ぽかぽか春庭「立ち飲み平澤かまぼこ店」
2010/11/14
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(1)立ち飲み平澤かまぼこ店
人とのリアルつきあいが苦手な私、ネットで知り合った人と実際に顔を合わせるオフ会も数えるほどしか出かけておらず、顔を知っているネット友達も数名のまま増えません。 その中の一人、一度顔合わせをしたことがあって、その後も何度も「会っておしゃべりしませんか」と、メールしたいと思いつつ、残業続きで忙しそうなカフェ日記の記事を見て、もうちょっと時間がありそうなときに会うことにしようと思っていたヨコさんと2度目のオフ会の機会がありました。
ヨコさんの日記に「文化財ウィークの一般公開で週末には無料観覧できるところに行く予定」と書いてあったので、検索マニアの春庭、さっそく検索開始、ヨコさんがどこに出かけようとしているか突き止めました。ヨコさんの「近代建築めぐり」日記を読んできたので、文化財一般公開、近代建築、週末無料観覧をキーワードに検索を続けたら、行き先がわかりました。
それで「私も週末に行くつもり。現地で会いましょう」とメールを出しました。春庭@アート散歩に記した渋沢史料館散歩をヨコさんとごいっしょすることができました。
私が晩香廬室内に入ると、すぐに赤いダウンジャケットにカメラを首から提げた女性が目に入りました。一度会っただけですけれど、なんとなく記憶に残るボブヘア。もし人違いだと恥ずかしいので、遠慮がちに手を振って合図してみる。ヨコさんも「もしかしてこの人かなあ」という感じで、「ハルさんですよね」と確認。2年ぶり2回目のオフ会の挨拶は後回しにして、学芸員による建物内部の説明を聞きました。ヨコさんは渋沢栄一の出身地深谷に移築されている「誠之堂」も見学してきたということです。私もいつか機会があったら見学したい。
http://maskweb.jp/b_seishido_0_1.html
学芸員が晩香廬と青淵文庫の解説をするギャラリートーク、ヨコさんといっしょに参加し、 ヨコちゃんは、「自分がお金持ちだったら、まずは書庫が、次にビリヤード室が欲しい」と感想を漏らしていました。私は書庫と室内プールとダンスフロアが欲しい。
渋沢史料館見学のあと、王子駅前のかまぼこ屋の出店のおでん屋でヨコさんとしばし歓談。かまぼこ屋がおでんを売っている立ち飲み屋なのですが、奥に小さな座るスペースもあるとネットで見かけたので、女性が一人では入りにくい飲み屋さん、ヨコさんがビール好きなことは知っていたので誘ってみました。
毎週講師室で顔を合わせていてもあまり同僚と話しができない愛想無しの私です。団地住まいのお隣さんのことはほとんど知らないけれど、カフェ日記を読んでいる人のことは、毎日の暮らしぶりや考え方を知っていて、お隣さんより親しい。ヨコさんの実際のプラバシーについては、夫の事務所のご近所の会社で働いていること、私の最初の大学の同窓であることくらいしか知らなかったのですが、週末に庭の草むしりをしたとか、植木屋さんに庭木の手入れをしてもらった、なんてことは日記を見て知っている。ヨコさんが旅行先で取った建築写真のネットUPを楽しませてもらっているし、近代建築散歩の話題以外にもいろいろ話がはずみました。
まずは生ビールで乾杯。2年ぶり2回目のオフ会です。おでん一皿、ビール2本で2時間近くも話し続けました。楽しいひとときをありがとう。ヨコさんまた、会いましょう。
<つづく>
ぽかぽか春庭「こうとうバレエフェスティバル」
2010/11/16
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(2)こうとうバレエフェスティバル
毎年11月3日に「江東文化芸術祭協賛発表会バレエフェスティバル」が開催され、私たちのジャズダンスサークルの先生のグループが発表会に参加します。毎回1人か二人、サークルの仲間が出演するので、私は毎回見にきています。でも、水曜定休日のミサイルママは3日が水曜日にあたったときだけ観覧できるので、久しぶりのバレエフェスティバル観覧です。3日は、ミサイルママと上野でお弁当を食べ、黒田清輝記念館を見学した後、地下鉄で江東区文化センターへ。
予定より早く着いたので、3時半から、クラッシックバレエの発表会を見ました。幼稚園くらいの子供のお遊戯会のようなバレエから始まって、なかなか見応えのある発表もありました。バレエの公演、チケットが高いので、なかなか生では見に来られません。普段はテレビの録画放映で楽しんでいるのですが、素人発表会のバレエでも、上手な人たちの踊りは、32回のグランフェッテをこなすと拍手がわき起こったり、なかなか楽しめました。
夜7時すぎ、ダンス仲間が出演する「ジャズダンスの部」が始まりました。「遅れるけれど行きます」というメールが入っていたK子さんも駆けつけ、私が所属しているジャズダンスサークルの仲間のうちふたりが出演するのに間に合いました。
テイクファイブ、アンスクエアダンスなど、先生の振り付けもすてきだし、ダンサーもとても上手でした。
発表曲のうち、ホテルカリフォルニアは、私のサークルでも半年間練習をつづけた曲ですが、私は最後まで振り付けを覚えられなかったので、9月のサークル発表会のときは踊らなかった。
K子さんは今年4月からサークルに加わって熱心に練習を続けています。定年退職後、身体を動かす機会が減ったことを自覚して、「身体を動かさなければ」と感じていたK子さん、「ダンスは苦手」と言っていたのですが、私が「ラジオ体操するつもりで、できるところだけ参加すればいいから」と、ジャズダンスサークルに誘ったのです。今では「自分の身体の動きを意識するようになり、どのように筋肉をつかっているのか感じられるようになった」というので、半年間で大いに効果があったというところです。
文化センターのレストランで行われた打ち上げに、K子さんを誘って参加しました。わが家は、息子と娘がおばあちゃんの家に行き、夕食も食べてくるかも知れないというので、打ち上げに参加希望を出したのですが、ミサイルママは「明日の仕事が早いから」と、先に帰宅してしまいました。私のサークルからは、出演者以外には打ち上げ参加がないというので、無理矢理K子さんも誘いました。コース料理と飲み放題で3000円の会費。私はビール2杯とシークァーサーサワーを2杯飲みました。コース料理と言っても、大皿にボンと出される形式のコースで、おつまみ的な料理が多く、どれがメインなのかわからない料理でした。まずくはなかったけれど、メインくらいはひとりひとりに盛りつけた料理がほしかった。
K子さんは「モダンダンスとジャズダンスの違いがはじめてわかった」と感想を述べていました。
私はもともとはモダンダンスの練習をしていて、今でもモダンダンスを見るのが好きです。中学生のときポール・テーラーの振り付けをテレビで見てダンスで表現できることのすばらしさに目覚め、マーサ・グラハムらのモダンダンスを見てきました。ポストモダンダンス、コンテンポラリーダンスになると、楽しめない踊りも増えてきましたけれど、フォーサイス、キリアン、ピナバウシェあたりまではテリトリーに入ります。
私にとって一番「なじみのダンス」は、毎年神戸で行われる「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」で高校生大学生が踊るモダンダンスです。今年、NHK教育TVで、8月22日(日)16:00~17:00に放映された23回大会の録画も楽しく見ました。ダンスにかける高校生大学生の姿、アツかった。
