5月6日。あっという間に今年のゴールデン・ウィークも最終日。ぱっとしなかったKKショート・スティを終え、帰国の途につく。KKからシンガポール経由で成田へ帰るが、シンガポールで約11時間のトランジット時間があるので、ひさびさに町に出ようと思う。
KK発シンガポールゆきの便は、午前10時半発のMHだ。90分前チェックインをめざし、朝8時半すぎにホテルを出発する。こんな朝のうちにKKを去らなくてはならないのが惜しいが、シンガポールへのフライトがこれしかないので仕方がない。エア・エイシアが夕方にあり、順調に飛んでさえくれれば、じゅうぶんSQの成田ゆきのフライトに乗り継げるのだが、万が一遅延や運休が起こると、格安航空会社の場合は、乗り継ぎ扱いの概念自体がなく、とても面倒なことになるので、手堅いところでゆく。前回旅行時までは、水曜には、SQのシンガポール発成田ゆきの夜便への乗り継ぎにちょうどよいシルクエアーのKK-シンガポール便があったのだが、その設定がなくなってしまい、今は、水曜はMHの午前便だけだ。MHのチェックインのお兄さんは、ヒップホップ野郎っぽく、対応はファンキーな感じだった。晴れの日は、ボルネオの海岸線やプロゥティガなどがきれいに見えるので、窓側をお願いした。
午前10時すぎ、KKIAで、日が高くなってからのキャビンは、もわーんと暑かった。早朝だと、なんでこんなに冷やすの、と思うほどキャビンは冷えているが、なんでこんなに暑くしとくの、って思える。いつもはコンパートメント下の通風孔を右にまわすのに、きょうは左にまわした。それでも涼しくはならなかった。プチ蒸し風呂状態の中、出発を待った。やがて機長からのアナウンスが流れ、ウェルカムオンボードだろう、くらいに 聞き流していたが、最後の方で、ディレイへのお詫びの言葉と、詳細判明したらまたお知らせする、というのが聞こえてきた。急ぐこともないし、メカニック系の問題なら、しっかりなおしてね、なんて思いながら、搭乗口でとってきた新聞を読みふける。ローカルのデイリーエクスプレスとなぜか読めもしない中文の詩華日報。中文の新聞って、カラフルでなんとなく扇情的な感じがするところに興味をそそられるのと、漢字でニュアンスが伝わってくるので、こんなこといってるのかな、と推測するのがひまつぶしになるのだ。しかし暑い。そのうちオレンジジュースがサービスされたので、きっとしばらく飛ばないな、と予感した。定刻を30分過ぎた頃、機長から再アナウンス。出発は未定となり、いったんトランジットエリアで待つことになる。みんななかなか降りようとしない。アテンダントに、荷物持って降りた方がいいのか聞いたら、たぶん、との見解だった。トランジットパスを渡され、いったんはゲートを出るが、見たい店もないので、すぐにゲートに戻った。30分ほどたつと、見覚えのある人々が三三五五呼ばれはじめた。さっそく「俺の行き先はクアラルンプールじゃないんだ!」と吠えているのが聞こえてきた。最後まで話を聞かない典型だ。どうやらシンガポールゆきはフライトキャンセルにして、このあとのKL便にふられるようだ。シンガポール便がガラガラだったので、安易にキャンセルにしてしまうに違いない。シンガポールに着くのが遅くなって、久々に町へ出てじゃらんじゃらんしようかなと思っていたのに、行けば行ったで無駄づかいをするから、まあ、いいか、と私は寛大。
KKの地上職員は、「KLに着いたらグランドスタッフがシンガポールゆきのボーディングパスをお渡します」と言い、みんなKLまでのボーディングパスだけを受け取り、渋々KL便に乗る。私がもらったボーディングパスは、座席が三席並びの真ん中。二時間半かかるので、真ん中で固まるのは嫌だ。シートNoに異議を申し立てると、通路側が一箇所だけあいている、と変えてくれた。
KL便は、シンガポール組を吸収したことでほぼ満席。そしてやはり暑い。しかも、このトランスファー劇で、KK-KL便も、だいぶ出発が遅れてしまった。KL便のお客にとっては、他の便の運休で、自分の便がディレイするわけで、迷惑な話だ。
