タワウのオープンエアのレストランで、テーブルの下に潜っては、みんなの足元をスリスリまわってた子。
どこのテーブルでも、たいていは冷たく足蹴にされてましたが、たまにごはんにありついていた。
サバ州に来ると、必ず食べる野菜。
サバ州だけでとれ、通称、サバ・ベジ。
この、体によさそうな緑色と、ちょっと
ポキっとした食感がたまりません。
ただ、いざ、サユルマニスを食べようと思っても、なかなか店に置いてなかったり、
売切れていたり、ということが多い。
KKでサユルマニスが食べられるところは、ざっと以下が思い浮かぶ
・SEDCO COMPLEX(現在改装のためクローズ中のオープンエアーレストラン群)
・SRI MELAKA(センターポイントからシャングリラホテルにむけ3分くらい。SEDCOのむかい)
・ANG'S HOTEL内のチャイニーズ(確か、「登記」とかそんな名前だったかと…)
・WISMA MERDEKAのフードコート内の手前の方にある店
なんといっても、SRI MELAKAの味つけが、いちばんおいしいと、私は思う。
サイズは、S・M・Lがあり、Sは2人前、RM8.00。
サユルマニス・ドライ・シュリンプとガーリックがあるが、私は、ガーリック派。
ただ、時に、ものすごいガーリックの量が入っていることがあるので、連れの人もろとも同じ
ものを食べる時ならいいけど、そのあと誰かと会ったり、というときには、おすすめできません。
あと、サユルマニスと呼ばれる野菜には、2種類あって、小さい葉っぱだけのものもある。
それは、単なる野菜。
ちなみに、繊維質豊富なサユルマニスを5日連続で食べ続け、便秘解消に成功。
先日、シパダンの入島制限について、マブールからメールをくれた友達が
帰ってきて、さっそく情報をアップデートしてくれた。
シパダンへの入島が許可される1日120人という人数を、12のダイビング・
オペレーターで分けて、ボルネオ・ダイバーズへの割り当ては、22人/日
なんだそうだ。
こんな状況なので、現時点では、3日に一度くらいしかシパダンでは潜ら
せてもらえない感じらしい。
少なくとも、私がシパダンで潜った8/31~9/4は、そんな気配は微塵も
なく、デフォルトで毎日午前中はシパダン2ボートだった。
それが、9/16に突然状況が変わり、友達の話を要約すると下記のような
状況だそうだ。
9/16、シパダンへ午後から2ダイブの予定で出かけて行ったマブールの
ボートが、1ダイブしか潜らせてもらえず、追い返された。シパダン入域料
を払っているのに、なんでだ、と怒り出す人も出た。(現在、1日US11ドル
が、シパダン入域料として、宿泊代に加算して徴収されている。)
翌17日、22人枠のところを、ボート3杯でシパダンへ行ったら、 初めに
着いた2杯はOK、最後に着いた1杯が人数オーバーで追い返された。
どうやらダイバーの頭数しかチェックしてないということになり、いったん
マブールへランチに戻り、午前中シパダンで潜ったグループがマブール
に帰ると、入れ替わりに午後のグループが潜りに行ったら問題なし。
午後は、職員たちは皆昼寝をしていて見ちゃいなかった。
このシパダンへの入島許可はサバ・パークスが、ダイバーのリストを作って
各リゾートに送り、今日リストに自分の名前があると明日、明後日はない、
という感じ。
う~ん、ちょっと手ごわそうでもあり、また、午後は昼寝で見ていない、とか、
ゆる~くもありそうだ。
これ以上、シパダンの海を荒らしたくないというのは、すべてのダイバーの
願いでもあるが、そのために、すすんで潜りません、と言える人は、少ない
だろう。
マブールやカパライまわりのマクロもよいけれど、多くのダイバーの関心は
シパダンではなかろうか。
シパダンにいけなければ、ゲストはunhappyだろうし、ダイビングのオペレー
ターも、サバ・パークスと交渉するとか、何かアクションを起こすことを期待
したい。
来年は、マレーシア観光年、「Visit Malaysia 2007」だ。
そのために、マレーシアは今、国をあげて、観光客誘致に励み、町の美化や
各種イベント準備につとめている。
KKの空港は拡張工事中で、より多くのツーリストをサバ州に招きいれようと
しており、シパダンへダイビングに来る人も、当然増えることでしょう。
どうなることやら。
現在、マブールのボルネオ・ダイバーズに行ってる知人からメールが来た。
