2011/01/05
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(1)KAGEROU
年末年始読書記録。
早くUPしとかないとすぐに古びてしまうと思ったので、『KAGEROU』感想文を先にアゲておく。こういうとき「ナマモノ」は保存がきかないので不便だ。道綱母の『蜻蛉日記』は千年の命を保ってブンガクしているが、おそらく『KAGEROU』は、1年たてば誰も感想文など読んでくれそうにないので、今のうちに。
ポプラ社の宣伝文句によれば、
「第5回ポプラ社小説大賞受賞作。『KAGEROU』―儚く不確かなもの。廃墟と化したデパートの屋上遊園地のフェンス。「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。命の十字路で二人は、ある契約を交わす。肉体と魂を分かつものとは何か?人を人たらしめているものは何か?深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へと向かう。そこで、彼は一つの儚き「命」と出逢い、かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。水嶋ヒロの処女作、哀切かつ峻烈な「命」の物語」
なんと言っても売れたもん勝ち。発売2日間で68万部。2週間後の年末には100万部に達したという。しかも、買い取り方式の返品なしということだから、「受賞者が俳優とはまったく知らなかった」はずの社長を蜉蝣長者と呼びたい。
読まずに批判するのはルール違反と思うし、かといって、お金を出して蜉蝣長者ポプラ社社長をもっと富ませるのは片腹痛い。そこでhawkさん推奨の「立ち読みで1時間で読める」を信じて、12月28日に池袋へ行った帰り道、ジュンク堂で座り読み敢行。ジュンク堂、椅子があるので大好き。どうせ本買うなら椅子があって座り読みできるジュンク堂で買いますからね。何か1冊は買うから、3冊くらいは座り読みで済ませてしまっても許してね。
『KAGEROU』
ジュンク堂3階窓際の椅子でほんと1時間もせずに読み終わりました。従来の本作りだったら、受賞作品に受賞後第1作を合わせて一冊にするくらいの分量ですが、とにかく話題性があるうちに刊行し、たちまち100万部を売ったのは、蜉蝣長者の狙いに読者たちもマンマとはまったわけで、、、、。
みんな、この作品を批判したくてウズウズしながら刊行を待っていた。なんとなれば、芥川賞とか他の「オスミツキ」受賞作品と異なり、いくらでもケナすことが許されそうな作品だったから。芥川賞受賞に疑問を抱かせるような作品であったとしても、老舗文春を敵に回したら、自分の首を絞める結果になるかも知れず、その点、ポプラ社は創立以来児童向けの本で稼いできて、大人向け文芸路線に転じたのここ5年ほどにすぎないので、ポプラ社に恩義ある作家も少ないし、作者は研音プロを退社したあと、大手芸能プロダクションの後ろ盾もない。大作家と弟子関係にあるわけでもない。庇護者のいないモノカキに対してならケナシ放題という日本の文学風土。
私はイケメンのすることなら何でも許容するという太っ腹な女でして。草薙某が公園で全裸になってもたちまち許すし、押尾某の事件も「イケメンのやったことだし」と思っていたら、裁判が進むごとに容貌が衰えていく写真になってきて、もうイケメンじゃなくなったから、有罪も可。私のように顔で決める女がいるかもしれないのに、これでいいのか裁判員制度。
総合して感想を述べるならば、作品『KAGEROU』の最も重要な作品価値は、「イケメン俳優が書いた」ということです。
水嶋ヒロほどのカオを持たないブンガクセイネンがこれをマネして書いたところで、文学賞一次通過はおぼつかないので、マネしようなんて気は起こさないこと。マネするなら、サッカーで全国大会出場とか、仮面ライダーオーディションに合格するのを目指した方がまだ可能性がある。
以下、年末年始読書記録シリーズ1~10のうち、1~4をKAGEROUにあてるというのも、いささか時流に乗ってのことですが、結論を先にだしておけば、話題性「☆☆☆☆☆」、ストーリー展開「☆☆」、文体、レトリック「☆」。話のタネに読むのはよいが、文学性を求めて読めばがっかりする。つまり、「旬の話題に乗り遅れないために読む」というのが正しいKAGEROU消費法です。
(評価基準「☆☆☆☆☆」を「一食分抜いてもこの本を購入する費用に充てるべし。この本が本棚にある人と友達になりたい」、「☆☆☆☆」よい本です。文庫になったら是非読みましょう。「☆☆☆」百円本コーナーにあったら、または図書館で見かけたら読むのもよし、読んで損はない。「☆☆」ご用とお急ぎでない方は、時間があるときに読むのも可。「☆」何か必要があるなら、読んでみればいいさ。というところです。
<つづく>
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2011年01月06日
ぽかぽか春庭「イケメンブンガク」
2011/01/06
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(2)イケメンブンガク
容貌の衰えが顕著な、「MADA俳優」に対して、ミリオンセラー新進作家のほうは、俳優業ホサレ中といえども病弱妻にやさしくお仕えする「メイちゃんの執事」のごとき献身ぶりは、バトラー募集中女子の心を捉えて離さず。
なにしろヒロ様は、帰国子女にして高校ではサッカーレギュラー選手として第81回全国大会準決勝進出、KO大学在学中にモデルのバイトを始めるとたちまち俳優としても仮面ライダーカブトに抜擢される。恋人が病気治療のため歌手活動を中断するとなるとさっと結婚する。もう、100%イケメン王道行くような経歴。
作家斎藤智祐先生の悪口を並べるサイトの投稿者なんか、「美しく生まれつかなかったオトコどもの醜い嫉妬吐き競争」にしか見えないのでうっかり悪口も言えないところだが、女子に生まれて良かった点は、「女は、作家のカオでブンガクを読むのである、それがナ~ニカ」と開き直れるところ。
私が水嶋ヒロ見たのはカブトからじゃなくて2008年の『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』からだったが。あのドラマは中身何にもないお話ですが、ぴちぴちのイケメンがわんさか出ていて、目の保養によろしかったです。おっと、脱線した。イケメンドラマではなく、イケメンブンガクについて述べているのだった。
立ち読みでも1時間かからずに読めるし、読んでムダになることもないので、「時間の無駄遣いだから読まずともよい」と言う気はない。イケメンのすることにムダはないっっ。
イケメン作家といえば、なにしろこれまでは島田雅彦が席捲してきた文壇。芥川賞落選つづきで、アンチ文学賞を標榜していたマサヒコ様が2010年下半期より芥川賞選考委員となって、御年も来春には50歳となるのですから、もはや大御所。大ツァーリとして君臨するとして、イケメン作家業界プリンスには27歳のヒロ様を迎えて、業界一新してほしい。顔で読む読者は、2011年も楽しみです。
『KAGEROU』、ストーリーはまあ、イージーリスニング・ミュージックというのがあるなら、イージーリーディング・ブンガクとでも言おうか。ライトノベルとはまた違う分野で。以下、ネタバレを含む。まだ読んでいない方は、ストーリーが予測される部分を含む感想文ですので、お気をつけください。ただし、ストーリー展開にどきどきしながら読む本でもないので、ネタバレしたからといって作品の価値を上げも下げもしないことは確実である。
ドナーを登場させてはいるが、この作者は、『私を離さないでNever Let Me Go』や『私の中のあなたMy Sister's Keeper』などの、作品を読んだことがあるのかないのか。読んだあとにこの作品を上梓したのなら、たぶん、作家としての感性はゼロだろうと思う。読んでいないなら、私が作家を育てようとする担当編集者なら、「同じようなキーワード検索でヒットする先行作品はひとわたり読んでみておいたほうがいいよ」と言ってあげるね。
先行作品などまったく気にせずに一気に処女作を書き上げる天才もいないことはないが、たいていのモノカキは百年に一度出現する天才とは別種の人間である。この天才は、映画で言うならアイルランドの谷あいに百年に一日だけ現われるという伝説の村ブリガドーンみたいなものですから、出会えるのはジーン・ケリーくらいのもので、一般人には出会うさえ難しい。出会える編集者は幸運だ。
原爆をテーマに小説書くなら『黒い雨』は読んでおいた方がいいし、核実験被害をテーマにシナリオ書くなら『第五福竜丸』くらいは見ておくべきだ。ドナーを主人公にして書くなら、それなりの作品を読んでおいたほうがいいようには思うけれど、私が社命に忠実な担当編集者だったら、社運をかけて、「君は天才だから他の本など読まなくても大丈夫さ」くらい言うかも知れない。何しろ年末ボーナスがでるかでないか、一刻も早く売り出さねばならない。
「生きていくことの切実さや人間存在の本質」を考える本物の作品を読まなくても書ける天才は百年にひとりなのだから、「哀切かつ峻烈な「命」の物語」を書きたいなら、まず読むところから始めるほうがいいのだけれど。
<つづく>
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2011年01月07日
ぽかぽか春庭「ドナーブンガク」
2011/01/07
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(3)ドナーブンガク
『KAGEROU』、日本語作品としてどうかと言われたら、確かにいろいろ欠点はほじくり返せるだろうけれど、日本語についてのどうのこうのは第二作を読んでから言います。
全日本ドナーレシピエント協会の略称が「全ド協」というところが一番よかった。「ゼンドキョー」という音の響きが、臓器移植にまつわるモロモロのうさんくささをうまく言い表している気がする。