KLにつくと、ゲートに地上職員は立っていたが、そいつは、トランジットデスクにゆけ、だけで、何もケアしない。本来、「シンガポールゆきのお客様~」と声をかけるなり、誘導すべきなのに、立ってるだけでは、まったく役にたたない人員だ。普通の乗り継ぎ同様、トランジットデスクで一から並ぶというのも、おかしな話だ。KLの広いコンコースで動く歩道を何本か乗り継ぎ、私がデスクに着いた頃には、ほかのシンガポール組は9割がた先に並んでいた。振替便はあらかじめ決まっているはずなのに、なかなか列はすすまない。皆がそれぞれ、なんらか職員ともめている。そして見ていると、明らかにMASの地上職員の態度が悪い。皆実にふてくされた態度なのだ。
先にカウンターでもめてる人々を、みんなよく頑張るなぁと、私はまだまだ気持ちに余裕があった。やっと自分の番になり、「何時の便に乗せてくれるの?」と聞くと、「20分後」という。この広いKLの空港で20分であわてて乗るのはいやだから、あとの便にしてほしいというと、「それでは、先に急いでいる人の対応をするからあとにしてください」といわれる。それはないでしょ、とここでちょっと不機嫌になる。KL~シンガポールの間は、頻繁に便があるが、常に混んでいる。「何時の便にアサインしてくれるのかもわからないのに、あとまわしにするとは何事」と文句を言う。本当に、どのスタッフも謝ることもなければ笑顔もない。挙句の果てに「あなたはKLには来る予定がなかったから今すぐ飛ばないとダメ」と言われ、「最初にできるといったことをできないというし、おまけに急げとは、誰のせいでこうなったと思ってるの?」と、結局、私も前の客たちと同じようになってしまった。KKの地上職員はゆるゆるではあったが、まだ許せるが、KLのカウンターは、この日、4人いた全員が、なっちゃなかった。「World Best Cabin Staff」というのを今年もMASが受賞したが、グランドがこんなにひどければ、台無しだ。もっとも、キャビンが何をもってBESTに選ばれたのかも、理解に苦しむ部分はあるが。
シンガポールに着いたのは16時半。直行便での到着予定は12時すぎだった。トランジットデスクに、SQ便のボーディングパスをとりにゆくと、隣にイギリス人っぽいお父さんがいて、SQの職員に「いったいMH便に何があったの?」と聞かれていた。もうあきれ果てたといった顔で、「I don't know」と答えていた。確かに、フライトキャンセルの理由説明もなければ、であった。お父さんは、「去年も同じことがあってね、そのときは荷物も2週間くらい届かなくて大変だったんだ。」と毎度の被害らしい。
さて。シンガポールでまだまだ7時間はあるが、町に出るのはやめにした。インターネットコーナーで時間をつぶしていると、年配の白人のおじさんが「ネットにつながらないんだけど、君はつながってる?」と聞いてきた。アメリカ英語だ。アメリカといえば、H1N1大丈夫かな、なんて思ってしまう。「こっちはつながってるけど、ワイヤレスですか?」と聞いたら、「ワイヤード」と言っている。見もしないで、「IPアドレスとDNSが貼ってあるから、設定しないとだめなのかも。」と言うが、わからなかったみたいだ。なんでここで私がヘルプデスクと思いながら、おじさんのVistaを見ると、見事に「ローカルエリアケーブルが接続されていません」な表示になっている。LANケーブルはしっかりささっている。「LANケーブルが認識されていないようだけれど、そのケーブルはあなたの?」と聞いたら、そうだ、と言っている。「だったら、LANケーブルが備えつけになっているところで試したら?」とケーブルつきの席への移動をすすめたら、「つながった」と喜んでくれた。必要以上に感謝された。洋の東西を問わず、熟年層はPCには明るくない人が多いようだ。おじさんのデスクトップの壁紙はキレイな景色だったが、「どこですか?」とたずねると、ロサンゼルスの地元の写真だとかで、またまたH1N1が頭をよぎってしまう。私はマスクもしないくせに、やはり、そんなふうに思ってしまうのだ。そのあと、ひまにまかせてブログを書きなぐった。たいしたことのない写真を貼り付けるだけだ。
帰りのSQ便のA380、混雑が予想されたので、乗り継ぎカウンターでEmergency Rowをリクエストしたら、バルクヘッドをくれた。バルクにはベビーコットが着くので、隣には赤ちゃん連れがやってきた。シンガポリアン女性と、白人男性のカップルで、両親はマスク着用だ。赤ちゃんは、やっと歩きはじめたくらいで、混血のいいとこどり、みたいなかわいい女の子だ。
