くらぶとろぴか

きもちはいつもシパダンの海の中。シパダンとコタキナバル旅の備忘録、ときどき弾丸、そしてホームワークアウトおたく。

「劇場アニメ ベルサイユのばら」 を見た・・・

2025-03-03 23:26:55 |  未分類


今回は、唐突に、「劇場アニメ ベルサイユのばら」について書いておきたい。
もう、世間で半世紀以上、読み継がれてきた漫画なので、遠慮なくネタバレする。

私とベルばら in 昭和
ベルばらとの出会いは小3までさかのぼる。
おませな転校生が、学校にマーガレットコミックスを持ってきたのに影響を受け、私もマーガレットコミックスを買おうと思ったのがきっかけで、初めての1冊に選んだのが、「ベルサイユのばら①新き運命のうずの中に」だった。
もうベルばらの連載は終わっていたが、いつまでも、世のお姉さんたちに大人気の「ベルばら」ってのを、読んでやろう!と、ミーハーな選択であった。
読み始めれば、1巻からオスカルがかっこいいし、あっという間に、そのストーリーに引き込まれた。
早く続きが読みたい、でも、昭和の決して楽ではない家庭のこどものお小遣いには限界がある。
小3でも、マリー・アントワネットの運命は知っていたので、もしかしたら、巻頭の「これまでのあらすじ」で、話は繋がるんじゃないか?という、ケチな考えで、1巻の後、すぐ9巻の「いたましき王妃の最後」にワープしてみた。
結果、お姫様は嫁いできたと思ったら、さっさと露と消えた、ということになってしまった。
それに、一番好きなオスカルが、もういないのも衝撃だった。
これではいけないと、順序立てて読むことにした。

ひとたび全巻読破したら、クラスメイトを「ベルばら」に巻き込み、漫画を貸した子たちを、みんなファンにすることに成功。
そして、多くの若年層読者がそうであったように、私もフランス革命に強い興味をもち、小学生5年の頃には関連書籍を読み漁った。
みんなでベルばらのパロディ漫画を書いたり、放課後は図書室に集まって、フランス革命の資料探そうよ、ってな感じで、いわば、クラスのトレンドセッターとなったのである(!?)。


アデュウ、ベルばら
ある日、ひとまわり以上年の離れた従姉妹が、ベルばらを貸してくれというので、貸してあげた。
なかなか返してもらえず、イライラしてたら、後日、ずいぶん汚されて戻ってきた。
それが原因で、またベルばら読み直そう、って気持ちが失せてしまった。
さらに、フランス革命を深掘りをしすぎて、その血生臭さにげんなりした。こうして、小学校を卒業する頃には、私のベルばら熱も、フランス革命研究意欲も急速に冷めていた。
アニばらは、画風が苦手(アランのケツあごとか)で、見なかった。


