2011/01/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(1)ガチャポン
ジャズダンスの新年初練習から帰ってきたら、テレビを見ていた娘が涙ぐんでいました。なにを見ているのかと画面を覗くと、アメトーークという娘が深夜帯でよく見ているお笑いトークの新年スペシャル版。「売れてないのに子供がいる芸人トーク」でした。
売れてない芸人たち、まだ収入がありません。貧乏暮らしの中、どんなふうに子供と過ごしてきたかをおもしろおかしく語り、皆笑いこけている。イマドキ、そんな貧乏は誰も身に染みていないから、「ウソやろ」という感じで笑えるのです。
娘は芸人が語る貧乏話に「私、保育園の頃の貧乏暮らしを思い出しちゃって、あの頃の自分がかわいそうで、話聞いているうちに身につまされて、泣けてきた」と言って、はんかちを目にあてている。
200円のガチャポンを欲しがる子供にがまんをさせた、と芸人が語る話に泣けたのだという。ガチャポンとかガチャガチャは、100円とか200円を投入すると、おもちゃやカード入りのプラスチックのケースが出てくるゲーム。目当てのものを出すため、子供達はコインを入れ続けます。
わが家、娘が保育園のころは貧乏のどん底で、欲しいモノが出てくるまでコインを投入するようなことはさせられなかった。だから、「欲しいモノはサンタさんに頼もうよ。ガチャポンはがまんね」と、買ってやれなかった。娘にしてみると、その場ででるかでないかドキドキしながらコインを入れるそのスリルを味わいたいのだった。でも、欲しくないものがでたときのがっかりを解消してやれないわが家では、「コインをいれるのは1回だけ」と限定でガチャポンをさせるか、がまんさせるほうを選ぶしかない。
保育園のとき、プラスチック製の編み目仕立てになっている靴が女の子の間に大流行したことがあった。「あのとき、私はどうしても編み目の靴が欲しかったのに、お母さんは、あんな靴は普段履きには歩きにくいし、お出かけ用にはならないから、ダメって言って、買ってくれなかった。クラスのなかで、あの靴を履いていないの私だけだった」と、娘は貧乏時代を語ります。
私の予想通りに、そのプラスチックネットの靴はすぐに流行が終わりました。安売りされるようになってから娘にようやく買って与えたのだけれど、娘にしてみれば、流行が終わってしまってから買ってもらっても、嬉しくともなんともなかった。流行遅れの靴は、ほとんど履かないうちに小さくなりました。私は長いこと小さくなった靴を捨てられずにいたのだけれど、娘は流行遅れになってから買ってもらった靴のことを覚えていなくて、買ってもらえなかった悲しさだけを記憶していました。
時はバブル景気の真っ盛り。靴やら筆箱やら保育園児小学生も、分不相応な高価なものを自慢し合っており、親は競って子供のために消費していました。ナイキのスニーカー一足2万円というのを履いている小学生が、バブルステータスを誇っていた頃です。
「みんなが持っているキャラクターのついたボールペン、100円だったけれど私は母にねだれないと諦めていた。お金のかかることを母に言うと母を追い詰めてしまうのではないかと子供心に心配していたから」と、娘が語るのを聞き、かわいそうなことをしたなあと思います。親としてせつないです。
ふたりの子を育てながら、確実な現金として奨学金を貰うために大学へ。つづけて大学院に通い、日本語教師のアルバイトを続け、授業のない土日や夏休みには夫の自営業を手伝い、それでも夫の借金は増えるばかりで、ほんとうに追い詰められた気分だったのを、子供にはわからないようにしていたつもりだったけれど、娘はちゃんと親の気持ちをくみ取っていたのだろうと思います。ほんとうにわがままを言うことのない娘で、弟の世話をいっしょうけんめいしてくれました。母を助けようとして、娘も精一杯だったのでしょう。
ようやく、100円のボールペンくらいは買う余裕も出てきて、やっと娘は「ペンが買えなくて悲しかった」と語れるようになりました。「子供にガチャポンを我慢させた」と語って笑いをとるお笑い芸人に、娘は涙を流して「つらいよねぇ、ガチャポン買ってもらえない子供って」と、共感していました。