きのう、2011年1月6日のテレビニュースで、中国で腎臓手術を受けるために1000万円を支払った男性(62)が,民間団体「海外医療臓器移植支援ボランティアセンター(OMTAC=オムタック)」(昨年6月に海外医療情報相談センターに改称)の元代表(67)と、息子の元幹部(34)を詐欺で訴え、警察は大阪府岬町の旧本部や和歌山市内の元代表自宅などの捜索を始めた、と報じていた。臓器移植斡旋団体には、なにやらあやしげなのが多い。国際的に禁止されている臓器売買だが、実は裏ビジネスとしてかなりおおっぴらに金儲けのタネになっているのだ。
「ゼンドキョー」という音の響き以外で、文中のギャグで笑えたものはなかった。斎藤智裕先生のオヤジギャグについては、東京MXテレビで放映されている「5時に夢中!」2010/12/16で岩井志麻子と中瀬ゆかりが「全編に散りばめられているオヤジギャグ、編集者は社運を賭けて100コくらいあったダジャレを10コくらいまで減らしたのだろう」と言っていたが、いくつ減らしたのかは定かでない。
笑おうにも笑えないギャグを、主人公の「どうにもショーモナイ」キャラとして提出しているらしいのだけれど。
最後に「レポート」を付け加えたのはいいと思うけれど、その直前のラストシーンはない方がよかった。このラストシーン、おいおい、これじゃ脳だけは自分のものである仮面ライダーだよ。そうか、ヒロ君は仮面ライダーカブトだもんな、、、、。
というような不満点は置いといて、いろんな人の読後感で一番納得できたのは、ヒロインの病弱美少女アカネは妻の絢香そのものだという岩井志麻子の談話。
文学賞メッタ切りの豊崎由美は、「他の文学賞であるなら、一次通過作止まりの作品。人物造形も比喩もケータイ小説よりはマシな程度」と酷評している。
斎藤智裕が今後も作家として書き続ける気があるのなら、第2作第3作を待ってから評価したい。自作の映画化で主演して俳優業復帰、というラインであるなら、KAGEROU一作でもってブンガクがどうこうと騒ぐこともない。
私のKAGEROUへの興味は、カズオイシグロの『私を離さないで』とテレビドラマ『流れ星』とのつながりで、臓器移植にありました。
読む前からレビューがどっと溢れて、臓器移植がストーリーの要であることはわかっていたのですが、ドナー側の哀しみと生の尊厳というなら『私を離さないで』の完成度とは比べようもないし、ドナーとレシピエント関係者の間に生まれる感情の揺らぎにかんするなら『流れ星』の「純愛」ドラマのほうがわかりやすい。
自殺しようとする者は、ビル飛び降りだとか電車飛び込みしたんじゃ、死体ぐちゃぐちゃになっちゃって、せっかくの高価な臓器がムダになるでしょ、ドーセ死ぬんなら、臓器を人様のために役立てちゃあどうかね、というのは、『流れ星』も『KAGEROU』も出だしはいっしょ。
年間3万人の自殺者という数字を見て、世のレシピエント達が「ああ、もったいない、どうせ死ぬんなら、その臓器を私にください」と思っているのは本当だろうと思う。そう思って検索してみたら、たちまち以下のサイトがヒットした。自殺したい人に安楽死を約束するかわり、その臓器を提供してもらいたい、という運動をしている人のサイト。
http://www.honshitsu.org/manifesto.html
2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から佐野党首が立候補し、3,662票、24人の立候補者中21位で落選。佐野秀光は自分自身が「小児糖尿病による合併症」による臓器移植希望者なのだそうで、「オランダのように、国家が安楽死を認めるべき。安楽死後は臓器を移植希望者に提供させる」「医療は国家事業、医師は全員公務員にすべき」などを主張してます。自分が臓器移植したいから「安楽死と臓器提供」を訴えるというのは、なんてそのものズバリの人でしょう。差し迫っているのですね。「KAGEROU」が映画化されるなら「全ド協」の協会理事長役に推薦したいくらいのうさんくささが立ち上る風貌の政見放送をつい見てしまった。
<つづく>
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2011年01月08日
ぽかぽか春庭「ドナードラマ」
2011/01/08
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(4)ドナードラマ
『流れ星』は、フジテレビヤングシナリオ大賞の佳作入選『クラゲマリッジ』を原案として、受賞者臼田素子を月9ライターに起用したというので、KAGEROUに匹敵する新人発掘。これから活躍していく新人シナリオライターになっていくでしょう。新人ライターが月9ワンクールで平均14%を取ったのですから、合格ラインです。
ゆらゆらと揺れるクラゲが画面に出てくるのがよかったし、「くらげには脳はないから、カナシイとか嬉しいという感情はない」と何度も解説されるのも、松田翔太に見とれているオバサンには苦にもならない。
『流れ星』のほうは、異母妹のためにドナーを確保せんと偽装結婚する兄が竹野内豊。上戸彩は、両親が早世し、ダメ兄貴に負わされた借金返済のために風俗店で働いている。自殺しそうなところを助けられた相手と偽装結婚して、肝臓を半分提供する代わりに借金相当額を出して貰うことにしたイメクラ嬢。
(稲垣吾郎はダメ殿様やダメ兄貴が似合う役者になって、何を演じてもイナガキゴローダイコンから一歩抜け出した。これから先、何を演じてもキムタクダイコンや何を演じてもオダユージダイコンよりもうまくなるかも)。
ドラマストーリーは、偽装結婚をした、金を支払われるドナーと支払う側のレシピエント家族の間に真の愛情が育つか、ということが主なモチーフですから、生体肝移植の問題点は深く追求されずに終わります。
『流れ星』は、肝臓提供だけで健康を損なうかもれないというリスク付きで300万。『KAGEROU』は全身提供で2800~3800万。肝臓心臓腎臓肺臓が300万×4,四肢が200万×4、角膜とか皮膚とか残らずつかって、合計3000万ってところかな。最後の脳移植は「ドナー様向けサービス」ってやつらしいが。
『KAGEROU』には、40歳以上と以下で値段が違うって書かれていたけれど、現実社会では、肺臓や腎臓なら70歳まで提供可能、肝臓心臓になると、ドナーの病歴などによっても異なるが、心臓は50歳以下、膵臓は60歳以下、小腸は60歳以下というおよその目安がある。
40歳以下と以上で売買価格が異なるというのは、「全ド協」独自の買い取り価格と思えばよいのだろうが、世間相場ってものもあろうが。バイク買い取りのバイク王は値段比較でインチキをしていたことがばれたが、内臓価格も「買い取り価格比較ドットコム」とかが必要になってくるな。
臓器の値段だけでなく、医療問題に関してきちんと取材されていないので、そのあたりが「中途半端なファンタジー」って言われる部分であろう。
しかし、話が非現実であることと、小説世界内でのリアルさがないことは同じではない。非現実的といえば、『私を離さないで』のほうが「アリエネー」はずなのに、90年代に時代が設定されている「近過去SF」の、イギリスの片田舎にあるヘールシャム寄宿学校と人間がきっちり構築されている。これが小説っていうもんだろう。
ひとつひとつ「使命」を果たしていく「提供者」に寄り添う「介護人」と比べてしまうのは酷なことかもしれないが、プロの書き手ならば、ブッカー賞カズオイシグロまで目指して欲しい。5歳でイギリスへ渡ったイシグロに対して、ヒロ君は中学校入学で帰国した。帰国子女の日本社会への違和感など書いてほしい。
斎藤智裕が作家として育つのかどうか、これは、ポプラ社にきちんとアドバイスできる編集者がいるかどうかにかかわる。文芸モノを長く手がけてきて新人を鍛えることのできる編集者が社内にいるかいないかという社の人材がものをいう部分。願わくは、ポプラ社がヒロ君を使い捨てにしないでちゃんと育ててくれますように。
<つづく>
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2011年01月09日
ぽかぽか春庭「買い取り価格比較ドットコム」
2011/01/09
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(5)買い取り価格比較ドットコム
臓器売買はどの国でも犯罪になるが、現実社会では、インドなどの臓器売買では腎臓ひとつ10万ってこともあるし、中国の死刑囚臓器利用のレシピエントに選ばれるには、党とか軍のエライさんのコネが必要。このあたりの事情は徳山大学の生命倫理学者、粟屋剛の論文が詳しい。
現実社会では宇和島事件では腎臓提供で300万の報酬が約束されたにもかかわらず、現金30万と150万程度の乗用車という謝礼のみだったため、提供者が訴えて臓器売買が発覚した。ストーリーとしてはゴシップ記者が書く「実録臓器売買」っていう週刊誌記事のほうがよほどブンガクしていたかもしれない。
『KAGEROU』消費方法。
「世の中の話題についていきたい」「イケメンのすることは全部追っかけをしていたい」という人は1470円出して読んだらいいし、「新人のブンガクは押さえておきたい」という文学賞ファンには、豊崎由美が「他の新人賞なら一次通過どまり」と評しているに対して、ほんとうにその通りであるのかどうか検証したいならば、立ち読みまたは古本になったら読んだらいいとお勧めする。「臓器移植に関心ある人」には、「粟屋剛の論文を読んだ方がいいよ」と言ってやりたい。臓器買い取り価格に関心ある人は、「内臓買い取り値段比較ドットコム」でも立ち上げて下さい。
『KAGEROU』感想文を書いた感想。
結果として自分自身のセコさみみっちさいじましさケチくささを全開し、ねたみそねみひがみやっかみ拡大鏡で感想を書きました。
私は120歳まで生きる気でいるので、そうなったら70歳まではOKという腎臓だって売りモノにはならないし、このままセコくみみっちくいじましく生きていくしかない自分を「哀切かつ峻烈な「命」の物語」!!などに向かわせるのは似合わないということです。
つまらぬ感想文につきあっていただいたささやかなお礼に、ことばトリビアをひとつ。といっても、古物利用リサイクル。人間の臓器だってリサイクル利用が推奨されている時代なんですから、ことばトリビアのリサイクル利用くらい大目にみようではありませんかあです。