成田到着が近づき、朝食に起こされ、本当はパスしたいところだったけれど、会社直行なので、とりあえず食べる。食後、再び眠りに入ろうとすると、爆睡しているママを超えて、赤ちゃんは私のところに愛想を振りまきに来た。この子がまた、すぐに帰ってくれず、床に落ちているくずなどを、ごていねに拾いたがるのでたいへんだった。パパ、なんとかしてよ、と思うが、パパはKYで、暖かい目でみているだけでとめない。ママ起きろよ、と思いつつ、あまりに機嫌がよさそうだしかわいいので、相手をしていた。適宜、「パパのところへもどりまちょーねー」なんて、言うが、動いてくれない。ドテッとしりもちをついたところで、チャンスと抱きかかえて、パパにお返しした。
成田には定刻より20分早く着いた。検疫のサーモチェックと問診票提出で少し時間をとられるが、ターンテーブルでの荷物のピックアップがないから、あとはスムーズだ。税関もパスポートを見て「申告するものはありませんね~」だけでおわり。「ありませんか?」の疑問形ではなく、「ありませんね」である。そう、どっちみち私のバッグには、ほぼ乾き物の加工済食品しか入っていないもの。成田から都内まで、JR、京成、リムジン、どれが一番効率的か見極めなければならない。まずは一番近いリムジンのカウンターにゆくと、5分後にTCATゆきのバスがある。「TCATまで今日は何分ですか?」とたずねると「1時間程度です」とのことで、渋滞もないようなので、リムジンで東京まで出ることにした。リムジンは、高速ではノンストップ。すばらしい。そして水天宮といえば半蔵門線に乗らなきゃはじまらないので、半蔵門線に乗った。しかし、この半蔵門線が止まる、止まる。この半蔵門線の遅れさえなければ、遅刻しなかったのに、結局、遅刻した。おそらく5分程度の遅刻ですんだと思うのだが、荷物をロッカーに隠したりする手間を考えると家に戻った方がよい。一度自宅に戻って、荷物を置き、レインブーツをはいて、電車遅延、それもまったく自分の通勤経路ではない路線の遅延で遅刻を通したのだった。豚インフルエンザさわぎで、海外旅行にゆくには、会社への届出が必要なところを、無視してきていたから、旅行帰り、なんてことはいえない。こういう日ごろの悪さで、いろいろバチがあたったのかな、な今回の旅だった。
KK発シンガポールゆきの便は、午前10時半発のMHだ。90分前チェックインをめざし、朝8時半すぎにホテルを出発する。こんな朝のうちにKKを去らなくてはならないのが惜しいが、シンガポールへのフライトがこれしかないので仕方がない。エア・エイシアが夕方にあり、順調に飛んでさえくれれば、じゅうぶんSQの成田ゆきのフライトに乗り継げるのだが、万が一遅延や運休が起こると、格安航空会社の場合は、乗り継ぎ扱いの概念自体がなく、とても面倒なことになるので、手堅いところでゆく。前回旅行時までは、水曜には、SQのシンガポール発成田ゆきの夜便への乗り継ぎにちょうどよいシルクエアーのKK-シンガポール便があったのだが、その設定がなくなってしまい、今は、水曜はMHの午前便だけだ。MHのチェックインのお兄さんは、ヒップホップ野郎っぽく、対応はファンキーな感じだった。晴れの日は、ボルネオの海岸線やプロゥティガなどがきれいに見えるので、窓側をお願いした。
午前10時すぎ、KKIAで、日が高くなってからのキャビンは、もわーんと暑かった。早朝だと、なんでこんなに冷やすの、と思うほどキャビンは冷えているが、なんでこんなに暑くしとくの、って思える。いつもはコンパートメント下の通風孔を右にまわすのに、きょうは左にまわした。それでも涼しくはならなかった。プチ蒸し風呂状態の中、出発を待った。やがて機長からのアナウンスが流れ、ウェルカムオンボードだろう、くらいに 聞き流していたが、最後の方で、ディレイへのお詫びの言葉と、詳細判明したらまたお知らせする、というのが聞こえてきた。急ぐこともないし、メカニック系の問題なら、しっかりなおしてね、なんて思いながら、搭乗口でとってきた新聞を読みふける。ローカルのデイリーエクスプレスとなぜか読めもしない中文の詩華日報。中文の新聞って、カラフルでなんとなく扇情的な感じがするところに興味をそそられるのと、漢字でニュアンスが伝わってくるので、こんなこといってるのかな、と推測するのがひまつぶしになるのだ。