午前は曇り、午後から小雨。
街で買い物を、と出かけた。買い物前に榴岡天満宮にお参りをする。
境内の梅が咲き始めていた。花色は白、まだ蕾が沢山ありこれから賑やかに咲く。
榴岡天満宮の祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)。菅原道真公と梅には深い繋がりがあり、神紋(しんもん、神社の紋)は梅。
奈良時代に「花」と言えば梅(の花)と言うほどに古来から親しまれた花である。別名も、風待草(かぜまちぐさ)・好文木(こうぶんぼく)・春告草(はるつげぐさ)・・などと多い。平安時代中頃から、梅より桜(の花)が好まれるようになり、江戸時代以降は花といえば「桜」となった。
ウメ(梅)・・(梅の果実も梅と言う)
学名:Prunus mume
バラ科サクラ属、落葉高木
原産地は中国、奈良時代の遣隋使か遣唐使が持って来たと言う
開花時期は1月~4月
種類により開花期が異なる
梅は300種以上の品種があり、野梅系・紅梅系・豊後系の3系統に分類され、梅の実を採るのは主に豊後系
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a3/4bc8cd7358cfdc5add9ee6fc4bba162b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4b/baaacc91a756501916a9f4d729e50681.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/bb/2030453d32ce9d3535e0b0a7265787ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1c/f0c4e3277b6cefb14b73fdb41985456c.jpg)
榴岡天満宮は、天延2年(974)に平将春が陸奥国宇多郡(福島県)に勧諸したのが始まり。その後、宮城県柴田郡川内村に遷座、天文20年(1551)に国分小俵玉手崎(現在の仙台市青葉区東照宮)に移し、寛文6年(1666)に三代藩主・伊達綱宗により榴ヶ岡に遷座。寛文7年(1667)7月に丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、菅原道真公の真筆が奉納された。
写真は、榴岡天満宮の合格の輪
街で買い物を、と出かけた。買い物前に榴岡天満宮にお参りをする。
境内の梅が咲き始めていた。花色は白、まだ蕾が沢山ありこれから賑やかに咲く。
榴岡天満宮の祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)。菅原道真公と梅には深い繋がりがあり、神紋(しんもん、神社の紋)は梅。
奈良時代に「花」と言えば梅(の花)と言うほどに古来から親しまれた花である。別名も、風待草(かぜまちぐさ)・好文木(こうぶんぼく)・春告草(はるつげぐさ)・・などと多い。平安時代中頃から、梅より桜(の花)が好まれるようになり、江戸時代以降は花といえば「桜」となった。
ウメ(梅)・・(梅の果実も梅と言う)
学名:Prunus mume
バラ科サクラ属、落葉高木
原産地は中国、奈良時代の遣隋使か遣唐使が持って来たと言う
開花時期は1月~4月
種類により開花期が異なる
梅は300種以上の品種があり、野梅系・紅梅系・豊後系の3系統に分類され、梅の実を採るのは主に豊後系
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榴岡天満宮は、天延2年(974)に平将春が陸奥国宇多郡(福島県)に勧諸したのが始まり。その後、宮城県柴田郡川内村に遷座、天文20年(1551)に国分小俵玉手崎(現在の仙台市青葉区東照宮)に移し、寛文6年(1666)に三代藩主・伊達綱宗により榴ヶ岡に遷座。寛文7年(1667)7月に丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、菅原道真公の真筆が奉納された。
写真は、榴岡天満宮の合格の輪
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