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ぽかぽか春庭「おいしみ、まずみ、なんでもみ 」

2018-07-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180719
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本語質問ノート(1)おいしみ、まずみ、なんでもみ

 前期の学部授業、「日本語教育研究」も終盤になってきましたので、学生たちに課題を出しました。
 日頃、日本語について気づいたことや、不思議に感じていることわからないことを解決しまshow」という課題です。講師から日本語についての説明を聞くばかりでなく、自分たちで日本語の疑問点を見つけ出し、考える、というアクティブラーニングの一環です。

 日本語教師養成コースの授業のひとつとして、「日本語教師になったとき、留学生から質問を受けた場合、あわてずさわがず、日本語学習者にわかるように説明する」という訓練のひとつでもあります。
(1)ペアで自分の考えた疑問点を出し合い、相手の疑問点を解決しようと、ふたりで考える。(2)二人で考えてもわからなかった場合には、質問をメモに書き教師の答えを聞く。

 留学生からの「あるある質問」として 私から例にあげたのは。
 日本語初級者からの質問。
(1)赤ーあかい」「白ーしろい」と言えるのに、どうして「緑ーみどりい」「紫ーむらさきい」と言えないのですか。
(2)「病院へ行く」と「病院に行く」は同じですか。
(3)レストランのウエイトレスさんが「おビール」「おジュース」と言っているのに「おワイン」と言わないのはなぜですか。(回答のヒント):タバコとパンは、どちらも戦国時代末期にポルトガル宣教師が伝えた外来語です。「おタバコ」はいいのに、「おパン」はいいませんね。

 日本語中級者からの質問。
(4)玄関も部屋もフラットな造りで、平らなのに、どうぞ、上がってください、というのはなぜですか。メゾネットタイプマンションで、2階が玄関で、部屋は1階にあるときでもあっても、上がってくださいといいますか。(回答のヒント:多義語の理解、プラグマティックな言語の理解)

(5)美容院で、「こちらのトリートメント、いかがですか」と高級なトリートメントを勧められて「結構ですよ」と断ったのに、美容師は、高いトリートメントを使った。「いらない」というつもりだったのに、どうして。(回答のヒント:言語運用、プラグマティックな言語の理解)
 などです。

 1~5までの質問、本欄では何回も取り上げていますから、回答は省略します。

 学生の疑問点、私が授業中に何度も説明しているのに、同じ質問をしてきたのもありました。きっと、私が説明した日に欠席したか、放課後のバイトシフトが気になって、気もそぞろだったか、なんでしょうが、聞かれれば何度でも答えます。「先週説明したでしょ」なんてことはいいません。1度目は右耳から入って左耳に出ていくことが、2度めには半分頭に残り、同じこと3度目に聞くと全部残るかもしれないから、と言って。

 学生の質問その1 留学生から、どうして「こんにちわ」じゃなくて、「こんにちは」って書くんですか、と聞かれたんですけれど。
 回答:
 前に説明したことあるけれど、もう一度言いますね。「こんにちは」というご挨拶。もともとは「こんにちは、お天気も上々で、、、」や、「今日は、おひがらもよく、、、」とという、出だしのことばなので、「は」は、助詞です。でも今は、「こんにちは」のあとに、何も続けなくてもいいので、独立したあいさつことばとして、「こんにちわ」と書いても、なんの誤解も不都合もありません。誤解がないなら、留学生に覚えやすい書き方でいいと思います。でも、就活などでメールの最初に書く必要があるときは、日本語母語話者ならば「こんにちは」と書いておいたほうが無難です。

 学生質問その2「~のに、と、~けど は、同じですか」
 回答:
 ~けど、は、~けれど、の縮約形(縮めて短く表現している形)ですね。例文を作ってみましょう。今朝、私は早起きしたのに朝ごはんを食べなかった。今朝、私は早起きしたけれど朝ごはんを食べなかった。同じようにつかえそうですね。では、別の例文。Kさんは留学するといいました。けれど、私は賛成しませでした。Kさんは留学するといいました。のに、私は賛成しませんでした。あれ、違和感がありますね。「けれど」は接続助詞であり接続詞でもあるので、文末にも文の頭でもいえますが、「のに」は接続助詞(複合助詞)なので、文末にのみつかうことができ、文頭にはつかえません。

 同じようなことばでも、使い道はいろいろですから、たくさん例文を作って、比べてみてください。留学生に違いを説明するとき、文法用語を並べるのではなく、例文をたくさん出して帰納法によって理解させるようにしてください。
 
 学生質問その3「どうしてひとつの漢字にいくつも読み方があるんですか」
回答:
 「漢字の読み方、音訓、呉音漢音唐宋音」について説明をしたときお休みしちゃったのかな。はい、もう一度説明します。何回でも聞いていいんですよ。
 日本語は、いくつかの時代、いくつかの地域からの中国音をとりいれており、それを全部保存しているので、ひとつの漢字にいくつもの音読みがあり、さらに、日本語の意味に合わせて訓読みをつくりましたから、たくさん読み方のある漢字ができました。

 音読み訓読みの基礎から、漢字音の歴史的な移入について、説明をもう一度。例は前回は「行」をつかって「呉音:行事ぎょうじ 漢音:旅行りょこう 唐宋音:行脚あんぎゃ」をつかいましたので、今回は「明」で。
呉音:燈明とうみょう 
漢音:明白めいはく 
唐宋音:(活字の)明朝体みんちょうたい 
訓読み:明るい、明ける 明らか