しかし暑い。そのうちオレンジジュースがサービスされたので、きっとしばらく飛ばないな、と予感した。定刻を30分過ぎた頃、機長から再アナウンス。出発は未定となり、いったんトランジットエリアで待つことになる。みんななかなか降りようとしない。アテンダントに、荷物持って降りた方がいいのか聞いたら、たぶん、との見解だった。トランジットパスを渡され、いったんはゲートを出るが、見たい店もないので、すぐにゲートに戻った。30分ほどたつと、見覚えのある人々が三三五五呼ばれはじめた。さっそく「俺の行き先はクアラルンプールじゃないんだ!」と吠えているのが聞こえてきた。最後まで話を聞かない典型だ。どうやらシンガポールゆきはフライトキャンセルにして、このあとのKL便にふられるようだ。シンガポール便がガラガラだったので、安易にキャンセルにしてしまうに違いない。シンガポールに着くのが遅くなって、久々に町へ出てじゃらんじゃらんしようかなと思っていたのに、行けば行ったで無駄づかいをするから、まあ、いいか、と私は寛大。
KKの地上職員は、「KLに着いたらグランドスタッフがシンガポールゆきのボーディングパスをお渡します」と言い、みんなKLまでのボーディングパスだけを受け取り、渋々KL便に乗る。私がもらったボーディングパスは、座席が三席並びの真ん中。二時間半かかるので、真ん中で固まるのは嫌だ。シートNoに異議を申し立てると、通路側が一箇所だけあいている、と変えてくれた。
KL便は、シンガポール組を吸収したことでほぼ満席。そしてやはり暑い。しかも、このトランスファー劇で、KK-KL便も、だいぶ出発が遅れてしまった。KL便のお客にとっては、他の便の運休で、自分の便がディレイするわけで、迷惑な話だ。
KLにつくと、ゲートに地上職員は立っていたが、そいつは、トランジットデスクにゆけ、だけで、何もケアしない。本来、「シンガポールゆきのお客様~」と声をかけるなり、誘導すべきなのに、立ってるだけでは、まったく役にたたない人員だ。普通の乗り継ぎ同様、トランジットデスクで一から並ぶというのも、おかしな話だ。KLの広いコンコースで動く歩道を何本か乗り継ぎ、私がデスクに着いた頃には、ほかのシンガポール組は9割がた先に並んでいた。振替便はあらかじめ決まっているはずなのに、なかなか列はすすまない。皆がそれぞれ、なんらか職員ともめている。そして見ていると、明らかにMASの地上職員の態度が悪い。皆実にふてくされた態度なのだ。
先にカウンターでもめてる人々を、みんなよく頑張るなぁと、私はまだまだ気持ちに余裕があった。やっと自分の番になり、「何時の便に乗せてくれるの?」と聞くと、「20分後」という。この広いKLの空港で20分であわてて乗るのはいやだから、あとの便にしてほしいというと、「それでは、先に急いでいる人の対応をするからあとにしてください」といわれる。それはないでしょ、とここでちょっと不機嫌になる。KL~シンガポールの間は、頻繁に便があるが、常に混んでいる。「何時の便にアサインしてくれるのかもわからないのに、あとまわしにするとは何事」と文句を言う。本当に、どのスタッフも謝ることもなければ笑顔もない。挙句の果てに「あなたはKLには来る予定がなかったから今すぐ飛ばないとダメ」と言われ、「最初にできるといったことをできないというし、おまけに急げとは、誰のせいでこうなったと思ってるの?」と、結局、私も前の客たちと同じようになってしまった。KKの地上職員はゆるゆるではあったが、まだ許せるが、KLのカウンターは、この日、4人いた全員が、なっちゃなかった。「World Best Cabin Staff」というのを今年もMASが受賞したが、グランドがこんなにひどければ、台無しだ。もっとも、キャビンが何をもってBESTに選ばれたのかも、理解に苦しむ部分はあるが。
シンガポールに着いたのは16時半。直行便での到着予定は12時すぎだった。トランジットデスクに、SQ便のボーディングパスをとりにゆくと、隣にイギリス人っぽいお父さんがいて、SQの職員に「いったいMH便に何があったの?」と聞かれていた。もうあきれ果てたといった顔で、「I don't know」と答えていた。確かに、フライトキャンセルの理由説明もなければ、であった。お父さんは、「去年も同じことがあってね、そのときは荷物も2週間くらい届かなくて大変だったんだ。」と毎度の被害らしい。