ドナーという言葉について、クイズを出題したことがありました。覚えている人は「同じネタを何度も使い回す。リサイクルにも限度がある」と顰蹙なさるでしょうけれど、どうせみんな忘れているから、もう一度書きます。
<次のAとBの共通点はなに?>
AもBも話し手が「旦那様」と「ドナー」に、感謝の気持ちを持っていることが共通していることはわかるのですが。ほかに、共通点があります。
A:ダンナ様が印税を稼いできて、私の病気治療費を出してくださった。旦那様ありがとう。
B:ドナーの好意で心臓肝臓肺臓脾臓腎臓骨髄を移植できた。命が助かった。
解答:
Aの旦那と、Bのドナーは、どちらもサンスクリット語(梵語)のダーナ・パティdāna pati から由来した外来語です。だんな(旦那)は、梵語から中国語に翻訳された語。ドナーは、サンスクリット語を語源とする英語経由の外来語。
dānaは「お布施」の意味。ダーナパティは「施主(せしゅ)」の意味。
インドを出発して東に向かったダナーは中国を経由して旦那になり、西に向かったダナーは英語を経由してドナーとして日本語になる。ことばは、ほんとに面白い。
さて、ドナーをネタにして一稼ぎしたあやかの旦那はこれから先、どうなるのか。俳優も続けて欲しいけれど、作家として、とりあえず第2作目は、第1作の賞味期限が切れないうちに出しておかないとな。
『KAGEROU』感想文はこれでおしまい。
<つづく>
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2011年01月10日
ぽかぽか春庭「本を読む女」
2011/01/10
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(6)本を読む女
年末年始読書記録のUP,KAGEROUから始めるのはいかにもはやりもんに乗っかるようで、どうしようかと思ったのだけれど、先に載せて正解でした。なんとなれば、1月9日日曜日の新聞書評に、朝日は「売れてる本」コーナーに佐々木敦が書評を書き、読売は「書評委員ひとり一冊」の欄でロバート・キャンベルが書いていた。1月9日午前0時半にネットアップした春庭は、タッチの差で「後出し」にならずにすんだ。別段私が書評委員様の後出しをしたところで誰も気にはしないが、自分が気分悪い。
12月発刊直後はネットに悪評がわんさか出回ったけれど、年末に100万部突破ニュースが出たあとは、「これからは絶対みんな誉め出すな」と思っていたら、佐々木敦もキャンベルも「一部で揶揄されているほどヒドくはない、むしろ結構オモシロいんじゃないの」「後半面白くなってきた」と、アゲ方向に向かっているので、やはり売れることは大切だなあと納得。これからどんな「大絶賛書評」が出てきても驚かないぞ。そして、私の「買うな。立ち読みせよ」という「誉めてない感想」の出し頃は、ぎりぎり滑り込みセーフだったかな、と思います。
世の中に誉めることけなすことは、その提出タイミングというのが問題なんです。世のご亭主たちが「美容院から帰ってきた妻のヘアスタイル変化に気づかない」のは論外として、エレベーターでいっしょになってしまった上司のネクタイの柄をすかさず褒めておくことから始まり、首相褒め殺しに至るまで、とにかく誉め言葉けなしことばは、出し時を考えないと。
下記のコメント、この揶揄の出し方、誉めてないことを正直に出している素直さは買いますが、言われた本人としては「ご想像の肖像通りでない風貌ですみません」と思います。
=============
投稿者:acha1 2011-01-06 05:15
先生。お早う御座います。先生は、きっと膨大な本を読み、面長で、海老茶色で、「四角い鼈甲のメガネ」を掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人。
勝手に想像(失礼)あははー
私などは、作家は決めて読むタイプで、その点、世間が狭いかも知れません。
=============-
というコメントをいただきました。なんか女学者風の肖像画にしていただき、文章から想像するとこう見えるのかとと思います。想像の翼は本人の思い通りに広げればよいことなのでして。私が顔を合わせたネット友達は数人しかいないので、ネットの中では「面長で、海老茶色で、四角い鼈甲のメガネを掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人」という風貌で生きていくのも悪くはない。
顔会わせてみたら、「まん丸い顔にちっこい垂れ目、丸くて三つ重ねの顎、格安のほそぶちメガネの老眼と近眼をとっかえひっかえ、食うことに精一杯」という実像に「女学者風」を想像して下さった期待を打ち砕くことになるのかもしれないが、親から受け継いだ丸顔なので、文句があったら遺伝子に。
「先生は、きっと膨大な本を読み、」というご想像にも反し、「女学者」としてはきわめて貧弱な読書量しかない。「膨大な本を読み」という想像通りなら、今頃ちゃんとした学者になっていたでしょう。「膨大な量の本を読んだ」というのは、一度読んだら完璧に頭の中に記憶したという南方熊楠のような学者に対して言うことばであって、読んだら端から忘れていく春庭のぽかぽかおつむにはあたりません。
林真理子『本を読む女』は作家の母親がモデルなのだという。『本を読む女』を原作としたNHKドラマ『夢見る葡萄』は、原作にない「葡萄酒とのからみ」が中心というし、菊川怜が主人公を演じたゆえ「東大出の美人なんて、天から二物を与えられた女はしゃくの種」というイジマシい根性により見なかったが、主人公が友人に言うことばは、本好きに生まれてしまった女の子のセリフとして、更級日記の昔から不変不偏です。
「将来、何になりたいのか」と友人に問われて、「本を読む女」は答える。「私、何にもなりたくないよ。一生、小説とか詩の本を読んで暮らしていけたらいいなあと思う」
私も「一生、小説や詩の本を読んで暮らしていたいだけ」だったのに、稼がない夫と結婚してしまったばかりに飯を食う金も必要となり、稼ぐためには本を読む時間は限られてしまう生活を続けて、あこがれの「膨大な本を読み続ける」生活にはほど遠かった。
年末年始読書記録を続けます。
<つづく>
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2011年01月11日
ぽかぽか春庭「復活!お楽しみ読書」
2011/01/11
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(7)復活!お楽しみ読書
私が読んだ専門書は千冊に届かず、私の修士時代の指導教官からは、「専門書を千冊しか読んでいないような奴は修士論文を書くな」と言われました。昔「鬼の○○」とあだ名されていた修士のときの指導教官だったら、私が博士論文を書くなんて言ったら、たぶん「百年早い」と笑い飛ばしたでしょう。
私は修士のときの専門である日本語学から離れて、「言語文化研究」として博士論文を執筆したので、別分野です。カルチュラルスタディの一分野としての言語文化研究。博士後期課程の指導教官は、「自分なりの言語文化追求で十分」と励ましてくれましたので、なんとか書き終えることができました。日本語学関連の書籍のみなら千冊には届かなかったと思いますが、言語文化全般の書籍と数えるなら読んだ本全部が相当しますから、数千冊は読了していることになります。
2008年の4月から2010年の終わりまで、読書記録をつける余裕もなかった。その代わり、参照書籍名は必需記録として論文末尾に付けるのが義務だから、引用言及した本だけで200冊ほどを記録してあります。
ご用とお急ぎでない方、引用文献一覧はこちらに。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=haruniwa&mode=comment&art_no=1202915
2010年11月12月に何冊かの小説を読むゆとりができましたが、ほんとうに久しぶりの「お楽しみ読書」でした。久しぶりに小説を読んで、本を読む楽しみを存分に味わえる幸福をかみしめました。この3年間は、ひたすら日本語学日本言語文化に関わる本を読み返したり新しく読んだりするのに時間をさき、「お楽しみ乱読」を封印していたのです。読みたい小説を読み始めたらきりがなくなり、専門書など読むのは後回しにしてしまう私の「一粒食べたら一袋食べ終わるまでやめられない」意志薄弱を自分で知っての措置でした。
1985年から25年の間、日本語学の文献を読むのに時間がとられました。私は言語学日本語学を専門にするつもりはなく、いわば、大工が仕事するためには鉋の手入れおこたらず、漁師は網の繕いを夜なべにする、という類の、職業上の必須事項としての作業でした。お楽しみ読書は、電車通勤の往復2~3時間と、寝る前の数分。だいたい数分で寝てしまうので、寝る前の読書というのはあまり読書にはつかえない。ほんとうは1時間でも2時間でも「お楽しみ読書」の時間が欲しかった。25年間のうちにずいぶんと日本語関連の本ばかり読み、特にこの3年間は論文執筆のための本を読むのであけくれてしまいました。
1977年まで、乱読、読みっぱなしだった私が、友人のすすめにより1977年から読了本のタイトルと著者名だけはノートにメモを残すようにしました。1999年までは大学ノートに書き付けていました。22年間の読書記録がとってあります。
2000年から2008年までの「読了本リスト」は、全部ではないですが、ネット上に記録を残しました。
2000~2008読書メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/book0506.htm
2003年の感想文メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0412book.htm
2009年の中国赴任中に読んだ本、小説は、講師室の本棚にあった森見登美彦『太陽の塔』のほかは思い出せない。ちゃんとタイトルくらいは書かなくちゃと思うのだけれど、「あとで」と思っているうちに忘れてしまう。タイトルなどを忘れてしまうのは、印象が薄い本だったのだから、まあ忘れたら忘れたでいいや、と思うのだけれど。