なんでも、9月16日から、全ダイビングサービスあわせて、1日に120名しか
シパダンで潜れないとのこと。
今年の4月、シパダンがサバ・パークスの管理下におかれた時に、人数制限
120名というのはすでに打ち出されていたし、先週までKKにいた時に読んだ
シパダン関連の新聞記事には、島に入れる人数は、今は、1日120人に制限
されている、というのもちゃんと出ていた。
でも、私が行ったわずか2週間前には、そんなカウントは、どうみてもなされて
いなかった。
急に管理が厳しくなったんだろうか。
人数が制限されて、海のコンディションがよくなるのなら、と思う気持ちと、
自分がシパダンで潜りたい気持ちと…ああジレンマ…
今晩、やっと日本にむけて帰る。
9月のシパダンは、過去の経験からも、大物遭遇率が高くて、おもしろい。
私にとっての、シパダンのベストは、透明度なら5月、出モノなら9月。
お天気や海況のことは、異常気象もあってわからないけれど、確率としては、
5月・9月にいい思いをしている。
さらに、9月のKKには、ランブータンも、ドリアンもある。
チャイニーズむけの、中秋名月の月餅も売っている。
また来年も、9月にシパダンで潜り、KKで甘いものを楽しもう、と思いつつ、
しばしサバ州とさよならだ。
とうとうKKラストナイトが来た。最終日くらい、プールのあるホテルで、日焼けをしたいと思い、プロムネード・アパートメントと同系列、通り1本へだてたところにあるプロムネード・ホテルに引っ越してきた。安いスーペリアルームは満室で、デラックスしかとれなかった。
サバ州政府観光局では、☆☆☆☆のこのホテル、開業10年で、かなり古びてきた。今回の部屋は、カーペットは最近交換したようでキレイだった。バスタブや、トイレは相当古い。部屋の窓からは、右手に一応海が見えるが、こちらも真下は、となりのレストランのトタン屋根ビュー。
どちらかというと、ビジネス・ホテル色が強く、宴会場では、よくコンベンションが行われている。きょうもお役人らしき人々の立食パーティーが行われていたが、プールのあるレジャーセンターに行くには、その宴会場の前を通らなければならず、ムスリムの人たちの前を、いかにもプールに行きます、ないでたちで通るので、うきまくる。
プールは小さいく、垣根ひとつ隔てて、車道だけれど、ほとんどの時間が貸し切りだった。時々、車道の方から下水の臭いがふわ~っと漂ってきたのが難点。会話は、頭上を飛ぶ飛行機の轟音にかき消されがちであるが、黒い小さな小鳥が椰子の木のうえで、ずっと、チャープチャープとおしゃべりしてて、英語で鳥が鳴くのを、chirpingというのが、よくわかる気がした。ちなみに、チェックアウト後や、ビジターも、数百円程度のお金を払えば、少なくとも、プールとシャワーとロッカーが使えるので、貧乏旅行のチェックアウト後、アクティブに動かない場合は、飛行機まで、プールサイドでごろごろ、っていうのにも使える!と思ったりもした。ただし、南国なので、スコールは覚悟する必要がある。ここ数日、毎日午後2時をまわると、山の方から、もくもく入道雲がわいてきて、1~2時間程度雨が降ったあと、夕方はキレイなサンセットになる、という繰り返しで、今日も同様。プールサイドで寝ていたら、雨が降ってきたので、撤収してきた。イタリア人カップルは、めげずにパラソルの下、Tiger Beerを飲んでいたけど・・・
あと、プロムネードホテルのロビーでは、ワイヤレスが使える。ただし有料。私のXPには、内蔵ワイヤレスがないので、見たこともない中国製メーカーの無線の子機カードをホテルから借りた。別に、家で使っているバファローと、違いは感じない。やっとダイヤルアップとはお別れ、ひさびさに快適なネット環境だ。
プロムネード・ホテルは、現在、1泊約6000円ほど。一通りの設備と、立地とを考えると、コストパフォーマンスすはなかなかよろしい。
きょうの「New Sabah Times」は、見開き2面をさいて、シパダンのリーフの現況をレポートしている。今年の5月に起きた、シパダンへの作業船座礁事件後の、被害エリアの状況をレポートしたものだ。
