くらぶとろぴか

きもちはいつもシパダンの海の中。シパダンとコタキナバル旅の備忘録、ときどき弾丸、そしてホームワークアウトおたく。

シパダン上陸記念日

2014-09-11 11:26:05 |  ダイビング
きょうは何の日…。
20年前のきょう、私がシパダンへ初上陸した日。
超個人的記念日。

1994年9月11日 早朝
たった50分の仮眠。
短時間でも熟睡しなくちゃ、ちゃんと起きなくちゃ、と思うあまり、眠っているともいないともつかない状態のまま、無常にも4時半を告げるモーニングコールが鳴った。
目を無理に開けてロビーに降り、ボルネオ・ダイバーズのワンボックスに乗り込む。
このドライバーの人たちも、夕べはさんざんだったなぁ・・・と思いつつ。
乗り込んだら、また目を閉じてZzz...
しばらくたっても、車が動く気配はない。
時計を見たら、すでに乗り込んで20分たっている。
車内、みんなそろっているようなので、なんで出発しないのかよくわからない。
誰もが睡魔が勝ってか、何も言わない。
ここはボルネオ。
南の国だから、時間にたいしては、こんなもんなのかな?
また目をつぶって、こっくり、こっくり、んごっ。
目を開けるが、窓から見えるのは、相変わらずホテルのエントランス。
こんなん待たせるならモーニングコール、あと30分遅くてもじゅうぶんだったじゃんと、腹立たしい。

やがてぞろぞろ、日本人グループが出て来た。
あとから聞いたら、彼らはショップツアーで、鳴ったアラームを止めて二度寝したらしい。
分乗なんだから、待たなくてもいーのに。
結局、車が出たのは、ほぼ1時間後だった。

MH2121便とキナバル山
タワウゆきのMH2121は、6:10発。(今は7:30だけれど、長年6:10発だった。)
空港でのチェックインは、人数が多いうえに、みんなにダイバー仕様の荷物がもれなくついてきているので、時間がかかる。
なんだか、待つことの多い旅だ。
ボーッと夢遊状態で、意識なくチェックインを終え、セキュリティチェックを通り、PINTU(ゲート)へ。
ゲートは冷え冷え。
さらによく冷えたエンジ色の椅子に座って、凍えながら搭乗開始を待つ。
とにかく、1分でも1秒でも長く目を閉じていたい。
寒くても頭は冴えず、またまた夢遊状態で機内に入ると、ここでもまた凍える。
外はどんどんどんどん明るくなってゆくが、今は景色どころではない、睡眠だ。

離陸して少したつと、ピーナツが配られ(今も変わりませんね)、ついでマンゴネクター(これも変わりませんね)、さらには、ツナとハムが入ったサンドイッチ2切れが出た(これは廃止になりましたね)。
突然、機内が金色になり、窓の外にはギザギザの稜線。
キナバル山だ!
初めて見る、朝日に照らされたキナバル山の神々しさに、感動。
キナバル山の名は知っていたが、まさか、フライトからこんなに間近にながめられるとは思わなかった。
なんだか得した気分。
ああ、来てよかったと思えるひとときだった。

キナバル山が見えなくなり、サンドイッチも食べたら、またまた貪欲に眠る。
わずか45分の飛行時間だから、タワウなんてあっという間。

ターンテーブルで荷物を待っていたら、寝坊したショップツアー参加の男性がひとり寄ってきて、なれなれしく「よろしくお願いしまーす」と声をかけきた。
なんだこいつ、延々待たせて詫びの一言もないし、図々しいぞ。
私だってアラーム止めて、あと1時間横になっていたかったよ、とムカついていたので、無愛想に会釈だけ。
しかし、友だちは、さっそくその人が気に入ったようで、うれしそう。
もー、私は誰とも友だちになんかならないからね。
タワウ空港も、今のジャングルの中ではなく、町からすぐのところにあった時代。
空港のスクワット式トイレは、頭上にタンクがあり、紐を引くと水が流れる、日本ではとんと見かけなくなったレトロなものだった。

半日がかりのタワウ~センポルナ~シパダン
タワウからセンポルナへの迎えはワンボックスと、小型のバスの2台に分乗。
個人参加組はワンボックス、ショップツアー組はバスだ。
タワウ空港を出ると、高床式の木造家屋なんかがあって、ん~、アジアの田舎に来たなって感じがした。
すぐに町の中に入り、そこには低いビルが並び、やがて建物がまばらになり、上り道に入った。
左手に大きな霊園が現れ、キリスト教、ムスリム、仏教と、宗教ごとに異なる形の墓標が並んでいた。
そこから先は、著しく道路状況が悪化し、舗装はされているけれど、でこぼこ。
すさまじく揺れるので、眠れたもんじゃない。(2-3年後には、劇的に道がまともになった。)
腰痛の人には、大ダメージな揺れ。
ときどき犬は交通事故死してるし…。
ひたすら椰子の木農園を見ながら揺られること1時間半強。
車がガタガタしなくなったと思ったら、人里っぽくなった。
小さなサッカー場が現れ、ロータリーをまわったら、海が現れた。

ドラゴンイン横のボルネオダイバーズのボート小屋に通され、リストに名まえと国籍を記入させられるが、そんな作業は秒殺で終わってしまう。
みんなよそよそしくソファに座ってもう1台のバスを待っていると、物売りの女性が、べろーんとやたら長いものを携えて登場。
なんとバラクーダの干物!
それを、30半ばのコリアンだと思っていたカップルが、機内でもらったピーナツとの物物交換を関西弁で交渉という暴挙に出ている。
う…日本人なんだ、この人たち。
絶対、友だちになれなそうと、生暖かい目で見守っていた。

それにしてもいっこうに着かないもう1台のバス。
待ちくたびれていたら、ボート小屋のフィリピン人に「あっちにアクアリウムがあって、ないすぷれいすなので見てこい」と言われた。
じゃ、その「ないすぷれいす」を見てくっか。
ドラゴンインの水上シャレー群を横目に、てってってっと歩いてゆくと、渡り廊下の下に、網でちょこっと囲んだところがあり、その中にナポレオンがいた。
それだけ。
アクアリウムって、単なる生け簀じゃん。
楽しくもなんともないので、すごすご戻る。
遠くに見える寝姿山がユニークだ。
それにしても、汚い海。
濁っているし、ゴミだらけ。
ここからわずか1時間のところに、DWで見たような海があるとはとても思えない。
もう猜疑心のかたまりとなり、シパダンに来るのは、これが最初で最後、と思うのだった。

結局、1時間以上待って、やっともう1台がたどりついた。
荷物を降ろし、ボートへの積みかえに、またまた時間がかかる。
日程表ではとうに島に着いている時間に、まだセンポルナ。
やっとボートに乗り込むや否や、日本人のヤロー二人組の、バンダナをかぶった男が、周囲の迷惑も顧みず、耳栓をして、ベンチに横になり、占有してしまった。
なんて非常識。
こいつとは、絶対友だちになれない。

ボートに乗ると、やはり海は衝撃的に汚い。
数十分走っても汚い。
天気はよいのだが、水面はちゃぷちゃぷ。
よく揺れて、波をたくさんかぶる。
おまけにボートは頻繁に止まる。
止まると、エンジンチェックで、しばし漂流。
あー、シパダンって、なんでこんなに大変なんだろう?
一方、どんなに揺れようが、漂流し始めようが、非常識なバンダナ男はよく寝ている。

水面がやっとおだやかになったと思ったら、そこはもうシパダンだった。
そして、海はもう汚くなかった。
バンダナ男はむくむくっと起き上がり、先に島に入っていたと見られる、やたらうるさい日本女子ふたりに「ヘーイ!セニョリータ!」と叫んでいる。
こいつ、うざったーい。(当時はまだウザイよりうざったいだった気がする。)

Welcome to Sipadan Island!
シパダンのビーチに降りたった瞬間、胸に去来したこと。
これが最初で最後のシパダンだ。
ゲストとも、スタッフとも、誰とも友だちにならない。
私は、純粋にダイビングだけ楽しもう。

ボルネオダイバーズのカンティーンに入ると、「Help yourself to drinks」と言われ、オレンジジュースっぽいのを入れたら、超味の薄い濃縮ジュース。
おいしくないが、シパダンの味覚の一つだ。
もう、ひといきついたから、さっさと部屋に通してほしいのに、待ちぼうけ。
前日、早朝に家を出てから着替えができていないうえに、ボートでさんざん波をかぶってしおしおだから、ソッコー水着に着替えたい。
しかし、もう1ボートがまだ着いていない。
カンティーン前には、荷物が並んでいるが、どうやらまだ着いていない人びとのものが先に届いたもよう。
私たちの荷物は、あとから来るボートに乗っているようだ。

はたして、きょう中にオリエンテーションできるんだろうか?
またまた1時間ほどたってから、ショップツアーを乗せたもう1ボートがやってきた。
これでやっと全員そろったので、レセプションからのブリーフィング、ダイブマスターのブリーフィング。
暗記するかと思うほど、集中して聞いちゃった。
オリエンテーションダイブは午後4時とのこと。
これでなんとか明日は3ボート行けると安堵。

やっと部屋に案内されると、部屋までけっこう遠くて、またまた、ぶつぶつぶつぶつ。
荷物を開けたら、けっこう浸水していて、さらにぶつぶつ。
もう1パイのほうが、私たちよりも漂流タイムが長くて、遅れた様子だし、積まれた荷物も水没・・・。