ジャズダンスというのは、クラシックバレエではなく、モダンバレエモダンダンスではないダンスの総称、と言ってもいいくらい、なんでもありのダンスをいうみたいです。そもそもジャズという音楽の定義がとても広い。
音楽の世界では今ではクラシック分野に入っているガーシュインの「パリのアメリカ人」バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」などで、フレッド・アステアやジョージ・チャキリスらが踊ったのもジャズダンス。ブロードウェイミュージカルや、宝塚でも踊られているようなダンス、テーマパークでミッキーミニーがパレードしながら踊るのも、マイケル・ジャクソンが踊るのも、ジャズダンス。テレビでエグザイルやスマップが踊るのもジャズダンス。
ミュージカル風、ヒップホップ系、ブレイクダンス系、ストリート系、ファンキージャズ、ジャズバレエ等、さまざまなものがジャズダンスと呼ばれています。
私たちの先生は、日本民謡やフラメンコ、アイリッシュダンスなどさまざまなジャンルの踊りを取り入れた振り付けをしていて、私たちも幅広いダンスを楽しんでいます。
K子さんは、他のダンスグループの踊りを見て、このサークルでの活動を続けていられるのは、仲間が親切だからという理由だけでなく、先生の振り付けのセンスが好きだからなのだと気づいたと話していました。私も先生の振り付けが好きですけれど、見ている分にはステキだけれど、自分が踊るには難しくて、ホテルカリフォルニアも覚えきれなかったし、、、、でも、来年9月の発表会めざして、がんばります。10月は忙しくて、ダンスの練習を全休してしまいました。練習に復帰して、なまった身体を鍛えます。
<つづく>
ぽかぽか春庭「オペラと焼き鳥」
2010/11/17
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(3)オペラと焼き鳥
11月16日の夜、としま未来文化財団設立25周年記念のコンサートを聞きました。オペラからミュージカル、歌謡曲までなんでもありのプログラム。
私は仕事が遅くなるのでどうせ全部は聞けないと思ってチケットを買っていなかったのですが、K子さんが「行けなくなったのでチケットあげる」と言うので、それならチケット無駄にするよりは半分でもいいから聞いてこようとでかけたのです。
仕事を終えて電車に飛び乗り、90分。池袋に着いたときはもう6時半の開演時間を30分すぎていました。
ジャズダンス仲間のミサイルママやみきさんがもう来ているはず。
指揮者兼総合プロデューサーの 坂本和彦さんは、ミサイルママやみきさんが所属している豊島区合唱団の指導者でもあるので、二人とも坂本先生の大ファンです。坂本先生の指導で声を出し、先生のトークに笑い転げているうちにストレスも解消してしまうのだとか。
私が池袋芸術劇場の長いエスカレーターを登って大ホールの3階へ行ったとき、ドアの外のロビーに、ベルディ椿姫の「乾杯の歌」が聞こえてきました。藤原歌劇団の出演による第一部、「オペラの部」
これは、第1部が終わったあとの休憩タイムまで客席には入れないかなと思っていたら、乾杯の歌と次の「フニクリフニクラ」の間の坂本さんのトークの時間に係りの人が案内してくれて、席につくことができました。席はミサイルママとみきさんの列の後ろです。
ミサイルママは還暦記念に「5000人の第九合唱」に参加するのだと、今から計画をたてており、区の合唱団でも年末に向けて「喜びの歌」を練習しています。16日のコンサートでは、藤原歌劇団の合唱で「喜びの歌」を聞きました。
休憩の間にロビーでサンドイッチを一口。
第二部は、秋元順子の歌「愛のままに」「マディソン郡の橋」と、宝塚出身の和音美桜と四季出身の岡幸二郎のミュージカルナンバー。レミゼラブルのジャベールの歌「スターズ」や、ウエストサイドのトゥナイトなどを聞きました。
坂本先生の司会はとても軽妙で楽しく、あっという間に最終曲まで進んでいきました。第一部の終わりにスペシャルプログラムとして、坂本和彦さんが指揮し、エグザイルが歌った即位20周年奉祝曲「太陽の国」が藤原歌劇団の男性デュオによって披露されました。私ははじめて聞きました。
youtubeのエグザイルの歌唱よりよかった気がします。youtubeのエグザイル映像はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=zAUTA2hSdWs
コンサートが終わって、すぐ近くにあるミサイルママの働くインテリアの店へ。8階にインテリア店があるビルの地下は焼鳥屋です。仕事が終わるとさっさと帰宅するミサイルママなので、同じビルにありながら18年間このビルに通勤していてここで焼き鳥を食べるのは4度しかなかった、というので、寄ってみました。焼き鳥1本80円というイマドキ良心的な値段の店で、生ビール、焼き鳥、烏賊の墨あえ、コロッケなどをつまみにおしゃべりしました。
ダンス仲間の何人かは夫の親や実親の介護を続けてきた人がいたけれどこのところバタバタと見送りをしているという話、ミサイルママの長男君が出演していた戸川晶子経営の「青い部屋」というシャンソンバーが、マネージャーが資金全部を持ち逃げしてしまい経営できなくなったために閉店することになったという話。それぞれたいへんな人生模様ですが、いつものように、ダンスや合唱や山歩きで身体を鍛えてこれからの老後を楽しく生きていこうというところに話は落ち着きました。来月は閉店前に「青い部屋」に行ってみることにしました。
<つづく>
ぽかぽか春庭「我が家のペットに乾杯」
2010/11/19
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(4)我が家のペットに乾杯!
未熟児で生まれた息子が1才すぎたころ、一羽の文鳥が部屋の中に飛び込んできました。「迷い子の小鳥を預かっています」という張り紙をエレベーターホールの掲示板にだしておいたけれど、引き取り手が現れなかったので、家で飼うことにしました。ホームセンターで鳥かごを買い、ピーちゃんと名付けました。これが我が家の最初のペット。
文鳥のピーちゃんの鳥かごにつかまって、やっとつかまり立ちができたとき、鳥籠の前でとった息子の写真があります。お下がりの黄色いベビーつなぎ服に白いよだれかけ姿。娘は1才前に歩き出し、2才すぎたころには2語文3語文でにぎやかにおしゃべりしていたのに比べて、息子は立つのも歩き出すのも遅く、未熟児で保育器に入れられ管につながれていたことの後遺症が残っているのではないかと、はらはらしながらの育児でした。予定日より40日早い早産の上、前置胎盤で母胎が極度に弱り、母子ともに死ぬかも知れないという難産。帝王切開で母胎から取り出したあと、5分も産声がでず、自力呼吸ができなかった。
生後3日間、このあと生き延びることができるのか医者にもわからないという赤ん坊でしたから、そら立った、ようやく歩けたということが、ひとつひとつ倍の喜びでした。
迷子の小鳥ピーちゃんは息子と娘によくなつき、肩に乗って遊び相手になってくれました。息子は1才半の検診でも「この先、発育上にどのような不全が現れるかはまだ予測がつきません」と、検診の医師に言われ、とにかく生きていてくればいいと思って育てました。
息子4才娘9才のとき、私が中国に単身赴任が条件の仕事に出かけている半年の間、田舎の妹一家が息子と娘と文鳥を預かってくれました。
1994年の夏休みに妹が娘と息子を連れて中国へ来たときは、文鳥は妹の亭主が世話をしてくれたのですが、その間に文鳥は死んでしまった。我が家に来たとき何歳だったのかわからないので、寿命だったのかとも思います。帰国した娘には「ピーちゃんは、お空に飛んでいったんだよ」と説明しましたが、もう帰らないことを娘なりに受け止めたようでした。
