馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【旧東海道歩き47】国道1号線大路交差点~栗東市岡

2019-07-19 14:21:03 | 東海道歩き『近江路』
"2018年9月8日(土)、
旧草津川の堤防の下を歩いて
10時53分、
国道1号線に来ました

大路3丁目交差点を渡る。

歩道橋に上る

歩道橋から北側を見る

我が輩の若い頃は、右手に大きな電器店があった…

南側を見る。

旧草津川トンネルが、消滅。
車の免許証を取った頃、狭いトンネルを通るのが恐かった。
今はトンネルが無くなって解放感あり。
通行しやすくなったが、なんか寂しいものがある…
昔は↑上に草津川が流れていて下に国道1号線が走るトンネルがあった

壊されたトンネル

トンネル東側

トンネル西側

う~ん…

これから進む旧東海道を見おろす

旧草津川の堤防の下の北側です

堤防の右手に「いろはモミジ」

草津市の名木だとか?

左手に新屋敷第二公民館、

ここを過ぎると、

これより栗東市に突入!

振り返ると当然ながら、草津市の看板です
マンホールも栗東市に変わった

市の花「キンセンカ」
市の木「貝塚伊吹」
市の鳥「メジロ」
が描かれてる
貝塚伊吹は、ヒノキ科の木で排気ガスに強いので公園に植えられることが多いとか?

栗東市も草津市と同じく都市化が著しく進んだ。
合併することなく独自に町から市に昇格した自治体です

草津川に沿って道が徐々に左カーブする

左手の民家の隙間に
『史跡老牛馬養生所阯』碑

和迩村(現在の大津市志賀町和迩)で老廃牛馬の打はぎをしている様子を見た庄屋さんが、その残酷さに驚き、
ここに養生所をつくり老廃牛馬を収容したそうです。

鯨を食べる日本人を見て野蛮人と決めつける諸外国のみなさん、
日本人は優しいのです。

『従是東膳所領』

境界碑です。
これより東は膳所藩の支配地だと主張してます。
湖南地域は、寺社公家領や幕府領など錯綜していてややこしかった。
だから、このような境界碑が必要だったのかな?

11時07分
新幹線の下を越える

右手に草津川の堤防



分岐に来ました

その48に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

スーパーに買い物に行った

早くもお盆のお供え物が並んでいた

ま、7月お盆もあるけどね


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き46】草津宿、追分分岐~旧草津川公園

2019-07-18 13:56:42 | 東海道歩き『近江路』
"長らく中断してましたが、旧東海道歩き、の続き記録をアップします。
他にもアップしたい記事が山ほどあるのですがね…

2018年9月8日(土)、
前回から4ヶ月後です。
10時30分、『草津駅』

駅の東口は、草津宿の雰囲気を演出してます。

雨はなんとかやんだが、天気模様はイマイチ。
傘持っての歩きです。

草津駅から南へ向かうと旧草津川のトンネルがある。

天井川なので道路も鉄道も街道もみな川の下を通ってました。

現在は、公園として整備されてエレベーターで川の上の公園に上れるようになってます
トンネル内は旧中山道です。

トンネルを出ると『追分道標』

中山道と東海道の分岐です。

「左 中仙道みのぢ(美濃路)」
「右 東海道いせみち(伊勢道)」
と書いてある。
文化13年(1816)に建てられた火袋付の道標。
前回立ち寄った立木神社の境内にも追分道標がありました。
立木神社の道標は、延宝8年(1680)11月建立の銘のある県内最古の石造道標(旧追分道標)なので、
現在の追分道標は2代目だということになる。

10時39分、
道標を東へ、東海道を行きます。

草津市は現在も交通が便利なので人口急増、市内のほとんどが宅地化してます

道路が稲妻型に狭くなっていくのは旧道の名残だと思う

左の堤防へ向かう。

何度も言うが天井川なので、坂を上ることになる。

だが、ここでちょこっと寄り道。
右へ向かう。
10時45分、『神宮寺』

明治の神仏分離の前は立木神社の神護寺だったので、本来は立木神社付近にあったと思うのですが…

10時46分、
街道へ戻った

坂を上り旧草津川堤防へ。

曲がり角に地蔵堂、

その隣に
『横町道標』


文化13年(1816)年建立
「左 東海道いせ道(伊勢道)」
「右 金勝寺志がらき道(信楽道)」
金勝寺(こんしょうじ)は栗東市の東の山の中にある。
紅葉に包まれてひっそりと佇むお堂は素晴らしい。
また行きたいです。
信楽道と東海道の分岐の道標で、本来は道の北側にあったそうです。