ベルサイユ宮殿の思い出
時は流れ、平成。
Jから始まりBで終わる旅行会社に就職したので(とうの昔に転職したけど)、ローマ・パリの添乗に行く機会があった。
それは支店が企画した格安ツアーで、安さゆえ人が集まり、50人ほどの団体になったので、添乗員2名つきだった。
我々のような、プロ添乗員ではない、一支店の若造が添乗を務めるツアーは、だいたい、全員無事に乗り継ぎができるよう、団の人数管理と食事の数カウント要員である。
各都市では、日本語を話すローカルガイドがいるので、実際には、たいしてすることはなかったりする。
私は、古代ローマにはとても関心があるけれど、パリには興味がなく、もう一人の添乗員が後輩だったのをいいことに、年功序列特権で、「私がローマのツアーは全部対応するから、ベルサイユもモンサンミッシェルも、パリは全部頼む!」と丸投げした。
私が、パリで行きたい場所はただ1ヶ所、ジャック・クストーの海洋公園(今はもうない)だけだった。
パリに着いた後のフリータイムで、近くまで行ってみたが、フォーラム・レ・アール内で、迷い、たどり着けなかった。
皆がベルサイユに行っている間に、再チャレンジ!と思っていたが、後輩が、「俺、熱出たから、明日のベルサイユ、行けないっす」と言い出したので、渋々私がベルサイユ宮殿半日ツアーに行くことになった。
小学生の時は、あの人工的なルノートルの庭園に憧れ、ベルサイユ宮殿の絵葉書を見るだけでもテンション上がってたのに・・・
12月のいちばん日の短い時期、朝8時半だって真っ暗なパリを出て、ベルサイユ宮殿に、バス1台分のお客様とともに行った。
パリ郊外の宮殿についても、まだ薄暗く、宮殿内に入ると、まず階段があったが、そこも薄暗くて、くすんだイメージだった。
昔見た、池田理代子の、白亜の階段で、アントワネットの手をとるオスカルのカラーイラストが脳内インプットされていたので、なんか違う・・・と思った。
階段を登ると、王族の個室見学になったと記憶しているが、床のワックスのせいか、なんだか油臭い・・・。
もっと広くてゴージャスだろう思っていた、王の部屋も王妃の部屋も、重厚なロココ内装がそうさせるのか、圧迫感あるなぁ・・・。
鏡の間に至っては、今こそ改修されて煌びやかさを取り戻しているが、当時は、銅の鏡が黒ずんで歪んでいて、「私、ムンクの叫びだぁ〜」みたいな感じに映った。
もっとキンキラキンだと思っていたが、歴史を経て、むしろシックな感じだなーというのが全体的な感想だった。

さて、宮殿内見学の後、お客様には、お庭を自由に散策する時間があり、みんな三々五々、庭園に散らばっていった。
「今から何分後、何時何分に、ここに戻ってきてくださいね。」と伝えて待機していたが、集合時間になっても、ほとんどの人が戻って来ない。
半日ツアーで、ローカルガイドも早く解放されたいのだろう、「トイレにいるかもしれないから、急いでトイレを見てきてください」、と言われて、トイレに走った。
宮殿内を走ってる人なんていないので、けっこう恥ずかしい。
トイレに着くと、まず、チップの関所があり、「チップ払って!」から始まる。
「ノン、私はトワレは使わない。人を探してるだけ〜」ってな攻防戦があり、なんとか納得させて入れてもらったが、そこにお客様はいなかった。
「トワレには誰もいませんでした!」とガイドに言うと、「だったら、庭を歩いてると思うから、急いで庭を探して来てください。」と言われ、また庭を走っていくと、すっかりベルサイユに酔ってしまったご婦人方が、ずんずん先へと進んでいくのが見えてきた。
おそらく、ご婦人方は皆、ベルばらリアタイ世代だったんだと思う。
「お戻りください!お客様!」なんとか全員回収に成功。
その後は、ツアーで立ち寄った、宮殿近くの売店で、みんなこぞってアントワネット様の肖像画のポストカードを買い漁っていた。
その肖像画は、その売店でしか見かけたことのない、どの肖像画より美しいアントワネット様であったが、私は買わなかった。
こうして、オスカルなみに宮殿内を、冬だったので、ロングブーツでカンカン走ったことだけが、私のベルサイユでの思い出だ。


令和 ベルばらと再会
時は流れ、「劇場アニメ ベルサイユのばら」が封切られた。
今の私はベルばらファンではないが、一時的ではあれ、どっぷりハマった漫画なので、一応気になる。
気になるけど、寒いし、仕事帰りに行くのもだるいし、どうしよう・・・。でも、U-NEXTのポイントもあるし、やっぱり見とくか、と、なんとなく・・・な感じで、大寒波の日に東宝シネマズ日比谷へGO!