息子にとって、我が家の最初のペットのピーちゃんは、「自分より小さくて、いたわってやるべき存在」でした。娘にとって、「自分より小さい存在をいたわったりかわいがったりする」という気持ちを持つための大切な存在は5才下の弟でした。小学生の娘が保育園のお迎え係りになって、母が仕事から帰るまで世話をしてくれて、どこに遊びに行くにも弟を連れて行ったので、娘の同級生「みんなの弟」のような存在でした。今では弟を「姉の使いっぱ」と、こき使っています。我が家でいちばん年が若い息子、いつまでたっても、「ペットのちょい上」の立ち位置から出世しません。
文鳥の鳥かごにつかまって、ようよう立っていた息子、本日めでたく22才になります。
12月に提出しなければならない卒業論文の仕上げに四苦八苦していて、誕生日どころじゃないというので、お祝いも卒論提出後に延期しました。
夫に似てしまい、一滴もアルコールが飲めない娘。一方、息子は私に似て、飲めそうです。でも、誕生日祝い、ピールを飲むか飲まないか、それが問題だ。息子は私がアルコールを控えなければならない体調であることを気にして、自分だけ飲むことはしそうもないし、まあ、ビールもワインもないお祝い御膳であっても、お祝いの気持ちがあればノンアルコール・ビールでも、かんぱ~い!。
未熟児で生まれて、22才まで何度も苦しい時代を過ごしてきた息子が、今生きていてくれるだけで、感謝でいっぱいの思いです。ありがとう、生まれてきてくれて。ありがとう、生きていてくれて。
<つづく>
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2010年11月20日
ぽかぽか春庭「来年は卯年」
2010/11/20
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(5)来年は卯年
我が家のペット、文鳥が死んでしまったあと、妹は代わりのペット、ジャンガリアンハムスターをくれました。ハムスターも寿命は短い。3匹のハムスターを飼いましたが、いずれも2年足らずの寿命でした。
しばらくはペットなしの生活でした。娘が中学校で不登校になったので、ペットを飼う余裕もなかった。娘は中学2年の秋、生徒会長に選ばれた後、生活指導の教師と対立しました。教師が私服で登校してきた生徒を学校から排除しようとしたとき、「長く休んでいてやっと学校へ来る気になった生徒を、私服で来たからといって学校から追い出すべきではない、彼にも学ぶ権利はあるし、公立中学校の制服とは標準服であって、私服で登校してはいけないということはできない」と、教師に向かって主張したため、彼を立腹させてしまったのです。
生徒会長は教師の生徒指導の「出先機関」としか思っていなかった生活指導教師にとって、自分に対立しようとする生徒会長など許せない存在でしたから、その後、娘はその教師から執拗なイジメを受けました。娘はストレスから神経性胃炎になり、入院しました。1997年11月のこと。12月に退院したあと、娘は二度と中学校へ戻りたくないと言い、中学2年の冬から卒業まで学校へは行きませんでした。1年半の不登校。当時は、不登校に対して行政側学校側は今のように手だてを考えてくれることがなく、学校がしてくれたことといえば、卒業式を欠席した娘のために、校長室での「一人卒業式」を挙行したことだけ。
1999年の卯年を迎えるとき、1998年12月には年賀状を用意する余裕もなく、「内申点が無くても受験させてくれる高校」を探して、受験準備をしました。1999年4月、娘は都立単位制高校へ進学しました。
1999年の5月に、妹のモモが知人からネザーランド・ドゥワーフという種類のミニ兎をもらってきて、娘にプレゼントしてくれました。娘が「高校進学祝い」としてペットを希望したのです。
我が家最初の兎は灰色で、ピーターラビットのような顔立ち。おとなしくてよくなつく、かわいい兎でしたが、部屋飼いしていて本箱の本を囓ったりしていたのがよくなかったのか、4年半の生涯のうち半分は毎月の病院通いが続きました。2002年に死んでしまって、寿命が短い兎はもう飼いたくないと思っていたのに、2ヶ月後、娘と息子が公園で「捨て兎」になっている子兎を拾ってきました。
「カブトムシの餌」と書かれた段ボールに入れられて放置されていたそうです。足が悪い兎だったので、どうやらペットショップから売れ残りとして捨てられたらしい。白黒茶の三色の模様のウサギ、猫で言うと三毛猫みたいな毛並み。ネットで調べたらハーレクインという種類のようでした。元気のいい、おちゃめなウサギでしたが、もともと足が悪くて捨てられたウサギでしたから、寿命が短くても仕方がなかったのか、2004年に死んでしまいました。
2匹続けて死なれてしまい、私は「もう、ウサギは飼わない。死なれると悲しいから、絶対にだっこしたりなでたりしない」と言っていたのに、娘は2005年3月に「友達の紹介で買った」と、真っ黒のウサギを連れて帰ってきました。耳がたれている「ロップイヤー」という種類です。私は関わらないことにしたので、ベランダの半分をウサギ小屋にして、そこで飼うこと、部屋には入れないこと、餌などの世話は娘と息子がすること、という約束で、私は頭をなでることもしなかった。
ベランダ飼いにして、部屋の中の本とか身体に悪いモノを囓らなかったのがよかったのか、前の2匹よりは長生きで、5才半。長寿ウサギは10才くらいまで生きるそうなのですが、5才6才は、もう老体なのです。獣医からは「子供を産ませる気がないのなら子宮を取る手術をしたほうがいい」という健康診断を受けていたのですが、手術なんてかわいそうと思って受けさせないままでした。この10月、検査で子宮の腫瘍が見つかり、入院手術を受けました。幸い腫瘍は悪性ではなく、人間で言う子宮筋腫だったみたいです。手術は成功し、今ウサギはベランダでひなたぼっこしています。
2011年の干支は兎。12年ぶりのウサギ年、、、、、って、干支が12年ぶりなのは当たり前ですが、前回1999年の兎年に我が家に兎がやってきて以来、初めて卯年を迎えるのです。この12年間、つらいこと苦しいことばかりが続きましたが、ウサギは娘と息子にとって、心和ませる、癒しの存在になってくれました。
ほんとうはパソコンにウサギの写真を取り込んで年賀状でも作りたいところですが、、、、うちのウサギ、真っ黒だし耳がたれているので、私が写真に撮ると、ただ真っ黒い固まりが写るのです。写真撮影技術があれば、もうちょっとウサギらしく写るのでしょうけれど。これじゃ、もらった人はウサギ年じゃなくて「石炭年」かと思うよね、ということに意見一致。
我が家のペット、文鳥も兎も、子供達にとっては大切な友達でした。真っ黒くろすけのふうちゃん、できる限り長生きしてほしいです。
わたしは、来年ウサギ年も次の卯年も生き抜いていくつもり。そのために、乾杯も控えているんですから。
我が家のペット(のちょっと上)へのお祝いのことばを頂戴し、ありがとうございます。
ノンアルコールビールは、ふたりとも「まずい」という結論に至りました。
<つづく>
2010/11/21
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(6)頭はコレオスパイラル
夕べは、娘息子につきあって、夜中の2時半までフィギュアグランプリシリーズロシア杯をテレビ観戦しました。チームプレー苦手の我が家、「みんなで力を合わせてやる競技」のサッカー、バスケット、野球というような団体スポーツは普段はほとんど見ません。先日の女子バレーのブラジル戦アメリカ戦を見たのは久しぶりの球技観戦でした。銅メダルおめでとう!