<つづく>
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2011年01月23日
ぽかぽか春庭「パフスリーブ」
011/01/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(2)パフスリーブ
『赤毛のアン』の中に、近隣の女の子の服のデザインで「パフスリーブ」が流行したことが書かれています。厳格なマリラはいつも実用一点張りの服を仕立てます。アンは、ちょうちんのように膨らんだパフスリーブワンピースを着た友達がうらやましくてならないけれど、マリラに頼んでもそんな服は作ってくれません。アンはマシューに女の子の服のことはわからないと思いながらも「パフスリーブの服がほしい」ことを話しました。アンの言うことなら何でもわかってくれるマシューは、パフスリーブが欲しいという気持ちを理解してくれます。
マシューは独り者を通した男だったけれど、流行の服が欲しいという女の子の願いをちゃんとわかってやれる人でした。「うちの子がよその子にひけをとっていいものか」とマリラに持ちかけ、マリラはついにパフスリーブのワンピースをアンのために作ってあげます。アンの喜びようは、どんな高価なドレスを着た令嬢にも負けないものでした。「赤毛のアン」ファンにとっては「好きなエピソード」の上位にくるお話で、私もこのパフスリーブのエピソードが大好きです。
私が小学校5年生だったか6年生だったかの冬、クラスの女の子に「コール天のズボン」というのが流行したことがありました。いつも姉のお下がりで文句も言わず、衣服については母に注文をつけたことがなかったのに、「コール天のズボンを履きたい」と言ってみたら、姉と私ふたりにコール天のズボンを買ってくれました。
日頃、本を欲しがるばかりで服の注文はしたことのない私がねだったので、母にしてみるとなんとしても娘の願いを叶えたかったのでしょう。フラフープを欲しがったときも、スケート靴を欲しがったときも、姉と私におそろいで買ってくれました。贅沢ができる家計ではなかったけれど、母はいろいろやりくりをしても、娘達の願いをかなえようとしていました。
自分が家庭を持って、そのような買い物は、父が堅い会社の勤め人で、月給やボーナスを封を切らずに袋ごと母に渡して家計を任せていたからできたことだったと気づきました。買ってやれないことは、母にとっても辛いせつないことでした。子供達に我慢させることも何度もあったけれど、子供が欲しがるモノを自分が食べるのを減らしても与えてやりたいというのが親の心。子供が喜ぶ顔を見ることが両親の喜びでもあったと思います。
私が結婚した相手、自営業でずっと借金まみれ。保育園のころの娘には我慢ばかりさせていました。バブル景気真っ盛りの頃。クラスメートが派手な消費を楽しんでいたのに、娘は私には決してわがままを言うこともなく、聞き分けよく「靴を買うことはできない」と言えばそれ以上ねだることはありませんでした。しかし、「クラスの中で一人だけ編み目模様の靴を履けなかった」悲しい気持ちを、27歳になってテレビを見て涙ぐんで語るのです。
世界には飢えている子がいるし、日本には虐待を受けて亡くなる子もいます。そういう子に比べれば、貧しい中せいいっぱいの愛情は注いだつもりで子育てをしてきましたが、娘にしてみれば、我慢我慢の生活がつらいときもあったのだろうと思います。
貧乏話をしようとすると、「貧乏時代をなつかしがって語れるのは、今はもう貧乏じゃない人でしょう。私は今も貧乏なんだから、貧乏自慢なんて、百年早い」という自制も働くのだけれど、自慢でなくても、貧乏を語らずにはいられないのは、どうしてでしょうかね。
まっき~さんも好きだという『チキンライス』
貧乏な親を気遣う子供心が歌われています。今はお金持ちの松本人志。今ならクリスマスシーズンに赤坂プリンスに部屋を予約することもでっかい七面鳥注文することもできる。