公園化されつつある旧草津川

川の名残をちょこっととどめてます

道の左側に
「高野地蔵尊」

その奥に
「立木神社御旅所」


どちらも公園整備の都合で場所を移設されたようですな。

堤防を下りて旧草津川の北側へ。

右折する




その47に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今日も雨ですわ


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【白髭神社】西近江路を歩いた、の巻

2019-07-17 07:18:05 | 旅行
"2019年7月14日(日)
西近江路、4ヶ月ぶりかな?
久しぶりに歩くことにした。
湖西線北小松駅からスタート

大津市最北端の駅です。
国道161号線、この付近は歩道が無くて危険なので避けてたのです。
熊より恐い国道歩き、死ぬ覚悟で進みました。
駅前には橋脚がある。

国道161号線のバイバスとしての湖西道路の建設中なのだ。

で、実際に歩いてみたら歩道がありました。

なんや、心配すること無かったんや!
結局のところ、北小松駅の南側が歩道のない国道だったわけで、前回のほうが危なかった、ようです。
国道、北向きは空いてるが、南方向の大津市京都市方面は例のごとく慢性的な渋滞です。
歩きにとっては渋滞してるほうが安全なんですが…

そして、12時ちょうどに
大津市とお別れ、高島市に突入しました。

看板は、「高島町」
高島市に書き換える予算ないんだろうな。

12時半、比良山系の尾根が琵琶湖に落ち込む最狭部に建立された『白髭神社』に来ました。

ここで昼休憩。

湖西最大の観光スポットで、
琵琶湖に浮かぶ鳥居はいつみても素晴らしい。
みんなInstagramにアップするために撮影してます。

高台から境内と琵琶湖を眺めるが、残念ながら松の木が遮って鳥居を写せないのがちょっと残念。

鳥居のベストショットを撮影するには目の前の国道を渡らねばならない。
横断歩道無し、歩道橋無し、地下道無し。
危険なので、基本的に横断禁止ですわ。
でも、やっぱり鳥居を近くで見たいのでみなさん、車が途切れる瞬間を狙って湖岸に向かいます。

ホントに危険なので、良い子は真似しないように!
車は歩行者見ても絶対に停まってくれませんよ!
というか、運転手も景色に見とれて脇見運転の人も多いのです。

渾身の作品!

振り返って神社を見た。

満足したので、街道歩き再開。

国道を離れて旧道を進む

しかし、途中から藪になり、道も消滅。

危険を感じたので、泣く泣く引き返し、仕方なく国道を歩くことにしました。

しばらくすると雨がひどくなってきて、傘をさすことになった。

前日に引き続き二日連続の雨ですわ。


鵜川四十八体仏

打下(うちおろし)地区の乙女が池

大溝城の外堀と港の役割がある。

今回は大溝城、パス。
大溝城の詳細はまたいつかアップします。
大溝城下町

陣屋の惣門

町割り水路

江戸時代初期にすでに上水道と下水道を分離した町割りがおこなわれ、現在も江戸時代の上水道を利用して水を使用してる。
凄いですよね。
分部氏の城下町建設は卓越したものがありました。
大溝地区は国重要文化的景観地区に指定されました。
大溝地区の人は水道代ただなんだろうな…

街道歩きの詳細は、またいつかアップします。

この日は、安曇川駅で打ち止めしました。

帰りは例のごとく、
電車内で缶ビールとおつまみ。


この後、睡魔に襲われて寝落ち。
湖西線から東海道線に乗り換えるべき山科駅を通過してしまって京都駅まで行ってしまった。
今回は大したことなかったが、
今後また大きな失敗をやらかしそうです。
アルアル中、ほどほどにしないといけないですわ

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【年縞博物館】三方五湖

2019-07-16 07:13:57 | 旅行
"2019年7月13日(土)
丹後街道歩き、福井県三方駅からスタート!
ですが、その前に寄り道。
て、いきなり寄り道かい?
いや、寄り道というよりも本日は三方五湖だけで1日潰してもいいという気持ちでした。
昼前に三方駅到着。
小浜線、電車の本数が少ないのでこの時間にしか来れない。