 同じ説明を繰り返すにも、前回とは異なる例を上げるのは、他の学生が「またおんなじことを」と思わないようにするため。でも、呉音漢音唐宋音がそろって日常的な熟語として用いられているのは、行と明のほか、春庭にも思いつかないんです。
 3回目に聞かれたときは、例をどうしようか。呉音:勧請(かんじょう)漢音;要請(ようせい)唐宋音:普請(ふしん)もありますが、仏教用語「勧請」は、学生が知っている日常的な熟語ではないので。道普請が道路工事のことだということも、学生には縁遠い語になっています。

 接頭辞接尾辞についても説明済みだったのですが、私にとって、これは新日本語と思う質問がありました。
質問:「やばみ」とか、「うれしみ」というときの「み」は何ですか。

回答:
 「み」は「さ」と同じく、形容詞を名詞化するための接尾辞です。
 おいしい(イ形容詞)→おいしさ(名詞)、かなしい→かなしさ、あまい→あまさ、ながい→ながさ、元気な(ナ形容詞)→げんきさ(名詞)、活発な→活発さ など、「程度、度合い」の意味を含む名詞になる。

 「み」は、その意味合いが含まれる、という名詞になるので、つくことばに制限があります。
 苦しい→くるしみ、悲しい→かなしみ、あまい→あまみ、にがい→にがみ など。
 しかし。「おいしい *おいしみ」「うつくしい *うつくしみ」「きれいな *きれいみ」などはいいません。(*は、非文、非語を示す)

 で、私にとって「新日本語出現!」と感じられたのは。ネット社会や学生の間では、なんにでも「み」をつけてしまう用法がすでに定着しかかっている、ということでした。
 学生があげた「やばい→やばみ」「つらい→つらみ」「きつい→きつみ」など、ほとんどのことばに「み」をつけて発言することができるというのです。
 びっくり!ぜんぶ「み」です。形容詞なんでもみ名詞化。

 調べてみれば、ツイッターなどのネット社会では、若い世代のおよそ2~3割は使用しているとのこと。あらま。
 使用例が5割すぎたら三省堂辞書にのるし、8割すぎたら広辞苑に載ります。
 「つらい」の名詞形が「つらさ」ではなくて「つらみ」とは、コハいかに。

 「こはいかに(これはいったい、どういうことなんだろう)」という日本語を日常語としてつかっている方、いらっしゃいましょうか。たぶん、なんぞの強調ことばとして発するのみで、ふだんは、使いませんよね。でも、生まれる前にすたれてしまったことばは自分がつかっていなければ、すたれたって気にしない。生まれてから現在までの日本語が変化するのがいやなんです。
 あれほど抵抗を受けた「見れる出れる」のラ抜き可能形、今では辞書でも公認です。

 まさに日本語は変わっていく、という若者言葉の現場。若者の中にいるから遭遇する「新しい日本語」。
 形容詞ぜんぶに「み」をつける、これも、「むかしもん」には抵抗されるでしょうが、若者世代がいいと思えば、50年後には辞書に載っています。「さ」よりも「み」のほうが、かわいらしい感じがするんですって。「かわいみ」倍増。
 
 集めた学生の質問メモの中に、「質問とは違くて、感想なんですけど」という表現がありました。書いた学生は「ちがくて」という語を、何の違和感もなくごく当然の表現としてつかっています。

 教師から。
 「ちがう」という動詞のテ形(連用形)は「ちがって」です。「ちがくて」というテ形は、状態動詞「ちがう」を形容詞化して、「ちがう→ちがい→ちがくて」と、表現しています。「長い→長くて」「美しい→美しくて」と同じテ形の作り方です。
 まだこの「ちがくて」を快しとしないお年寄りは多いので、就職活動の面接時には、「ちがって」という従来の言い方をするように。

 お年寄り世代は、自分たちが使ったことのない表現には抵抗します。「間違った日本語だ」と言いたがる。「やばみ」「おいしみ」にも、反論が沸き上がることと思います。しかしながら、さはさりながら。

 若者言葉でいっときはやっても、消えていく表現はすぐにすたれます。定着する勢いがある語について、抵抗しても無駄です。
 新しい表現に、ヒヤッと「寒さ」を感じた方、「さむみを感じた」という時代が来る前に、日本語の現場から退場しましょう。
 来るもの拒まず、去る者は追わず。

 日本語表現が少々「ちがく」なっても、日本語そのものが消えてしまうよりはましと、春庭は思っております。
 今の政府の言語政策、文科省方針を受け入れていると、早晩、日本語は消え去り、われらの子々孫々、将来はおぼつかない片言英語でしゃべってビジネスにいそしむしかないみたいですね。

 あは、おぼつかないのは年寄り世代。0歳児から英語DVD見て育つ世代も出ています。両親が「この子は、英語使って世界に羽ばたくように」と願って、家でも英語で生活するように育てれば、あと50年で子供たち全員日本語忘れています。

 ま、あと50年後、私は日本にいないからいいんですけれど。極楽または天国で、子々孫々が英語で歌うのを聞くことにしましょうかね。「Sukiyaki song」です。

 ♪I look up while I walk
So the tears won't fall
Remembering those spring days
But tonight I'm all alone
I look up while I walk
Counting the stars with teary eyes
Remembering those summer days
But tonight I'm all alone
Happiness lies beyond the clouds
Happiness lies above the sky
I look up while I walk
So the tears won't fall
I cry while I walk
For I am alone tonight
Remembering those autumn days
But tonight I'm all alone
Sadness hides in the shadow of the stars
Sadness hides in the shadow of the moon
I look up while I walk
So the tears won't fall
My heart is filled with sorrow
For tonight I am alone
For tonight I am alone.♪

上を向いて歩いても、涙とまりません。かなしみも、うれしみも、くやしみも、空の上に。

<つづく>
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