新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

心ふるえる風景 パリ編⑬ 「ビュランの柱」で遊ぶ少女たちに出会った

2024-08-13 | 心ふるえる風景 パリ編

 パリ中心部 長い行列で賑わう ルーブル美術館のすぐ近くに

 ぽっかりと空いた広い庭がある パレロワイヤル=王宮と称されるスペースだ

 17世紀に建設された建物に ルイ14世が居住していたことから名称が付けられた

 

 コの字型の中庭の広場には 上の写真のように白黒のストライプ模様の柱が並ぶ

 足元程度の低いものから 2mを超えるほどの高いものまで その数260本

 

 作者はダニエル・ビュラン 

 ピレネー山脈の大理石を 加工した柱の列は

 「ビュランの柱」と呼ばれて パリっ子に親しまれている

 私が訪れた時には 2mの高い柱に少女たちが飛び乗ってはしゃいでいた

 中世の伝統的な建築と 現代の空間芸術が組み合わさった広場

 (こうした組み合わせは ルーブル美術館とガラスのピラミッドも同様だ)

 

 こんな場所で 子供たちの歓声がこだまするという

 不思議な光景を 目にすることが出来たのは

 ルーブルでルネサンス美術を 見た後だったこともあってか

 忘れがたい体験となった ひと時だった

 

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心ふるえる風景 パリ編⑫ コンコルド広場が 新たな歴史を創り出すのかも

2024-08-10 | 心ふるえる風景 パリ編
      コンコルド広場は パリの中心地に位置する
 シャンゼリゼ通りの スタート地点にあり 
 そこから凱旋門まで 一直線に通りが繋がっている
 反対側はまっすぐルーブル美術館に通じていて パリ観光には必須の場所だ
 
 この広場は1755年 ルイ15世の命で造営された
 当時の名前は「ルイ15世広場」 絶対王政の栄華を象徴するような形だった
 
 それが大きく変わったのは 1789年のフランス革命
 王政は崩壊し 広場は「革命広場」と変更された
 前回触れたように ルイ16世とマリーアントワネットが
 この広場で処刑される 処刑場に変わってしまった
 
 後年新しく命名された名前が「コンコルド広場」 「調和」を意味する言葉だ
 血塗られた歴史を払しょくしよう との意図がこめられたもので
 1836年にはエジプトから寄贈されたオベリスクが建てられ イメージチェンジを図ってきた
 
 そんな歴史を背負ったこの広場が 今年は大きな変革が図られた
 オリンピック新競技の コンコルド広場開催だ
 前回東京大会に新採用された スケートボードに加えて
 今回初登場のブレイキンが パリのど真ん中の広場を舞台として実施されている
 どちらの競技も若者たちに熱狂的に支持されて 新たに五輪に加わったものだ
 しかも両競技共に 我が日本人選手が金メダルを獲得するという快挙を達成している
 
 「五輪離れ」という声も上がる中で IOCがテコ入れ策として導入した新競技
 それが 次世代を担う若者たちに支持されて新たなブームを起こそうとし
 きっかけとなる場所が コンコルド広場だとすると
 この広場が 改めて”聖なる場所”として 
 歴史の1ページを書き加えることに なるのかもしれない
 
 
 
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心ふるえる風景 パリ編⑪ コンシェルジェリーに上る朝日を見て フランス革命の歴史の一端を思い出した

2024-08-06 | 心ふるえる風景 パリ編

 寒さがジンと染み透る早朝 目覚めたついでに散歩に出かけた

 セーヌ川の橋を渡ると かすかに夜明けを告げる空が茜色に染まり

 天に向かって針のように尖った屋根を突き出した 建物のシルエットが目に入った

 

 コンシェルジェリー

 ここはフランス革命でルイ16世と共に捕らえられた マリーアントワネットが

 死刑になる直前の2か月 最後の日々を過ごした建物だ

 

 ウイーンハプスブルク王朝の 王妃マリアテレジアの娘として生まれ

 14歳でフランスに嫁ぎ 王妃としての半生を謳歌したものの

 最後はコンコルド広場で 断頭台の露と消えた

 

 突然思い出したのは 彼女の彫像だ

 ちょうど前日に訪れた サンドニ聖堂にある墓の前に

 彼女の像が供えられていた

 胸に手を合わせ 何かを祈るかのようにうつむいて物思う姿が

 背後のステンドグラスからの 光に包まれて

 実に印象的だった

 

 フランス革命時 彼女の遺体は集団墓地に葬られたが

 20数年後の王政復古後 遺体捜索の結果発見され

 改めて歴代フランス国王の眠る サンドニ聖堂に改葬されて

 現在は夫のルイ16世の棺と 並んで安置されている

 

 波乱万丈の生涯を過ごしたのは アントワネットだけではない

 歴史的建物コンシェルジェリーでは 1793年1月から1794年7月まで

 アントワネット以外にも 実に2600人もの貴族や革命家たちが

 最後の日々をここで拘束された後 断頭台へ引かれていった

 

 そんな壮絶な過去を 抱える建物にも今 

 安らかでほのぼのとした朝日が ゆっくりと昇ってゆく 

 身の引き締まる感慨を覚えた 師走の朝まだきだった

 

 

 

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心ふるえる風景 パリ編⑩ カラフルな照明に彩られていたのは 実は意外な建物だった

2024-08-03 | 心ふるえる風景 パリ編

 12月の夕ノートルダム大聖堂を訪れての帰り道 こんな建物を見つけた

 大聖堂正面を背にして 2,3分歩いたくらいの場所

 カラフルな照明が目に止まって 何の店なのかと近づいた

 建物全体を 左から青 中央が黄 右が赤と色分けされた照明だ 

 

 大聖堂のライトアップは 特に色はなくシンプルだったのに

 こちらはいかにも クリスマスに合わせたかのような

 特別感のある ライトアップになっている

 ただ入口は閉まっていて 店のような雰囲気はない

 

 近くにいたパリ市民に聴いてみた 「この建物は何のビル?」

 思ってもいない 意外な答えが返ってきた

 「Prefecturede Police」 

 え! 確かポリスって言ったよね ということは警察?

 スマホで確認してみると なんとこの建物はパリの警視庁だった

 

 警視庁が こんな粋な演出をするんだ!

 いかにもパリらしい試みに 感心してしまった

 それと同時に ひらめいたことがあった

 「ならば このライティングの中央の黄色は

 実は建物の壁面の色に 影響されただけで

 実は白なんじゃないか」

 

 白だとすれば 青白赤の三色 トリコロールはフランス国旗の色

 ようやくいろいろ浮かんだ疑問が 氷解したような気分になった

 

 でも日本の警視庁には こんな発想はないだろうなあ

 

 

 

 

 

 

 

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