2010年にお楽しみ読書としてどんな本を読んだのか、もう何を読んだのかあやふやです。2010年の前半に楽しみのために読んだ本、覚えているのは、村上春樹『海辺のカフカ』くらいかな。(早く『1Q84』が古本で出回らないかな。村上春樹は売れるので、なかなか百円本には見当たらない)
年末年始に読んだ本はまだ覚えているので書き留めておきましょう。
再読した本。村上春樹『カンガルー日和』。「図書館奇譚」を引用する必要があって、私はどのバージョンでこの短編を読んだのかと確認するつもりで本棚から抜き出して結局一冊読んでしまった。初期ハルキワールドはなかなか居心地がいい。
リービ英雄『千々に砕けて』、楊逸『時の滲む朝』について、のちほど「越境J文学シリーズ」として論じてみたいと思います。
<つづく>
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2011年01月12日
ぽかぽか春庭「<少女>を読む」
2011/01/12
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(8)<少女>を読む
2010年11月12月、お楽しみ読書タイムの防備録。まずは「少女」をキーワードとして。
明治時代の社会文化について、2010年に読んだ渡部周子『<少女>像の誕生』。昔読んだ平田由美『女性表現の明治』の系列の明治文学史明治文化論として秀逸な内容の本でした。博士論文を書籍化したもので、第23回女性史青山なを賞受賞作です。
講師室で顔を合わせている若い研究者、周子先生。若桑みどりの弟子だというので、「じゃ、そのうち御著書を読ませていただきますので」と言ったら、「あ、ロッカーの中に販売用の本が一冊入ってますから、買って下さい」というので、直接著者から購入することになりました。「貧乏なので3000円以上の本は古本屋で半額になってから買います」と言う前に、彼女はロッカーから本を出してきたので、著者割引値段で売ってもらいました。若手研究者の意気込みがあふれる内容で、力作でした。「ポストドクターで、非常勤講師の口も少ない」とぼやいていましたが、よい職場がみつかるよう、祈っています。
荻原規子作『西の善き魔女ⅠⅡ合巻』(ブックオフ100円本コーナーで購入)は、ファンタジー小説が好きな私にとっては、たっぷりファンタジーにひたれる作品でした。
辺境に育った少女が、実は失踪していた王女の娘。次期女王の選定争いに巻き込まれて、、、、ファンタジーの定番通りの設定で、いわゆる「ベタな展開」がされているストーリーです。このベタな設定を嫌う人には不評なようですが、これだけ定石通りのストーリー設定で、定石通りのキャラ設定でも読者を飽きさせない荻原規子さん、私はすごいと思います。
私が読んだ合巻版は、学園ストーリーの終わりまでだったので、全巻読みたかったのですが、残りを古本の百円本で揃えられるかどうかわからないので、続きはyoutubeのアニメで終わりまで見ました。アニメはさらにわかりやすいストーリーに編集されていて、おもしろかった。アニメはスペイン語圏からUPされている海賊版とおぼしきバージョンです。字幕がついていますから、スペイン語学習中の人にはぴったりの教材になるかも。
角田光代『ひそやかな花園』(某私大講師室の「ご自由にお持ち帰り下さい」コーナーにあった。新本だったので、おそらく誰かが献本されたものの、読む気もなく廃棄したのだと思う)。
カズオ・イシグロ『私を離さないで』(ブックオフの百円コーナー)。映画化されたので2011年の公開を待っていたのだけれど、百円コーナーで出会ったのも縁だと思って買いました。『ひそやかな花園』と『私を離さないで』は、「少女と少年の成長、自我意識と通常の両親から出生したのではない出自とのかかわり」という点が共通しています。いっしょに論じてみたい内容を持っています。
佐野洋子が2010年11月に亡くなったので、文庫をぎゅうぎゅう詰めてある押し入れの奥から『わたしが妹だったとき』を引っ張り出す。「文庫なんて百円でいくらでも買えるんだから、処分すれば」と言われても、古服は捨てられるけれど古本はとっておきたい。自分が「読みたい」と思った10分後には読める気楽さは捨てがたい。10分間何をしなければならないかと言えば、押し入れの箱を引っかき回して目当ての文庫を探す時間である。それでも図書館へ行く手間とか、ネット図書館に注文して翌日の配達を待つ間を考えれば、10分間のモノ探しで済むのだから、捨てられない。
『わたしが妹だったとき』、1983年、新美南吉児童文学章受賞作品。タイトルが過去形であることからも推測されるように、主人公は、この本に描かれた時代より少し後には「妹」ではなくなってしまいます。扉にはのとびらに「十一才のままの兄のために」と書かれています。私は福武文庫版で読み、エッセイ「こども」が併録され、文庫版用あとがきがついています。
おにいちゃんとすごした北京での思い出は、かけがえのない宝物のような日々であり、私たちにもそのかけがえのなさ、子供心の光と悲しい時間のすばらしさがひしひしと伝わってくる。満鉄職員の子供として、近隣の中国人の子供に比べれば恵まれた生活をしているけれど、小学校入学前の幼い女の子の視線を通して語られる1940年代初頭の北京の情景は、猥雑さとエネルギーと摩訶不思議に満ちていて、やがて別れの日がくるお兄ちゃんと妹は、ごっこ遊びや同じ夢を見た驚きの中にひそやかな「子供の哀しみ」を滲ませながら日々を生きています。
<少女>よりはもっと幼い幼女のお話ですけれど、佐野洋子の他のエッセイの軽妙で人間くさい味わいともまた違い、『百万回生きた猫』ともまた違う、本に浸る喜びを味あわせてくれる一冊です。
<つづく>
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2011年01月13日
ぽかぽか春庭「時空を越える旅」
2011/01/13
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(9)時空を越える旅
年末年始の読書ノートつづき。
丸谷才一『輝く日の宮』朝日賞・泉鏡花賞受賞作、単行本をブックオフ百円で購入。前作『女ざかり』の主人公、新聞社の論説委員が、「お友達にはなりたくない女」だったので、今回はもちっと友達づきあいしたくなる女性がヒロインであることを期待したのだけれど、やっぱり友達にもなりたくないし、同僚だったら「朝晩の挨拶だけ」にしておきたい人、でした。
『奥の細道』義経御霊信仰説や『源氏物語』には「輝く日の宮の巻」が実在していた説は面白かったけれど、これはこのままでは実証できず学説にはなれない説だから、無理矢理小説仕立てで論を立ててみました、みたいな小説でした。ヒロインが、女性としてあまりにも魅力がなかった。丸谷才一の描く「知的美人」というのはかなり画一的。オトコに都合のいい女のような。
丸谷才一の文学蘊蓄はエッセイなら大好きで、いつも面白く読むのだけれど、「輝く日の宮」実在説は、大野晋との対談「光る源氏の物語」で終わらせた方がよかったと思う。
向田邦子『夜中の薔薇』。何度目に読むのかは忘れた。毎度おもしろい。毎回「うまいなあ」とその文章術に感嘆する。
海外と日本の交流というのも、私の仕事に関わることなので、ツンドク本が山積みになっています。2010年2月の漏水事故、読まないまま廃棄した本もずいぶんありました。助かった本は少しずつでも「積んだまま」を解消してやらないと、読まれないまま捨てられる本は、本好きにとっては心痛むことです。
『ミカドの外交儀礼』は2007年発行の朝日選書。著者中山和芳は文化人類学者。女官たちの手によってお歯黒を染め化粧をほどこされた姿で最初の外交儀礼に臨んだ少年ムツヒト。践祚したとき満年齢でいうと14歳だった少年天皇が、文明開化の体現者となって新しい時代へ開かれていく過程が、外交儀礼という面から描かれています。幕末明治に日本に来た外国人の書き残した記録の中に、彼らの見た明治時代が活写されていました。
『ミカドの外交儀礼』は、天皇が外交団と接見したときの服装や言葉、料理などから明治文化を詳述しています。外形は洋風にしても、内廷はできる限り伝来のしきたりを保守していたかった明治帝に対して、美子(はるこ)皇后は積極的に内廷改革も行おうとしたこと、女子教育推進に積極的だったことなども書かれていました。
澁谷由里『馬賊で見る「満州」』2004は、張作霖研究の学術書。博士論文の出版ですが、一般の人も読める内容に編集されています。2009年に張作霖張学良親子の住居兼政庁だった「張氏師府」を見学したというだけの門外漢で、満州に興味を持っているというだけの私にも面白く読めました。
中野美代子は、中国と日本の間を結ぶ「西遊記」研究者。小説の佳作も多い。
地上のトポスを悠々と自在に行き来した小説『眠る石』1997を、年末の電車の行きと帰り90分の読書として楽しんみました。仕事先への片道90分往復180分で1冊読了してしまったのが、もったいないような短編集。
この本、1997年にハルキ文庫になったときに新刊で買って、以来13年間もツンドクにしておいた。2010年12月の朝、電車の中で読む本がかばんの中に入っていないのに気づいて、文庫ツンドク棚からひょいと手頃な「まだ読んだ記憶がない文庫」をかばんの中に放り込んだのです。
『孫悟空の誕生―サルの民話学と「西遊記」』などを読んできた中野美代子がこれほど小説でも味わい深い作品を発表していたこと、13年もツンドクしておいたけれど、読めてよかった。
中野美代子は北海道大学を定年退職後、私立大学からあまたの再就職の申し出があったろうに、現在は執筆活動に専念しています。『眠る石』は定年前の1993年に単行本として出版された小説。2009年には『ザナドゥーへの道』を出版するなど、77歳になっても旺盛な活動を見せている。中国文学中国文化についての本も、2009年に講談社選書メチエから『西遊記XYZ このへんな小説の迷路をあるく』を出しているので、読んでみようと思います。
「テラ・インコグニタ、未知の土地を経巡ることが大好き」という性分は、子供の頃から少しも変わらず、今も未知の土地への飛翔を夢見ています。
本は、時間と空間を飛び越える旅に誘ってくれます。自由に本を読む時間がとれるようになってうれしいです。
<おわり>
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(1)KAGEROU