オリエンテーション兼サンセットダイブ
待ちに待った16時、ドロップオフでのオリエンテーション。
メンバーは、バラクーダの干物とピーナツの交換を試みていた夫婦、バンダナ男とその連れの弱々しい人(男性)、あとは白人の美男美女カップルと、われわれ2人。
若者ダイブマスターに率いられ、記念すべきドロップオフデビュー。
ダイブステーションからタンクをしょって、ビーチをてけてけ歩いて、Jettyの西側から入る。
白砂の浅瀬は、ミルキーがかっているが、強い西陽が差し込み、もうサンセットモード。
白砂が途切れると、これほど潔いドロップオフがあるかと思うほど、ズドンと落ちていた。
青緑がかった海で、深海の方に目を凝らすと漆黒のイメージ。
透明度はあんまり良くないし、こんな暗い海いやだ。
やっぱりシパダンはこれで最後だ。
どれほど目を凝らしても、太陽の光が吸収されてゆく筋が見えるだけ。
「暗い!こわい!」と、またさっそく不平不満を発してみる。
その様子に、ダイブマスターが「モンスター?」とからかってくる。
この私が、真剣にこわがるわけないじゃん。
まがりなりにもダイブマスターで伊達に200本以上潜ってないよ、と思い上がりつつ潜降。
ほとんど寝てないわりには、耳抜きよし。
プランクトンが多くて透明度は悪いが、水深5メートルでみんなウェイトOKか確認している時点で、もうぶつぶつ文句を言っていたことすら忘れてしまった。
Jetty下には、DWのフォトコン入賞作でとても印象的だった、ツバメウオの幼魚の群れがさっそくいて、あー、シパダンに来たんだ、と実感。
ナポレオンもホワイトチップも通るし、ギンガメの群れもいる。

1ダイブでどっぷり、早20年
オリエンテーションのわずか50分で、もうシパダン精神昂揚。
初日のディナーにして、友だちにはなれないと思っていた関西人夫妻と早くも意気投合。

翌日の記念すべき初ボートでは単体だけれど、いきなりハンマー。
2本目は、軽くマンタ。
シパダンでは、普通のことなんだろうと錯覚に陥ったほど。
他では大騒ぎなアオウミガメはそこここにいるし、カンムリブダイの群れに、ギンバラトルネード。
道中の長さに反して、島での4泊は一瞬だった。

2日目からは、別ボートではあるが、寝坊なショップツアーの人たちともよく話すようになった。
同じボートの、美男美女のヨーロピアンとも仲良くなった。
スェーデン人で、自分たちは結婚してやっていけるか、テストしているところだと言っていた。
2人とも常にバスタオルを巻いているので、なんだ?と思っていたら、荷物に浸水し、着替えが全部びしょびしょになったそうで、水着にバスタオルといういでだちだという、かわいそうさ。
さらに、ログブックをスーツケースに入れていたうえに、万年筆でログづけしていたので、過去の思い出が全部読めなくなってしまったらしい。
あとは同じボートだった、パリのお父さんに、ジュネーブの大学生男子とも仲良し。
早朝もサンセットもナイトもごはんもボートも、みんないつも一緒。
ダイブマスターとも意気投合。
結局、友だちにならなかったのは、バンダナ男だけだ。
サンセットのエントリー前、セニョリータ達と潜るバンダナ男から、「そっちのグループは右行きます?左行きます?」と問われ、「うちら右に行くんで、皆さんは左へどーぞ」なんてやりとりをしたほど。
ところで、バンダナ男のバディ=弱々しい人は、小柄で痩せていて、無制限ダイブに消耗しているふうだった。
時代が時代だったので、弱々しい人はバンダナ男から、「おめえ100本でシパダンに来てんじゃねーよ」と、よくいじめられてた。
バンダナ男はいつも水鉄砲でシュパシュパ弱々しい人を攻撃して、それに弱々しい人がいつも「やめてくれよー、やめてくれよー」という寸劇を、毎回、ダイビングの前に見なくてはならなかった。
弱々しい人はとろくさく、なかなか器材のセッティングができないし、ウェットも着れない。
するとバンダナ男自身はせっかく着たウェットを脱いでまた、早くしろよと水鉄砲に蹴り攻撃。
ひとしきり水鉄砲攻撃が終わると、バンダナ男は、またウェットを着直すのだ。
これはもしや、バンダナ男の弱々しい人への歪んだ愛情?
弱々しい人が、いつもしいたげられているのを見て、関西人のご主人は、時に優しく声をかけてあげるくせに、「弱々しい人は、こっちのグループに入りたいみたいやけど、それはあかん」と。
バンダナ男の女子のお友だち、セニョリータたちとは、後年、シパダンでばったり再会してからは意気投合。
みんなキャラ濃かった。

でも、こんな辺境まで来る人びとは、本当にダイビングが好きな人たちばかりで、クセはあってもいい人が多かった。バンダナ男を除いては。

Win95が普及する直前の時代だったので、まだメアド交換なんてのはない。
関西の夫婦、ダイブマスターや、ジュネーブの学生・・・みんな帰った後、文通してた。

リゾートには天気が悪いとつながらない電話があるだけ。
テレビもなかった。(アストロが入ったのはだいぶあと)。
夜はダイブマスターの弾き語りに、シパダンソング。
すべてが素朴だった。
朝は、独特な鳥のさえずりで目が覚める。
ぴぽぱぴぽぱぴぽー。
1日中、はだしの生活。
ビーチやJettyで焼けば、サンドフライで強烈なかゆみ。
共同シャワーは時にラッシュとなり、並ばなければならなかったり、ナイト後はソーラーがきいていなくて水シャワーを浴びるはめになったり。
共同トイレは、夜になるとタンクバルブのパッキンがバカになって、巨大なバケツから水を手桶でくまないといけなかったり。
夜はゲッコがトケケケケ。
ゲッコはいいのだが、2棟続きのシャレーは、梁の部分はふさがれておらず、夜中にはネズミが走りまわる。
ネズミにつきもののダニもいる。
ネズミに頭をかじられた人、カバンをかじられた人。
ときに部屋にはネズミのおみやげが…。
ネズミ禍多かったな。
いま思うと、かなりきつい環境だけれど、そんなことも、道中の大変さも、どうでもよくなってしまう海がそこにはあった。
たぶん、シパダンが素朴さを保っていた最後の頃だったように思う。
タイムマシンがあるなら、あの頃のシパダンには、もういちど戻ってみたい。

水中も、陸上も、超密度の濃い、島での4泊5日だった。
帰りもワンボックスとバスだったが、ワンボックスには、別のグループで潜っていた日本人大学生男子と、私と友だちの3人だけだった。
3人とも興奮冷めやらぬといった感じで、センポルナからタワウの車の中ではしゃべりっぱなし。
バスはあんまり走れないようで、なかなか来ないからと、わざわざタワウのボルネオダイバーズオフィスに連れて行かれ、いま思えば、甘いテタレと、お菓子でのおもてなしがあった。
コタキナバル、クアラルンプールと乗り継いで、クアラルンプールから成田ゆきでは、他人に席を代わってもらってまでも、3人でしゃべり続けで帰る意気込みだったが、さすがに夜ばい便だし、日々の無制限ダイブの疲れで意識はなくなっていた。
昼前に、水質がよいわけのない共同シャワーでシャワーを浴びたのが最後で、真昼だから大汗かき、シパダンからセンポルナへのボートでは日焼けの上塗りに、またまた潮までかぶり、飛行機3回乗り継いでという、ちょっと臭う感じで帰国。
でも会社に直行した。
あとのふたりには、満足に挨拶をするゆとりもなく、「じゃ!」と言って去った。
しかも荷物がなかなか出て来なかったので、成田から東京駅南口までタクって大枚はたいた上に、結局遅刻した銭失い。
私と入れ替わりに年休をとる人がいたのと、翌週からギリシャとイタリアへ仕事で行くことになっていたので、どうしても、その日は、這ってでも出社しなくてはならなかったのだ。
もう頭の中はシパダンでいっぱいで、うわのそら。
次をいつにするかに思いを巡らせているだけで、使い物にならない人だったことは言うまでもない。

20年たっても、ことこまかに覚えている最初のシパダンの記憶。
その後、猿岩石日記の影響で、ログのすみっこに、珍道中を書き止めたりするようになったりしたが、初回については、ログブックと、ニコノスVの20ミリでとった水中写真と、陸上のスナップ写真が1ロールある程度だ。
20年前は、カメラはフィルムカメラだから、今みたいになんでも手当り次第に写真に撮ったりできなかった。

というわけで、最初で最後になるはずのシパダンだったのに、20年も持続してしまった。
誰とも社交しないはずのシパダンだったのに、シパダンでできた友だちは多い。
20年前のきょうをもって、私にとって、シパダンはなくてはならない場所となったのだった。

シパダンに行かぬ9月

2014-09-10 11:02:08 |  ダイビング
シパダンなしの9月
忘れもしない20年前のきょう、9月10日は、私がはじめてのシパダンにむけて旅立った日だ。
そして、それからは、9月という月はシパダンの月になった。
9月にシパダンへ行かなかった年は、たぶん2~3回。
夏の終わりにはシパダン。
毎年、新米の越路早生を食べるないと秋が来ない!と思っているのと同様、これがなければ秋が迎えられないといえるほどのシパダン。
私にとっては、今なおシパダンがNo1であり続けるし、いつだってシパダンに行きたい気持ちに変わりはない。
なのに、この9月は、あえてシパダンに行かない。
いや、9月だけではない。
今年もあと3か月だから、20年潜り続けたシパダンの海に、今年は一度も潜らないかもしれない。
まさか、こんな時が来るなんて、思いもしなかった。