2006年5月13日、私たちのようなビジターと、シパダン常駐の職員(現在島を管理しているサバ・パークスおよび島を警備するセキュリティたち)のための、施設建築用資材を積んで、シパダンに着岸した作業船が、ドロップ・オフのリーフに乗りあげてしまった。作業船は満潮時に到着し、資材をおろしたら、潮が変わる前に引き上げる予定だったが、不幸にも暴風による波がたち、船体が揺れたことで、建築資材の、ピンポン玉大の大量の砂利が海中にばらまかれ、船底がリーフをえぐり、サンゴが破壊されたというものだ。
この出来事を、目撃者であるイタリア人水中写真家夫妻が、自らのブログに投稿したことで、事件は世界中に広まり、シパダンを知る人々に大きな衝撃を与えた。このイタリア人夫妻は、細々と(失礼。でも、あまりメジャーではないと思う。)写真集や、シパダンのマクロライフの図鑑も出している、シパダンには精通したおふたりだ。彼らのブログの文面は、あたかもシパダンのサンゴは壊滅的と思える怒りと悲しみに満ちた表現で、それを裏付けるように、真っ白な水中世界の写真がのっていた。そして、事件発生当初は、現地の新聞には連日、マレーシアの各大臣たちが建築中止をうたい、状況によっては、シパダンをクローズするといった談話までが報道されていた。ところが、数日たつと、報道内容は、当初の情報は過大視されたもので、実際の被害はそんなにひどいものではない、という楽観的なものにかわってゆき、その後、さらなるニュースは聞かなくなっていた。このように、リゾートオペレータが撤退させられたあと、いくらもたたないうちに、建築が行われようとしたという既成事実からも、容易に想像できるが、施設建築計画にしても、事件後の報道が控えられたことについても、ある強い力が動いたとは、まことしやかに噂はされている。
ところで先週、私がシパダンで潜った時には、ドロップオフに潜る機会はまったくなかったので、そのエリアをこの目で確かめることはできず、どうなっているんだろうと、とても気にはなっていたが、今朝のDaily Expressに、その答えはあった。
きょうの記事は、サバ州観光局が、第三者としての中立的立場にある、DEMA(DIVING EQUIPMENT & MARKETING ASSOCIATION)に、事件後の実態の調査と、それについての客観的なレポートの発表を要請し、それを受けて、DEMAの会長であるAl Hornsby氏が、7月14~16日に行った調査結果をまとめたものだ。
Hornsby氏は、リーフの研究者ではなく、シパダンに長年潜ってきた1ダイバーとしての視点で、被害の程度を判定し、今シパダンに行くと、ダイバーは、被害が及んだ場所で何を見るのか、それは、ダイビングの質に影響を与えるものなのかを、ドロップ・オフの地形と水底の様子の説明をメインに、3枚の写真を添えてレポートしている。レポートによれば、ダメージを受けた範囲は、おおよそ横約24m×縦約30mということだ。
1枚目の写真では、東寄り(旧SDC側)の水面に、何か所も、こんもりとした堆積物が頭を出しており、その堆積物は、砂州のように細長く続いている場所もある。これは、作業船によってえぐられた水底部分が積もったもので、干潮時以外は、沈んでいてみえないらしい。また、干潮時には、足首程度の水深にしかならない場所のため、堆積物にはほとんど生きたサンゴはないそうだ。
2枚目の写真は、水深4~4.5mのリーフのふちで、生きたサンゴの上をカメが泳ぐ、見慣れたシパダンの光景だった。4mより深く潜れば、被害を受けたエリアを泳いでも、ダメージに気がつくことはないそうだ。その位置を、そのまま水深18mまで降りると、棚が突き出ているところにあたり、そこには、事件発生時には砂利が降りつもったそうだが、砂利はすぐに取り除かれ、水中環境にダメージを与えることはなかったそうだ。
3枚目の写真は、棚の上に石灰岩やひっくり返ったサンゴが写っていて、ダメージの形跡がわかるものだった。ただ、その写真の中にも、生きたサンゴが写っている。ダメージを受けたエリアの水底は、もともと、ガレ場、石灰岩、生きたサンゴが点在していた場所であり、また、被害の中心にしても、そこにあるサンゴが完全に破壊されたわけではなく、かつ、ダメージの度合いも均一ではないため、どこからどこまでが実際に被害を受けた場所で、どこからどこまでがそうでないのかを明確にするのは困難、との見解だ。
そして、レポートの結びでは、
?事件発生当初の写真では、リーフが広域にわたって砂利をかぶっていたために、壊滅的に見えていたが、砂利が取り除かれた今では、様子がまったく変わっていて、被害を受けたエリアとそうでないエリアの明確な境界がないこと