年末年始読書記録。
早くUPしとかないとすぐに古びてしまうと思ったので、『KAGEROU』感想文を先にアゲておく。こういうとき「ナマモノ」は保存がきかないので不便だ。道綱母の『蜻蛉日記』は千年の命を保ってブンガクしているが、おそらく『KAGEROU』は、1年たてば誰も感想文など読んでくれそうにないので、今のうちに。
ポプラ社の宣伝文句によれば、
「第5回ポプラ社小説大賞受賞作。『KAGEROU』―儚く不確かなもの。廃墟と化したデパートの屋上遊園地のフェンス。「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。命の十字路で二人は、ある契約を交わす。肉体と魂を分かつものとは何か?人を人たらしめているものは何か?深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へと向かう。そこで、彼は一つの儚き「命」と出逢い、かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。水嶋ヒロの処女作、哀切かつ峻烈な「命」の物語」
なんと言っても売れたもん勝ち。発売2日間で68万部。2週間後の年末には100万部に達したという。しかも、買い取り方式の返品なしということだから、「受賞者が俳優とはまったく知らなかった」はずの社長を蜉蝣長者と呼びたい。
読まずに批判するのはルール違反と思うし、かといって、お金を出して蜉蝣長者ポプラ社社長をもっと富ませるのは片腹痛い。そこでhawkさん推奨の「立ち読みで1時間で読める」を信じて、12月28日に池袋へ行った帰り道、ジュンク堂で座り読み敢行。ジュンク堂、椅子があるので大好き。どうせ本買うなら椅子があって座り読みできるジュンク堂で買いますからね。何か1冊は買うから、3冊くらいは座り読みで済ませてしまっても許してね。
『KAGEROU』
ジュンク堂3階窓際の椅子でほんと1時間もせずに読み終わりました。従来の本作りだったら、受賞作品に受賞後第1作を合わせて一冊にするくらいの分量ですが、とにかく話題性があるうちに刊行し、たちまち100万部を売ったのは、蜉蝣長者の狙いに読者たちもマンマとはまったわけで、、、、。
みんな、この作品を批判したくてウズウズしながら刊行を待っていた。なんとなれば、芥川賞とか他の「オスミツキ」受賞作品と異なり、いくらでもケナすことが許されそうな作品だったから。芥川賞受賞に疑問を抱かせるような作品であったとしても、老舗文春を敵に回したら、自分の首を絞める結果になるかも知れず、その点、ポプラ社は創立以来児童向けの本で稼いできて、大人向け文芸路線に転じたのここ5年ほどにすぎないので、ポプラ社に恩義ある作家も少ないし、作者は研音プロを退社したあと、大手芸能プロダクションの後ろ盾もない。大作家と弟子関係にあるわけでもない。庇護者のいないモノカキに対してならケナシ放題という日本の文学風土。
私はイケメンのすることなら何でも許容するという太っ腹な女でして。草薙某が公園で全裸になってもたちまち許すし、押尾某の事件も「イケメンのやったことだし」と思っていたら、裁判が進むごとに容貌が衰えていく写真になってきて、もうイケメンじゃなくなったから、有罪も可。私のように顔で決める女がいるかもしれないのに、これでいいのか裁判員制度。
総合して感想を述べるならば、作品『KAGEROU』の最も重要な作品価値は、「イケメン俳優が書いた」ということです。
水嶋ヒロほどのカオを持たないブンガクセイネンがこれをマネして書いたところで、文学賞一次通過はおぼつかないので、マネしようなんて気は起こさないこと。マネするなら、サッカーで全国大会出場とか、仮面ライダーオーディションに合格するのを目指した方がまだ可能性がある。
以下、年末年始読書記録シリーズ1~10のうち、1~4をKAGEROUにあてるというのも、いささか時流に乗ってのことですが、結論を先にだしておけば、話題性「☆☆☆☆☆」、ストーリー展開「☆☆」、文体、レトリック「☆」。話のタネに読むのはよいが、文学性を求めて読めばがっかりする。つまり、「旬の話題に乗り遅れないために読む」というのが正しいKAGEROU消費法です。
(評価基準「☆☆☆☆☆」を「一食分抜いてもこの本を購入する費用に充てるべし。この本が本棚にある人と友達になりたい」、「☆☆☆☆」よい本です。文庫になったら是非読みましょう。「☆☆☆」百円本コーナーにあったら、または図書館で見かけたら読むのもよし、読んで損はない。「☆☆」ご用とお急ぎでない方は、時間があるときに読むのも可。「☆」何か必要があるなら、読んでみればいいさ。というところです。
<つづく>
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2011年01月06日
ぽかぽか春庭「イケメンブンガク」
2011/01/06
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(2)イケメンブンガク
容貌の衰えが顕著な、「MADA俳優」に対して、ミリオンセラー新進作家のほうは、俳優業ホサレ中といえども病弱妻にやさしくお仕えする「メイちゃんの執事」のごとき献身ぶりは、バトラー募集中女子の心を捉えて離さず。
なにしろヒロ様は、帰国子女にして高校ではサッカーレギュラー選手として第81回全国大会準決勝進出、KO大学在学中にモデルのバイトを始めるとたちまち俳優としても仮面ライダーカブトに抜擢される。恋人が病気治療のため歌手活動を中断するとなるとさっと結婚する。もう、100%イケメン王道行くような経歴。
作家斎藤智祐先生の悪口を並べるサイトの投稿者なんか、「美しく生まれつかなかったオトコどもの醜い嫉妬吐き競争」にしか見えないのでうっかり悪口も言えないところだが、女子に生まれて良かった点は、「女は、作家のカオでブンガクを読むのである、それがナ~ニカ」と開き直れるところ。
私が水嶋ヒロ見たのはカブトからじゃなくて2008年の『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』からだったが。あのドラマは中身何にもないお話ですが、ぴちぴちのイケメンがわんさか出ていて、目の保養によろしかったです。おっと、脱線した。イケメンドラマではなく、イケメンブンガクについて述べているのだった。
立ち読みでも1時間かからずに読めるし、読んでムダになることもないので、「時間の無駄遣いだから読まずともよい」と言う気はない。イケメンのすることにムダはないっっ。
イケメン作家といえば、なにしろこれまでは島田雅彦が席捲してきた文壇。芥川賞落選つづきで、アンチ文学賞を標榜していたマサヒコ様が2010年下半期より芥川賞選考委員となって、御年も来春には50歳となるのですから、もはや大御所。大ツァーリとして君臨するとして、イケメン作家業界プリンスには27歳のヒロ様を迎えて、業界一新してほしい。顔で読む読者は、2011年も楽しみです。
『KAGEROU』、ストーリーはまあ、イージーリスニング・ミュージックというのがあるなら、イージーリーディング・ブンガクとでも言おうか。ライトノベルとはまた違う分野で。以下、ネタバレを含む。まだ読んでいない方は、ストーリーが予測される部分を含む感想文ですので、お気をつけください。ただし、ストーリー展開にどきどきしながら読む本でもないので、ネタバレしたからといって作品の価値を上げも下げもしないことは確実である。
ドナーを登場させてはいるが、この作者は、『私を離さないでNever Let Me Go』や『私の中のあなたMy Sister's Keeper』などの、作品を読んだことがあるのかないのか。読んだあとにこの作品を上梓したのなら、たぶん、作家としての感性はゼロだろうと思う。読んでいないなら、私が作家を育てようとする担当編集者なら、「同じようなキーワード検索でヒットする先行作品はひとわたり読んでみておいたほうがいいよ」と言ってあげるね。
先行作品などまったく気にせずに一気に処女作を書き上げる天才もいないことはないが、たいていのモノカキは百年に一度出現する天才とは別種の人間である。この天才は、映画で言うならアイルランドの谷あいに百年に一日だけ現われるという伝説の村ブリガドーンみたいなものですから、出会えるのはジーン・ケリーくらいのもので、一般人には出会うさえ難しい。出会える編集者は幸運だ。
原爆をテーマに小説書くなら『黒い雨』は読んでおいた方がいいし、核実験被害をテーマにシナリオ書くなら『第五福竜丸』くらいは見ておくべきだ。ドナーを主人公にして書くなら、それなりの作品を読んでおいたほうがいいようには思うけれど、私が社命に忠実な担当編集者だったら、社運をかけて、「君は天才だから他の本など読まなくても大丈夫さ」くらい言うかも知れない。何しろ年末ボーナスがでるかでないか、一刻も早く売り出さねばならない。
「生きていくことの切実さや人間存在の本質」を考える本物の作品を読まなくても書ける天才は百年にひとりなのだから、「哀切かつ峻烈な「命」の物語」を書きたいなら、まず読むところから始めるほうがいいのだけれど。
<つづく>
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2011年01月07日
ぽかぽか春庭「ドナーブンガク」
2011/01/07
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(3)ドナーブンガク
『KAGEROU』、日本語作品としてどうかと言われたら、確かにいろいろ欠点はほじくり返せるだろうけれど、日本語についてのどうのこうのは第二作を読んでから言います。
全日本ドナーレシピエント協会の略称が「全ド協」というところが一番よかった。「ゼンドキョー」という音の響きが、臓器移植にまつわるモロモロのうさんくささをうまく言い表している気がする。
きのう、2011年1月6日のテレビニュースで、中国で腎臓手術を受けるために1000万円を支払った男性(62)が,民間団体「海外医療臓器移植支援ボランティアセンター(OMTAC=オムタック)」(昨年6月に海外医療情報相談センターに改称)の元代表(67)と、息子の元幹部(34)を詐欺で訴え、警察は大阪府岬町の旧本部や和歌山市内の元代表自宅などの捜索を始めた、と報じていた。臓器移植斡旋団体には、なにやらあやしげなのが多い。国際的に禁止されている臓器売買だが、実は裏ビジネスとしてかなりおおっぴらに金儲けのタネになっているのだ。