20年ふたむかし
1994年4月。
カート・コバーンの死の衝撃から5日後のこと。

今は休刊中のDW(ダイビングワールド)で「ボルネオ大紀行」という特集を掲載した号が出た。
この1冊で、この年の夏休みはシパダンに決定。
ジュリア・ロバーツとデンゼル・ワシントンのペリカン文書を、有楽町のマリオンで見たあと、友だちとシパダンの日にちを決め、翌日の昼休みには、公衆電話からテレカで旅行会社に電話して申込み。
映画本編上映前の宣伝で、篠原涼子の「愛しさと切なさと心強さと」がストリートファイターのCMで流れたのがとても印象に残っている。
1994年は、そんな年だった。

きっかけ
シパダンを知ったのは、たぶん、92年頃DWで紹介されたことからだった。
ダイビング雑誌はほとんど処分してしまったが、今でも、DWのシパダン特集はとってある。
これらDWのバックナンバーは、私にとってはバイブルのようなもので、捨てられない。
あとは、その頃に発行された、地球の歩き方マレーシアも。
今ではビルが建ち並んでいる場所がまだ海だったり、コタキナバルも様変わりしたので、今となっては使い物にはならないが、これまた捨てられない。

当時は、映画「彼女が水着に着替えたら」がきっかけで巻き起こったダイビングブームの名残りで、ブームにのってダイビングをはじめた人たちが、まだけっこうアクティブダイバーでいた。
私もダイビング業界がいちばん元気だった時代にオープンウォーターをとった。
もっとも私は、「彼女が水着に...」にインスパイアされたわけではなく、映画を見てすらいない。
ちょうど当時の女子大生に人気の某社への就職が決まった夏、残業の多さで悪名高くもある会社だったので、就職したら、思うように遊べないぞ、という先入観から、沖縄行ってみたいしー、とれるうちにCカードとっておこーっと、ってノリ。
まさに学生が英検や秘書検をとるのと同じような感覚でとった。
Cカードだけ持ってればいいや、と思っていて、ダイビングを続ける気はあまりなかった。
アドバンスなんて、はなっから考えていなかったが、誘われるままにアドバンスをとり、そこからはまった。
当時はまだ高かった講習代に器材一式、ドライスーツにと、学生時代にバイトでためた貯金を全部つぎ込んだ。
今とは違って、20代ダイバーがとても多かった。
同世代のダイバー仲間の間では、シパダンは、もう行くところがなくなった人びとがたどりつく辺境の地と目されていた。
100本で行ったら「何しに来たんですか?」と言われるくらいの勢い。
今は、ダイバーの絶対数が減り、高齢化しているが、何百本と本数を重ねているダイバーは珍しくない。
でも当時は、シパダンには200本は潜っていないとだとか、予約は2年前からで1年前じゃもうとれないだとか、行くのも予約するのも敷居が高いというふれこみだった。
その頃の私は、すでに200本以上潜っていたが、伊豆半島に月3回とたまに三宅と沖縄、海外はモルディブとパラオしか行ったことがなかった。
まだまだ行きたいところは山ほどあり、行くところがなくなった人ではない私が、シパダンにさっさと行くことになったのは、モルディブのイントラから、「休暇で行ったシパダンが、すごくよいから、絶対に行って」と強くすすめられたからだ。
素晴らしいモルディブの海を毎日潜っている人のすすめだから、説得力があった。

リゾート選び
島にはボルネオ・ダイバーズ、PSR(プラウシパダンリゾート)、SDC(シパダン・ダイブ・センター)の3件。
噂によると、ボルネオ・ダイバーズがいちばん老舗で高く、欧米人が多い、PSRがこぎれい、SDCはいちばん安く、日本人も多いが、ビーチダイブをするときに器材をかついでえっちら歩かなければならない。
日本人ばかりじゃ旅情がないし、タンクしょっての陸移動もいやなので、まずSDCが候補から消える。
選択肢はボルネオ・ダイバーズかPSR。
実はその前の年に、ジスコ経由でPSRの申し込みをしたが、会社で同じグループのリーダーが入院してしまい、ペーペーの私が何ヶ月も前から予定していた年休は却下され、2ヶ月以上前のキャンセルなのに、ジスコに友だちの分と申込金2名分6万を没収されたというのがトラウマになっていた。
今のジスコは、そんな厳しい規定は設けていないが、当時は強気だった。
シパダン行きたいけれど、3ヶ月先の予定なんてどう変わるかわからないし、とシパダン経験者の友だちに相談したら、クルーズ・インターナショナルという会社なら、1か月前からしかキャンセル料がかからないと聞き、その会社が扱っているボルネオ・ダイバーズに決定。
でも、リゾートといっても簡素なシャレーで、共同トイレ共同シャワーで長居はつらそう。
旗日ごとに、どこかしらへ潜りに行きたい年頃だったので、よくわからないシパダンにそうそう日数は費やせないと、土日+祝日1日+年休けちって3日だけの、全行程7日間にした。
土曜出発、木曜早朝着で、そのまま会社へGO!にした。
とりあえずは、シパダンというところに、一度行ければ気がすむだろうと思っていた。

最後の伊豆
予約が取れたら、あとは練習。
同行者は、シパダン的にはありえない100本未満ダイバーだったので、まずは久米島で練習。
そして、シパダンへ行く前の週の週末には、富戸で特訓。
富戸ビーチだけのつもりで行ったのに、サービスに強くすすめられ、ボートダイブにも参加。
富戸ビーチは好きだったのに、ボートのポイントは、ひたすら真緑で、トビエイが1匹出ただけで、金返せー!な内容で、それっきり伊豆に行かなくなってしまった...。

MHデビューでイレギュラー
そして9月10日がやって来た。
成田に8時30分集合と早い時間なのに、チェックインは長蛇の列。
その頃の私の荷物は、往きにはだいたい28キロ。
私と友だちのところに、同世代の男がやって来て、荷物を一緒にチェックインしてくださいと懇願。
うちらだってじゅうぶんHEAVYなのに、人のためにさらにHeavierにしたくないし、それに、良からぬものを持っているのかもしれない。
かなり食い下がる男だったが、ばっさりお断り。

はじめてのマレーシア航空で、聞き取れるマレー語は「とぅりまかし」だけ。
機内でKELUARがEXIT、TANDASがトイレというマレー語からさっそく覚える。
クアラルンプールまでの約7時間、2回もミールが出て、すっかりブロイラー。
クアラルンプールの空港も、今のKLIAではなく、スバンにあった。
スバンで国内線乗り継ぎのためのイミグレーションにたどりつくと、我々が若かったのもあると思うが、入国審査官はちゃらちゃらと仕事をしており、「どこに行く?」と聞かれ、「シパダン」と答えると、「俺たちも先週行って来たゼィ」なーんて調子。
嘘だろ、と半ば呆れるテキトーさである。
そして、なにやらバスに乗って、国内線ターミナルへ移動した。

コタキナバルへの国内線までは、4時間くらい時間があいて、確か20時台の便だったと記憶している。
ゲートについてしばらくすると、DELAYのアナウンス。
えー、まじっすか?
これだからMHはやだよ、初めてのくせに、ぶーたれてみる。
当時は名古屋からペナンゆきのMHが運航されていて、その名古屋便が遅れるので、コタキナバルへ乗り継ぐ人がたくさんいるのを待つとのことだった。
さいしょのアナウンスでのRETIMEは23時。
翌朝のタワウへのフライトは6時過ぎ。
島に着いたらオリエンテーションでドボンなわけで、睡眠不足で耳が抜けなかったら困ると、さっそく仮眠を決め込むことにした。
その頃は、まだダイバーズウォッチなんてのをつけていて、アラームかけてZzz...。
途中でアナウンスがかかり起きると、午前1時までは飛ばない、もっと遅れるかもというインフォメーション。
ゲートに大勢いた日本人がざわざわ。
耳が抜けないのもいやだが、島3泊しかないのに、あした島にたどり着けないピンチである。
でも、1時までは飛ばないなら、これはさらに寝るしかない。
友だちは「こんなとこでは眠れないので、寝ない!」と言う。
アラームをセットしなおすのも面倒臭いので、「じゃ、寝ないんなら、アナウンスかかったら起こしてね。」と言って、私は本格的に眠ることにした。

いー感じで寝ていたら、激しく揺り起こされた。
友だちが、「いま、寝てたら、蚊の鳴くような声で、コタキナバル~って聞こえた!」と血相変えている。
時計はまだ23時。
「なんで寝てんのよー、寝ないって言ったくせに!」と寝起きの不機嫌炸裂。
まわりには、もう誰もいない。
ゲート変わったのかな?くらいに思い、「まだ1時じゃないから、ゲートの係の人に聞いてきて・・・むにゃむにゃ」と友だちを走らせる。
遠くから、彼らのやりとりをぼんやりと眺めていたら、ゲートの職員と友だちが必死の形相で、すさまじいスピードで手招きしている。
あれ?もう出るってことっすね・・・。

機内に入ると照明はもう落とされていた。
乗客は皆静かに座っており、左3席、右3席の間にある通路は、誘導灯に照らされて、まさに花道状態。
超気まづいが、幸い、すでに眠りに落ちている人も多かった。
友だちとは通路をはさんで隣の席で、私の横は日本人カップル。
おそろしく地味なカップルなのに、おそろしく派手にいちゃついており、かなりいかがわしい体勢になっていたので、私が遅れて来たことなんか意にも介してないようだった。
リゾートまで我慢しなさいと思ったが、ある意味、ありがたい。
座るや否や、ドアクローズ。
そして、意識が遠のき・・・。
途中ミールはしっかり食べた。
そして、また意識が飛んだ。
東京ー沖縄ほどの距離のある、クアラルンプールーコタキナバル。
もっともっと寝ていたいうちにコタキナバルに着いた。