「チキンライス」には、♪昔話を語りだすと決まって/貧乏自慢ですかという顔するやつ/でもあれだけ貧乏だったんだ/せめて自慢ぐらいさせてくれ!と、歌われているのだけれど、今も貧乏な私も、時に貧乏を語りたい。赤坂プリンスも七面鳥もまだ贅沢なわが家ですが、ようやく子供が100円のボールペンを欲しがったとき買ってやれる程度にはなった。換気扇のとりつけはいまだにしていないのだけれど、年末には石油ストーブと加湿器もようやく買ったし、ちょっとは貧乏語りをしてみたい。
<つづく>
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2011年01月25日
ぽかぽか春庭「サンタプレゼント券」
011/01/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(3)サンタプレゼント引換券
食うや食わずの生活の中で、すぐには買ってやれなかったものは、靴のほかにもたくさんあります。サンタさんからほいほいとファミコンとかスーファミとかプレゼントされる家と違い、わが家に来るのは「ビンボーサンタ」だから、高いモノを頼んでももらえないよ、と言い聞かせてあったので、娘は、高額なものは願ってももらえないとあきらめていて、高望みなものはお願いしませんでした。しかし、そのささやかなプレゼントを買う現金すらわが家にはない年もありました。故郷に年始に行って、実家の父にもらうお金で買うしかありません。
保育園年長さんのころか小学校1年生のころか、忘れてしまったが、娘がサンタさんに「牛乳パックからハガキを作る紙漉セット」というのを頼んだことがありました。
娘は、「サンタさんへのお手紙」に「かみすきセットをおねがい」と書いて、ベランダの赤い靴下に入れました。それほど高いものではないのに、年末の財布にお金はなく、買いに行くことはできません。翌朝、靴下の中の手紙がなくなっているのを見て、「サンタさん、手紙を読んでくれたんだよね、いい子にしているから、紙漉きセット、もらえるかなぁ」と、娘は心配顔。なんとしても買ってやりたい。でもお金はありません。
私はクリスマスイブの夜中、靴下にサンタからの返信を入れました。「サンタより、このカードは、紙漉セット引換券です。おもちゃやへ持って行くと紙漉セットがもらえます」と、書いて入れておきました。
娘はクリスマスの朝、紙漉セット引換券を発見。よく事態がわからないまま、ベランダから、遠い北の国にいるサンタさんに「プレゼントありがとう」とお礼を言いました。小さな弟に「ちゃんとお礼を言わないと、来年もらえなくなっちゃうから、大きな声でありがとうって言うんだよ」と教えています。
お正月もすぎお年玉を使おうとする子供たちの混雑も終わった頃に。サンシャインビルのおもちゃやへ行きました。近所のおもちゃやでは娘にないしょのお願いはできないので、池袋まででかけたのです。娘と息子をベンチにすわらせ、お菓子を食べる時間にして、「ここから動いちゃだめだよ、弟の面倒を見ていてね」と言いおいて、こっそりおもちゃやへ行きました。実家の父にもらったお金で紙漉セットを買い、「女の子が紙漉セット引換券」というカードを持って来たら、「サンタさんから預かっていました」と言って渡して下さい、と頼みました。
娘をひとりでおもちゃやへ行かせて、店員さんがちゃんと話を合わせてくれるか案じながら待っていると、娘は大きな箱を抱えて戻ってきました。サンタプレゼント券でしっかり引き替えができたのです。ああ、よかった。
牛乳パックや広告チラシを細かく砕き、紙漉セットでハガキを作る遊びを何度も親子で楽しみました。「このハガキは、私が作りました」という文を書いて、親戚や先生に手紙を出したりしました。
「友達のところには、ゲーム機やゲームソフトがどんどんサンタプレゼントとしてくるのに、どうしてうちに来るサンタさんは、ゲーム機くれないのかなあ、と長い間疑問だったけれど、理由がわかっても、父に話す気にはなれないよ。父は子供達にせつない思いをいっぱいさせてきたってこと、気づきもしないだろうから」と、娘は言います。