?ダイバーやシュノーケラーが、被害を受けたエリアを泳いでも、ダメージに気づくことはまずなく、ここで座礁事件があったとわかるような目だった形跡がほとんど残っていないこと
?作業船が停泊したタイミングと場所の選択が、幸いにもよかったため、被害は最小限ですんだ
と締めくくっていた。
以上がレポートの内容。
ということは、見た目には、目だったダメージは、ほとんどないということだ。事件当初は、タートル・カバーンがくずれるといわんばかりの悲観的な第一報だったので、あらためて被害が小さかったことにほっとした。それでも、風が吹こうが、波がおころうが、たとえ被害が最小限であろうが、こういう人災は、二度と起こりませんように。
ところで、今回のシパダンで、こんな人災を目撃した。
スタッグホーン・クレストで、マクロが得意なガイドがゲストを一人ずつ呼んで、エビをみせていた。その時、中性浮力のとれない日本人女性が、不用意にカベのくぼみに手をついたものだから、そこに積もっていた砂や小石が、ものすごい勢いでなだれを起こし、白煙をたなびかせ、深海へと崩れ落ちていった。こういうのって、少なからず生態系になんらかの影響をおよぼすだろう。彼女は、その前のダイビングでも、潜降開始よりぷちパニックで、バディであるはずのダンナは、まったくヘルプしないので、ガイドが手をひいて潜っていたくらいだ。
自然保護のために、ダイバーの人数制限が打ち出されているが、力量不足の人を制限する方が、いいんじゃないか、と思う。安全面でもね。
"Thumbs-up for new Sipadan plan"
けさのDaily Expressの一記事のタイトルだ。
プロムネード・アパートメントでの滞在がはじまってから、毎朝、アピアピセンターの1階にあるセブンイレブンで新聞を買い、同じく1階にある愛玉冰茶餐室(AI YEE)というKEDAI KOPI(大衆食堂のようなもの)に行って、ミースープ(汁麺)+テタレ(紅茶に練乳)で4リンギット(約120円)の朝食が日課だ。この店は、通りからは見えないし、アピアピセンターの通路に椅子とテーブルを並べただけの簡素な店だ。ここのミースープは、ものすご~くおいしい。ことによれば、KK一おいしいかもしれない。とくに、チャンプルーで、ポークとシーフードが両方はいっているやつが、たまらない。
今朝買った新聞は、Daily Express。サバ州のローカル誌には、New Sabah Times、Borneo Post、Borneo Mailなどがあるが、地元の人にいわせると、Daily Expressがベストだそうだ。それですぐに売り切れてしまうのか、ふだんはセブンイレブンに朝8時に行くと、Daily Expressはない。セブンイレブンには置いていないのか、と思っていたくらいだ。きっと今日は日曜で、みんなゆっくりしているから、8時をまわってからでも、残っていたのだろう。そして、がっかりなことに、いつもの茶餐室は日曜定休だった。夕べは夜8時すぎから体の節々が痛く、ぞくぞくし、発熱した。たぶん軽く39度は出たと思う。夜中に、汗をたくさんかいて、朝には熱はさがっていた。そんなこともあって、今朝はお粥な気分だ。お粥を求めて、新聞片手に、とりあえずアピアピセンターを出た。
お粥は、チャイニーズ系の店で、朝しか出ない。店にあてはないので、とりあえず散歩がてらサンデーマーケットをひやかすことにした。サンデーマーケットは、ガヤ・ストリートという通りで、毎週、日曜日の午前6時半から午後1時まで、車を通行止めにして開催される。テントやパラソルがところ狭しと並び、野菜、果物、古着、お菓子、新聞雑誌から、ハチの巣やペット(犬、ネコ、ハムスター、観賞用の魚)まで売っていて、ぶらぶらながめるだけで面白い。とある商店の軒先では、パイプ椅子ならべて、盲人協会主催のフットマッサージなんかもあり、たくさんの人達が順番待ちをしていていた。本当にいろいろな出店があるものだ。サンデーマーケットには、これまでも何回か足を運んだことがあるが、だいたい、暑さと人ごみで、最後はクラクラして帰ってくる。(写真は、サンデーマーケットのいちばん端っこでとったものなので、活気が伝わらない・・・。)体調は万全ではないわりには、幸い、今日は、風があったので、わりと平気だった。