コタキナバルに着いたら、すべてがスロー。
クアラルンプールで入国手続きしているのに、州またがりだと、またまたパスポートコントロールを通らなくてはいけないのにいらっ。
とにかく、早く眠りたい。
イミグレ後、荷物が出てくるのを延々と待ち、やっと出てきたと思ったら、ターンテーブルが止まった。
と同時に、白人女性が「I missed my baggage」と訴えていた。
あー、気の毒。でも、荷物が出て来ないときは、あーいえばいいのね、なんて学んだ。
ボルネオ・ダイバーズの送迎とミートしてからも、なかなか出発できない。
ワンボックス2台が待機していたが、人と荷物がそろうまでに時間がかかるのだ。

タッチ&ゴーだった初コタキナバル
空港を出たら、物珍しいので、眠気はどこへやら、窓の外を凝視。
市街地に出るまでの道路にある蝶やラフレシアの電飾に、なんだか昔懐かしさを感じた。
1泊するはずだったシャングリラに着くと、近くから、ギターを持った若者たちの弾き語りが聞こえた。
そう、はじめからコタキナバルというのは、なんだかやたらと懐かしさを感じる場所で、直感的にここが好きだと思った。
で、ホテルに着いたのは午前3:30。
ピックアップは午前4:30との沙汰。
もう絶句。
1時間仮眠なら、空港待機のほうがマシなのに。

さて、ホテルは、想像していたより、はるかにまともだった。
とにかく、耳が抜けないのはイヤなので、さっさと寝なくては。
とりあえず、トイレには行っておこう。
流れが悪い。
ベッドに入る前に、カーテンがあるのでいちおう開けてみたら、壁。
窓ははるか上の方にある。
ランボルギーニカウンタックみたい。
もう50分しか眠れないんだから、そんなことはどうでもいい。
とにかく、1分でも長く寝よう。
何はともあれ、予定どおり、シパダンにたどりつけそうで良かった。

というわけで、20年前のきょうは、長い長い1日だった。
20年も昔のことなのに、ついさっきのように鮮明に覚えている。
94年はマレーシア観光年。
今年も20年前同様、マレーシアは観光年。
それなのに、3月と7月のMHの事故というショッキングな年になってしまった。

欠シパダン理由
さて、どうして今年はシパダンに行かないか?
MHショックは、少なからずある。
でも、これからも私は、ふつうにMHに乗ると思う。

シパダンを見送りのきっかけは、7月にマブールで起こった事件だ。
昨年末にはポンポン島で台湾人カップルの男性が射殺され、相方の女性が誘拐された事件。
4月のシンガマタ・リゾートでは、チャイニーズの女性ゲストとフィリピナスタッフが誘拐された事件。
次いで、センポルナ界隈で、確か漁業会社のチャイニーズマネジャーも誘拐された事件。
ここのところ、チャイニーズをターゲットとした誘拐事件が立て続けに発生している。
犯人集団は、サザンフィリピノの過激ムスリム。
サバ州東海岸にとって、もう、サザンフィリピノの過激派対策は、永遠のテーマではなかろうか。
いつになったら、あのエリアに平和は来るのだろう。

最近に限らず、以前からサバの東海岸では、けっこうな頻度で誘拐事件が発生している。
日本人が巻き込まれていないので、日本でニュースにならないだけだ。
それを知りながらも、私にシパダンゆきを思いとどまらせるものはなかった。
1995年6月には海賊が何度も島へのアプローチを試みていた。
なにしろ、日没後は海賊が出没するので、センポルナと島の間の移動は日のあるうちにっていう海域だった。
島に向けてボートに乗っていると、違法なダイナマイトフィッシングをボギョンとやっているのなんかも見かけることがあった。
2000年にアブサヤフがPSRで集団誘拐をする直前まで島にいたし、その数ヶ月後には、普通にシパダンに行ったものだ。

シパダン歴が浅かった頃には、帰ってくると、家族に強制的にシパダンのスライド(銀塩時代)を見せてあーだこーだ語っていた。
「あらー、パラオよりもすごいわねー」なんて感じで、親までも、シパダンの海の良さに理解を示してくれた。
そのせいか、海賊が来てさー、なんて話をしても、なぜか、「そんな危ないとこ、行っちゃいけません!」なんてことにはならなかった。
なにしろ、アブサヤフの誘拐事件が報道されたとき、そのニュースを最初に教えてくれたのは、母だった。
「あんたがいつもいってるところで、誘拐があったみたいよ。」
が、なぜだかシパダンにはあまり心配せずに送り出してくれた。
一度事件が起きた場所は、警備が厳しくなってそうそう同じことは起こらないと思っていたのもあるようだ。
それに、根拠はないが、大丈夫っていう直感みたいなものが働いていたように思う。

しかし、今年7月の事件は、ちょっと違うふうに感じた。
マブール、こともあろうにSMARTのウォーターバンガローのJETTYから武装集団が上陸し、マリンポリス2人のうちひとりが射殺され、もうひとりは拉致され、無事だとは言うが、未だ解放されたというニュースは聞いていない。
(ちなみに、前出のチャイニーズは、みな日数はかかっているが、解放されている。)

これまで、拉致事件があっても、リゾートエリアで、人死にが出るようなことはなかった。
この人が一人亡くなっているというのは大きなインパクトだ。
ポリスがいたって、賊をのうのうと上陸させてしまう環境。
武装集団の狙いは、ツーリストを拉致だったのが、たまたま先にポリスとでくわしたがために戦闘となり、ポリスが犠牲になったのだ。

この件を受けて、日本の外務省は、サバの東海岸に対して、危険情報をレベル2から3に引き上げた。
長年続いた「渡航の是非を検討してください」には慣れっこになって麻痺していたが、さすがに3となり、【サバ州東海岸のうち,ラハ・ダトゥ,クナ及びセンポルナ周辺地域には「渡航の延期をお勧めします。」の危険情報が発出されていますので,同地域への渡航は経由地である場合を含め,どのような目的であれ,控えてください。】
どのような目的であれ、とまで表現されると、そうそう見過ごすこともできない。
もとシパダンのDMだったコタキナバル人に、ローカル目線からのアドバイスを求めたら、「危険すぎるから行くな」という。
もうひとりは、「警備が厳しくなって、たぶん安全。みんなが来なくなるから水中もいいかも」と脳天気。
7月の事件を契機に、東海岸海域では夜間後航海が禁止されているので、不審船の航行チャンスも減って入ると思うし、新しい事件も聞いてはいない。
きっと何事もないんだろうけれど、何かがひっかかる。

個人的には、10周年の2004年にシパダン島がクローズして、何かが決定的に終わってしまってはいる。
せっかく20周年、1800本記念と意気込んでいたのに、まさかこんなことで頓挫するとは思わなかった。
いつまでセンポルナ界隈の緊張は続くのか、そして、いつまで私がシパダンに行かずにがまんしていられるものか・・・。
20代、30代、そして40代となり、えらいこっちゃだ。
とにもかくにも、シパダンにゆけず、悶々とする9月。

トレーナー11人・・・US発ホームワークアウト漬けの日々

2014-09-05 14:07:39 | ホームフィットネス
気がついたら、ワークアウトDVDのコレクターになりかけていた。
結果、11人のトレーナーを取っ替え引っ替えしていた。
その11人が11人みな、なにかしらの恩恵をもたらしてくれた。
たとえば・・・
メタボ寸前だった腹を凹めてくれた恩人、トレーシー・アンダーソン。
筋肉量を増やしてくれた恩人、ジリアン・マイケルズ。
つごう6キロ体重減らしてくれた大恩人、ショーンT。
ヒップを改善してくれた超恩人、リアンドロ・カーバルホ。
MMA(Mixed Martial Arts、総合格闘技)の楽しさを教えてくれた恩人、ブレット・ホベール。
かつてないほどの柔軟性をくれた恩人、トニー・ホートン。
ワークアウトの楽しさを教えてくれた恩人、ダン・コーエンとレイチェル・ニューシャム。
リハビリ恩人のDrマーク・チェン。
自分史上最高に硬いおなかと8時間睡眠の習慣をもたらした恩人、マイク・カーペンコ。
今はまだ恩人未満だけれど、3日でトライセッププッシュアップをよくしてくれたシャリーン・ジョンソン。
・・・といった具合に。

そこで、手持ちのワークアウト25セットに独断で星付けをして、そのうちのいくつかを勝手にMyワークアウトの殿堂入りさせてみた。
好みは十人十色だし、体質によって効果の度合いも異なるだろうけれど、ワークアウト選びにお悩みの方のご参考までに・・・。
トレーナーごとに、日を分けて書こうかとも思ったが、なぜこのような変遷をたどったかを語るには、1回完結がわかりやすいので長文。
全部読みたくないと思われ、ctrl+fでトレーナー名を入れて、興味のあるトレーナーだけ読んでいただければと思う。


1.トレーシー・アンダーソン
全米のセレブリティ・トレーナーと呼ばれる人々の中で、日本での知名度No1はこの人だろう。
私がトレーシーを知ったのは、たしかめざましテレビかなにかで「あのマドンナのパーソナル・トレーナー」というふれこみで紹介されたときだ。
マドンナが50を過ぎてもあのボディをキープしているのは、この人あってかと思ったら、ものすごい訴求力。
それでさっそく書店へGO。
こうして、私の今世紀初のワークアウトは、トレーシー・メソッドで幕を開けた。
トレーシー・メソッドの発売が2009年11月、私がそれをはじめたのは2010年だから、いかに長年、運動から遠ざかっていたことか・・・。
そのツケは、しっかり腹に来ていたので、
ザ・トレーシー・メソッド2 最強の腹凹ワークアウト編」☆☆☆☆