三方五湖巡り、歩いて回るのは無理。
だから、駅のレンタサイクル借りた。
午後5時まで、500円也。
15分で

【福井県年縞博物館】
に到着。

昨年の9月オープンなので、まだ新しい博物館です。
三方湖のそばの縄文博物館の敷地に建てられた。
「年縞」,
ねんこう、と読む。
変な名前ですが、これが凄いんです。
年縞とは、プランクトンや鉄分など、季節によって異なるものが湖の底に毎年積もることで、縞(しま)模様になった泥の地層。
三方町の隣の水月湖にたまった年縞は、世界一の長さ45m。
7万年間、毎年途切れることなく今も積もり続けてます。

年縞よりも我々は年輪のほうが馴染みあり時代測定に使用されてるが、年縞のほうがより優れてる。
年縞に含まれる花粉の種類や量、火山灰から当時の気温や降水量、火山活動がわかる。

水月湖の年縞は、たまたま偶然、この縞模様が乱されなくて残ったので、世界標準の年代のものさしとなり、
考古遺物の放射性炭素年代測定の精度を飛躍的に向上させたのです。

湖に魚などの生物がいて人間の活動があったり、河川からの土砂の流入があると縞模様は乱れてしまうが、
水月湖はほとんど生物がいないので人間の活動が無かった
土砂も流入しない。
年縞にとってまさに絶好の環境の湖だったのです。

7万年の年縞を展示するために

建物も展示室も
パンフレットも

縦長になりました。
年縞は、バーコード状の地層と言ってもよい。

現在、立命館大学草津キャンパスの研究者が中心になって活動されてるそうです。
展示解説者がおられたので、ごくごく素人の質問をいくつもぶつけました。
琵琶湖は少しずつ北に移動してるので、そのうち若狭湾に到達しますよ
と言ったら、
いや、野坂山地を越えるのは難しいでしょう、という返事でした。

もっと難しい専門的なことを聞けよ?

展示品に一冊の分厚い本がありました。
立命館大学の教授から借りてるそうです。
教授はヨーロッパに行った時に買ったが、今や貴重の本として凄い金額になるとか?
この本の著者が、
ミランコビッチさん。
聞いたことの無い人ですよね。
この人、地球の公転軌道を調べて数万年間隔で氷河期と現代のような暖かい時期が交互に現れるということを発見した。
太陽を回る地球の軌道は一定じゃない。
それは地軸がずれてるのと、他の外的要因もある。
これ以上の難しい説明は我が輩には無理ですが、
要するに氷河期は周期的に訪れる。
氷河期のほうがはるかに長くて現在のような暖かい時期は短いのです。

それはともかくとして、
この机上論は当時、あまり評価されてなかった。
評価されたのはミランコビッチさんが亡くなってから。
そして、この年縞の調査で地球の環境の変化を調べたら氷河期の変化が見事に当たっていて、ミランコビッチ氏の論説が実証されたのです。
これは凄いですよね。

当然ながら、数万年後にまた氷河期がやってくるのですが、
現在大気圏の二酸化炭素が増えすぎて、もしかしたら、氷河期に突入できなくなる、あるいは遅れる可能性がある。
つまり地球温暖化ですわ。
海水面が上がれば、濃尾平野、関東平野、大阪平野など大都市圏はみな水没します。
我が滋賀県は大丈夫なので、今のうちに首都を滋賀県に移したほうがいいのですが…
展示室から三方湖を見る

滋賀県と言えば、実は明治時代初期のちょこっとだけですが、若狭国を併合したことがあります。
内陸県の滋賀県としては願ったりかなったりでしたが、結局は人口対策として若狭は福井県の一部になってしまった。
ちなみに若狭地方は京都府や滋賀県など近畿地方との繋がりが深く、越前とは全く文化を異にするそうです。
湖西の西岸断層も若狭と繋がってるんですよ。
地下まで繋がってるとはびっくりポン!
大地震が起きたら、それこそ若狭と近江は一蓮托生、ドボンですわ。

京都盆地も断層にともなう地震が多くて伏見城の天守が壊れた伏見地震が有名ですよね。
秀吉が家康を潰すことができなかったのは二度の大地震のせい、だと言われてます。
逆に家康は地震に救われた…


とまぁ、あれやこれやと多岐にわたる話をさせてもらいました。

話に夢中になって展示品を撮影するのを忘れました…

いやそれより
解説者のあの人、もしかしたら偉いさんだったのかも?
詳しい解説、感謝感謝です。

年縞に特価した貴重な博物館、この素晴らしい博物館をつくってくれた福井県にも感謝。
子供から大人まで絶対に訪れるべき博物館です!