「ゼンドキョー」という音の響き以外で、文中のギャグで笑えたものはなかった。斎藤智裕先生のオヤジギャグについては、東京MXテレビで放映されている「5時に夢中!」2010/12/16で岩井志麻子と中瀬ゆかりが「全編に散りばめられているオヤジギャグ、編集者は社運を賭けて100コくらいあったダジャレを10コくらいまで減らしたのだろう」と言っていたが、いくつ減らしたのかは定かでない。
笑おうにも笑えないギャグを、主人公の「どうにもショーモナイ」キャラとして提出しているらしいのだけれど。
最後に「レポート」を付け加えたのはいいと思うけれど、その直前のラストシーンはない方がよかった。このラストシーン、おいおい、これじゃ脳だけは自分のものである仮面ライダーだよ。そうか、ヒロ君は仮面ライダーカブトだもんな、、、、。
というような不満点は置いといて、いろんな人の読後感で一番納得できたのは、ヒロインの病弱美少女アカネは妻の絢香そのものだという岩井志麻子の談話。
文学賞メッタ切りの豊崎由美は、「他の文学賞であるなら、一次通過作止まりの作品。人物造形も比喩もケータイ小説よりはマシな程度」と酷評している。
斎藤智裕が今後も作家として書き続ける気があるのなら、第2作第3作を待ってから評価したい。自作の映画化で主演して俳優業復帰、というラインであるなら、KAGEROU一作でもってブンガクがどうこうと騒ぐこともない。
私のKAGEROUへの興味は、カズオイシグロの『私を離さないで』とテレビドラマ『流れ星』とのつながりで、臓器移植にありました。
読む前からレビューがどっと溢れて、臓器移植がストーリーの要であることはわかっていたのですが、ドナー側の哀しみと生の尊厳というなら『私を離さないで』の完成度とは比べようもないし、ドナーとレシピエント関係者の間に生まれる感情の揺らぎにかんするなら『流れ星』の「純愛」ドラマのほうがわかりやすい。
自殺しようとする者は、ビル飛び降りだとか電車飛び込みしたんじゃ、死体ぐちゃぐちゃになっちゃって、せっかくの高価な臓器がムダになるでしょ、ドーセ死ぬんなら、臓器を人様のために役立てちゃあどうかね、というのは、『流れ星』も『KAGEROU』も出だしはいっしょ。
年間3万人の自殺者という数字を見て、世のレシピエント達が「ああ、もったいない、どうせ死ぬんなら、その臓器を私にください」と思っているのは本当だろうと思う。そう思って検索してみたら、たちまち以下のサイトがヒットした。自殺したい人に安楽死を約束するかわり、その臓器を提供してもらいたい、という運動をしている人のサイト。
http://www.honshitsu.org/manifesto.html
2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から佐野党首が立候補し、3,662票、24人の立候補者中21位で落選。佐野秀光は自分自身が「小児糖尿病による合併症」による臓器移植希望者なのだそうで、「オランダのように、国家が安楽死を認めるべき。安楽死後は臓器を移植希望者に提供させる」「医療は国家事業、医師は全員公務員にすべき」などを主張してます。自分が臓器移植したいから「安楽死と臓器提供」を訴えるというのは、なんてそのものズバリの人でしょう。差し迫っているのですね。「KAGEROU」が映画化されるなら「全ド協」の協会理事長役に推薦したいくらいのうさんくささが立ち上る風貌の政見放送をつい見てしまった。
<つづく>
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2011年01月08日
ぽかぽか春庭「ドナードラマ」
2011/01/08
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(4)ドナードラマ
『流れ星』は、フジテレビヤングシナリオ大賞の佳作入選『クラゲマリッジ』を原案として、受賞者臼田素子を月9ライターに起用したというので、KAGEROUに匹敵する新人発掘。これから活躍していく新人シナリオライターになっていくでしょう。新人ライターが月9ワンクールで平均14%を取ったのですから、合格ラインです。
ゆらゆらと揺れるクラゲが画面に出てくるのがよかったし、「くらげには脳はないから、カナシイとか嬉しいという感情はない」と何度も解説されるのも、松田翔太に見とれているオバサンには苦にもならない。
『流れ星』のほうは、異母妹のためにドナーを確保せんと偽装結婚する兄が竹野内豊。上戸彩は、両親が早世し、ダメ兄貴に負わされた借金返済のために風俗店で働いている。自殺しそうなところを助けられた相手と偽装結婚して、肝臓を半分提供する代わりに借金相当額を出して貰うことにしたイメクラ嬢。
(稲垣吾郎はダメ殿様やダメ兄貴が似合う役者になって、何を演じてもイナガキゴローダイコンから一歩抜け出した。これから先、何を演じてもキムタクダイコンや何を演じてもオダユージダイコンよりもうまくなるかも)。
ドラマストーリーは、偽装結婚をした、金を支払われるドナーと支払う側のレシピエント家族の間に真の愛情が育つか、ということが主なモチーフですから、生体肝移植の問題点は深く追求されずに終わります。
『流れ星』は、肝臓提供だけで健康を損なうかもれないというリスク付きで300万。『KAGEROU』は全身提供で2800~3800万。肝臓心臓腎臓肺臓が300万×4,四肢が200万×4、角膜とか皮膚とか残らずつかって、合計3000万ってところかな。最後の脳移植は「ドナー様向けサービス」ってやつらしいが。
『KAGEROU』には、40歳以上と以下で値段が違うって書かれていたけれど、現実社会では、肺臓や腎臓なら70歳まで提供可能、肝臓心臓になると、ドナーの病歴などによっても異なるが、心臓は50歳以下、膵臓は60歳以下、小腸は60歳以下というおよその目安がある。
40歳以下と以上で売買価格が異なるというのは、「全ド協」独自の買い取り価格と思えばよいのだろうが、世間相場ってものもあろうが。バイク買い取りのバイク王は値段比較でインチキをしていたことがばれたが、内臓価格も「買い取り価格比較ドットコム」とかが必要になってくるな。
臓器の値段だけでなく、医療問題に関してきちんと取材されていないので、そのあたりが「中途半端なファンタジー」って言われる部分であろう。
しかし、話が非現実であることと、小説世界内でのリアルさがないことは同じではない。非現実的といえば、『私を離さないで』のほうが「アリエネー」はずなのに、90年代に時代が設定されている「近過去SF」の、イギリスの片田舎にあるヘールシャム寄宿学校と人間がきっちり構築されている。これが小説っていうもんだろう。
ひとつひとつ「使命」を果たしていく「提供者」に寄り添う「介護人」と比べてしまうのは酷なことかもしれないが、プロの書き手ならば、ブッカー賞カズオイシグロまで目指して欲しい。5歳でイギリスへ渡ったイシグロに対して、ヒロ君は中学校入学で帰国した。帰国子女の日本社会への違和感など書いてほしい。
斎藤智裕が作家として育つのかどうか、これは、ポプラ社にきちんとアドバイスできる編集者がいるかどうかにかかわる。文芸モノを長く手がけてきて新人を鍛えることのできる編集者が社内にいるかいないかという社の人材がものをいう部分。願わくは、ポプラ社がヒロ君を使い捨てにしないでちゃんと育ててくれますように。
<つづく>
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2011年01月09日
ぽかぽか春庭「買い取り価格比較ドットコム」
2011/01/09
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(5)買い取り価格比較ドットコム
臓器売買はどの国でも犯罪になるが、現実社会では、インドなどの臓器売買では腎臓ひとつ10万ってこともあるし、中国の死刑囚臓器利用のレシピエントに選ばれるには、党とか軍のエライさんのコネが必要。このあたりの事情は徳山大学の生命倫理学者、粟屋剛の論文が詳しい。
現実社会では宇和島事件では腎臓提供で300万の報酬が約束されたにもかかわらず、現金30万と150万程度の乗用車という謝礼のみだったため、提供者が訴えて臓器売買が発覚した。ストーリーとしてはゴシップ記者が書く「実録臓器売買」っていう週刊誌記事のほうがよほどブンガクしていたかもしれない。
『KAGEROU』消費方法。
「世の中の話題についていきたい」「イケメンのすることは全部追っかけをしていたい」という人は1470円出して読んだらいいし、「新人のブンガクは押さえておきたい」という文学賞ファンには、豊崎由美が「他の新人賞なら一次通過どまり」と評しているに対して、ほんとうにその通りであるのかどうか検証したいならば、立ち読みまたは古本になったら読んだらいいとお勧めする。「臓器移植に関心ある人」には、「粟屋剛の論文を読んだ方がいいよ」と言ってやりたい。臓器買い取り価格に関心ある人は、「内臓買い取り値段比較ドットコム」でも立ち上げて下さい。
『KAGEROU』感想文を書いた感想。
結果として自分自身のセコさみみっちさいじましさケチくささを全開し、ねたみそねみひがみやっかみ拡大鏡で感想を書きました。
私は120歳まで生きる気でいるので、そうなったら70歳まではOKという腎臓だって売りモノにはならないし、このままセコくみみっちくいじましく生きていくしかない自分を「哀切かつ峻烈な「命」の物語」!!などに向かわせるのは似合わないということです。
つまらぬ感想文につきあっていただいたささやかなお礼に、ことばトリビアをひとつ。といっても、古物利用リサイクル。人間の臓器だってリサイクル利用が推奨されている時代なんですから、ことばトリビアのリサイクル利用くらい大目にみようではありませんかあです。
ドナーという言葉について、クイズを出題したことがありました。覚えている人は「同じネタを何度も使い回す。リサイクルにも限度がある」と顰蹙なさるでしょうけれど、どうせみんな忘れているから、もう一度書きます。