から取りかかり、ものの3日で腹が凹みはじめた即効性で、すっかりトレーシーに傾倒。
腹だけではなく、脚と腕もケアしてくれて、はじめて数日で職場の女子に「脚、締まってるね」と言われ、すっかり気をよくしたもんだ。
冷静に考えれば、太りすぎているときのサイズダウンは容易なのに・・・。
結局、腹は望むほどには凹みきらず、体重も減らなかったが、なにしろトレーシー盲信中だったので、
「筋トレで基礎代謝UPし、痩せやすい体を作り、有酸素運動で脂肪を燃焼する。
この2つがそろってはじめてトレーシー・メソッドは完成よ」
というトレーシの言葉を信じて疑わず、
ザ・トレーシー・メソッド3 有酸素ダンス編☆☆

をはじめた。
最初は難しくて無理!と思ったけれど、トレーシーが、ひとつひとつの動作をていねいに教えてくれるので、時間さえかければ、誰でも踊れるようになると思う。
できなかったことができるようになるのがうれしくて、しばらくは喜んでやっていたが、ひとたび45分通しで踊れるようになったら、くるくるまわってジャンプばかり、脚も痛くなり、おもしろくもなんともなくなり、やめてしまった。
そして翌夏・・・。
トレーシー・ダイエット 30日間でキレイに痩せる!無星

というムックが出て、すわトレーシーの新作!と飛びついた。
ワークアウトの内容は悪くないのに、マガジンハウスのDVD構成がまずすぎて、買うんじゃなかったと大後悔のお粗末なシロモノだった。
ムック形式で、低予算でそうなったのだと思うが、ふつう、左のデモをやったら右のデモもやってくれるものだが、これは片側しか入っていないので、とてもやりにくい。
こんな中途半端な商品は、出さないでほしかった。
そこで、トレーシー・メソッド・シリーズの第1作めにあたる
ザ・トレーシー・メソッド マットワークアウト編☆☆☆☆

を、いちばん最後にスタート。
椅子を使っての脚のエクササイズは、当時は効いている気がしたし、立ったままの腹筋や腕のエクササイズは、新しい感じがした。
ただ、毎日60分同じことの繰り返しで飽きてくるのと、体重は1~2kgしか変わらなかったので、なんとなく心が離れ始めた。

トレーシーまとめ
全体的に、トレーシーのワークアウトは、マイルド。
きついというレビューを書いている人も少なからずいるが、何か新しい運動をはじめたときの筋肉痛はつきものだし、難しいとか、大変だと思うことだって、続けているうちに、少しずつこなせるようになってゆくもの。
トレーシー・メソッドの何がよいかといえば、全身に600あるという筋肉を知り尽くした上でのていねいな指導で、いわく、小さな筋肉から大きな筋肉へと、無理なく安全に筋肉をきたえていくところと、彼女の動きが優雅なところ。
ワークアウト事始めには、とても良いともう。

それでは、なぜ私はトレーシーをやめたのか?
それはズバリ、冗長だから。
1日45~60分と時間がかかるうえに、「at least 4 to 6days a week」やれば効果が出るわ、とのこと。
あとから登場する他のトレーナーたちのワークアウトも、週5~6回、1日40~60分かかるが、他は複数のDVDを日々ローテーションするのに対して、トレーシー・メソッドは1枚ものを週5~6回も、である。
ゆえに、どうしても飽きてくる。
せめて3が出たときに、1~3を組み合わせてやる効率的なカレンダーでも封入してくれたら、もう少し違っていたかもしれない。
他のワークアウトは、時間が長いものでも、あっという間に時間がたつが、トレーシーのは、やっとここですかい、という感じなのだ。
トニー・ホートンは腹筋は毎日やるなと言っていたけれど、トレーシーは毎日やりなさいと言っているわけで、おんなじ運動を毎日やっても果たして?という疑問もある。
スリム化進行中は、やればやるほど効果が出そうな気がして頑張れるが、いったん高原状態に入ったら、まいにちまいにち、えんえんと同じことばかりでうんざり。
そう感じるようになったら、トレーシーはお役ご免。
かのマドンナも、トレーシーのワークアウトに結局退屈してしまい、見切りをつけたという・・・。

今後、彼女がよほど画期的なトレーニングでも開発しない限り、私が再びトレーシーのワークアウトに取り組むことはないだろう。
でも、多少なりともサイズダウンできたし、ワークアウトの習慣が身についたのは、トレーシーのおかげ。
そんなこんなで、トレーシー女史には感謝している。


2.ジリアン・マイケルズ
トレーシーにかわるワークアウトをさがして知ったのが、ジリアン。
レビューでは「ジリアン姐さん」と親しみを込めて呼んでいる人が多く、日本での人気は高い。
日本コロムビアから日本語吹き替え版も発売されていて、その邦題が、なかなかデブ心をくすぐる。
私が持っている4枚だけでも・・・
30DAYS SHRED ジリアン・マイケルズの30日間集中ダイエット☆☆☆

キャッチコピーの「30日間で-9kgをめざせ!」で、買い!
が、-9kgどころか、筋肉増えて体重も増えた。
6WEEK SIX-PACK ジリアン・マイケルズの腹やせエクササイズ~6週間で脂肪を取る☆☆☆

トレーシーが凹ませてくれた以上には、凹まなかった。
トレーシーより、腹筋頑張っている感触はあったのに。
YOGA MELTDOWN ジリアン・マイケルズのダイエット・ヨガ☆☆☆☆

キャッチコピーは「1週間で-2kgを目指せ!」
4週やったら8kgだ!?
大汗かいてデトックス効果は絶大だったが、体重は変化せず。
ジリアン流ヨガは、けっこう気に入ったが、レベル1と2が入っているのにレベル1で中断したっきり。
ひたすら運動運動していて、ヨガならではのヒーリング効果はのぞめない。
ただ、このDVDがきっかけで、ヨガへの興味がわいた。
KILLER BUNS AND THIGHS ジリアン・マイケルズの下半身最強ダイエット☆☆☆

まずは、BUNS=尻と、THIGHS=太ももの「KILLER」ということで、飛びついた。
さらに「理想の下半身がほしい人は私に任せて。約束する!」というコピーつき。
が、ぜんっぜん効かなかった。

ジリアンものの邦題には、これをやりとげたら、いったいどんだけほっそりするんだろ?とあらぬ期待を抱かせられる。
うすうす予感はしていたが、現実は厳しく、ほっそりするどころか、筋肉量がふえたことで体重も増えた。
トレーシーよりずっと燃焼感があったので、まさかの体重増という不毛な結果には衝撃。
体脂肪率はしっかり減ったのだから、結果を出してくれたのだが、体重が増えるのは、心情的に、やーな感じ。
だから、☆は渋め。
どうしても体重を減らしたい私は、こうしてジリアンものにさよなら。

ジリアンまとめ
トレーシーの直後にはじめたことで、どうしてもトレーシーと比較してしまう。

まず、ジリアンはやかましい。
トレーシーは常に落ち着いた口調だった。
でも、このやかましさというか、キャラがたって勢いがあるので、こちらのテンションも上がる。

ジリアンのDVDは、日本のアマゾンで輸入版が安く、簡単に買える。
円高だった2011年当時、1枚1,200円強で送料込みで、コスパがよい。
ちなみに私が持っているマガジンハウス版のトレーシー・メソッドは1枚定価2850円。
もちろんジリアンだって、日本語字幕、吹き替えつきは安くない。

ジリアンのDVDは良心的だ。
だって、1DVDに1ワークアウトのトレーシーとはちがい、1DVDに複数のワークアウトが収録されている。
さらに、トレーシーでは、それぞれが別のDVDでカバーされている腹筋とカーディオが、1ワークアウト内に盛り込まれている。

ジリアンのワークアウトは効率が良い。
1日わずか、22~30分である。

余談だけれど、いつもポジティブでパワフルなジリアン。
それが、幼少時は夜驚症に多動性障害。
思春期には、身長158センチ体重約80キロという肥満体に、ソフトボール大(本人談)の鼻につながり眉。
クラスメートから、おまえは醜いと、ひどいいじめにあっていたという。
そのいじめがきっかけで鼻を整形したというが、それも隠しはしない。
妊娠出産で体型がくずれるのがイヤだから養子をとる、という発言をして物議をかもしたり。
バイであることも公言し、今は、同性のパートナーとの間に、そのパートナーが産んだ子どももいたり・・・。
なかなか波乱に満ちている。
いろいろな苦境を乗り越えていることで、人間味が溢れていて、ファンが多いのかも。
でも、他のトレーナーだって、ジリアンに負けず劣らず、モチベーションをキープさせるのはうまい。
だから、別にジリアンでなくても・・・というのが正直なところ。
日本では、単発ものばかりが売られているが、USアマゾンで売られている「Body Revolution」というDVD15枚からなる1日30分×90日ものは、ユーザーからの評価が高くて、興味はあるので、2度とやらないとは思わないけれど、当面、ジリアンものをあえて選ぼうとは思わない。
いずれにせよジリアンは、楽しい鬼コーチだった。


3.ショーンT
ジリアンで体重が増えてしまったのは、やはりカーディオ不足?
トレーシーでは45分くるくる踊ってのカーディオなのに、ジリアンでは、わずか20~30分のうちの一部に盛り込まれているだけだ。
カーディオ不足=ダンス不足、と確信した私は、アマゾンで物色の結果、これまたマドンナやマイケルのコレオグラファー、ジェイミー・キングのロック・ユア・ボディというヒップホップダンスをチョイス。
(ジェイミーはトレーナーという肩書きではなく、コレオグラファーなので、ここではすっとばす)
これがなかなかよくて、さらなるヒップホップを求めて見つけ出したのがショーンT。
ヒップホップをちゃらちゃら踊って脂肪燃焼させながら、腹筋も鍛えるなんて最高じゃん!
というわけで、
Hip Hop Abs☆☆☆☆☆殿堂入り!

