20180712
ぽかぽか春庭感激観劇日記>全力劇場(3)チェホフ桜の園 in 梅若能楽堂
K子さんから招待券をいただき、K子さんが演劇を学んでいる劇団の「桜の園」を見てきました。5月27日の1回限りの公演。このあと、「ロシアにおける日本年」に参加してロシアでの上演が行われるのみで、1年間は下北沢の本拠地小劇場でも公演は行わず、俳優のトレーニングを強化する、と劇団HPに出ていました。
K子さんが所属する「スタニスラフスキー・スタジオ」は、劇団ワークショップに参加した人を中心にした演劇集団です。こちらも、3本の「次回公演予定作」の練習を続けるのだそうです。
「桜の園」は、さまざまな劇団、さまざまな演出によって公演されてきました。日本では、1905年のロシア初演から10年後には、小山内薫演出によって公演されているそうです。
今回の演出で、他に見られない演出は、能舞台での公演だ、ということ。
前回私が東京ノーヴィの公演を見たのは、東中野の梅若能楽堂での『古事記』公演でした。
『古事記』公演、『古事記』という題材そのものは能舞台によく合っていたと感じたけれど、日本の古代への感性について、私とは合わない部分もありましたので、疑問点についてK子さんに質問し、お返事もいただきました。
今回はロシア人チェホフのロシア語戯曲なのですから、アニシモフさんの演出もよりいっそう熱がはいっているだろう、一体『桜の園』を能舞台でどのように演出するのかしら、という興味で見に行きました。
ロシアで演じるには、橋掛かりでの演技などはまた異なる演出になるのでしょうが、はたしてチェホフの本場ロシアで、日本の能舞台演出は受けるだろうか、という興味。
能楽堂版『桜の園』は、出入りに橋掛かりを使いますが、長い間ラネーフスカヤ一家に仕えてきた病身の爺やフィールスだけは、お囃子が出入りする切戸口から出入りしました。爺やはもう、一家の人々からは「すでにいない人」のように扱われているというのを表しているのかもしれません。(一家のメンバーは、フィールスが入院して老後を過ごしていると思っています)
今回も、いくつかのわからなかった点について、K子さんに質問を出しました。K子さんから丁寧な返信をもらい、納得できた部分もありますが、依然わからない部分もあります。K子さん、演劇素人の素朴な質問へのお返事をありがとうございます。
~~~~~~~
K子さんへ
桜の園ご招待ありがとうございました。
能舞台での桜の園上演という得難い観劇経験ができました。
演出と演技について、感想。
1)衣装は能舞台によく映えてきれいでした。ことにリューバ(ラネーフスカヤ)の衣装の和風の模様は、ロシア人の目をひくと思います。しかし、アーニャの赤いボレロ風衣装は、そこだけ色が浮いていたと感じました。アーニャがこの一家にとって異質な存在ということを強調する衣装なのかしら。
2)同じくアーニャ。頭のてっぺんから声を出すキンキン声でセリフを言っていました。演出家の指示のもとにあの発声をしているのでしょうけれど、とても違和感がありました。アーニャは働く意思を持ち、新しい生活へと母を促す役回りと思いますが、あの声では、思考力不足のおばかさんに思えました。政治的に正しい言い方だと、脳の働きに不自由を持つ人物。
3)この公演でのリューバの年齢設定はわかりませんでしたが、主演女性は美しいけれど、若すぎるように思いました。実年齢が何歳の女優さんかわからないけれど、もうちょっと年齢を感じさせてもよかったかな。というのも、ワーリャ役の女優さんが老け顔なので、ならぶとワーリャが親でリューバが娘のように見えました。これは、フラットな照明のせいで、照明の助けがないための老け顔なのかと思います。
4)カーテンコールで舞台に上がっていた白い着物の女性は所作指導の方でしょうか。ロビーにいた着物姿のお弟子さんたち、「先生にご挨拶してから帰りましょう」と言っていました。
5)橋掛かりを登場人物が並んで行進してくる場面。全員が同じ歩き方で、私から見ると、あ、これスコットなんぞの鈴木メソッドでよくやってた動き、と感じましたが、たぶん、ロシアの観客達には新鮮に見えるかな。
6)楽隊はとても不思議な音をだしていい雰囲気でした。いまにも滅びがきそうな。壺の周りに立てた棒を弓でこする楽器、はじめて見ました。なんていう楽器でしょう。アジアっぽいけれど。
ロシアには能舞台はありませんから、また違う演出になるのでしょうけれど、ロシアでの成功と凱旋公演を待っています。
~~~~~~~~~~~~
役者の表現力と、演出力がうまく組み合わされれば、100年前の戯曲が、現代のわれわれの心に直接響いてきます。
今回の『桜の園』観劇、能舞台での上演というのは、私には新鮮で、興味深かったのですが、出ている役者さんたちの演技、私にはすっと舞台に溶け込めない感が残りました。