娘は高校で、息子は中学で水泳部に所属して大会に出場していたので、夏場は水泳のテレビ放映を見ます。昔は水泳のテレビ観戦なんてあまりなかったけれど、北島や入江などのスター選手輩出でメジャーな大会ならテレビで見ることが可能です。最近ならアジア大会の水泳。団体戦でも、リレーのように個人がひとりで行う競技をつないでいくのはOK。陸上のリレー、水泳のリレー、体操の団体戦なども個人競技の延長として見ていられる。駅伝もハーフマラソンのリレーです。
秋から冬はもっぱらフィギュアスケートを見ます。子供の頃、私がもっとも熱中したスポーツがスケートでした。中学生になると親に連れられなくてもバスに乗って移動できるようになり、姉と連れだって毎週日曜日はバスに乗って湖へ出かけていきました。最初は赤城の小沼が凍り、次は赤城大沼、伊香保スケートリンクがオープンしたあと榛名湖が凍りました。
私が湖で滑っていた時代、フィギュアスケートは氷の上に円を描いたり8の字を描いたりする形(フィギュア)を正確に描くことが競技の中心でした。だから、私はフィギュアのスケート靴を履いて、もっぱらスピードを出すことに夢中になっていました。スピード靴もほしかったけれど、フィギュアとスピードをふたつとも買ってもらえるような家計ではありませんでした。
伊藤みどりが活躍していたころのテレビ中継を幼い娘とともに見ていたからか、今娘と息子はフィギュアスケートの大ファンです。地上波とBSで放映されているフィギュアを全部見ています。いつもは録画でみるのだけれど、20日深夜の女子フリーをライブで見ました。
ふたりは、細かいルール改定のこともよく知っていて、今シーズンから採用されたコレオステップやコレオスパイラルについて、新しいエレメンツについていけない母に解説してくれます。
「今のは3回転3回転のはずだったのが、3回転2回転のコンビネーションにしたんだ。他の競技者が出すであろう得点を計算すると、無理して3・3で飛んで失敗するより、安全策をとったほうが、最終得点が上になるって計算なんだよ」なんて、母の苦手な点数計算も教えてくれます。計算はほんと苦手です。前回のアメリカ大会で、織田選手も計算ミスをして、高橋一位、織田二位になりました。敗因はスケート技術ではなく、計算ミス。織田はよく計算ミスをやります。
後半加点があるから、安藤美姫は5種類のジャンプをすべて後半にプログラムしている、ってことは理解したけれど、細かい計算は母の能力ではとてもわかりません。でも、とにかく、安藤美姫も鈴木明子も村上佳菜子とともにグランプリファイナルに出場できることがわかってうれしいです。
浅田真央は、初戦のNHK杯の8位で、ポイントが3点しかなく、最終のフランス杯が一位通過で15ポイント得たとしても、合計18ポイントにしかならず、ファイナリストになれそうもないのは残念です。そんな計算も私にはとてもできないのですけれど、娘と息子はふだんおつりの計算もようせんのに、こんなときばかりは総合得点の計算とか熱心にやっています。男子は、高橋出場確定、織田確実、小塚はフランス杯の成績次第。羽生は、今シリーズは残念、来シーズンに期待。
ほんとはビール片手に観戦したいところですが、つまみの裂き烏賊をチビチビとシャブリながら、ビールは飲みませんでした。
みんなで夜中にスケート見て、日曜日の朝はみんなで朝寝坊。それでも息子は都立図書館へ、卒論の史料を閲覧に出かけました。私も、やるべきことが山積みなんですけれど、、、、どうも頭の中がコレオスパイラル。スケートペアのエレメンツにデススパイラル(死の螺旋回転)っていうのがありますけれど、まあ、死んではいないけれど、ぐるぐる同じ所を回り続けて、いっこうに先に進もうとしないおつむのまま、停滞しています。
<つづく>
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(7)乾杯はおあずけだけれど、くじけないで、、、、
喫煙者が禁煙失敗と書いた日記など読むと、やっぱりなあ、と思うのですが(宮藤官九郎も最近禁煙失敗とか)、私も意志薄弱にかけては人後に落ちない、、、、甘いもの禁止と心がけても、さきおとといの夜は「長崎ルイーズの生チョコロールケーキ」おとといのデザートは「生クリームプリン」で、それでも心持ち控えめにしました。
いつもは一本20センチくらいのロールケーキを3人で3分の1ずつ分けて食べるのですが、ルイーズのロールケーキ、「母は2センチほどの厚みに切ってね」と、節制しました。あ、2センチくらいの厚みって、フツーかな。いつも6~7センチを一気食いするほうが食べ過ぎなんだよね。それにしても、全国どこのお菓子屋さんでも、人気が出ればネットに登場してお取り寄せが簡単にできるようになっています。うちは、生協の冷凍ケーキですが。
今朝の朝ご飯は、チョコレートとクッキーと柿の種、、、、ダメだこりゃ。でも、完全禁止にすると禁断症状が出て、かえってドカ喰いしそうだから、一日に一回だけ、ちょびっとは「がまんしたご褒美」を許してやらないと。ご褒美だらけ?いえいえ、そんなことはありません、、、、節制、節制!
平櫛田中107歳、小倉遊亀105歳、片岡珠子103歳までは生きたい。今現役で活躍中の人なら、日野原重明99歳、新藤兼人98歳くらいまでは現役で仕事を続けたい。すごいなあ、98歳で新作映画。マノエル・デ・オリヴェイラ(ポルトガル・ポルト出身の映画監督。 2010年10月現在101歳)の99歳の作品『ブロンド少女は過激に美しく』も見てみたい。
99歳の日野原重明医師がエッセイで、後藤はつのさんを「人生のモデル」と紹介していました。はつのさんは73歳から絵を描きはじめ、102歳で初個展。今年はニューヨークへの旅を楽しみ、この9月には満107歳の誕生日を祝ったそうです。
はつのさんの作品紹介サイト
http://www.akakura.gr.jp/~akakura15/mama/
柴田トヨさん。90歳を過ぎて足腰が不自由になり、腰を痛めて趣味の日本舞踊が踊れなくなりました。息子の健一さんはトヨさんに詩作を勧めました。「ボケ防止」になるからと。産経新聞の投稿欄「朝の詩」にたびたび掲載され、98歳で詩集を自費出版したのが出版社の目にとまり、メジャー出版。現在詩集では異例の版を重ねています。
「くじけないで」
ねぇ 不幸だなんて/溜息をつかないで
陽射しやそよ風は/えこひいきしない
夢は/平等に見られるのよ
私 辛いことが/あったけれど/生きていてよかった
あなたもくじけずに
「秘密」
私ね 死にたいって/思ったことが/何度もあったの
でも 詩を作り始めて/多くの人に励まされ
今はもう/泣き言は言わない
九十八歳でも/恋はするのよ/夢だってみるの
雲にだって乗りたいわ
「貯金」
私ね 人からやさしさをもらったら/心に貯金しておくの
さびしくなった時は/それを引き出して元気になる
あなたも今から/積んでおきなさい
年金よりいいわよ
日本人は元気な高齢者が大好き。双子のおばあちゃんキンさんギンさんも99歳からアイドルになりました。マスコミは、どうぞ後藤はつのさんや柴田トヨさんを追いかけ回して疲れさせないでくださいね。お二人はご自身の表現の場を確立しているからきっとこれからも凛として年輪を重ねていらっしゃることと思います。
私も白寿を息子の還暦といっしょに祝うその日まで、体調管理してくじけないでいきたいです。
節制生活、「今日もがんばりましたね」の一人ビール乾杯は、、、、、控えます、、、、でも、
To beer or not to beer, that is the question.