さて。シンガポールでまだまだ7時間はあるが、町に出るのはやめにした。インターネットコーナーで時間をつぶしていると、年配の白人のおじさんが「ネットにつながらないんだけど、君はつながってる?」と聞いてきた。アメリカ英語だ。アメリカといえば、H1N1大丈夫かな、なんて思ってしまう。「こっちはつながってるけど、ワイヤレスですか?」と聞いたら、「ワイヤード」と言っている。見もしないで、「IPアドレスとDNSが貼ってあるから、設定しないとだめなのかも。」と言うが、わからなかったみたいだ。なんでここで私がヘルプデスクと思いながら、おじさんのVistaを見ると、見事に「ローカルエリアケーブルが接続されていません」な表示になっている。LANケーブルはしっかりささっている。「LANケーブルが認識されていないようだけれど、そのケーブルはあなたの?」と聞いたら、そうだ、と言っている。「だったら、LANケーブルが備えつけになっているところで試したら?」とケーブルつきの席への移動をすすめたら、「つながった」と喜んでくれた。必要以上に感謝された。洋の東西を問わず、熟年層はPCには明るくない人が多いようだ。おじさんのデスクトップの壁紙はキレイな景色だったが、「どこですか?」とたずねると、ロサンゼルスの地元の写真だとかで、またまたH1N1が頭をよぎってしまう。私はマスクもしないくせに、やはり、そんなふうに思ってしまうのだ。そのあと、ひまにまかせてブログを書きなぐった。たいしたことのない写真を貼り付けるだけだ。
帰りのSQ便のA380、混雑が予想されたので、乗り継ぎカウンターでEmergency Rowをリクエストしたら、バルクヘッドをくれた。バルクにはベビーコットが着くので、隣には赤ちゃん連れがやってきた。シンガポリアン女性と、白人男性のカップルで、両親はマスク着用だ。赤ちゃんは、やっと歩きはじめたくらいで、混血のいいとこどり、みたいなかわいい女の子だ。
成田到着が近づき、朝食に起こされ、本当はパスしたいところだったけれど、会社直行なので、とりあえず食べる。食後、再び眠りに入ろうとすると、爆睡しているママを超えて、赤ちゃんは私のところに愛想を振りまきに来た。この子がまた、すぐに帰ってくれず、床に落ちているくずなどを、ごていねに拾いたがるのでたいへんだった。パパ、なんとかしてよ、と思うが、パパはKYで、暖かい目でみているだけでとめない。ママ起きろよ、と思いつつ、あまりに機嫌がよさそうだしかわいいので、相手をしていた。適宜、「パパのところへもどりまちょーねー」なんて、言うが、動いてくれない。ドテッとしりもちをついたところで、チャンスと抱きかかえて、パパにお返しした。
成田には定刻より20分早く着いた。検疫のサーモチェックと問診票提出で少し時間をとられるが、ターンテーブルでの荷物のピックアップがないから、あとはスムーズだ。税関もパスポートを見て「申告するものはありませんね~」だけでおわり。「ありませんか?」の疑問形ではなく、「ありませんね」である。そう、どっちみち私のバッグには、ほぼ乾き物の加工済食品しか入っていないもの。成田から都内まで、JR、京成、リムジン、どれが一番効率的か見極めなければならない。まずは一番近いリムジンのカウンターにゆくと、5分後にTCATゆきのバスがある。「TCATまで今日は何分ですか?」とたずねると「1時間程度です」とのことで、渋滞もないようなので、リムジンで東京まで出ることにした。リムジンは、高速ではノンストップ。すばらしい。そして水天宮といえば半蔵門線に乗らなきゃはじまらないので、半蔵門線に乗った。しかし、この半蔵門線が止まる、止まる。この半蔵門線の遅れさえなければ、遅刻しなかったのに、結局、遅刻した。おそらく5分程度の遅刻ですんだと思うのだが、荷物をロッカーに隠したりする手間を考えると家に戻った方がよい。一度自宅に戻って、荷物を置き、レインブーツをはいて、電車遅延、それもまったく自分の通勤経路ではない路線の遅延で遅刻を通したのだった。豚インフルエンザさわぎで、海外旅行にゆくには、会社への届出が必要なところを、無視してきていたから、旅行帰り、なんてことはいえない。こういう日ごろの悪さで、いろいろバチがあたったのかな、な今回の旅だった。