能舞台という舞台を生かしている演出と思いましたが、私には、チェホフの戯曲を読んだときのほうが、より生き生きと19世紀末のロシアを感じることができる、と感じたのです。
これは好みの問題でしょうから、この能舞台版『桜の園』を見て、すばらしい演技演出と感じた方もきっといたことでしょう。
今後、ロシアでの上演をめざして、どのような演出変更があるのかはわかりませんが、故郷での上演に、アニシモフさんの演出、さらに深くなっていくのだろうと思います。
もともと「滅びていくもの」に哀惜を感じる民族性。その舞台が桜の植えられた広大な土地とあれば、ますますハラハラと散りゆく花びらの中に美を感じてしまうのが、「滅びゆかんとするわれら」です。
(桜の園 vs ヴィーシニョーヴィ・サート(Вишнёвый сад)の訳語については、https://blog.goo.ne.jp/halniwa/e/3c01381a7cd55711821d84d70ca06971#comment-list
をご参照ください)
どこの舞台であれ、「桜の園」の上演記録がないかなあと、youtubeをサーフィンしていて、映画『櫻の園』(1990)を見ました。映画のなかでは、桜の園の上演舞台は出てきません。たぶん、高校演劇という設定とはいえ、桜の園を演じられるほど、出演俳優たちにセリフ術がなかったのだろうと思います。練習風景は出てきますが。
でも、女子高校生たちの春の一日、1967年の女子高校を思い出しながら、しみじみ見入りました。
消え去っていった私たちの桜の園。
先日、やっちゃんの車で駅まで送ってもらったときのこと。卒業した女子高のわきの道をとおったとき、「あれ、ここの道沿いに学校なんてあったっけ」と言ったら「なに言ってんだよ、自分が卒業した女子高だろがっ」と、やっちゃんに言われました。私たちが学んだ木造校舎が残っているとは思っていなかったですが、すっかり様変わりしたようすに、時の流れを感じました。卒業して50年ですからね。
東京ノーヴィのロシア公演『桜の園』。
アニシモフさんふるさとのロシアに帰っての上演。
ラネーフスカヤにとって、消え去った故郷はよみがえるのでしょうか。それとも、ソ連をくぐりぬけたロシアは、100年前とは似ても似つかぬ大地になっているのでしょうか。
ノーヴィの皆さんの大成功を願っています。
<おわり>
ぽかぽか春庭感激観劇日記>全力劇場(3)チェホフ桜の園 in 梅若能楽堂
K子さんから招待券をいただき、K子さんが演劇を学んでいる劇団の「桜の園」を見てきました。5月27日の1回限りの公演。このあと、「ロシアにおける日本年」に参加してロシアでの上演が行われるのみで、1年間は下北沢の本拠地小劇場でも公演は行わず、俳優のトレーニングを強化する、と劇団HPに出ていました。
K子さんが所属する「スタニスラフスキー・スタジオ」は、劇団ワークショップに参加した人を中心にした演劇集団です。こちらも、3本の「次回公演予定作」の練習を続けるのだそうです。
「桜の園」は、さまざまな劇団、さまざまな演出によって公演されてきました。日本では、1905年のロシア初演から10年後には、小山内薫演出によって公演されているそうです。
今回の演出で、他に見られない演出は、能舞台での公演だ、ということ。
前回私が東京ノーヴィの公演を見たのは、東中野の梅若能楽堂での『古事記』公演でした。
『古事記』公演、『古事記』という題材そのものは能舞台によく合っていたと感じたけれど、日本の古代への感性について、私とは合わない部分もありましたので、疑問点についてK子さんに質問し、お返事もいただきました。
今回はロシア人チェホフのロシア語戯曲なのですから、アニシモフさんの演出もよりいっそう熱がはいっているだろう、一体『桜の園』を能舞台でどのように演出するのかしら、という興味で見に行きました。
ロシアで演じるには、橋掛かりでの演技などはまた異なる演出になるのでしょうが、はたしてチェホフの本場ロシアで、日本の能舞台演出は受けるだろうか、という興味。
能楽堂版『桜の園』は、出入りに橋掛かりを使いますが、長い間ラネーフスカヤ一家に仕えてきた病身の爺やフィールスだけは、お囃子が出入りする切戸口から出入りしました。爺やはもう、一家の人々からは「すでにいない人」のように扱われているというのを表しているのかもしれません。(一家のメンバーは、フィールスが入院して老後を過ごしていると思っています)
今回も、いくつかのわからなかった点について、K子さんに質問を出しました。K子さんから丁寧な返信をもらい、納得できた部分もありますが、依然わからない部分もあります。K子さん、演劇素人の素朴な質問へのお返事をありがとうございます。
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K子さんへ