この後、隣の縄文博物館

も見学(共通券700円)、
復元された竪穴住居、ここで昼食のパン食べた。

午後は、
レンタサイクルで三方五湖を巡ることにしました。

しばらく走ると
湖に浮かぶ『舟屋群』。

茅葺きです。

いいですね。
昔はこのような建物がいっぱいあったのだろうね。

ここで、雨がひどくなってきた。
あともう少しで年縞の泥がたまってる水月湖なのですが、
ずぶ濡れ状態で自転車走らせるのは無理。

仕方なく、今回は断念!

三方五湖道の駅で雨宿りして


三方駅まで戻りました。

自転車を返した後は、
傘さして丹後街道歩き再開、

2つ隣の十村駅まで進みました。

夕方5時過ぎ、この時期ならまだまだ明るいけど、雨には勝てず本日の歩き、打ち止めにしました。

梅雨だから仕方ないけど、天気予報では「曇り」だったのに!

残念無念でした。

ちなみに三方五湖巡りは、20数年前にしました。
遊覧船にも乗りましたよ。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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京丹波町【須知城】その②

2019-07-14 07:12:06 | 丹波国の史跡
2019年6月23日(日)

三日月型の堀切を越えると

↓高石垣が見えてきた

前方に突然、まさに突如として
高石垣出現!

主郭の高石垣。
突然現れると圧倒されますな。

それまでの疲れも吹っ飛びます。

石垣の右手、

北側へ回り込む

斜面になっていて危険なのでロープがあります。


なんとか、滑り落ちないように用心して主郭に入りました

『主郭』です

琴滝への案内板
外側は高石垣だったが、

内側は土塁です

土塁の上から石垣を見下ろす

主郭は広いが、別に何もなし。

中央に城跡看板があるだけ。


明石というのは西側の集落のことです。
須知城は、地元の豪族須知氏が築城したのが始まり。
某サイトによると、須知氏は近江国周智郡から移った、と記載してあったが、近江国に周智郡という郡はない。愛知郡ならあるけどね。
遠江国周智郡の間違いだと思う。

須知氏は南北朝時代は南朝に属し、その後、細川氏に従う。
信長の丹波攻めでは明智光秀に味方したが、その後離反したため、結局明智光秀に攻められて落城しました。
光秀が支配する拠点の城として存続したそうなので、現在の遺構は須知氏時代か、それとも光秀時代か?
我が輩にはわかりません。


眼下に京都縦貫道の丹波インターが見える。
山陰街道はインター付近を通ってるので、この後歩きました。


主郭の西の端に来ると石がゴロゴロ。

ここが西の虎口。

看板は「明石」と書いてあるが、
「主郭西虎口」と、書き換えてやろうか、と思いましたよ!

枡形のように折れ曲がって入るようになってると思うが、イマイチ不明瞭。
要するにわかりません

主郭の西隣の郭から主郭を見る


隣の郭は、
『西郭2』と名付けた

こちらも同じく西の端に石積虎口がある。


西郭3を見る

西郭3から西郭2の石積を見る


さらに西へ進む


その③に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日は、雨のため早めに退散した。

新しいデジカメ買ったので、壊れやしないかと心配で、雨は困るんですよね。

今日は雨大丈夫だと思うので頑張って街道歩きする予定ですが、

はてさて…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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京丹波町【須知城】その①

2019-07-13 07:02:51 | 丹波国の史跡
"2019年6月23日(日)
13時49分、
琴滝の左手に

『須知城』への登山口あり。
「すち」と読みたいけど、「しゅうち」と読むそうです。
本来は、「志内」、「志宇知」、「志宇智」と表記されてたので、
「しうち」と読んでたのでは?
その後、しうち→しゅうちに変化したと考えられる。
合併で須知村→須知町→丹波町、そして現在は船井郡京丹波町。

登りました。
登山道は真っ直ぐ登るのですが、

へそ曲がりな我が輩は右手へ向かった。
というか、シダのために登山道を見失ったのです。

すると、竪堀?堀切?出現!

わずか10分で早くも城跡。
大喜びで、堀切を上から見おろす。
いいですね。
石標あり。

読むと

「右 直営…、左 部分…」
と書いてある。
意味不明。

この後、尾根上を東へ向かう。

むごい状態!
琴滝の上の方に来たようです

城跡の遺構は見当たらない。
登る時に東寄りに向かったのが失敗だったようです。

なので、西へ向かった。

琴滝登山口からの分岐に来ました!

