地名ちょこっと紹介
【湯築城】愛媛県松山市
ゆづきじょう。
松山市と言えば、百名城の松山城が有名。
さらに、続百名城として湯築城が選定された。
同じ市内に百名城が2つもあるのは、我が県の近江八幡市(安土城、観音寺城)とともに珍しい。
湯築城は、道後公園にあります。
名前でわかるように城と道後温泉は密接な繋がりがある。
温泉の湯釜は、公園に保存されてます。
伊予の豪族で後に守護となり河野水軍として有名になった河野氏の拠点として築かれた。
現在は公園になっているが、土塁や堀跡が残っていて、河野氏の栄華を偲ぶことができます。
実は10数年前、マイカーで四国一周をした時に松山市内で宿泊した。
道後温泉を見学した時にトイレに行きたくなり、ちょうど道後公園を見つけたので公衆トイレを利用した。
で、そのまま立ち去った。
この道後公園全体が、湯築城跡だったのに、土塁などの遺構があったのに、当時は全く無知で城跡という認識が無く、気づかなかった。
今思うと我ながら情けない。
何も知らないということの恐ろしさ、いやはや、ですわ。
河野氏が温泉の上に城を築いたから、湯築だと推定できるが、
道後温泉街の地名に「湯月」がある。
読み方が同じなので湯築城の湯築は本来、湯月だったかもしれない、と思えてくる…
ところで、旧国名で北陸地方は「越の国」。都に近いほうから越前(福井)→越中(富山)→越後(新潟)の3つに分割された。
同様に古代の行政区画としての五畿七道も都との遠近で使い分けがあった。
伊予(愛媛県)は南海道に属する。
伊予国府が今治にあったので今治より都に近い方を「道前」、国府より遠い方を「道後」と呼んだ。
松山市は当然ながら道後に位置する。
この道後の呼び方が、いつのまにか地名となり道後温泉の由来になった。
だから、本来は全国の至るところに道前、道後という呼び方や地名が残ってるはず。
しかし、結局のところ道後といえば、松山市の道後温泉が全国的知名度の地名となってしまったのである。
このような例としては大分県の別府温泉もしかりで、別府という地名は全国に残ってるが一般に別府といえば、誰でも大分県の別府温泉を連想してしまう。
いやぁ、地名て面白いものですね。
今年の3月、愛媛県の百名城巡りをした。
当然ながら、湯築城跡も訪れた。
今回は松山駅から路面電車で向かった。
行きは道後温泉行きに乗ったが、帰りは真っ暗ななか、ホテルのある松山駅方面の電車に乗った。
乗ってからわかったが、この電車は松山市駅行きだった。
これはイカンぞ!
ということで途中の電停でワンマン運転手さんに相談したら、JR松山駅行きの電車がこの後にやってくるのでそれに乗ってください、と教えてくれた。
切符にハンコを押してくれたので追加料金なしで無事に駅まで戻れた。
良かった、良かった。
長崎の路面電車と同じく松山市も系統が分かれてるので注意しましょう。
というか、松山駅と松山市駅が全く違う場所にある。
松山城を起点にすれば、松山駅は道前、松山市駅は道後になるかな?
いや、位置的にはJR松山駅は松城西、松山市駅は松城南といったほうがわかりやすい…
て、この説明はわかるかな?
道後よ?
いや、どうよ?
ちなみに、我が輩前日の夜に胆石症が再発して、この日は1日体調が悪く、昼は食べず。
夕食は道後温泉本館の前の一六タルトの店で「一六タルト天ぷら・うどんセット」を食べた。
和菓子の一六タルトの天ぷらですわ。
前日に胆石症が再発したのは宇和島市内で天ぷらを食べ過ぎたせいなのです。
懲りもせずにまた天ぷらを食べた。
我ながら困ったもんや、と後悔した。
というか、この時すでに胆嚢は危機的状況にあった。
松山城・湯築城を堪能できたけど、胆嚢は道後で死んだも道前、
いや同然。
場合によっては、松山市の病院に救急搬送されてたかも…
明後日に続く!
Φ(*^ひ^*)Φ
映画「この世界の片隅に」がテレビで放送されてたので見た。
広島市、呉市を舞台にした戦時中の物語。
物語の最後に、
『呉は9つの峰、九嶺(くれい)→呉』の由来になった、と言ってた。
実際には他にも由来があり、確固たる説ではないが、九嶺が印象に残ってしまった。
いや、地名由来よりも
戦時中の生活や原爆とか、もっと他のことに思いを寄せないといけないんだけど、
我ながら困ったもんや…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
本日午後、父の墓参りした。
一人です。
16日で、猛暑の午後ということでもあり、誰も墓参りしてる人がいなかった。
貸切です。
マスクもソーシャルディスタンスも全く関係なかった。
というか、お盆なのにこんなに誰もいない墓参りは珍しい。
これもコロナのせいなのか?
祖父の墓にも参ったが、
叔父さん夫婦がすでに参ったようです。
『宇和島に行ったけど、本家に立ち寄らなかった、申し訳ない』
と謝っておいた…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
湯築城には5年ほど前に訪れました。きれいに整備されていて、武家の館跡などが印象的でした。特に、丸い縄張りで、愛知県の小牧城と似ているなあという感想を持ちました。また訪れたいです。