桜の園ご招待ありがとうございました。
能舞台での桜の園上演という得難い観劇経験ができました。
演出と演技について、感想。
1)衣装は能舞台によく映えてきれいでした。ことにリューバ(ラネーフスカヤ)の衣装の和風の模様は、ロシア人の目をひくと思います。しかし、アーニャの赤いボレロ風衣装は、そこだけ色が浮いていたと感じました。アーニャがこの一家にとって異質な存在ということを強調する衣装なのかしら。
2)同じくアーニャ。頭のてっぺんから声を出すキンキン声でセリフを言っていました。演出家の指示のもとにあの発声をしているのでしょうけれど、とても違和感がありました。アーニャは働く意思を持ち、新しい生活へと母を促す役回りと思いますが、あの声では、思考力不足のおばかさんに思えました。政治的に正しい言い方だと、脳の働きに不自由を持つ人物。
3)この公演でのリューバの年齢設定はわかりませんでしたが、主演女性は美しいけれど、若すぎるように思いました。実年齢が何歳の女優さんかわからないけれど、もうちょっと年齢を感じさせてもよかったかな。というのも、ワーリャ役の女優さんが老け顔なので、ならぶとワーリャが親でリューバが娘のように見えました。これは、フラットな照明のせいで、照明の助けがないための老け顔なのかと思います。
4)カーテンコールで舞台に上がっていた白い着物の女性は所作指導の方でしょうか。ロビーにいた着物姿のお弟子さんたち、「先生にご挨拶してから帰りましょう」と言っていました。
5)橋掛かりを登場人物が並んで行進してくる場面。全員が同じ歩き方で、私から見ると、あ、これスコットなんぞの鈴木メソッドでよくやってた動き、と感じましたが、たぶん、ロシアの観客達には新鮮に見えるかな。
6)楽隊はとても不思議な音をだしていい雰囲気でした。いまにも滅びがきそうな。壺の周りに立てた棒を弓でこする楽器、はじめて見ました。なんていう楽器でしょう。アジアっぽいけれど。
ロシアには能舞台はありませんから、また違う演出になるのでしょうけれど、ロシアでの成功と凱旋公演を待っています。
~~~~~~~~~~~~
役者の表現力と、演出力がうまく組み合わされれば、100年前の戯曲が、現代のわれわれの心に直接響いてきます。
今回の『桜の園』観劇、能舞台での上演というのは、私には新鮮で、興味深かったのですが、出ている役者さんたちの演技、私にはすっと舞台に溶け込めない感が残りました。
能舞台という舞台を生かしている演出と思いましたが、私には、チェホフの戯曲を読んだときのほうが、より生き生きと19世紀末のロシアを感じることができる、と感じたのです。
これは好みの問題でしょうから、この能舞台版『桜の園』を見て、すばらしい演技演出と感じた方もきっといたことでしょう。
今後、ロシアでの上演をめざして、どのような演出変更があるのかはわかりませんが、故郷での上演に、アニシモフさんの演出、さらに深くなっていくのだろうと思います。
もともと「滅びていくもの」に哀惜を感じる民族性。その舞台が桜の植えられた広大な土地とあれば、ますますハラハラと散りゆく花びらの中に美を感じてしまうのが、「滅びゆかんとするわれら」です。
(桜の園 vs ヴィーシニョーヴィ・サート(Вишнёвый сад)の訳語については、https://blog.goo.ne.jp/halniwa/e/3c01381a7cd55711821d84d70ca06971#comment-list
をご参照ください)
どこの舞台であれ、「桜の園」の上演記録がないかなあと、youtubeをサーフィンしていて、映画『櫻の園』(1990)を見ました。映画のなかでは、桜の園の上演舞台は出てきません。たぶん、高校演劇という設定とはいえ、桜の園を演じられるほど、出演俳優たちにセリフ術がなかったのだろうと思います。練習風景は出てきますが。
でも、女子高校生たちの春の一日、1967年の女子高校を思い出しながら、しみじみ見入りました。
消え去っていった私たちの桜の園。
先日、やっちゃんの車で駅まで送ってもらったときのこと。卒業した女子高のわきの道をとおったとき、「あれ、ここの道沿いに学校なんてあったっけ」と言ったら「なに言ってんだよ、自分が卒業した女子高だろがっ」と、やっちゃんに言われました。私たちが学んだ木造校舎が残っているとは思っていなかったですが、すっかり様変わりしたようすに、時の流れを感じました。卒業して50年ですからね。
東京ノーヴィのロシア公演『桜の園』。
アニシモフさんふるさとのロシアに帰っての上演。
ラネーフスカヤにとって、消え去った故郷はよみがえるのでしょうか。それとも、ソ連をくぐりぬけたロシアは、100年前とは似ても似つかぬ大地になっているのでしょうか。
ノーヴィの皆さんの大成功を願っています。
<おわり>