ここから城内、ホッした。
いつものことながら、導入までに時間がかかる。


いくつか曲輪を進む

7分ほど歩いたら、
一段高い盛り上がりあり!

登ると内部は、土塁に囲まれた郭。

「土塁郭」と名づけた。

次の郭は、倍ぐらいの大きさがある。


郭の中に岩、土塁があるので

「岩土塁郭」と名づけた

次の郭との間には、左へ落ち込む竪堀あり。

進むと、
右側に土塁の高まりあり。
左側は低い削平地

「右土塁郭」と名づけた。
しかし、逆方向から見ると
左土塁郭になる…
右側は、北東なので北東土塁郭と名付けるべきか?

この郭の北西に
曲線を描く堀切が現れた

「三日月堀切」と名づけた
左側は竪堀として急斜面を落ちる。
反対側から見返す↓

東曲輪群はここまで

そして、いよいよ主郭へ突入です

その②に続く~



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【琴滝】京丹波町

2019-07-12 06:52:03 | 丹波国の史跡
"2019年6月23日(日)
山陰街道歩き、園部駅からひたすら歩き、
京丹波町に入った。

国道9号線、京丹波水戸の交差点を過ぎて旧道を行く

「琴滝」への看板

右方向は、車両通行不可
本来ならこのまま北上し丹波ICから行くのが本筋なんですが、よこしまな我が輩、なるべくならショートカットしたい。

車はダメでも歩きなら行けるのでは?
でも、不安なので、
近くで農作業されてる若者に聞いた。
「歩いてなら、琴滝へ行けますか?」
若者『…………、』
なんか、言うのをためらってる
不審人物と思われたのか?
最近、刃物や拳銃などを持った犯人がよく山のなかを逃げ回るニュースが多い。
この蒸し暑いのに、長袖防寒服ズボン姿の我が輩は充分怪しい。
普通なら半袖、Tシャツ、半ズボンの季節ですわ。
しかし、意を決したのか、
若者『歩いてなら行けます。
そこを進んで、左手の道に入り、少し進むと鹿避けの柵がある。
扉を開けてください。
入ったら必ず閉めてくださいね。』
閉めてくれ、と何度も念を押された。
どうやら、過去に鹿に畑を荒らされたことがあるのかもしれない。
だから、どこの馬の骨かわからないオヤジに教えるのをためらったようです。

若者『しばらく山道を行くと山と山の間に出ます。さらに下ると鋪装された道に出るので、あとは鋪装道を行けば琴滝へ行けます。
10分ほどです
玉雲寺は、ちょうどこの山の反対側なんですよ。』
いやぁ、これは嬉しかった。
インター経由で行けば30分以上かかる。
この山越えなら10分ほどで行けるそうだ。
お礼を言って、教えられた通りに進みました。

すぐに左へ入る道あり。

少し進むと、右手に墓。

事前の下調べでは、墓の裏山に城跡(水戸殿谷城)の遺構があるそうです。
大した遺構ではなさそうなので今回はパス。

帰りに時間があれば立ち寄ることにして墓の横を進んだ。

獣柵が現れました。

扉は上と下を針金で留めてあるだけ。
上ははずしにくかったので下の針金を外して身体を隙間に潜り込ませて中に入りました。
勿論、ちゃんと針金を留めましたよ。
我が輩は真面目なのです。
て、自分で言うやつは怪しい?

しばらく進むと山と山の間、

いわゆる切通みたいな場所が見えてきた。

これより下り坂になり、
すぐに舗装道に出ました。

振り返って見る

あの若者の言うように10分ほどでした。
感謝感謝ですわ。
舗装道を行くと
右手に玉雲寺。

本来は滝つぼのわきにあったが、
天正7年(1579年)、明智光秀の市森城攻撃によって寺の建物や宝物はほとんど焼失。
現代の境内・本堂・庫裏は光秀が禅氏の道徳を尊崇し、天正8年に再興したもの。
市森城は、須知城の別名。


紅葉の頃に来るといいかも?