たまには飲みたいです。
って、忘年会新年会が続く年末年始、たまには、、、、、週一回くらいは、、、、毎日でなければ、、、、
本日の食後のデザートは「ブルーベリーチーズケーキ」。いつもより小さめに切って食べました。ちょこっと節制。
ウェブ友の日記から、91歳ふたりと71歳の女性3人のおしゃべり会のようすを読ませてもらい、ほんとうにそんなふうに女同士のおしゃべりを楽しめる99歳までがんばらなくちゃと、思って勇気づけられています。
<おわり>
2010/11/14
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(1)立ち飲み平澤かまぼこ店
人とのリアルつきあいが苦手な私、ネットで知り合った人と実際に顔を合わせるオフ会も数えるほどしか出かけておらず、顔を知っているネット友達も数名のまま増えません。 その中の一人、一度顔合わせをしたことがあって、その後も何度も「会っておしゃべりしませんか」と、メールしたいと思いつつ、残業続きで忙しそうなカフェ日記の記事を見て、もうちょっと時間がありそうなときに会うことにしようと思っていたヨコさんと2度目のオフ会の機会がありました。
ヨコさんの日記に「文化財ウィークの一般公開で週末には無料観覧できるところに行く予定」と書いてあったので、検索マニアの春庭、さっそく検索開始、ヨコさんがどこに出かけようとしているか突き止めました。ヨコさんの「近代建築めぐり」日記を読んできたので、文化財一般公開、近代建築、週末無料観覧をキーワードに検索を続けたら、行き先がわかりました。
それで「私も週末に行くつもり。現地で会いましょう」とメールを出しました。春庭@アート散歩に記した渋沢史料館散歩をヨコさんとごいっしょすることができました。
私が晩香廬室内に入ると、すぐに赤いダウンジャケットにカメラを首から提げた女性が目に入りました。一度会っただけですけれど、なんとなく記憶に残るボブヘア。もし人違いだと恥ずかしいので、遠慮がちに手を振って合図してみる。ヨコさんも「もしかしてこの人かなあ」という感じで、「ハルさんですよね」と確認。2年ぶり2回目のオフ会の挨拶は後回しにして、学芸員による建物内部の説明を聞きました。ヨコさんは渋沢栄一の出身地深谷に移築されている「誠之堂」も見学してきたということです。私もいつか機会があったら見学したい。
http://maskweb.jp/b_seishido_0_1.html
学芸員が晩香廬と青淵文庫の解説をするギャラリートーク、ヨコさんといっしょに参加し、 ヨコちゃんは、「自分がお金持ちだったら、まずは書庫が、次にビリヤード室が欲しい」と感想を漏らしていました。私は書庫と室内プールとダンスフロアが欲しい。
渋沢史料館見学のあと、王子駅前のかまぼこ屋の出店のおでん屋でヨコさんとしばし歓談。かまぼこ屋がおでんを売っている立ち飲み屋なのですが、奥に小さな座るスペースもあるとネットで見かけたので、女性が一人では入りにくい飲み屋さん、ヨコさんがビール好きなことは知っていたので誘ってみました。
毎週講師室で顔を合わせていてもあまり同僚と話しができない愛想無しの私です。団地住まいのお隣さんのことはほとんど知らないけれど、カフェ日記を読んでいる人のことは、毎日の暮らしぶりや考え方を知っていて、お隣さんより親しい。ヨコさんの実際のプラバシーについては、夫の事務所のご近所の会社で働いていること、私の最初の大学の同窓であることくらいしか知らなかったのですが、週末に庭の草むしりをしたとか、植木屋さんに庭木の手入れをしてもらった、なんてことは日記を見て知っている。ヨコさんが旅行先で取った建築写真のネットUPを楽しませてもらっているし、近代建築散歩の話題以外にもいろいろ話がはずみました。
まずは生ビールで乾杯。2年ぶり2回目のオフ会です。おでん一皿、ビール2本で2時間近くも話し続けました。楽しいひとときをありがとう。ヨコさんまた、会いましょう。
<つづく>
ぽかぽか春庭「こうとうバレエフェスティバル」
2010/11/16
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(2)こうとうバレエフェスティバル
毎年11月3日に「江東文化芸術祭協賛発表会バレエフェスティバル」が開催され、私たちのジャズダンスサークルの先生のグループが発表会に参加します。毎回1人か二人、サークルの仲間が出演するので、私は毎回見にきています。でも、水曜定休日のミサイルママは3日が水曜日にあたったときだけ観覧できるので、久しぶりのバレエフェスティバル観覧です。3日は、ミサイルママと上野でお弁当を食べ、黒田清輝記念館を見学した後、地下鉄で江東区文化センターへ。
予定より早く着いたので、3時半から、クラッシックバレエの発表会を見ました。幼稚園くらいの子供のお遊戯会のようなバレエから始まって、なかなか見応えのある発表もありました。バレエの公演、チケットが高いので、なかなか生では見に来られません。普段はテレビの録画放映で楽しんでいるのですが、素人発表会のバレエでも、上手な人たちの踊りは、32回のグランフェッテをこなすと拍手がわき起こったり、なかなか楽しめました。
夜7時すぎ、ダンス仲間が出演する「ジャズダンスの部」が始まりました。「遅れるけれど行きます」というメールが入っていたK子さんも駆けつけ、私が所属しているジャズダンスサークルの仲間のうちふたりが出演するのに間に合いました。
テイクファイブ、アンスクエアダンスなど、先生の振り付けもすてきだし、ダンサーもとても上手でした。
発表曲のうち、ホテルカリフォルニアは、私のサークルでも半年間練習をつづけた曲ですが、私は最後まで振り付けを覚えられなかったので、9月のサークル発表会のときは踊らなかった。
K子さんは今年4月からサークルに加わって熱心に練習を続けています。定年退職後、身体を動かす機会が減ったことを自覚して、「身体を動かさなければ」と感じていたK子さん、「ダンスは苦手」と言っていたのですが、私が「ラジオ体操するつもりで、できるところだけ参加すればいいから」と、ジャズダンスサークルに誘ったのです。今では「自分の身体の動きを意識するようになり、どのように筋肉をつかっているのか感じられるようになった」というので、半年間で大いに効果があったというところです。
文化センターのレストランで行われた打ち上げに、K子さんを誘って参加しました。わが家は、息子と娘がおばあちゃんの家に行き、夕食も食べてくるかも知れないというので、打ち上げに参加希望を出したのですが、ミサイルママは「明日の仕事が早いから」と、先に帰宅してしまいました。私のサークルからは、出演者以外には打ち上げ参加がないというので、無理矢理K子さんも誘いました。コース料理と飲み放題で3000円の会費。私はビール2杯とシークァーサーサワーを2杯飲みました。コース料理と言っても、大皿にボンと出される形式のコースで、おつまみ的な料理が多く、どれがメインなのかわからない料理でした。まずくはなかったけれど、メインくらいはひとりひとりに盛りつけた料理がほしかった。
K子さんは「モダンダンスとジャズダンスの違いがはじめてわかった」と感想を述べていました。
私はもともとはモダンダンスの練習をしていて、今でもモダンダンスを見るのが好きです。中学生のときポール・テーラーの振り付けをテレビで見てダンスで表現できることのすばらしさに目覚め、マーサ・グラハムらのモダンダンスを見てきました。ポストモダンダンス、コンテンポラリーダンスになると、楽しめない踊りも増えてきましたけれど、フォーサイス、キリアン、ピナバウシェあたりまではテリトリーに入ります。