私はせつないです。娘が欲しくてたまらなかった編み目模様の靴を、あの頃に戻って買ってやりたいと泣けてきます。日本中がバブル景気に沸き立っていた頃、明日食べるお金もない貧乏暮らしの中、必死で生きていた自分の姿は冷静に見つめられるけれど、100円のペンが欲しいと言えなかったという娘の姿を思うと、「売れてないのに子供がいる芸人」の話に「芸人になる夢を持った親の背中を見て、しっかり育ってね」と声をかけてやりたくなります。
親は「夢を追って生きる姿を見せている」つもりだろうけれど、ガチャポンを我慢している子供は、どんなにかせつなかろう。芸人になる夢を追うため、親子で別居していると語る人もいました。どうぞ、早く売れてくださいね。親子一緒に住んで親子で笑って暮らしていけるように、、、、。
わが家、まだまだ貧乏暮らしは続くけれど、娘も息子も大人になったので、貧乏暮らしを納得して生きていけるようになりました。借金増えるばかりの父親と、金儲けはできない母親の間に生まれてきた不幸も、それぞれの運命。
娘はお正月の福袋を買うのが大好きです。必要のないものが袋に詰まっていることも多いのですが、娘は「これは、小さかった頃、買い物の楽しみを味わえなかったことの代償なんだって、自分でもわかっているんだよ。必要がなくても買ってしまうことで、買えなくて悲しかったころの自分を慰めてるの」と、解説しながら、今年もディズニー福袋というのを買っていました。それも、「七草すぎたので、イトーヨーカ堂福袋3000円のが500円値下げしてお楽しみ袋っていう名前に変えて売られていた」と、値引き商品を買ってきたのです。貧乏性はぬけていません。果たしてこれで福があるのやら。
特に欲しいモノが入っている福袋でもないのです。私には「ミッキーぬいぐるみ」をお裾分けしてくれました。私には必要のないミッキーぬいぐるみですけれど、これを買うことで娘の「欲しくても買ってもらえなかったころ」の気持ちが少しでも解消されるのかと思って、ありがたく受け取りました。
<おわり>
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(1)ガチャポン
ジャズダンスの新年初練習から帰ってきたら、テレビを見ていた娘が涙ぐんでいました。なにを見ているのかと画面を覗くと、アメトーークという娘が深夜帯でよく見ているお笑いトークの新年スペシャル版。「売れてないのに子供がいる芸人トーク」でした。
売れてない芸人たち、まだ収入がありません。貧乏暮らしの中、どんなふうに子供と過ごしてきたかをおもしろおかしく語り、皆笑いこけている。イマドキ、そんな貧乏は誰も身に染みていないから、「ウソやろ」という感じで笑えるのです。
娘は芸人が語る貧乏話に「私、保育園の頃の貧乏暮らしを思い出しちゃって、あの頃の自分がかわいそうで、話聞いているうちに身につまされて、泣けてきた」と言って、はんかちを目にあてている。
200円のガチャポンを欲しがる子供にがまんをさせた、と芸人が語る話に泣けたのだという。ガチャポンとかガチャガチャは、100円とか200円を投入すると、おもちゃやカード入りのプラスチックのケースが出てくるゲーム。目当てのものを出すため、子供達はコインを入れ続けます。
わが家、娘が保育園のころは貧乏のどん底で、欲しいモノが出てくるまでコインを投入するようなことはさせられなかった。だから、「欲しいモノはサンタさんに頼もうよ。ガチャポンはがまんね」と、買ってやれなかった。娘にしてみると、その場ででるかでないかドキドキしながらコインを入れるそのスリルを味わいたいのだった。でも、欲しくないものがでたときのがっかりを解消してやれないわが家では、「コインをいれるのは1回だけ」と限定でガチャポンをさせるか、がまんさせるほうを選ぶしかない。
保育園のとき、プラスチック製の編み目仕立てになっている靴が女の子の間に大流行したことがあった。「あのとき、私はどうしても編み目の靴が欲しかったのに、お母さんは、あんな靴は普段履きには歩きにくいし、お出かけ用にはならないから、ダメって言って、買ってくれなかった。クラスのなかで、あの靴を履いていないの私だけだった」と、娘は貧乏時代を語ります。
