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ぽかぽか春庭「Kokinwakashuのダビデ像 in 広尾パパス」

2018-07-05 00:00:01 | エッセイ、コラム

広尾にある株式会社パパスのダビデ像

2018050705
ぽかぽか春庭アート散歩>キッチュTokyo(3) Kokinwakashuのダビデ像 in 広尾パパス

 自由の女神像と同じくらい、よく知られた彫刻作品。ミケランジェロのダビデ像です。本物は、フィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されています。

 1509年、ミケランジェロは3年を費やして、ダビデ像を完成させました。
 フィレンツェ市のサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の運営権を担う大聖堂造営局(フィレンツェの一大産業であった、フィレンツェ羊毛業組合が運営していた)からの彫刻作成を依頼されたときのミケランジェロは、弱冠26歳の新進彫刻家でした。

 完成した大理石のダビデ像は、身の丈5.17m。大聖堂からアカデミア美術館に移されたのちも、世界中からの観覧者の前に威容を見せています。

アカデミア美術館のダビデ像(大理石)


 ダビデは羊飼いから身を起こし、イスラエルの王に仕えました。イスラエルをたびたび襲っていたペリシテ人のなかでも、ゴリアテは最強の戦士として恐れられていました。ダビデはこのゴリアテに武器ももたずに立ち向かいます。手にあるは、一個の石のみ。
 その石をゴリアテに投げつけると、石はゴリアテの額にめり込み、不敗を誇ったゴリアテがどうと倒れました。ダビデはゴリアテの剣を奪い、首を切り取り勝利をおさめました。

 ミケランジェロの傑作ダビデ像は、まさに、石を握って投げつけるその瞬間を像にしているのです。

 さて、キッチュtokyo、もちろんありますとも。ダビデ像のレプリカ。
 私は恵比寿駅から広尾の山種美術館への行きかえり、このダビデ像を見て通り、なんでここにダビデ像を立てておこうと思ったのかなあ、と眺めてきました。

 広尾パパスビルのダビデ像(ブロンズ) 


 そして、名にし負うKokanWakashuのダビデ像、しげしげとまじまじと眺めました。
 今回のタイトルのKokinWakashu古今和歌集とは、木下直之の『股間若衆』の本歌取りのモトのほう。
 「股間若衆」てなタイトルをブログにつけておくと、その手のキーワードから検索して飛んでくる人が急増するので、日本語教師らしく、お上品に古今和歌集としておいたのよ。
 春庭サイトの一番人気ページは「草間彌生の芸術チンチン」です。2番人気が「股間若衆ダビデ像」になってもかまわないのですけれど、今回はまあ、木下直之が古今和歌集をもじって股間若衆にしたというので、そのもじりの元ネタで。

 古今和歌集にも男色物(なんしょくもの)の歌は詠まれていますが、万葉集にだってそのテの歌はあり、「中国大陸との交流により、中国の男色が持ち込まれた」という説を、私は疑っております。旧石器時代だって縄文時代だってあったに違いない。人間にとってというか、動物にとって普通のことですし、ことに猿目においては。

 『股間若衆』は、木下直之の本です。面白いです。日本の町の駅前なんぞに立つ若者像が、なにゆえにしかるべき箇所を「曖昧模糊それとなしもっこり」にされているのか、という疑問から「男の裸は芸術か』」という美術評論を繰り広げた本です。

 私のように、こどものころいっしょに風呂に入った父のと、夫のと、ちっこかった息子のと、という限られた本数しか目にしたことない者にとって、木下の論は「ゲージツとはなにか」という理論において、大いに触発されました。ゲージツ論です、ゲージツ。

 で、股間です。ミケランジェロは実にリアルに大理石を刻みました。
 惜しむらくは。
 ミケランジェロは、彼が寵愛した少年たちの股間、すなわちルネサンス期キリスト教徒の股間しか目にしたことがなかったのであろう、ということです。レオナルドダビンチもミケランジェロも、女性を性的対象としない芸術家でありましたが、女性像を見事に彫刻にしています。しかし、男性像においては。

 ミケランジェロは、ダビデ王はイスラエルの民、すなわちユダヤ教徒だということを、彫刻には示しませんでした。ユダヤ教徒とイスラム教徒は、生まれた男児に宗教上の理由から必ず割礼をほどこします。(旧約に神と民との契約として、書かれています)
 生まれて8日目に、亀頭の先の余った皮を切り落とすのが割礼です。ユダヤ教徒ダビデなら、割礼を受けているはず。しかるに、見事な芸術作品であるダビデのその部分、よお~く見るといわゆる「皮かぶり、包茎」であります。

 この点につき、ルネサンス以後、山のように論説が出ています。ミケランジェロはユダヤの民でなく古代ギリシャ彫刻の肉体(割礼習俗なし)こそ至高の美であると信じていた、とか、モデルになった美少年(名はダビデ、英語名ならディビッド)の姿をこよなく愛していたからとか。

 日本の江戸期春画は、その部分を1.5倍ほどに強調して大きく描くのが売れ筋春画となるコツだったとかで、本物よりずっと大きく描かれています。(ネットにはさまざまな春画が出ていますから、各自ご検証のほどを)
 けれど、ルネッサンス期ミケランジェロたちその方面の方々にとっては、「でっかいことはいいことだ」という価値基準はなかったみたい。ようわからんが。

 ダビデ像も、体の巨大さ(5メートル)に対して、股間はそれほど強調されていません。
 この部分をしっかり見たい方、<つづく>の下に出しましたから、番外としてごらんください。

 東京都渋谷区広尾2-1-14 パパス(メンズのアパレル会社らしい)の実物大レプリカ、ダビデ像。
 本物ミケランジェロのほうは、美術館のなかだし、あまりしげしげと見つめるのもなんでしょうが、広尾の通り道、歩きながら巨大な像を見上げることができます。胸のあたりの横棒は倒壊防止用なのか、ちと邪魔ですが、腰のあたりに邪魔なものなし。

 山種美術館には、和服のご婦人とか上品な方々が多く、バス代ケチって恵比寿から徒歩で行き来をする人はあまり多いとは思えませんが、せっかく美術鑑賞に出歩くなら、広尾パパスダビデ像のような、キッチュな美術を楽しむのも、アートなtokyoを堪能するひとつの方法かと存じます。かしこ。

<つづく>
 
 以下の画像は、股間若衆を見たい人だけどうぞ。
 (個人的な感想ですが)體の大きさに対して小さいと思います、、、、



コメント (2)
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