私にとって一番「なじみのダンス」は、毎年神戸で行われる「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」で高校生大学生が踊るモダンダンスです。今年、NHK教育TVで、8月22日(日)16:00~17:00に放映された23回大会の録画も楽しく見ました。ダンスにかける高校生大学生の姿、アツかった。
ジャズダンスというのは、クラシックバレエではなく、モダンバレエモダンダンスではないダンスの総称、と言ってもいいくらい、なんでもありのダンスをいうみたいです。そもそもジャズという音楽の定義がとても広い。
音楽の世界では今ではクラシック分野に入っているガーシュインの「パリのアメリカ人」バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」などで、フレッド・アステアやジョージ・チャキリスらが踊ったのもジャズダンス。ブロードウェイミュージカルや、宝塚でも踊られているようなダンス、テーマパークでミッキーミニーがパレードしながら踊るのも、マイケル・ジャクソンが踊るのも、ジャズダンス。テレビでエグザイルやスマップが踊るのもジャズダンス。
ミュージカル風、ヒップホップ系、ブレイクダンス系、ストリート系、ファンキージャズ、ジャズバレエ等、さまざまなものがジャズダンスと呼ばれています。
私たちの先生は、日本民謡やフラメンコ、アイリッシュダンスなどさまざまなジャンルの踊りを取り入れた振り付けをしていて、私たちも幅広いダンスを楽しんでいます。
K子さんは、他のダンスグループの踊りを見て、このサークルでの活動を続けていられるのは、仲間が親切だからという理由だけでなく、先生の振り付けのセンスが好きだからなのだと気づいたと話していました。私も先生の振り付けが好きですけれど、見ている分にはステキだけれど、自分が踊るには難しくて、ホテルカリフォルニアも覚えきれなかったし、、、、でも、来年9月の発表会めざして、がんばります。10月は忙しくて、ダンスの練習を全休してしまいました。練習に復帰して、なまった身体を鍛えます。
<つづく>
ぽかぽか春庭「オペラと焼き鳥」
2010/11/17
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(3)オペラと焼き鳥
11月16日の夜、としま未来文化財団設立25周年記念のコンサートを聞きました。オペラからミュージカル、歌謡曲までなんでもありのプログラム。
私は仕事が遅くなるのでどうせ全部は聞けないと思ってチケットを買っていなかったのですが、K子さんが「行けなくなったのでチケットあげる」と言うので、それならチケット無駄にするよりは半分でもいいから聞いてこようとでかけたのです。
仕事を終えて電車に飛び乗り、90分。池袋に着いたときはもう6時半の開演時間を30分すぎていました。
ジャズダンス仲間のミサイルママやみきさんがもう来ているはず。
指揮者兼総合プロデューサーの 坂本和彦さんは、ミサイルママやみきさんが所属している豊島区合唱団の指導者でもあるので、二人とも坂本先生の大ファンです。坂本先生の指導で声を出し、先生のトークに笑い転げているうちにストレスも解消してしまうのだとか。
私が池袋芸術劇場の長いエスカレーターを登って大ホールの3階へ行ったとき、ドアの外のロビーに、ベルディ椿姫の「乾杯の歌」が聞こえてきました。藤原歌劇団の出演による第一部、「オペラの部」
これは、第1部が終わったあとの休憩タイムまで客席には入れないかなと思っていたら、乾杯の歌と次の「フニクリフニクラ」の間の坂本さんのトークの時間に係りの人が案内してくれて、席につくことができました。席はミサイルママとみきさんの列の後ろです。
ミサイルママは還暦記念に「5000人の第九合唱」に参加するのだと、今から計画をたてており、区の合唱団でも年末に向けて「喜びの歌」を練習しています。16日のコンサートでは、藤原歌劇団の合唱で「喜びの歌」を聞きました。
休憩の間にロビーでサンドイッチを一口。
第二部は、秋元順子の歌「愛のままに」「マディソン郡の橋」と、宝塚出身の和音美桜と四季出身の岡幸二郎のミュージカルナンバー。レミゼラブルのジャベールの歌「スターズ」や、ウエストサイドのトゥナイトなどを聞きました。
坂本先生の司会はとても軽妙で楽しく、あっという間に最終曲まで進んでいきました。第一部の終わりにスペシャルプログラムとして、坂本和彦さんが指揮し、エグザイルが歌った即位20周年奉祝曲「太陽の国」が藤原歌劇団の男性デュオによって披露されました。私ははじめて聞きました。
youtubeのエグザイルの歌唱よりよかった気がします。youtubeのエグザイル映像はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=zAUTA2hSdWs
コンサートが終わって、すぐ近くにあるミサイルママの働くインテリアの店へ。8階にインテリア店があるビルの地下は焼鳥屋です。仕事が終わるとさっさと帰宅するミサイルママなので、同じビルにありながら18年間このビルに通勤していてここで焼き鳥を食べるのは4度しかなかった、というので、寄ってみました。焼き鳥1本80円というイマドキ良心的な値段の店で、生ビール、焼き鳥、烏賊の墨あえ、コロッケなどをつまみにおしゃべりしました。
ダンス仲間の何人かは夫の親や実親の介護を続けてきた人がいたけれどこのところバタバタと見送りをしているという話、ミサイルママの長男君が出演していた戸川晶子経営の「青い部屋」というシャンソンバーが、マネージャーが資金全部を持ち逃げしてしまい経営できなくなったために閉店することになったという話。それぞれたいへんな人生模様ですが、いつものように、ダンスや合唱や山歩きで身体を鍛えてこれからの老後を楽しく生きていこうというところに話は落ち着きました。来月は閉店前に「青い部屋」に行ってみることにしました。
<つづく>
ぽかぽか春庭「我が家のペットに乾杯」
2010/11/19
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(4)我が家のペットに乾杯!
未熟児で生まれた息子が1才すぎたころ、一羽の文鳥が部屋の中に飛び込んできました。「迷い子の小鳥を預かっています」という張り紙をエレベーターホールの掲示板にだしておいたけれど、引き取り手が現れなかったので、家で飼うことにしました。ホームセンターで鳥かごを買い、ピーちゃんと名付けました。これが我が家の最初のペット。
文鳥のピーちゃんの鳥かごにつかまって、やっとつかまり立ちができたとき、鳥籠の前でとった息子の写真があります。お下がりの黄色いベビーつなぎ服に白いよだれかけ姿。娘は1才前に歩き出し、2才すぎたころには2語文3語文でにぎやかにおしゃべりしていたのに比べて、息子は立つのも歩き出すのも遅く、未熟児で保育器に入れられ管につながれていたことの後遺症が残っているのではないかと、はらはらしながらの育児でした。予定日より40日早い早産の上、前置胎盤で母胎が極度に弱り、母子ともに死ぬかも知れないという難産。帝王切開で母胎から取り出したあと、5分も産声がでず、自力呼吸ができなかった。
生後3日間、このあと生き延びることができるのか医者にもわからないという赤ん坊でしたから、そら立った、ようやく歩けたということが、ひとつひとつ倍の喜びでした。
迷子の小鳥ピーちゃんは息子と娘によくなつき、肩に乗って遊び相手になってくれました。息子は1才半の検診でも「この先、発育上にどのような不全が現れるかはまだ予測がつきません」と、検診の医師に言われ、とにかく生きていてくればいいと思って育てました。
息子4才娘9才のとき、私が中国に単身赴任が条件の仕事に出かけている半年の間、田舎の妹一家が息子と娘と文鳥を預かってくれました。