私の予想通りに、そのプラスチックネットの靴はすぐに流行が終わりました。安売りされるようになってから娘にようやく買って与えたのだけれど、娘にしてみれば、流行が終わってしまってから買ってもらっても、嬉しくともなんともなかった。流行遅れの靴は、ほとんど履かないうちに小さくなりました。私は長いこと小さくなった靴を捨てられずにいたのだけれど、娘は流行遅れになってから買ってもらった靴のことを覚えていなくて、買ってもらえなかった悲しさだけを記憶していました。
時はバブル景気の真っ盛り。靴やら筆箱やら保育園児小学生も、分不相応な高価なものを自慢し合っており、親は競って子供のために消費していました。ナイキのスニーカー一足2万円というのを履いている小学生が、バブルステータスを誇っていた頃です。
「みんなが持っているキャラクターのついたボールペン、100円だったけれど私は母にねだれないと諦めていた。お金のかかることを母に言うと母を追い詰めてしまうのではないかと子供心に心配していたから」と、娘が語るのを聞き、かわいそうなことをしたなあと思います。親としてせつないです。
ふたりの子を育てながら、確実な現金として奨学金を貰うために大学へ。つづけて大学院に通い、日本語教師のアルバイトを続け、授業のない土日や夏休みには夫の自営業を手伝い、それでも夫の借金は増えるばかりで、ほんとうに追い詰められた気分だったのを、子供にはわからないようにしていたつもりだったけれど、娘はちゃんと親の気持ちをくみ取っていたのだろうと思います。ほんとうにわがままを言うことのない娘で、弟の世話をいっしょうけんめいしてくれました。母を助けようとして、娘も精一杯だったのでしょう。
ようやく、100円のボールペンくらいは買う余裕も出てきて、やっと娘は「ペンが買えなくて悲しかった」と語れるようになりました。「子供にガチャポンを我慢させた」と語って笑いをとるお笑い芸人に、娘は涙を流して「つらいよねぇ、ガチャポン買ってもらえない子供って」と、共感していました。
<つづく>
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2011年01月23日
ぽかぽか春庭「パフスリーブ」
011/01/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(2)パフスリーブ
『赤毛のアン』の中に、近隣の女の子の服のデザインで「パフスリーブ」が流行したことが書かれています。厳格なマリラはいつも実用一点張りの服を仕立てます。アンは、ちょうちんのように膨らんだパフスリーブワンピースを着た友達がうらやましくてならないけれど、マリラに頼んでもそんな服は作ってくれません。アンはマシューに女の子の服のことはわからないと思いながらも「パフスリーブの服がほしい」ことを話しました。アンの言うことなら何でもわかってくれるマシューは、パフスリーブが欲しいという気持ちを理解してくれます。
マシューは独り者を通した男だったけれど、流行の服が欲しいという女の子の願いをちゃんとわかってやれる人でした。「うちの子がよその子にひけをとっていいものか」とマリラに持ちかけ、マリラはついにパフスリーブのワンピースをアンのために作ってあげます。アンの喜びようは、どんな高価なドレスを着た令嬢にも負けないものでした。「赤毛のアン」ファンにとっては「好きなエピソード」の上位にくるお話で、私もこのパフスリーブのエピソードが大好きです。
私が小学校5年生だったか6年生だったかの冬、クラスの女の子に「コール天のズボン」というのが流行したことがありました。いつも姉のお下がりで文句も言わず、衣服については母に注文をつけたことがなかったのに、「コール天のズボンを履きたい」と言ってみたら、姉と私ふたりにコール天のズボンを買ってくれました。