<次のAとBの共通点はなに?>
AもBも話し手が「旦那様」と「ドナー」に、感謝の気持ちを持っていることが共通していることはわかるのですが。ほかに、共通点があります。
A:ダンナ様が印税を稼いできて、私の病気治療費を出してくださった。旦那様ありがとう。
B:ドナーの好意で心臓肝臓肺臓脾臓腎臓骨髄を移植できた。命が助かった。
解答:
Aの旦那と、Bのドナーは、どちらもサンスクリット語(梵語)のダーナ・パティdāna pati から由来した外来語です。だんな(旦那)は、梵語から中国語に翻訳された語。ドナーは、サンスクリット語を語源とする英語経由の外来語。
dānaは「お布施」の意味。ダーナパティは「施主(せしゅ)」の意味。
インドを出発して東に向かったダナーは中国を経由して旦那になり、西に向かったダナーは英語を経由してドナーとして日本語になる。ことばは、ほんとに面白い。
さて、ドナーをネタにして一稼ぎしたあやかの旦那はこれから先、どうなるのか。俳優も続けて欲しいけれど、作家として、とりあえず第2作目は、第1作の賞味期限が切れないうちに出しておかないとな。
『KAGEROU』感想文はこれでおしまい。
<つづく>
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2011年01月10日
ぽかぽか春庭「本を読む女」
2011/01/10
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(6)本を読む女
年末年始読書記録のUP,KAGEROUから始めるのはいかにもはやりもんに乗っかるようで、どうしようかと思ったのだけれど、先に載せて正解でした。なんとなれば、1月9日日曜日の新聞書評に、朝日は「売れてる本」コーナーに佐々木敦が書評を書き、読売は「書評委員ひとり一冊」の欄でロバート・キャンベルが書いていた。1月9日午前0時半にネットアップした春庭は、タッチの差で「後出し」にならずにすんだ。別段私が書評委員様の後出しをしたところで誰も気にはしないが、自分が気分悪い。
12月発刊直後はネットに悪評がわんさか出回ったけれど、年末に100万部突破ニュースが出たあとは、「これからは絶対みんな誉め出すな」と思っていたら、佐々木敦もキャンベルも「一部で揶揄されているほどヒドくはない、むしろ結構オモシロいんじゃないの」「後半面白くなってきた」と、アゲ方向に向かっているので、やはり売れることは大切だなあと納得。これからどんな「大絶賛書評」が出てきても驚かないぞ。そして、私の「買うな。立ち読みせよ」という「誉めてない感想」の出し頃は、ぎりぎり滑り込みセーフだったかな、と思います。
世の中に誉めることけなすことは、その提出タイミングというのが問題なんです。世のご亭主たちが「美容院から帰ってきた妻のヘアスタイル変化に気づかない」のは論外として、エレベーターでいっしょになってしまった上司のネクタイの柄をすかさず褒めておくことから始まり、首相褒め殺しに至るまで、とにかく誉め言葉けなしことばは、出し時を考えないと。
下記のコメント、この揶揄の出し方、誉めてないことを正直に出している素直さは買いますが、言われた本人としては「ご想像の肖像通りでない風貌ですみません」と思います。
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投稿者:acha1 2011-01-06 05:15
先生。お早う御座います。先生は、きっと膨大な本を読み、面長で、海老茶色で、「四角い鼈甲のメガネ」を掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人。
勝手に想像(失礼)あははー
私などは、作家は決めて読むタイプで、その点、世間が狭いかも知れません。
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というコメントをいただきました。なんか女学者風の肖像画にしていただき、文章から想像するとこう見えるのかとと思います。想像の翼は本人の思い通りに広げればよいことなのでして。私が顔を合わせたネット友達は数人しかいないので、ネットの中では「面長で、海老茶色で、四角い鼈甲のメガネを掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人」という風貌で生きていくのも悪くはない。
顔会わせてみたら、「まん丸い顔にちっこい垂れ目、丸くて三つ重ねの顎、格安のほそぶちメガネの老眼と近眼をとっかえひっかえ、食うことに精一杯」という実像に「女学者風」を想像して下さった期待を打ち砕くことになるのかもしれないが、親から受け継いだ丸顔なので、文句があったら遺伝子に。
「先生は、きっと膨大な本を読み、」というご想像にも反し、「女学者」としてはきわめて貧弱な読書量しかない。「膨大な本を読み」という想像通りなら、今頃ちゃんとした学者になっていたでしょう。「膨大な量の本を読んだ」というのは、一度読んだら完璧に頭の中に記憶したという南方熊楠のような学者に対して言うことばであって、読んだら端から忘れていく春庭のぽかぽかおつむにはあたりません。
林真理子『本を読む女』は作家の母親がモデルなのだという。『本を読む女』を原作としたNHKドラマ『夢見る葡萄』は、原作にない「葡萄酒とのからみ」が中心というし、菊川怜が主人公を演じたゆえ「東大出の美人なんて、天から二物を与えられた女はしゃくの種」というイジマシい根性により見なかったが、主人公が友人に言うことばは、本好きに生まれてしまった女の子のセリフとして、更級日記の昔から不変不偏です。
「将来、何になりたいのか」と友人に問われて、「本を読む女」は答える。「私、何にもなりたくないよ。一生、小説とか詩の本を読んで暮らしていけたらいいなあと思う」
私も「一生、小説や詩の本を読んで暮らしていたいだけ」だったのに、稼がない夫と結婚してしまったばかりに飯を食う金も必要となり、稼ぐためには本を読む時間は限られてしまう生活を続けて、あこがれの「膨大な本を読み続ける」生活にはほど遠かった。
年末年始読書記録を続けます。
<つづく>
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2011年01月11日
ぽかぽか春庭「復活!お楽しみ読書」
2011/01/11
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(7)復活!お楽しみ読書
私が読んだ専門書は千冊に届かず、私の修士時代の指導教官からは、「専門書を千冊しか読んでいないような奴は修士論文を書くな」と言われました。昔「鬼の○○」とあだ名されていた修士のときの指導教官だったら、私が博士論文を書くなんて言ったら、たぶん「百年早い」と笑い飛ばしたでしょう。
私は修士のときの専門である日本語学から離れて、「言語文化研究」として博士論文を執筆したので、別分野です。カルチュラルスタディの一分野としての言語文化研究。博士後期課程の指導教官は、「自分なりの言語文化追求で十分」と励ましてくれましたので、なんとか書き終えることができました。日本語学関連の書籍のみなら千冊には届かなかったと思いますが、言語文化全般の書籍と数えるなら読んだ本全部が相当しますから、数千冊は読了していることになります。
2008年の4月から2010年の終わりまで、読書記録をつける余裕もなかった。その代わり、参照書籍名は必需記録として論文末尾に付けるのが義務だから、引用言及した本だけで200冊ほどを記録してあります。
ご用とお急ぎでない方、引用文献一覧はこちらに。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=haruniwa&mode=comment&art_no=1202915
2010年11月12月に何冊かの小説を読むゆとりができましたが、ほんとうに久しぶりの「お楽しみ読書」でした。久しぶりに小説を読んで、本を読む楽しみを存分に味わえる幸福をかみしめました。この3年間は、ひたすら日本語学日本言語文化に関わる本を読み返したり新しく読んだりするのに時間をさき、「お楽しみ乱読」を封印していたのです。読みたい小説を読み始めたらきりがなくなり、専門書など読むのは後回しにしてしまう私の「一粒食べたら一袋食べ終わるまでやめられない」意志薄弱を自分で知っての措置でした。
1985年から25年の間、日本語学の文献を読むのに時間がとられました。私は言語学日本語学を専門にするつもりはなく、いわば、大工が仕事するためには鉋の手入れおこたらず、漁師は網の繕いを夜なべにする、という類の、職業上の必須事項としての作業でした。お楽しみ読書は、電車通勤の往復2~3時間と、寝る前の数分。だいたい数分で寝てしまうので、寝る前の読書というのはあまり読書にはつかえない。ほんとうは1時間でも2時間でも「お楽しみ読書」の時間が欲しかった。25年間のうちにずいぶんと日本語関連の本ばかり読み、特にこの3年間は論文執筆のための本を読むのであけくれてしまいました。
1977年まで、乱読、読みっぱなしだった私が、友人のすすめにより1977年から読了本のタイトルと著者名だけはノートにメモを残すようにしました。1999年までは大学ノートに書き付けていました。22年間の読書記録がとってあります。
2000年から2008年までの「読了本リスト」は、全部ではないですが、ネット上に記録を残しました。
2000~2008読書メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/book0506.htm
2003年の感想文メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0412book.htm
2009年の中国赴任中に読んだ本、小説は、講師室の本棚にあった森見登美彦『太陽の塔』のほかは思い出せない。ちゃんとタイトルくらいは書かなくちゃと思うのだけれど、「あとで」と思っているうちに忘れてしまう。タイトルなどを忘れてしまうのは、印象が薄い本だったのだから、まあ忘れたら忘れたでいいや、と思うのだけれど。