1994年の夏休みに妹が娘と息子を連れて中国へ来たときは、文鳥は妹の亭主が世話をしてくれたのですが、その間に文鳥は死んでしまった。我が家に来たとき何歳だったのかわからないので、寿命だったのかとも思います。帰国した娘には「ピーちゃんは、お空に飛んでいったんだよ」と説明しましたが、もう帰らないことを娘なりに受け止めたようでした。
息子にとって、我が家の最初のペットのピーちゃんは、「自分より小さくて、いたわってやるべき存在」でした。娘にとって、「自分より小さい存在をいたわったりかわいがったりする」という気持ちを持つための大切な存在は5才下の弟でした。小学生の娘が保育園のお迎え係りになって、母が仕事から帰るまで世話をしてくれて、どこに遊びに行くにも弟を連れて行ったので、娘の同級生「みんなの弟」のような存在でした。今では弟を「姉の使いっぱ」と、こき使っています。我が家でいちばん年が若い息子、いつまでたっても、「ペットのちょい上」の立ち位置から出世しません。
文鳥の鳥かごにつかまって、ようよう立っていた息子、本日めでたく22才になります。
12月に提出しなければならない卒業論文の仕上げに四苦八苦していて、誕生日どころじゃないというので、お祝いも卒論提出後に延期しました。
夫に似てしまい、一滴もアルコールが飲めない娘。一方、息子は私に似て、飲めそうです。でも、誕生日祝い、ピールを飲むか飲まないか、それが問題だ。息子は私がアルコールを控えなければならない体調であることを気にして、自分だけ飲むことはしそうもないし、まあ、ビールもワインもないお祝い御膳であっても、お祝いの気持ちがあればノンアルコール・ビールでも、かんぱ~い!。
未熟児で生まれて、22才まで何度も苦しい時代を過ごしてきた息子が、今生きていてくれるだけで、感謝でいっぱいの思いです。ありがとう、生まれてきてくれて。ありがとう、生きていてくれて。
<つづく>
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2010年11月20日
ぽかぽか春庭「来年は卯年」
2010/11/20
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(5)来年は卯年
我が家のペット、文鳥が死んでしまったあと、妹は代わりのペット、ジャンガリアンハムスターをくれました。ハムスターも寿命は短い。3匹のハムスターを飼いましたが、いずれも2年足らずの寿命でした。
しばらくはペットなしの生活でした。娘が中学校で不登校になったので、ペットを飼う余裕もなかった。娘は中学2年の秋、生徒会長に選ばれた後、生活指導の教師と対立しました。教師が私服で登校してきた生徒を学校から排除しようとしたとき、「長く休んでいてやっと学校へ来る気になった生徒を、私服で来たからといって学校から追い出すべきではない、彼にも学ぶ権利はあるし、公立中学校の制服とは標準服であって、私服で登校してはいけないということはできない」と、教師に向かって主張したため、彼を立腹させてしまったのです。
生徒会長は教師の生徒指導の「出先機関」としか思っていなかった生活指導教師にとって、自分に対立しようとする生徒会長など許せない存在でしたから、その後、娘はその教師から執拗なイジメを受けました。娘はストレスから神経性胃炎になり、入院しました。1997年11月のこと。12月に退院したあと、娘は二度と中学校へ戻りたくないと言い、中学2年の冬から卒業まで学校へは行きませんでした。1年半の不登校。当時は、不登校に対して行政側学校側は今のように手だてを考えてくれることがなく、学校がしてくれたことといえば、卒業式を欠席した娘のために、校長室での「一人卒業式」を挙行したことだけ。
1999年の卯年を迎えるとき、1998年12月には年賀状を用意する余裕もなく、「内申点が無くても受験させてくれる高校」を探して、受験準備をしました。1999年4月、娘は都立単位制高校へ進学しました。
1999年の5月に、妹のモモが知人からネザーランド・ドゥワーフという種類のミニ兎をもらってきて、娘にプレゼントしてくれました。娘が「高校進学祝い」としてペットを希望したのです。
我が家最初の兎は灰色で、ピーターラビットのような顔立ち。おとなしくてよくなつく、かわいい兎でしたが、部屋飼いしていて本箱の本を囓ったりしていたのがよくなかったのか、4年半の生涯のうち半分は毎月の病院通いが続きました。2002年に死んでしまって、寿命が短い兎はもう飼いたくないと思っていたのに、2ヶ月後、娘と息子が公園で「捨て兎」になっている子兎を拾ってきました。
「カブトムシの餌」と書かれた段ボールに入れられて放置されていたそうです。足が悪い兎だったので、どうやらペットショップから売れ残りとして捨てられたらしい。白黒茶の三色の模様のウサギ、猫で言うと三毛猫みたいな毛並み。ネットで調べたらハーレクインという種類のようでした。元気のいい、おちゃめなウサギでしたが、もともと足が悪くて捨てられたウサギでしたから、寿命が短くても仕方がなかったのか、2004年に死んでしまいました。
2匹続けて死なれてしまい、私は「もう、ウサギは飼わない。死なれると悲しいから、絶対にだっこしたりなでたりしない」と言っていたのに、娘は2005年3月に「友達の紹介で買った」と、真っ黒のウサギを連れて帰ってきました。耳がたれている「ロップイヤー」という種類です。私は関わらないことにしたので、ベランダの半分をウサギ小屋にして、そこで飼うこと、部屋には入れないこと、餌などの世話は娘と息子がすること、という約束で、私は頭をなでることもしなかった。
ベランダ飼いにして、部屋の中の本とか身体に悪いモノを囓らなかったのがよかったのか、前の2匹よりは長生きで、5才半。長寿ウサギは10才くらいまで生きるそうなのですが、5才6才は、もう老体なのです。獣医からは「子供を産ませる気がないのなら子宮を取る手術をしたほうがいい」という健康診断を受けていたのですが、手術なんてかわいそうと思って受けさせないままでした。この10月、検査で子宮の腫瘍が見つかり、入院手術を受けました。幸い腫瘍は悪性ではなく、人間で言う子宮筋腫だったみたいです。手術は成功し、今ウサギはベランダでひなたぼっこしています。
2011年の干支は兎。12年ぶりのウサギ年、、、、、って、干支が12年ぶりなのは当たり前ですが、前回1999年の兎年に我が家に兎がやってきて以来、初めて卯年を迎えるのです。この12年間、つらいこと苦しいことばかりが続きましたが、ウサギは娘と息子にとって、心和ませる、癒しの存在になってくれました。
ほんとうはパソコンにウサギの写真を取り込んで年賀状でも作りたいところですが、、、、うちのウサギ、真っ黒だし耳がたれているので、私が写真に撮ると、ただ真っ黒い固まりが写るのです。写真撮影技術があれば、もうちょっとウサギらしく写るのでしょうけれど。これじゃ、もらった人はウサギ年じゃなくて「石炭年」かと思うよね、ということに意見一致。
我が家のペット、文鳥も兎も、子供達にとっては大切な友達でした。真っ黒くろすけのふうちゃん、できる限り長生きしてほしいです。
わたしは、来年ウサギ年も次の卯年も生き抜いていくつもり。そのために、乾杯も控えているんですから。
我が家のペット(のちょっと上)へのお祝いのことばを頂戴し、ありがとうございます。
ノンアルコールビールは、ふたりとも「まずい」という結論に至りました。
<つづく>
2010/11/21
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(6)頭はコレオスパイラル
夕べは、娘息子につきあって、夜中の2時半までフィギュアグランプリシリーズロシア杯をテレビ観戦しました。チームプレー苦手の我が家、「みんなで力を合わせてやる競技」のサッカー、バスケット、野球というような団体スポーツは普段はほとんど見ません。先日の女子バレーのブラジル戦アメリカ戦を見たのは久しぶりの球技観戦でした。銅メダルおめでとう!