かんたん、きつくない、それでいて効果大の、ポジティブ3K。
いわゆる横たわっての腹筋運動がないのがウリで、All you have to do is TILT, TUCK & TIGHTEN。
ざっくり言えば、腹からふーっ、とか、腹からフッフッと呼吸しながら、前後左右に4歩ずつ動く程度で、腹筋が鍛えられる。
「FAT BURNING CARDIO(30分)」、ダンベルを使う「AB SCULPT(25分)」、「TOTAL BODY BURN(45分)」、「HIPS, BUNS, AND THIGHS(25分)」の4種類を4週間。
どれも難易度は低い。
これを2ヶ月やったら、6kg減っていた。
2007年にリリースされていたので、もっと早く出会いたかった。
それだけが悔やまれる。
トレーシーとジリアンに費やした時間が惜しいと思うほど。
ワークアウト初心者、体力のあまりない人にもおすすめできる。

ロッキン・ボディ☆☆
ヒップポップアブスで、私は、ショーンTについてゆくことに決めた。
ヒップホップアブスを再生して、はじめてその存在を知ったビーチボディ。
他にもショーンTのワークアウトが出てないかな~と、はじめてビーチボディのホームページをポチッ。
これが運のつき!?
そこで目に飛び込んで来たのが、Insanity。
Insane...狂気…タイトルからして手強そうだ。
もうひとつは、ロッキン・ボディ。
インフォマーシャル動画を見たら、聞き慣れたイントロ、たりらりらりらりたりらりら♪
マイコーの、邦題、今夜はドントストップ。
他にも、マドンナのホリデー、サバイバーのアイ・オブ・ザ・タイガーなどが流れ、いにしえのポップスで、楽しそうに踊っている。
しかも、日にMAX1500カロリー燃焼できるという。
一方、インサニティは、必死の形相で鍛えまくっている。
ロッキン・ボディ=楽しそう、インサニティ=つらそう。
ロッキンボディはDVD2枚なので安いが、インサニティは10枚セットなので150ドルと高い。
楽しくて安い方が、つらくて高いよりいいに決まっている。
というわけで、安易にロッキンボディを選んでみた。

2枚のDVDに、「Mark, Move & Groove(15分)」「Party Express(25分)」「Disco Groove(35分)」「Shaun T's Dance Party(45分)」「Rock It Out(45分)」「Hard-Core Abs(10分)」「Booty Time(30分)」という7つのワークアウトが収録されている。(最後の2つは、フリーギフトとしており、おまけな位置づけ。)
そしていざ始めてみたら、メジャーな楽曲は少ないし、あってもほとんどがカバー。
舞台のセットのせいか、なんとなくディスコ調で、ロッキンじゃない!
あまり難しくないからだと思うけれど、ダンス指導解説なしの、見よう見真似で踊るだけの放置プレイ。
センターにはもちろんショーンTを据えて、主にこのワークアウトのテストグループあがりの人たちがステージでダンスを披露する構成があんまり好きでない。
ショーンTが腹筋を露出すると、オーディエンスから歓声があがるのが笑える。
いちおう一通りやってみたけれど、どれも好きになれず、結果、2週間くらいでやめてしまった。
USアマゾンのレビューを見ると、アメリカ人でも同じように感じる人が多いようで、安っぽい、返品だ、ショーンTは、こんな商品を出したことを恥じろ!と酷評している人がけっこういる。
私は、ロッキンボディはロッキンボディでありだと思う。
一応、大汗もかくし、私が好きになれなかっただけだ。

Insanity☆☆☆☆

ロッキン・ボディにがっかりしたら、反動か、インサニティで苦行の日々に突入することに決めた。
ヒップホップアブス、ロッキンボディでのファンキーなショーンTに馴染んでいたのに、インサニティでは、いきなり超硬派なショーンTで、そのキャラ変ぶりにビビる。
さいしょの10分で心臓破りな感じで、いつ辞めようかと思いながら、だましだまし60日。
ショーンTの叱咤激励が絶妙で、どんなにきつくても、やめない!と思わせるところがすごい。
9種類だったかのワークアウトは、思いだしても息切れしそうなので、詳細は思いだしたくない・・・。
インサニティが、私のジャンプ、スプロール、バーピーぎらいを決定づけることになった。
ショーンTのデモどおりにはできないこともたくさんあったけれど、60日を乗り切ったときの、その達成感たるやハンパなく、どちらかというと、インサニティで得たものは、本来の目的であった減量よりも、精神面での充実だったように思う。
ただ、もう二度とやりたくないので、☆ひとつマイナス!

こうして、インサニティを乗り切ったという妙な自信から、アサイラム(Insanity Asylum)にすすむべきか迷ったが、インフォマーシャル動画を見るに、私には、きちんとした動きでついていくことはできなかろうと、ショーンTからは、離れることにした。
ショーンTから離れている間に、アサイラム2も出たが、心動かされることはなく。
それから1年後、労少なくして功多しなヒップホップアブスが忘れられなくて、
Hip Hop Abs Ultimate Results☆☆☆☆
をスタート。

「Fat Burning Cardio 2(40分)」「Ab Sculpt 2(35分)」「Total Body Burn2(50分)」といった、タイトルからもわかるように、目新しいことはないけれど、時間も長くなり、運動量は大幅アップして、楽しいしいけれど、決して楽じゃなかった。
日本では「ヒップホップアブスレベル2」というタイトルで、エクサボディから売られていたこともあるようだ。
さらにアドバンスな感じの
Hip Hop Abs Extreme☆☆☆
には、「Extreme Cardio(55分)」「Extreme Abs(20分)」の2つが入っている。

「Extreme Cardio」は、長い上に、ジャンプの多さもあって、55分はtoo much・・・。
オリジナルのヒップホップアブスでは考えられないほどしんどい。
そして、ちょうどアルチメーツリザルツとエクストリームを1ヶ月こなしたところで、
Focus T25☆☆☆
が登場した。

ショーンTが25分のワークアウトを出すと知ったときには、やったー!と思った。
ジリアンには、20分台も珍しくないのに、あのショーンTが、と思うと、それだけで期待が高まった。
ふたを開けてみたら、25分間、激しめのワークアウトに5分間のクールダウンで、トータル30分。
張り切って発売と同時に買ったが、インサニティの比ではないけれど、きつくて、しまった!と思った。
かと言って、インサニティほど極限に追い込まれる感じがしないので、達成感もない。
前半アルファサイクルの5週間で5種類、後半ベータサイクルの5週間で5種類のワークアウト。
猛暑だった2013年の7月から9月にかけてやったので、しんどさupだったと思う。
冬にやればいいのかな?
うーん、あんまりもいちどやりたくないなあ。
それでも、アルファをやっていたころは、別売りのガンマサイクル4週間に進むつもりだたが、そんな気持ちはいつの間にかフェードアウトしてしまった。
私にはあまり楽しいとは思えなかったし、嫌いなジャンプやバーピーが多いので、好みの問題で☆☆マイナス。
ちなみに、USアマゾンの「アマゾンベストセラーズ」のエクササイズ&ワークアウトDVD部門では、「Focus T25」が長い間首位をキープしている。
というわけで、世間様からは高評価。

ショーンTまとめ
あるときはファンキーなダンサー、そして、あるときはストリクトなアスリート。
ブリトニー・スピアーズのコレオグラファーだっただけに、ダンスをしている時の、coolな身のこなしこそ、この人の本領なんじゃないかと思えたり・・・。
その反面、アスリートモード時の、引き締まった表情は、さすが元ランナー。
インサニティやT25で見せつけてくれる、身体能力の高さには、ほれぼれしてしまう。
それに、声がいい、というか、聞きやすい。
ヒップホップアブスのように、誰にでも簡単にできるものから、アサイラムといった、アポロオーノもやるようなプロ級のものまで、彼が開発したワークアウトのバリエーションは豊かである。
でも、どうして、そんなにジャンプが好きなの?と思えるジャンプの多さが玉にキズ。
しかもテンポがめちゃめちゃ早いので、ショーンTが本来意図する動きが、私にはこなせていないと思う。
ショーンTのFacebookでは、5分でできるワークアウトを日々紹介しているが、インサニティやT25の動きを踏襲したものが多くて、なんとなく「ぴーすあうと。」な今日この頃。
また会うなら、インサニティやT25のような道場ではなく、ダンスフロアにしたい。
ショーンTは、アニキ、兄さんってイメージ。


4.リアンドロ・カーバルホ
腹は小3、尻は中2の頃より、いつかサイズダウンをと夢見る永遠のテーマである。
古くはシンディにクラウディア、そして、トレーシー、ジリアン、ショーンTにいたるまで、皆、なんらかヒップのワークアウトを提供しており、そのつど、お尻の筋肉は痛くなるのだが、結果が出ない。
ヒップに劇的に効くワークアウトを長年求めていたが、ある日、ビーチボディからの宣伝メールで、「ブラジルバットリフト」を知った。
幼少時より、リオのカーニバルの映像を見るたびに、ブラジリアンの尻はなんて丸くて高い位置にあるんだ、と常々思っていた私にとっては、そのタイトル自体に超説得力があり・・・
ブラジルバットリフト☆☆☆☆☆殿堂入り
をはじめることにした。

かつて、ここまでヒップに特化した、ワークアウトを見たことがない。
これで、腹の次は尻で、願ったりかなったりー。
インフォマーシャルを見る限り、リアンドロはちょっとクネっとしているし、美女たちと満面の笑みで、楽しそうに踊っている!
ところがいざはじめてみると、白鳥は水面下で足ぐるぐる的な、リアンドロと美女たちの笑顔とはうらはらに、実はそんなに楽じゃないワークアウト。
でも、おしりの形改善に絶大な効果。
ブラジルバットリフトで左右比対称だったお尻の垂れ具合が改善したり、20代のとき、スヴェルトを塗ったくったり、クラランスのアンチオーで浴室をぎとぎとにして、親に怒られていた頃よりも、ボディケアなんざにお金を1円たりともかけていない今の方が、むしろキャピトンやセルライトが減ったではないか!