劇場に着いたら、まずは、「ハイキュー!!」グッズを探す自分がいた。
さすがにもう、TOHOシネマズで入手できる目新しいアイテムはないか、と思いながら、ベルばらコーナーはスルーで、シアターへ。
夜だし、会社帰りのミドル以上女子率が高いのかな〜、と思ったら、若い女子も、中年サラリーマンも、おじいさんまで、なんて幅広い!さすが、不朽の名作!


映像美、ないないづくし・・・
本編が始まると、プレミアムシアターの大スクリーンから溢れ出る、きらきら感にやられる。
間際になってチケットを取ったので、見やすい位置は取れず、D列あたりだったら、スクリーンが近すぎて、カラフルときらきらのインパクトが強すぎて、まるで、ベルナールからサンジュストを紹介されたオスカルが、チカッ、チカッとなってる時みたいな気持ちになった。

そして、ベルばらの下地があるところに、ストーリーがあまりにも早く展開してゆくので、私は、浸ることができずに余計なことばかりが心に浮かぶ。

序盤、馬車に並ぶ、エチケット夫人ことノアイユ夫人とアントワネットを見れば、あー2人とも、25年後は首が・・・という史実を思う。
アンドレの第一声を聞いた瞬間に、「誰よりも目立たないセッターに俺はなる!」白布賢二郎がチラつき、ベルナールの、入野自由のボイスに、スガ先輩は、やはり熱い男だな、って、ハイキュー!!を思うのであった。

そう、いくつものエピソードが、大胆にカットされているので、原作を知る身としては、ドラマチックな要素がだいぶ損なわれいるように感じた。
割愛されたエピソードには、いたしかたないものと、省いてほしくなかったものがある。

まず、①巻の大イベント、アントワネット vs デュバリーがない。
同じく、その後の運命を左右することとなる、オスカル、アントワネット、フェルゼンが運命の出会いを果たす仮面舞踏会で、フェルゼンがアントワネットを追いかけてきて、無理やり仮面を剥がし、その美しさに目が眩むというのが本来だが、映画では、浮かれて仮面をずらしていたアントワネットがとり落とす、ていう、めちゃめちゃ思慮の足りない人になっていた。

黒い騎士は、原作④巻のカバー絵でも、タイトルでもあるのに、バッサリ割愛され、アンドレの失明原因が、市民に襲われて、って、ないわー。
オスカルとフェルゼンのダンスからの、黒い騎士、そしてアンドレの失明っていうのは、ベルばらにおける大事な要素だ。

何よりも、優しい一町娘としてしか登場できかったロザリーは、原作においては、オスカルともアントワネットにも、重要なシーンで絡むキーパーソンだ。
この上映時間で描き込む余地なしということだろうが、オスカルが撃たれた時、やはり彼女の「きゃあああ〜」がないと。

アンドレのブラビリもなければ、心中未遂まで思いつめる経緯も、オスカルがアンドレに、愛を告白する、⑦巻の「美しき愛の誓い」もない(←これ大事)。
いきなり、出動前日、夕陽を見ながらアンドレにもたれかかったと思ったら、その夜には、いきなり今夜一晩を・・・、で飛躍しすぎ。

オスカルの喀血もない。

アランが反発的な態度から、オスカルに惚れてしまう描写もない。

さらに、みんな大好き(?)サンジュストがいない!!
ま、国王の処刑を描かないので、サンジュスト露出不要なのだろうが、ぶさいミラボー伯(史実ではモテたらしい)入れるなら、サービスで、美麗なサンジュストが、モブの中に映り込んでいたっていいじゃない。
それにサンジュストのアクスタ出したら、ガチ勢に売れるだろうに・・・。

そもそも、あの白い服の男をナポレオンだ、って一体どれだけの人が、気づくんだろう?
ナポレオンとの邂逅は、漫画のページボリュームにしたって、分殺なんだから、その後、ナポレオンの時代が来るんだ、っていう伏線をちゃんと書いてくれればよかったと思う。
描かないんだったら、サクってもよかったのでは?と私の意見。