娘は高校で、息子は中学で水泳部に所属して大会に出場していたので、夏場は水泳のテレビ放映を見ます。昔は水泳のテレビ観戦なんてあまりなかったけれど、北島や入江などのスター選手輩出でメジャーな大会ならテレビで見ることが可能です。最近ならアジア大会の水泳。団体戦でも、リレーのように個人がひとりで行う競技をつないでいくのはOK。陸上のリレー、水泳のリレー、体操の団体戦なども個人競技の延長として見ていられる。駅伝もハーフマラソンのリレーです。
秋から冬はもっぱらフィギュアスケートを見ます。子供の頃、私がもっとも熱中したスポーツがスケートでした。中学生になると親に連れられなくてもバスに乗って移動できるようになり、姉と連れだって毎週日曜日はバスに乗って湖へ出かけていきました。最初は赤城の小沼が凍り、次は赤城大沼、伊香保スケートリンクがオープンしたあと榛名湖が凍りました。
私が湖で滑っていた時代、フィギュアスケートは氷の上に円を描いたり8の字を描いたりする形(フィギュア)を正確に描くことが競技の中心でした。だから、私はフィギュアのスケート靴を履いて、もっぱらスピードを出すことに夢中になっていました。スピード靴もほしかったけれど、フィギュアとスピードをふたつとも買ってもらえるような家計ではありませんでした。
伊藤みどりが活躍していたころのテレビ中継を幼い娘とともに見ていたからか、今娘と息子はフィギュアスケートの大ファンです。地上波とBSで放映されているフィギュアを全部見ています。いつもは録画でみるのだけれど、20日深夜の女子フリーをライブで見ました。
ふたりは、細かいルール改定のこともよく知っていて、今シーズンから採用されたコレオステップやコレオスパイラルについて、新しいエレメンツについていけない母に解説してくれます。
「今のは3回転3回転のはずだったのが、3回転2回転のコンビネーションにしたんだ。他の競技者が出すであろう得点を計算すると、無理して3・3で飛んで失敗するより、安全策をとったほうが、最終得点が上になるって計算なんだよ」なんて、母の苦手な点数計算も教えてくれます。計算はほんと苦手です。前回のアメリカ大会で、織田選手も計算ミスをして、高橋一位、織田二位になりました。敗因はスケート技術ではなく、計算ミス。織田はよく計算ミスをやります。
後半加点があるから、安藤美姫は5種類のジャンプをすべて後半にプログラムしている、ってことは理解したけれど、細かい計算は母の能力ではとてもわかりません。でも、とにかく、安藤美姫も鈴木明子も村上佳菜子とともにグランプリファイナルに出場できることがわかってうれしいです。
浅田真央は、初戦のNHK杯の8位で、ポイントが3点しかなく、最終のフランス杯が一位通過で15ポイント得たとしても、合計18ポイントにしかならず、ファイナリストになれそうもないのは残念です。そんな計算も私にはとてもできないのですけれど、娘と息子はふだんおつりの計算もようせんのに、こんなときばかりは総合得点の計算とか熱心にやっています。男子は、高橋出場確定、織田確実、小塚はフランス杯の成績次第。羽生は、今シリーズは残念、来シーズンに期待。
ほんとはビール片手に観戦したいところですが、つまみの裂き烏賊をチビチビとシャブリながら、ビールは飲みませんでした。
みんなで夜中にスケート見て、日曜日の朝はみんなで朝寝坊。それでも息子は都立図書館へ、卒論の史料を閲覧に出かけました。私も、やるべきことが山積みなんですけれど、、、、どうも頭の中がコレオスパイラル。スケートペアのエレメンツにデススパイラル(死の螺旋回転)っていうのがありますけれど、まあ、死んではいないけれど、ぐるぐる同じ所を回り続けて、いっこうに先に進もうとしないおつむのまま、停滞しています。
<つづく>
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(7)乾杯はおあずけだけれど、くじけないで、、、、
喫煙者が禁煙失敗と書いた日記など読むと、やっぱりなあ、と思うのですが(宮藤官九郎も最近禁煙失敗とか)、私も意志薄弱にかけては人後に落ちない、、、、甘いもの禁止と心がけても、さきおとといの夜は「長崎ルイーズの生チョコロールケーキ」おとといのデザートは「生クリームプリン」で、それでも心持ち控えめにしました。
いつもは一本20センチくらいのロールケーキを3人で3分の1ずつ分けて食べるのですが、ルイーズのロールケーキ、「母は2センチほどの厚みに切ってね」と、節制しました。あ、2センチくらいの厚みって、フツーかな。いつも6~7センチを一気食いするほうが食べ過ぎなんだよね。それにしても、全国どこのお菓子屋さんでも、人気が出ればネットに登場してお取り寄せが簡単にできるようになっています。うちは、生協の冷凍ケーキですが。
今朝の朝ご飯は、チョコレートとクッキーと柿の種、、、、ダメだこりゃ。でも、完全禁止にすると禁断症状が出て、かえってドカ喰いしそうだから、一日に一回だけ、ちょびっとは「がまんしたご褒美」を許してやらないと。ご褒美だらけ?いえいえ、そんなことはありません、、、、節制、節制!
平櫛田中107歳、小倉遊亀105歳、片岡珠子103歳までは生きたい。今現役で活躍中の人なら、日野原重明99歳、新藤兼人98歳くらいまでは現役で仕事を続けたい。すごいなあ、98歳で新作映画。マノエル・デ・オリヴェイラ(ポルトガル・ポルト出身の映画監督。 2010年10月現在101歳)の99歳の作品『ブロンド少女は過激に美しく』も見てみたい。
99歳の日野原重明医師がエッセイで、後藤はつのさんを「人生のモデル」と紹介していました。はつのさんは73歳から絵を描きはじめ、102歳で初個展。今年はニューヨークへの旅を楽しみ、この9月には満107歳の誕生日を祝ったそうです。
はつのさんの作品紹介サイト
http://www.akakura.gr.jp/~akakura15/mama/
柴田トヨさん。90歳を過ぎて足腰が不自由になり、腰を痛めて趣味の日本舞踊が踊れなくなりました。息子の健一さんはトヨさんに詩作を勧めました。「ボケ防止」になるからと。産経新聞の投稿欄「朝の詩」にたびたび掲載され、98歳で詩集を自費出版したのが出版社の目にとまり、メジャー出版。現在詩集では異例の版を重ねています。
「くじけないで」
ねぇ 不幸だなんて/溜息をつかないで
陽射しやそよ風は/えこひいきしない
夢は/平等に見られるのよ
私 辛いことが/あったけれど/生きていてよかった
あなたもくじけずに
「秘密」
私ね 死にたいって/思ったことが/何度もあったの
でも 詩を作り始めて/多くの人に励まされ
今はもう/泣き言は言わない
九十八歳でも/恋はするのよ/夢だってみるの
雲にだって乗りたいわ
「貯金」
私ね 人からやさしさをもらったら/心に貯金しておくの
さびしくなった時は/それを引き出して元気になる
あなたも今から/積んでおきなさい
年金よりいいわよ
日本人は元気な高齢者が大好き。双子のおばあちゃんキンさんギンさんも99歳からアイドルになりました。マスコミは、どうぞ後藤はつのさんや柴田トヨさんを追いかけ回して疲れさせないでくださいね。お二人はご自身の表現の場を確立しているからきっとこれからも凛として年輪を重ねていらっしゃることと思います。
私も白寿を息子の還暦といっしょに祝うその日まで、体調管理してくじけないでいきたいです。
節制生活、「今日もがんばりましたね」の一人ビール乾杯は、、、、、控えます、、、、でも、
To beer or not to beer, that is the question.
たまには飲みたいです。
って、忘年会新年会が続く年末年始、たまには、、、、、週一回くらいは、、、、毎日でなければ、、、、
本日の食後のデザートは「ブルーベリーチーズケーキ」。いつもより小さめに切って食べました。ちょこっと節制。
ウェブ友の日記から、91歳ふたりと71歳の女性3人のおしゃべり会のようすを読ませてもらい、ほんとうにそんなふうに女同士のおしゃべりを楽しめる99歳までがんばらなくちゃと、思って勇気づけられています。
<おわり>