ブラジルバットリフトデラックスアップグレード☆☆☆
ダンベル大活躍。
「リオ・エクストリーム」という、ヒップ重視の50分のカーディオ&筋トレがメインで、けっこうたいへん。
あとは、腕、胸、背中といった上半身を整える「アッパーカット(12分)」と、腹筋を鍛える「アブスラピド(10分)」と短めの3本が収録されている。
時間がないときには、短編2本が重宝かもしれないけれど、オリジナルの「ブラジルバットリフト」があれば、じゅうぶん!かな・・・。

ブラジルバットリフトマスターシリーズ☆☆☆☆

「Bikini Body」「Higher & Tighter(35分)」「Ipanema Booty」の3種類が収録されていて、これらのタイトルからして期待がもてる。
バランスボールを使っての運動が、見た目の印象よりハード。
特に、バランスボールを抱えての運動で三頭筋が痛くなるのがいやで、ヒップにずんずん来ているのはわかるのだが、カレンダーを一通りこなしたら、オリジナルに戻ってしまった。

リアンドロまとめ
とにかく、ブラジルバットリフトが超秀逸。
リアンドロのワークアウトには、もれなく美女と笑顔がついてくる。
でも、やっていることは、決して楽ではない。
リアンドロは、他のトレーナーとちがって、激しくゲキをとばしたりはしない。
大変なときも、いつでも笑顔マークでやさしい。
暑苦しめの、単なるおじさんなんだけれど、不思議な愛嬌があって、大好きなリアンドロ師匠である。


5.ブレット・ホベール
リアンドロでお尻が改善したら、またまたお腹の仕上げを。
(いったいいつになったら、仕上がるんだ!?)
RevAbs☆☆☆☆
RevAbsのRevはrevolutionのrevで、もちろんこの言葉に反応してしまった意外の何ものでもない。
腹に革命が起こせるなら起こしたい。
それもフランス革命級の。
DVDは10枚(1枚はオリエンテーション)あり、90日かけての革命。
このワークアウトを1か月続けた頃には、なぜだか後ろ姿が痩せたとうれしい指摘が。
レブアブスのワークアウトは、きつすぎず、楽すぎずといったところでちょうどよい感じなのだけれど、インサニティ後だと、もうちょっと大変でもいいかな、と思えたりもする。
ただ、インサニティのようなエクストリーム系は、万人向けではないし、長くできるものではない。
きつすぎるのはいやだけれど、しっかりと腹筋運動に取り組みたいという人にはおすすめ。
私はなによりも、カポエイラの要素を取り入れた運動が多いのが気に入っている。
これが、レスミルズ・コンバットやTapouT XTのMMA系をはじめるキッカケとなった。
レブアブス、いつの間にかビーチボディ本舗のサイトからは消え去っているのが、私は悲しい。
(姉妹サイトのチームビーチボディには、まだあるけれど。)
あんまり人気なかったのかな?

ブレットまとめ
ブレットもリアンドロ同様にヴィクトリア・シークレットのトレーナーであり、ジリアンと同様にビッゲストルーザーのトレーナーだった。
ブレットは、自らを「El Captain」とか「The Dues Collector」(dueは、ブレット語で汗のこと)と呼ばせたり(ニックネームと言うけれど、私には、自らそう呼ばせているように見える)、自分に酔っているようにに見えるところは否めない。
運動を止めるときには、「MERCY!」
「レブアンセム」ってのがあって、毎回唱和させたり。
なにやっちゃってんの?、ってのはあるが、でも、私は彼は彼でよいと思う。
そして、この人の筋肉のつき方は、とりわけ美しい。

ブレットは、カポエイラマスターかつケトルベルのイントラでもあるので、今後に期待。
近々、「20minutes Body」というのを売り出すようなので、きっと手を出してしまうだろうな。
ブレットは、体育の先生なイメージ。


6.トニー・ホートン
ショーンTとビーチボディの二枚看板といえるトニー・ホートン。
まさにツートップ。双璧。
そして、トニー・ホートンこそ、今のワークアウト界の大御所、重鎮だろう。
もっとも、私が彼を知ったのは、ビーチボディのホームページを見るようになってからだけれど。

P90X☆☆☆☆☆殿堂入り

これまでに500万セット以上売れたといわれ、ブルーノ・マーズの「ザ・レイジー・ソング」の歌詞にまで登場するP90X。
いかにアメリカでP90Xが広く知られ、受け入れられているかということを物語っている。
アシュトン・カッチャーやPinkもP90X graduate。
私だってP90X graduate。
というわけで、猫もしゃくしもP90X graduate。
P90Xはしんどいけれど、インサニティほど極限な感じはしない。
P90Xは、これまで経験したワークアウトの中で、いちばん「体育」な感じがする。
12枚のワークアウトには、筋トレ、カーディオ、ストレッチがバランスよく組み立てられている。
私はトライもせず不戦敗な懸垂や、ヨガのクロウなど、困難を極める運動も多いが、かわりのモディフィケーションも充実しており、計算し尽くされたワークアウトだと思う。
まさにワークアウトの金字塔。
ハードなワークアウトのリハビリとして、1時間半にもわたるヨガと1時間にもわたるストレッチがあって、たいへんだけれど、幼少の頃から体の硬さには定評のある私が、今さら、史上最高に前屈ができるようになった。

Ho' Ala ke Kino
トニー・ホートンが50を過ぎても、懸垂やらジャンプやらをこなせるのはヨガのおかげと言う。
P90Xのヨガが長過ぎるので、代替として買ってみた。

カウアイのビーチで、ムキムキのおじさんがヨガ、というのに、ちょっぴり違和感はあるし、画像もなんとなく古くさくて、トニーも40代な感じ。
それに、なぜかジョークがない。
あんまりピンと来なくて、お蔵入り。
ただ、US Amazonのレビューでは、隠れた名作とか、けっこう高評価。

トニー・ホートンまとめ
トニーの顧客は、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・アイドル、トム・ペティ、アニー・レノックス、シェリル・クロウ、アッシャーと、音楽界の有名人ぞろい。
しかし、かんじんのトニーは、ワークアウト中、ペラッペラよくしゃべり、さぶいギャグを連発する50代。
そんなサービス精神満点のトニーのことは、きらいじゃない。
P90X2」「P90X3」「P90X one on one」「P90x plus」と続編系や、P90Xの前身の「POWER90」「10minutes trainer」など、数多くのワークアウトを世に送り出している。
興味はあるが、長丁場もの、枚数が多く1セットが高いものが多いので、そうは取り組めない。
シニアに近づきつつあるトニーが、いつまでハイパーなトレーナーとしてやってゆくのか、また、歳を重ねていって、どんなワークアウトを開発してゆくのかと思うと、目が離せない。
この人は、「フィットネスグル」と称されるが、まさにその通り。


7&8.ダン・コーエン&レイチェル・ニューシャム
レスミルズのダンとレイチェル、通称レイチを知ったのも、これまたビーチボディの、新ワークアウト発売告知メール。
メールには、スキンヘッドの男の人と、超強そうな女の人。
なんかきょわいっ!と、スルー。
その後も、何回かメールが来たが、ちょうどレブアブスからP90Xに移行したばかりだったので、別のワークアウトを買おうなんて思いもしなかった。
やがてP90Xの90日も終わりに近づき、次のワークアウトを考えはじめたときに、ブレットのカポエイラが楽しかったこともあり、MMAつながりで、レスミルズコンバットがにわかに浮上。
ところが、いざオーダーしようと思ったら、ビーチボディから、Sorry、レスミルズシリーズはアメリカとカナダにしか発送できないとのリプライ。
うーむ。
となったら、アマゾンかeBayだ。
人は手に入らないと思う物は、ますます欲しくなる生き物。
USアマゾンを、何ヶ月もこまめにチェックして、海外発送してくれる出品者をみつけ、やっとGET。
LES MILLS COMBAT☆☆☆☆☆殿堂入り

これぞ出会ってしまったワークアウト。
毎日のワークアウトが楽しみで仕方ないと思えたのは、レスミルズだけ。
ヒップボップアブスやブラジルバットリフトのように、画期的な結果が出て、ということではないが、まさに自分が求めるものがギュッと詰まったプログラムがみつかったことがうれしい。
カラテ、キックポクシング、ムエタイ、カポエイラ、テコンドー、ブラジリアン柔術といったMMAとロックミュージックの融合で、愉快、痛快、爽快。快、快、快。
ストレス解消度No.1。
ボディライン、脚線、ヒップアップによい。
本格的に鍛えたい人むけではないが、筋トレとカーディオのバランスがよい。
そうは言っても、ダンがデモるようなレベルの腕立てはそうそう真似できるものではないし、HIIT(高強度インターバルトレーニング)でのランジやバーピーは超つらい。
残念なのは、北米にしか販売していないことだ。
日本にもKONAMIを中心に、レスミルズ愛好家が大勢いるのだから、ジャパンマーケットにも売れる仕組みを作ればいいのに。
あ、でも、DVDでも総本山のダン&レイチで、フィットネスクラブのレスミルズに、閑古鳥鳴いちゃう?

