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ぽかぽか春庭「歌会始の尊敬語」

2018-01-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180114
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>十八番ことばの知恵袋(2)歌会始の尊敬語

 新年の歌会始で話題の最年少入選者、佐世保市の中学1年男子、中島由優樹12歳。
 「文法の尊敬丁寧謙譲語僕にはみんな同じに見える」

 選者たちも、この歌を見て、「そうそう、同じだよね」と共感したから、入選したのでしょう。
 きっと中島君は、「以下のことばを、尊敬語、謙譲語、丁寧語に分けよ」なんていうつまらぬテストを受けて、「ああ文法ってつまらないなあ、こんなこと習ってなんになるんだろう」と思ったのかも。

 でもね、同じ中学生の藤井聡太四段は、どの会見でもインタビューでもきちんと尊敬語謙譲語を使い分けていたし、中島君もきっと「僕はおせち料理をいただきました」と、「両陛下は新年のお焼きがちんを召し上がりました」というのを「僕はおせち料理を召し上がりました」としたり、「両陛下はお焼きがちんを食った」と言ったりはしていないはず。きっと、きちんとした言葉遣いができる中学生に違いない。

(ちなみに、「お焼きがちん」とは、明治宮中で正月に食べられていた主食のこと。山川三千子『女官』に登場。白い丸餅を15センチくらいに平べったくのして焼き、その上に小豆で色づけした焼いた菱餅を重ねて、菱餅の上に牛蒡をやわらかく甘煮にしたものと白味噌を載せ、白い餅を半月形に折り、美濃紙に包んであるもの。正月の祝い餅。現代の宮中お祝い膳にも出されるのでしょうか)

 中島君も「召し上がります」と「いただきます」と「食べます」と「食う」が、どれも同じに見えるのではないと思います。
 「いただく」は、丁寧語なのか謙譲語なのか、なんていう試験問題が出された日にゃ、そりゃ丁寧語も謙譲語どれも同じに見えるよね。

 「いただくは謙譲語」という呼び名を覚えることが重要なのではなく、「食べる」という行為を表現したいとき、食べているのが自分と自分の身内なら「いただく」を使い、目上の行為なら「召し上がる)を使う、という区別がついていればそれでいいのであって、「召し上がる」は尊敬語、という区分けを覚えておけば、自分自身の行為や目下の行為に使ってしまう失敗はしなくなるので便利、というだけのこと。留学生は、ときどき間違えて使ってしまいますから、区別して覚えておくことは重要。

 昨年、私が出題した言葉遣い問題で、留学生の誤答が多かったものがあります。
 「先生は、私が提出したレポートを拝見しました」
 「私は、先生のご著書をごらんになりました」
 「私の母は、先生からのお手紙をお読みになりました」

 正しい言葉遣いに○をつけよ、という問題でしたが、3つとも誤用「×」です。でも、留学生にはどちらも丁寧ないい方として同じに見えたのですって。「先生が書いた本」だから、「ごらんになる」を使っていうほうが丁寧だと思った、というのが間違えた留学生の主張。「大学に入る前、日本語学校で何を習ってきたのさ」と愚痴りながら、敬語復習に90分使いました。

 「文法の尊敬丁寧謙譲語僕にはみんな同じに見える」うん、気持ちはわかる。

<つづく>
コメント (4)
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