そして、駐車場に到着。

琴滝案内図

有名なようで、次々にハイキングで来てる人に会いました

高さ43m、これより徒歩2分。
映画のロケーションによく利用される、と書いてある。

まむし注意

トイレあり

紅葉の時期は最高だろうね

そして、琴滝に到着。



滝つぼ

やっぱり、夏は滝がいいですね。

滝の左手に祠あり。


で、さらに左手に
『須知城』への登山口

これが本来の目的!

登ります。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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京丹波町【須知城】その③

2019-07-11 18:07:55 | 丹波国の史跡

2019年6月23日(日)
西曲輪群を西へ


長い通路のような郭、
『細長郭』と名付けた

細長郭から西郭4へは木の階段がある


しばらく進むと

ちょこっと盛り上がる

『西郭5』、郭と言えるかどうか…

そして、西の端に来た

『西6郭』

南側に帯曲輪がある



この先はロープがあり、急な坂を下ることになる。

おそらく、西の明石登山口に出ると思うが、今回は琴滝へ引き返すことにしました。

そして、琴滝への分岐に戻りました

今度は正規の登山道を下ります

下のほうはシダの道になって登山道がわかりにくい。


適当に降りました

そして、琴滝登山口に戻りました

帰りに須知城を見る

遠くに看板見える

ズームすると、

明石側の登山口の看板です。
次回また来ることがあれば、こちらから登りたい。

ショートカット道に来たので


再び、ここから同じ道を街道へ戻る
疲れてたからか、この山の中で二回も転んだ。

農作業をしてた若者が声をかけてくれたので、ありがとうございました、とお礼を言いました。
ホントに感謝です。



以上おしまい



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【ラジ耳】大文字

2019-07-11 14:11:25 | 日記
KBS京都ラジオ

最近、娘さんが英語の勉強を始めた。

出題、

『アルファベットを大文字で書きなさい!』

娘さん、

ダイモンジ
と読んだ。


京都人らしいエピソードでした。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

銀閣寺から大文字山に登りたいな…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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西国街道歩き、疲労困憊の巻

2019-07-10 23:55:50 | 日記
"2019年7月7日(日)
前日は中山道歩き、
本日七夕は、西国街道歩き。
早朝、町内一斉掃除があり約一時間重労働した後、
電車で京都駅へ。

駅構内には祇園祭の展示があり、祭りのムードを盛り上げてます。
念のため申し上げますが、祇園祭は7月中ずっと、なんです。
山車の巡行だけが祇園祭ではない。

すでに島本駅まで歩いてるが、実はスタート地点をまだ歩いてない。
なので、まずは東寺へ。

東寺と言えば五重塔ですね。

現在、工事中です。
某ブログで、蓮が見頃と知ったので早速、見学。



蓮の花は、昼過ぎには花を閉じるので早朝がベストです。

境内の南側ではガラクタ市が開催されていて外人さんが着物を購入されてました

西国街道歩きは、この東寺門前からスタート!

ホントのスタートは、

羅城門跡ですな。

少し行くと西寺跡。

公園になってます。
東寺とえらい違いですな。
巨大な礎石の上に座ってスマホ触ってる男性、邪魔なんですが…

途中の公園でパンを食べて、
14時17分、
向日町駅到着。

向日市から島本駅まではすでに攻略済みなので、
電車で島本駅へ移動。

駅の横に桜井駅跡公園。

ここは駅跡の他に楠木正成公ゆかりの地でもある。


たまたまこの日は地元のイベントがあり、公園を占領されていて撮影しにくかった。

反対側には島本資料館があり、

見学したらうちわをもらった。
無料の施設で、冷房の設備が無いのです。
暑いので少し涼もうと思ったのに…

そして、大阪府高槻市に突入!

街道の雰囲気があるが、狭い道を車やバイクがバンバン通るので危ない危ない。
困ったもんですわ。

というか、前日の中山道歩きで無理したため、足が重くて重くて。
何よりも島本駅から高槻駅が遠い!
京都駅から島本駅までは、短い間隔で駅があるのに島本駅から高槻駅間が長~い!

途中に寄り道したい史跡あるが、
ほとんど無視。
そんな体力も気力も無かった。
気温も軽く30度超えてるはず。

それでも我慢してペットボトルの温い水だけでひたすら歩く

そして、
17時43分、高槻駅到着。

もう疲労困憊、よく倒れなかったものですわ。

歩数は約31000歩、約20キロ。

疲れた後のビール!

疲労困憊した後の冷たい
缶ビールは最高。
ホントに美味しかった!


詳細はまたいつかアップします

こればっかり…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
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