ガヤ・ストリートにあるKEDAI KOPIは、今朝はどの店もとても繁盛している。「粥」という文字のある店を見つけたので、さっそく店に入り、「ぶぶーる!しーふーど!」とオーダー。ホテルでは、英語のポリッジ(Porridge)で、通じるが、ローカルのお店では、ポリッジと言っても「???」となってしまうことが多く、これまでお粥にありつくのに苦労することが多かった。なので、マレー語のお粥という単語ブブール(bubur)を覚えていった。「ぶぶーる!」と注文したら、無事、スムーズにお粥にありつけた。代金は、ティーとあわせて5リンギット強だったかな・・・
さて、前置きが長くなったが、お粥待ちの時間が長かったので、新聞を広げたら、「Thumbs-up for new Sipadan plan」というタイトルが目に飛び込んできた。目新しい点はなかったが、きのうの新聞に出ていた、シパダンのレストハウス等の施設建設プランを、各方面が歓迎している、といった内容だった。記事には、SMART(シパダン・マブール・リゾート)のマネージング・ダイレクターが、ダイバーにとって大切なのは水中であり、シパダンの施設として必要なものは、ベンチとテーブルといった程度のものだというコメントが載っていた。それには同感。あと、シャワーも必要、とあった。シャワーはあればありがたいが、現在、なければないでやっていけているので、あえて設置しなくてもよいような気もする。それに、たった1時間の水面休息のために、レストハウスがいるのかと思っていたが、実際には、シパダンには、シュノーケラーや、ダイバーについてくるノンダイバーの方々もいるので、そうした人々のことを考えると、こぎれいなトイレや雨風避ける場所は必要なのかもしれない。ちなみに、今年の3月に雨のひどい日があって、その時は、Jettyの旧ドロップ・オフ・カフェのカウンターの内側に入れてもらい、そこでうずくまっていたが、それでも雨風降りこんで来て、つらかった。つい先日、8月31日にスコールが来た時には、旧ボルネオ・ダイバーズのカンティーンに入れてもらえたが、これだと楽勝だった。リゾートが撤収したとき、まだ使える施設をほとんどとり壊したことを考えると、だったらなんで使えるものをもっととっておかなかったかと思ったりもする。いったい、これからシパダンにはどんな施設ができて、将来、シパダンは、どう変わっていくんだろう。私たちがお納めしている、シパダン入域料は、どういうふうに使われるんだろう。お粥をすすりながら、ずっと考えてしまった。以上、病み上がりのうわごと。
以前、シパダンには、もとからの島の住人で、カメの卵をとることによって
生計をたてていたファミリーがいたのをご存知の方は多いことでしょう。
今朝の新聞には、そのファミリーが、カメの卵が獲れなくなったことへの
損失にたいし、州政府とサバ・パークスを相手どり、1600万リンギットの
訴訟を起した、という記事が出ていた。
1600万リンギット?いくら?1リンギット32円弱ぐらいだから、ざっと5億前後
ってところ?
カメの卵を採集し、シパダン島を所有するという権利は、原告のおじいさんに
あたる人が、マレーシアを植民地にしていたイギリス政府から、慣習法的に
認められたものなのだという。
新聞記事によれば、1993年11月に、その原告のおじいさんが、ボルネオ・
ダイバーズとプラウ・シパダン・リゾート(PSR)を相手に、7万リンギットで
シパダン島をダイビングに開放することと、同時に、1年につき5万リンギットで、
4年間、カメの卵をとらないという2点の取り決めに合意し、調印したのだという。
そして、ちょうどその合意から4年後の1997年11月、シパダン島は州政府に
よりカメの保護区に指定され、偶然にも、上記のカメの卵をとらないという4年間
の契約満了と同じタイミングになったそうだ。
よって、その後、カメの卵をとることはできなくなり、また、そのファミリーは、ツー
リズムに関わることも許可されなかったらしい。
長年、マレーシアとインドネシア双方がシパダンの主権を主張してきたが、2002年、
オランダで行われた国際司法裁判所で、シパダンはマレーシアということが正式に
認められた。原告は、それはおじいさんの、慣例で認められた権利があったからこそ、
と主張しているのだいう。
なにがどうして5億なのかわからないし、カメの卵はとってはいけません、と思った
だけで、コメントはないけれど・・・
こんなシパダンにまつわるニュースもあるということで…