2019年2月3日(日)、
主郭北側から東側へ向かう
この付近へ来ると土塁っぽいですな。
東虎口へ来ました
土塁に挟まれた通路
折れ曲がる
さらに折れ曲がる
画像はイマイチだが、
縄張り図では、枡形がしっかりとわかりますね
土塁の上に登る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/29/9c7e6bb40801f7776cbccf73cd872288.jpg)
右上が櫓台を囲む土塁
穴蔵を見下ろす。
穴蔵を見下ろす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/32/db9793f9d7370fd4911e9bc05acb0c73.jpg)
四角形の土塁に囲まれた窪み。
画像では分かりにくいですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/4d/87e5eb2fb72b0047df848f79d852fb2a.jpg)
縄張り図で想像してください
米原市の鎌刄城では、北端部に半地下式の礎石建物が検出されていて、後の天守の先駆けともいうべき櫓があったと推定されてる。こちらも同様に櫓台の下の穴蔵かもね。
山頂部から主郭を見る
山頂に石が積まれていて222.9mと書いてある。
栗東市付近の平地は約100mなので比高差120mの山です
主郭北側へ移動
こちらの土塁はちょこっとわかりやすいかな?
解説板
織田信長軍が築いたそうです。
敵は伊賀・甲賀に逃げ回るが、隙あらば襲ってきたりする佐々木六角氏。
誰が城代になったか、不明のようです。
近江の山城の本としてはバイブルとも言うべき
『近江の山城ベスト50を歩く』
の縄張り図、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/6e/e8df1064973c40390a2b57e0ef5fb22f.jpg)
現地の縄張り図と
ほぼ一緒なのですが、
よく見ると東虎口と西虎口の表示が逆!
当然ながら現地の縄張り図の方が正しい。
近江の山城ベスト50の本、所々このような間違いがある。
甲賀土山城では、腹立つので案内板に「間違い」と落書きしたぞ!
て、もう消えてるだろうけど…
ちなみにこの本は今年の春に最新版が出ました。
この間違いは訂正されてると思うのだが…
野洲川、三上山を見る
西虎口に戻った
普通の人はこのまま石段を降りるのだが、変人の我が輩は
再び東虎口に引き返し、
東側から下山することにした
羊歯が密生
なんとか登山道あり
段々曲輪や堀切、竪堀が無いか左右を見渡すが
イマイチわからない
東側は六角氏の本拠の甲賀方面なのでこちらの防備が厚いはず!
土塁かな?と思って眺める
池です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b0/82c8d65afac95fd1f2a6462b45c23dba.jpg)
たぶん農業用だと思う
薮を掻き分ける
田んぼに出ました
登山口を振り返ってみる
登山口の目印として杖を2本、木に立て掛けて置いたので、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/aa/73a74579ab0c3f73cec6b7d0c478ffcc.jpg?1566737564)
挑戦したい人はどうぞ!
今、登った日向山を見る
旧東海道をのぞむ位置にあり、
湖南地域と甲賀郡地域の境目を見張る城跡ですな。
以上おしまい
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熱帯夜も解消、夜は布団無しだと寝冷えする
馬《●▲●》助ヒヒーン♪