ダン&レイチまとめ
ダンはもとUKのキックボクシングチャンピオン。
レイチはタイでムエタイ修行をしたそうで、どおりで強そうなわけだ。
そんなふたりなので、キックやパンチが美しい。
それにふたりともUK出身なので、英語が聞き取りやすい。
レイチは縦長なヴィジュアルなので、小柄なトレーシーやジリアンよりも見栄えがするのも、女子的には、レイチのしゅっとしたスタイルめざして、コンバット頑張ろう、って効果大。
きついランジのときにレイチェルのゲキが飛ぶと、ときにうるさいけれど、かっこいい女子である。
ダンは楽しいし、まさに「好漢」。
ふたりはダン先輩とレイチ先輩って感じ。


9.ドクター・マーク・チェン
ある日、ビーチボディのホームページに、そこでは異彩をはなつチャイニーズのおじさんを発見。
太極拳のポーズをとっている。
そのひとの名は、Dr.マーク・チェン。
中国の伝統的な整形外科術、鍼灸術、MMAを学んだ人のようだ。
太極拳にも、うっすら興味のある私は、いともあっさり、
Tai Cheng☆☆☆
にとびつく。

タイチーとチェンさんの名前がベタに合体したタイトル。
気功と太極拳を融合させたというタイチェンは、ゼロインパクトがウリである。
だから、他のビーチボディの燃焼系ワークアウトと違って、タイチェンは、ひたすらゆるーく進行してゆく。
タイチェンのサクセスストーリー動画は、シニアの方々ばかり。
でも、コメントを見ると、InsanityやP90Xに疲れた20-40代の人びとからのポジティブコメントも多い。
インサニティの反動で、ゼロインパクトに強く惹かれ、ブラジルバットリフトと一緒に買ってはみたものの、90日間やり通せたためしがない。
どうしようもなくしんどいときに、タイチェンをやると楽になる。
ハードなワークアウトで弱ったときや、ダルおも対策にあれば重宝。
その効果は以前にも書いたが、挫折しているので、多くは語れない。
効くけれど、眠くなるので。
でも、実は、一生ものになりうる傑作ワークアウトである。

ドクターマークチェンまとめ
90日のうちの2週間程度で辞めてしまっているので、まとめるわけにはいかない。
ドクターチェン、弱ったら、また会おう。
ドクターチェン、年をとったら、また会おう。
ってことは、あまり再会はしないほうがよい?

タイチェンのスタジオには、使いもしないバランスボール、レジスタンスバンド、ケトルベル、バランスボールなんかがうつっている。
これらの用具は、タイチェンにおいては、飾り以外の何ものでもないが、ドクターチェンは、ケトルベルもいけるらしいので、太極拳とケトルベルのプログラムでも作ってくれたらうれしいな。


10.マイク・カーペンコ
アメリカの教えて系サイトで、インサニティやP90Xと、Tapout XTのどれがいちばんきついかとよく質問されていて、TapouT XTを知った。
その主宰がマイク・カーペンコ。
TapouT XT☆☆☆☆

ここまで、まるでビーチボディのまわしものかのように、ビーチボディのワークアウトを語って来たが、TapouT XTはビーチボディものではない。
とはいえ、カーペンコは、元ビーチボディのコーチで、ブレットのレブアブスのテストグループ指導なんかをしていたことのある人。
そしてTapouT XTは、MMA(Mixed Martial Arts)ベースのワークアウトである。
これまでは、インサニティがいちばんきついと思ってきたが、こいつはインサニティやP90Xに勝るとも劣らぬハードさと、時間のかかるワークアウトだ。
ただ、いちばんアブ指向なので、結果に期待がもてて、私にとってはやりがいもいちばん。
MMAファイターが出演しているというのも魅力。
これまでも、ダンベルの代わりにレジスタンスバンドをオプションにしているプログラムはよくあったが、ここではレジスタンスバンドをメインに使う。
レジスタンスバンドって、こんなにも手強いものかとびっくり。
私はだんぜんダンベル派だが、レジスタンスバンドの方が、より全身に効きそうだ。
レジスタンスバンドでへろへろになるが、カーペンコが8時間睡眠をとるように言うくだりがあり、これまではMAX7時間睡眠のところ8時間にしたら、ずいぶん楽になった。
カーペンコはよく、「6パックではなく8パックを目指せ!」と言うが、確かに彼の腹は、超マルチパック。
添付のフードプランに沿っての食事コントロールができる人なら、TapouT XT90日を乗り切ったら、必ずや結果が出ることだろう。
食事制限しなくても、男性で代謝の高い人には、効果てきめんじゃないかな?

TapouT XT2 現在進行中、本日現在☆☆☆☆☆
最近はじめたXT2。

喉元過ぎれば…なのかもしれないが、インサニティよりきつく感じる。
さらに、トレーニング時間が長く、日々、約1時間、長い日は1時間25分。
それも、完全週休1日制ではなく、隔週。
社会人生活との両立は、かなり厳しいスケジューリング。
それでもなんとか続けて行こうと思えるのは、楽しいんだと思う。
ハードすぎて、なにがなんだかわからなくなって多幸感?
ランナーズハイとかに近いもの?

カーペンコまとめ
MMAファイターたちでさえ、フォームをキープできなくなっているときだって、いつだって完璧なフォームを披露するカーペンコの身体能力の高さには圧倒される。
時間を感じさせないことにかけては、このひとがいちばんかも。
スパルタだけど楽しい、ジムのイントラな感じ。


11.シャリーン・ジョンソン
ビーチボディの2トップはトニー・ホートンとショーンTと書いたが、3トップにしたら、この人が入るだろう。
(四天王なら、ここにリアンドロが加わる。)
ブロンドのいかにもアメリカンな姉さん。
ジリアンは姐さんだが、シャリーンは姉さんな感じ?
ビーチボディのDVDに、よくシャリーンのワークアウトの宣伝が収録されていたので、シャリーンのことは知ってはいたが、他のトレーナーたちにじゅうぶん満足してきたので、ずっとスルーしてきた。

PiYo☆は未知数

この夏、ピラティスとヨガをベースにした、いっさい跳ねない「PiYo(パイヨ)」が発表された。
ジャンプがきらいだから、さっそく飛びついて、これが初シャリーン。
初日のオリエンテーション的なDVDを再生したら、シャリーンの第一印象は、金髪美人と言うよりは、よくしゃべるやたら細いオバチャンで、ちょっとイメージとちがった。
本編をはじめたら、お姉さんに戻っていた。
TapouT XTでの疲労回復のために、朝ワークアウトにと、30分早起きして始めてみた。
が、4日目のワークアウトで、DVDがコマ落ち祭りで中断。
ビーチボディにクレームして再送付してもらったが、これで機先を削がれたのと、TapouT XT2に突入したら、そのあまりのハードさに、他のことがとてもできる状態ではなく、しばし宝のもちぐされ。

まだまとめられないシャリーン
さすがに4日でまとめに入っちゃいけない。
4日だけで感じたことは、シャリーンのインストラクションがとてもわかりやすいということ。
ダイビングをはじめとするスポーツのイントラや、スタイリストさんは女性がいい!って思う方々は、シャリーンがおすすめかも。
シャリーンって、カリスマ主婦って感じ。


というわけで、11人のトレーナーによる25種類のワークアウトをかじった。
「そんだけやっても、まだ痩せないのかよ。意味ねーじゃん。」という声が聞こえる気が・・・。
で・す・よ・ね。
まあ、食事制限をしないので、減量と腹回りの数字を縮めるのには限界があるかも。
どのトレーナーも、食事についての忠告をしており、ビーチボディのセットものとTapouTには、懇切丁寧なミールプランとレシピの、美麗な冊子がついている。
どれも緑黄色野菜、鶏のささみ、ターキーハム、卵白、ベリー系などを中心にしたメニューで、3食&スナックまで、こまごまと指示してくる。
が、ワークアウトの時間をとるだけでも必死なのに、食材買って、レシピに沿ってちまちま作るなんて、そこまでとても手が回らない。
よって、食べたぶんだけ動く日々なのだ。
サメ気質、マグロ気質と言われる私だから、このままよく食べ、よく飲み、そしてワークアウトに励もう。
というわけで、これからも気になるワークアウトがあれば、まだまだ手が伸びてしまうことだろう。
ビーチボディのワークアウトに入ってからは、短いものでも1ヶ月、あとは90日連続の大河(?)ワークアウトが多いので、ひとつ終わったら、新しいワークアウトに移行することが多い。
1年にだいたい3セット、1セットは7000円前後から1万4千円くらいまでが主流なので、トレーナーさんからじかにフォームをなおしてもらえない、ってのはあるけれど、ジムに行くよりもはるかにお得。

11人25セットでわかったことは、MMAベースのものが、今はとても好きだということ。
11人のトレーナー全員が、そして、25セットのうち23セット(トレーシーダイエットとロッキンボディ以外)のワークアウトは、私にとって必要なステップだったと思う。

My殿堂入りは、「ヒップホップアブス」「インサニティ」「ブラジルバットリフト」「P90X」「レスミルズコンバット」。
中でも、末長くおつきあいしてゆきたいのは、「ブラジルバットリフト」と「レスミルズコンバット」。
「インサニティ」はもう永久封印。
お蔵入りは、トレーシーとジリアンすべて、ショーンTのロッキンボディ。
というわけで、以前のように、ワークアウト探しに迷走はしなくても、これからは単なる浮気?