日頃、本を欲しがるばかりで服の注文はしたことのない私がねだったので、母にしてみるとなんとしても娘の願いを叶えたかったのでしょう。フラフープを欲しがったときも、スケート靴を欲しがったときも、姉と私におそろいで買ってくれました。贅沢ができる家計ではなかったけれど、母はいろいろやりくりをしても、娘達の願いをかなえようとしていました。
自分が家庭を持って、そのような買い物は、父が堅い会社の勤め人で、月給やボーナスを封を切らずに袋ごと母に渡して家計を任せていたからできたことだったと気づきました。買ってやれないことは、母にとっても辛いせつないことでした。子供達に我慢させることも何度もあったけれど、子供が欲しがるモノを自分が食べるのを減らしても与えてやりたいというのが親の心。子供が喜ぶ顔を見ることが両親の喜びでもあったと思います。
私が結婚した相手、自営業でずっと借金まみれ。保育園のころの娘には我慢ばかりさせていました。バブル景気真っ盛りの頃。クラスメートが派手な消費を楽しんでいたのに、娘は私には決してわがままを言うこともなく、聞き分けよく「靴を買うことはできない」と言えばそれ以上ねだることはありませんでした。しかし、「クラスの中で一人だけ編み目模様の靴を履けなかった」悲しい気持ちを、27歳になってテレビを見て涙ぐんで語るのです。
世界には飢えている子がいるし、日本には虐待を受けて亡くなる子もいます。そういう子に比べれば、貧しい中せいいっぱいの愛情は注いだつもりで子育てをしてきましたが、娘にしてみれば、我慢我慢の生活がつらいときもあったのだろうと思います。
貧乏話をしようとすると、「貧乏時代をなつかしがって語れるのは、今はもう貧乏じゃない人でしょう。私は今も貧乏なんだから、貧乏自慢なんて、百年早い」という自制も働くのだけれど、自慢でなくても、貧乏を語らずにはいられないのは、どうしてでしょうかね。
まっき~さんも好きだという『チキンライス』
貧乏な親を気遣う子供心が歌われています。今はお金持ちの松本人志。今ならクリスマスシーズンに赤坂プリンスに部屋を予約することもでっかい七面鳥注文することもできる。
「チキンライス」には、♪昔話を語りだすと決まって/貧乏自慢ですかという顔するやつ/でもあれだけ貧乏だったんだ/せめて自慢ぐらいさせてくれ!と、歌われているのだけれど、今も貧乏な私も、時に貧乏を語りたい。赤坂プリンスも七面鳥もまだ贅沢なわが家ですが、ようやく子供が100円のボールペンを欲しがったとき買ってやれる程度にはなった。換気扇のとりつけはいまだにしていないのだけれど、年末には石油ストーブと加湿器もようやく買ったし、ちょっとは貧乏語りをしてみたい。
<つづく>
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2011年01月25日
ぽかぽか春庭「サンタプレゼント券」
011/01/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(3)サンタプレゼント引換券
食うや食わずの生活の中で、すぐには買ってやれなかったものは、靴のほかにもたくさんあります。サンタさんからほいほいとファミコンとかスーファミとかプレゼントされる家と違い、わが家に来るのは「ビンボーサンタ」だから、高いモノを頼んでももらえないよ、と言い聞かせてあったので、娘は、高額なものは願ってももらえないとあきらめていて、高望みなものはお願いしませんでした。しかし、そのささやかなプレゼントを買う現金すらわが家にはない年もありました。故郷に年始に行って、実家の父にもらうお金で買うしかありません。
保育園年長さんのころか小学校1年生のころか、忘れてしまったが、娘がサンタさんに「牛乳パックからハガキを作る紙漉セット」というのを頼んだことがありました。
娘は、「サンタさんへのお手紙」に「かみすきセットをおねがい」と書いて、ベランダの赤い靴下に入れました。それほど高いものではないのに、年末の財布にお金はなく、買いに行くことはできません。翌朝、靴下の中の手紙がなくなっているのを見て、「サンタさん、手紙を読んでくれたんだよね、いい子にしているから、紙漉きセット、もらえるかなぁ」と、娘は心配顔。なんとしても買ってやりたい。でもお金はありません。