2010年にお楽しみ読書としてどんな本を読んだのか、もう何を読んだのかあやふやです。2010年の前半に楽しみのために読んだ本、覚えているのは、村上春樹『海辺のカフカ』くらいかな。(早く『1Q84』が古本で出回らないかな。村上春樹は売れるので、なかなか百円本には見当たらない)
年末年始に読んだ本はまだ覚えているので書き留めておきましょう。
再読した本。村上春樹『カンガルー日和』。「図書館奇譚」を引用する必要があって、私はどのバージョンでこの短編を読んだのかと確認するつもりで本棚から抜き出して結局一冊読んでしまった。初期ハルキワールドはなかなか居心地がいい。
リービ英雄『千々に砕けて』、楊逸『時の滲む朝』について、のちほど「越境J文学シリーズ」として論じてみたいと思います。
<つづく>
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2011年01月12日
ぽかぽか春庭「<少女>を読む」
2011/01/12
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(8)<少女>を読む
2010年11月12月、お楽しみ読書タイムの防備録。まずは「少女」をキーワードとして。
明治時代の社会文化について、2010年に読んだ渡部周子『<少女>像の誕生』。昔読んだ平田由美『女性表現の明治』の系列の明治文学史明治文化論として秀逸な内容の本でした。博士論文を書籍化したもので、第23回女性史青山なを賞受賞作です。
講師室で顔を合わせている若い研究者、周子先生。若桑みどりの弟子だというので、「じゃ、そのうち御著書を読ませていただきますので」と言ったら、「あ、ロッカーの中に販売用の本が一冊入ってますから、買って下さい」というので、直接著者から購入することになりました。「貧乏なので3000円以上の本は古本屋で半額になってから買います」と言う前に、彼女はロッカーから本を出してきたので、著者割引値段で売ってもらいました。若手研究者の意気込みがあふれる内容で、力作でした。「ポストドクターで、非常勤講師の口も少ない」とぼやいていましたが、よい職場がみつかるよう、祈っています。
荻原規子作『西の善き魔女ⅠⅡ合巻』(ブックオフ100円本コーナーで購入)は、ファンタジー小説が好きな私にとっては、たっぷりファンタジーにひたれる作品でした。
辺境に育った少女が、実は失踪していた王女の娘。次期女王の選定争いに巻き込まれて、、、、ファンタジーの定番通りの設定で、いわゆる「ベタな展開」がされているストーリーです。このベタな設定を嫌う人には不評なようですが、これだけ定石通りのストーリー設定で、定石通りのキャラ設定でも読者を飽きさせない荻原規子さん、私はすごいと思います。
私が読んだ合巻版は、学園ストーリーの終わりまでだったので、全巻読みたかったのですが、残りを古本の百円本で揃えられるかどうかわからないので、続きはyoutubeのアニメで終わりまで見ました。アニメはさらにわかりやすいストーリーに編集されていて、おもしろかった。アニメはスペイン語圏からUPされている海賊版とおぼしきバージョンです。字幕がついていますから、スペイン語学習中の人にはぴったりの教材になるかも。
角田光代『ひそやかな花園』(某私大講師室の「ご自由にお持ち帰り下さい」コーナーにあった。新本だったので、おそらく誰かが献本されたものの、読む気もなく廃棄したのだと思う)。
カズオ・イシグロ『私を離さないで』(ブックオフの百円コーナー)。映画化されたので2011年の公開を待っていたのだけれど、百円コーナーで出会ったのも縁だと思って買いました。『ひそやかな花園』と『私を離さないで』は、「少女と少年の成長、自我意識と通常の両親から出生したのではない出自とのかかわり」という点が共通しています。いっしょに論じてみたい内容を持っています。
佐野洋子が2010年11月に亡くなったので、文庫をぎゅうぎゅう詰めてある押し入れの奥から『わたしが妹だったとき』を引っ張り出す。「文庫なんて百円でいくらでも買えるんだから、処分すれば」と言われても、古服は捨てられるけれど古本はとっておきたい。自分が「読みたい」と思った10分後には読める気楽さは捨てがたい。10分間何をしなければならないかと言えば、押し入れの箱を引っかき回して目当ての文庫を探す時間である。それでも図書館へ行く手間とか、ネット図書館に注文して翌日の配達を待つ間を考えれば、10分間のモノ探しで済むのだから、捨てられない。
『わたしが妹だったとき』、1983年、新美南吉児童文学章受賞作品。タイトルが過去形であることからも推測されるように、主人公は、この本に描かれた時代より少し後には「妹」ではなくなってしまいます。扉にはのとびらに「十一才のままの兄のために」と書かれています。私は福武文庫版で読み、エッセイ「こども」が併録され、文庫版用あとがきがついています。
おにいちゃんとすごした北京での思い出は、かけがえのない宝物のような日々であり、私たちにもそのかけがえのなさ、子供心の光と悲しい時間のすばらしさがひしひしと伝わってくる。満鉄職員の子供として、近隣の中国人の子供に比べれば恵まれた生活をしているけれど、小学校入学前の幼い女の子の視線を通して語られる1940年代初頭の北京の情景は、猥雑さとエネルギーと摩訶不思議に満ちていて、やがて別れの日がくるお兄ちゃんと妹は、ごっこ遊びや同じ夢を見た驚きの中にひそやかな「子供の哀しみ」を滲ませながら日々を生きています。
<少女>よりはもっと幼い幼女のお話ですけれど、佐野洋子の他のエッセイの軽妙で人間くさい味わいともまた違い、『百万回生きた猫』ともまた違う、本に浸る喜びを味あわせてくれる一冊です。
<つづく>
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2011年01月13日
ぽかぽか春庭「時空を越える旅」
2011/01/13
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(9)時空を越える旅
年末年始の読書ノートつづき。
丸谷才一『輝く日の宮』朝日賞・泉鏡花賞受賞作、単行本をブックオフ百円で購入。前作『女ざかり』の主人公、新聞社の論説委員が、「お友達にはなりたくない女」だったので、今回はもちっと友達づきあいしたくなる女性がヒロインであることを期待したのだけれど、やっぱり友達にもなりたくないし、同僚だったら「朝晩の挨拶だけ」にしておきたい人、でした。
『奥の細道』義経御霊信仰説や『源氏物語』には「輝く日の宮の巻」が実在していた説は面白かったけれど、これはこのままでは実証できず学説にはなれない説だから、無理矢理小説仕立てで論を立ててみました、みたいな小説でした。ヒロインが、女性としてあまりにも魅力がなかった。丸谷才一の描く「知的美人」というのはかなり画一的。オトコに都合のいい女のような。
丸谷才一の文学蘊蓄はエッセイなら大好きで、いつも面白く読むのだけれど、「輝く日の宮」実在説は、大野晋との対談「光る源氏の物語」で終わらせた方がよかったと思う。
向田邦子『夜中の薔薇』。何度目に読むのかは忘れた。毎度おもしろい。毎回「うまいなあ」とその文章術に感嘆する。
海外と日本の交流というのも、私の仕事に関わることなので、ツンドク本が山積みになっています。2010年2月の漏水事故、読まないまま廃棄した本もずいぶんありました。助かった本は少しずつでも「積んだまま」を解消してやらないと、読まれないまま捨てられる本は、本好きにとっては心痛むことです。
『ミカドの外交儀礼』は2007年発行の朝日選書。著者中山和芳は文化人類学者。女官たちの手によってお歯黒を染め化粧をほどこされた姿で最初の外交儀礼に臨んだ少年ムツヒト。践祚したとき満年齢でいうと14歳だった少年天皇が、文明開化の体現者となって新しい時代へ開かれていく過程が、外交儀礼という面から描かれています。幕末明治に日本に来た外国人の書き残した記録の中に、彼らの見た明治時代が活写されていました。
『ミカドの外交儀礼』は、天皇が外交団と接見したときの服装や言葉、料理などから明治文化を詳述しています。外形は洋風にしても、内廷はできる限り伝来のしきたりを保守していたかった明治帝に対して、美子(はるこ)皇后は積極的に内廷改革も行おうとしたこと、女子教育推進に積極的だったことなども書かれていました。
澁谷由里『馬賊で見る「満州」』2004は、張作霖研究の学術書。博士論文の出版ですが、一般の人も読める内容に編集されています。2009年に張作霖張学良親子の住居兼政庁だった「張氏師府」を見学したというだけの門外漢で、満州に興味を持っているというだけの私にも面白く読めました。
中野美代子は、中国と日本の間を結ぶ「西遊記」研究者。小説の佳作も多い。
地上のトポスを悠々と自在に行き来した小説『眠る石』1997を、年末の電車の行きと帰り90分の読書として楽しんみました。仕事先への片道90分往復180分で1冊読了してしまったのが、もったいないような短編集。
この本、1997年にハルキ文庫になったときに新刊で買って、以来13年間もツンドクにしておいた。2010年12月の朝、電車の中で読む本がかばんの中に入っていないのに気づいて、文庫ツンドク棚からひょいと手頃な「まだ読んだ記憶がない文庫」をかばんの中に放り込んだのです。
『孫悟空の誕生―サルの民話学と「西遊記」』などを読んできた中野美代子がこれほど小説でも味わい深い作品を発表していたこと、13年もツンドクしておいたけれど、読めてよかった。
中野美代子は北海道大学を定年退職後、私立大学からあまたの再就職の申し出があったろうに、現在は執筆活動に専念しています。『眠る石』は定年前の1993年に単行本として出版された小説。2009年には『ザナドゥーへの道』を出版するなど、77歳になっても旺盛な活動を見せている。中国文学中国文化についての本も、2009年に講談社選書メチエから『西遊記XYZ このへんな小説の迷路をあるく』を出しているので、読んでみようと思います。
「テラ・インコグニタ、未知の土地を経巡ることが大好き」という性分は、子供の頃から少しも変わらず、今も未知の土地への飛翔を夢見ています。
本は、時間と空間を飛び越える旅に誘ってくれます。自由に本を読む時間がとれるようになってうれしいです。
<おわり>