いの場であるとともに、阪神淡路大震災の記憶を風化させず、いつまでもとどめるための場所にもなっている。

 今年も、大震災発生時の1月17日、ここで鎮魂の祈りをささげる集会が行われた。今年は能登半島の大地震発生直後だったため、「ともに」という言葉が添えられていた。

 広場の中ほどに「慰霊と復興のモニュメント」と題された区画がある。一見ただの噴水に見える。

 近づいてみると、こうした銘板が貼られている。

 地下に入る階段を降りると、円形の空間になっていて、周囲の壁面にびっしりと人の名前が刻まれている。これは大震災後の2000年1月、いつまでも記憶を留めおこうと建設された。

 犠牲者と建設の際の寄進者名が並んでいる。昨年末で名前は5047人になっているという。

 天井を見上げると、噴水の水と水音がガラスを通して聞こえてくる。当時をしのぶための「瞑想空間」となっている。

 また、近くには「希望の灯り」と題されたモニュメントもあった。

 遺族や関係者によって建立されたもので、被災市町などから集めた種火を灯し、「生きている証」としての灯を保存し続けようとの願いが込められている。

 

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神戸旅④ ポートタワーと博物館屋根のライトアップは夜空を切り裂いて輝いていた

2024-02-06 | 神戸旅

 メリケンパーク夜の最大のハイライトは、ポートタワーと神戸海洋博物館(カワサキワールド)とが組み合わさったライトアップ光景だ。

 丸みを帯びた,高く持ち上がるタワーの縦軸と、博物館屋根の横に広がる伸びやかな曲線との、清々しい美しさは絶品だ。

 角度を変えて、博物館だけをクローズアップしてみると。また全然違った光景に変身する。

 もう少し夜空が暗くなってくると、ライトアップの建築物が一層鮮やかに映る。

 港側では「BE KOBE」も赤と緑の2色に輝いていた。

 博物館側に接近してみた。タワーとのコンビネーションが面白い。

 ぐるりと歩いて振り返ると、博物館屋根の緑と赤のライティング中心から、タワーがニョキリと立ち上がっている姿に変身していた。同じ建物同士なのに、こんなに歩きながら変化する夜景を見られるのも、メリケンパークならではの面白さだ。

 帰りがけに噴水広場の噴水を1枚。ここも色彩は緑と赤。この2色は何か特別な理由でもあるのだろうか。

 

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神戸旅③ メリケンパークには、神戸の歴史を思い出させる様々な記念碑があった

2024-02-03 | 神戸旅

 神戸メリケンパークを歩いた。

 一番突端には「BE KOBE」のオブジェがある

 開港150年記念で造られたもの。観光客の多くはここが記念写真の定番プレイス。

 入れ替わり立ち代わりの撮影が続いていた。

  そのすぐ横に、ちょっと地味な記念碑があった。

 「メリケンシアター」。神戸は1896年に日本で初めて外国映画が上映された場所ということで、設置されたもの。四角に穴の開いた岩石をスクリーンに見立て、手前の石が観客という設定らしい。

 ただ、設置は1987年。チャップリンがこの地を訪れたことがきっかけだったという。

 こちらは1989年開催の神戸ファッションフェスティバル記念のオブジェ「オルタンシアの鐘」。

 オルタンシアとはアジサイのことで形はオカリナのイメージだという。

 イースター島の像に似た彫刻は、神戸海援隊。勝海舟発案の海軍操練所の若者をイメージした像だ。

 忘れてはならないものがここにある。阪神淡路大震災時に崩れた神戸港の様子の一部を、「震災メモリアルパーク」としてそのまま残したものだ。

 私も大震災時は取材に神戸を訪れた経験を持つ者の1人。三宮駅前や長田区で、今にも倒れそうに大きく傾いたビル群やぺしゃんこにつぶれた木造家屋を目の前にして、恐怖に近い思いを抱いた記憶が今も鮮明だ。

 ここの街灯の傾き具合は、当時の神戸を思い出させる象徴の1つに見えた。

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