こうして、色々すっ飛ばしたわりには、7月12日の夜の、「だけどこわい」からは忠実にやるんだ、って内心、笑った。
でも、あのシーン、オスカルにバイオリンを弾いていて欲しかった。
原作では、サワサワ、サワサワと木々の葉音が優しくするイメージだったが、結構な強風に思えた。
今回の劇場アニメはオスカルの物語と言えるので、あの二人が相思相愛になるまでの過程と心象描写を、もっと丁寧にして良かったんじゃないかな。


さて、オスカル亡き後は、マイウェンの「ジャンヌ・デュ・バリー」方式の、エンドロールで登場人物の運命を字幕で流す方式である。
その後の王家とフェルゼンの運命が、フランス革命期の大イベントを描いたセピア色の版画風の絵をバックに、絢香の歌が流れる中、字幕で淡々と綴られるだけである。
思ったのが、黒木瞳がナレーターって、けっこう宣伝してたわりには、これだけですか?って思うほど、彼女のナレーション場面の少ないこと!
エンドロールの前に、革命イベントも読んでもらえばよかったのに・・・



キャラ考察
オスカルは、全編を通じて、ひたすら美しく、かっこいい。

アンドレは、ちょっと重いかな。

マリー・アントワネットは、割愛されたシーンが多すぎて、単に、恋に恋する、プライドだけが高い人が大人になっていったな印象で終わってしまった。
原作における、初期の可憐な感じから、歳を重ね、公私にわたる苦悩の中、人として成長していく過程で増す美しさ、みたいなものが表現できていない。

フェルゼンは、原作の序盤は、ちょっとガッチリしすぎているが、本作では、終始シュッとしていて、美形であった。

ジェローデルも、シュッとしている。でも、髪、長すぎ。

ルイ16世、最近では、彼のビジュアルを美しく描く作品が増えてきいるのに(マイウェンの映画「ジャンヌ・デュ・バリー」のルイ16世にいたっては、イケメンすぎてつらかったほど)、池田ルイは、あくまでも、ツヴァイク著のマリー・アントワネットがベースであり、内気でずんぐりむっくりの従来型である。まあ、このキャラ造形だからこそ、ベルばらにおける、善い人ルイの切なさがにじみ出るのであろう。



音楽
インド映画と揶揄されたりもする音楽。
個人的に、ミュージカル調の歌唱は、私の好みではないが、何よりも、歌詞に英語が入るのに違和感を覚える。
日本語で通すか、フランス語にしてほしい。
見ていないのに言うのもなんだけれど、いっそ、キルスティン・ダンストの映画マリー・アントワネットのように、ロックやオルタナティブでまとめる、という手もありだと思う。


ツッコミどころ
ラブシーンは、途中から、ファンタジーだ。
フェルゼンとアントワネットは、どうやって楷もなさそな船で、池(?)の沖まで漕ぎ出せた? どうやって帰る?
オスカルの話に合わせて、よく耳を動かす白馬の、なんと目が青い!
オスカル、近衛隊時代にはサッシュしてて、衛兵隊で活動していた頃にはサッシュしていなかったのに、逆じゃん。 
7月13日、14日の戦闘は、なんかちゃっちく見えた。
キングダムをずっと読んでるからかなぁ・・・


と言うわけで、数々の名シーンや名セリフが割愛された1時間53分は、マーガレットコミックスⅠ巻中版でアントワネットがフランスに嫁いでくるところから、8巻中盤で、オスカルが戦死するところまでのダイジェストとしか言いようのないつくりであった。2時間30-40分ものになったって構わないのに、実は、ディレクターカット版が存在するとか、ないのだろうか?
せっかくの美麗な映像なので、原作に忠実な、連続もの大河アニメで展開した方が望ましいと思う。


最後に、泣く、泣くと聞いていたが、私は泣けなかった。
断片的な話すぎて、身が入らなかったのだ。
だからと言って、この映画、気に入りもしなければ、気に入らないわけでもない。
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