私はクリスマスイブの夜中、靴下にサンタからの返信を入れました。「サンタより、このカードは、紙漉セット引換券です。おもちゃやへ持って行くと紙漉セットがもらえます」と、書いて入れておきました。
娘はクリスマスの朝、紙漉セット引換券を発見。よく事態がわからないまま、ベランダから、遠い北の国にいるサンタさんに「プレゼントありがとう」とお礼を言いました。小さな弟に「ちゃんとお礼を言わないと、来年もらえなくなっちゃうから、大きな声でありがとうって言うんだよ」と教えています。
お正月もすぎお年玉を使おうとする子供たちの混雑も終わった頃に。サンシャインビルのおもちゃやへ行きました。近所のおもちゃやでは娘にないしょのお願いはできないので、池袋まででかけたのです。娘と息子をベンチにすわらせ、お菓子を食べる時間にして、「ここから動いちゃだめだよ、弟の面倒を見ていてね」と言いおいて、こっそりおもちゃやへ行きました。実家の父にもらったお金で紙漉セットを買い、「女の子が紙漉セット引換券」というカードを持って来たら、「サンタさんから預かっていました」と言って渡して下さい、と頼みました。
娘をひとりでおもちゃやへ行かせて、店員さんがちゃんと話を合わせてくれるか案じながら待っていると、娘は大きな箱を抱えて戻ってきました。サンタプレゼント券でしっかり引き替えができたのです。ああ、よかった。
牛乳パックや広告チラシを細かく砕き、紙漉セットでハガキを作る遊びを何度も親子で楽しみました。「このハガキは、私が作りました」という文を書いて、親戚や先生に手紙を出したりしました。
「友達のところには、ゲーム機やゲームソフトがどんどんサンタプレゼントとしてくるのに、どうしてうちに来るサンタさんは、ゲーム機くれないのかなあ、と長い間疑問だったけれど、理由がわかっても、父に話す気にはなれないよ。父は子供達にせつない思いをいっぱいさせてきたってこと、気づきもしないだろうから」と、娘は言います。
私はせつないです。娘が欲しくてたまらなかった編み目模様の靴を、あの頃に戻って買ってやりたいと泣けてきます。日本中がバブル景気に沸き立っていた頃、明日食べるお金もない貧乏暮らしの中、必死で生きていた自分の姿は冷静に見つめられるけれど、100円のペンが欲しいと言えなかったという娘の姿を思うと、「売れてないのに子供がいる芸人」の話に「芸人になる夢を持った親の背中を見て、しっかり育ってね」と声をかけてやりたくなります。
親は「夢を追って生きる姿を見せている」つもりだろうけれど、ガチャポンを我慢している子供は、どんなにかせつなかろう。芸人になる夢を追うため、親子で別居していると語る人もいました。どうぞ、早く売れてくださいね。親子一緒に住んで親子で笑って暮らしていけるように、、、、。
わが家、まだまだ貧乏暮らしは続くけれど、娘も息子も大人になったので、貧乏暮らしを納得して生きていけるようになりました。借金増えるばかりの父親と、金儲けはできない母親の間に生まれてきた不幸も、それぞれの運命。
娘はお正月の福袋を買うのが大好きです。必要のないものが袋に詰まっていることも多いのですが、娘は「これは、小さかった頃、買い物の楽しみを味わえなかったことの代償なんだって、自分でもわかっているんだよ。必要がなくても買ってしまうことで、買えなくて悲しかったころの自分を慰めてるの」と、解説しながら、今年もディズニー福袋というのを買っていました。それも、「七草すぎたので、イトーヨーカ堂福袋3000円のが500円値下げしてお楽しみ袋っていう名前に変えて売られていた」と、値引き商品を買ってきたのです。貧乏性はぬけていません。果たしてこれで福があるのやら。
特に欲しいモノが入っている福袋でもないのです。私には「ミッキーぬいぐるみ」をお裾分けしてくれました。私には必要のないミッキーぬいぐるみですけれど、これを買うことで娘の「欲しくても買ってもらえなかったころ」の気持ちが少しでも解消されるのかと思って、ありがたく受け取りました。
<おわり>