20180724
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記絆唄(1)おばかさん絆
「絆とは、もともとは家畜をつないでおくための綱」という中国漢字字源の説明を読むと、人間にとって、絆って拘束具のひとつとも言えるんだなあ、と思います。
ネアンデルタール人は、現生人類クロマニヨン人と同じような知能を持ち、体力的にはより優れていたという研究結果が出されています。地球上に同時期に繁栄をしていた人類のうち、なぜ、ネアンデルタール人は滅んでしまい、クロマニヨン人が地球上に76億人もの個体を繁栄させることができたのか。
一説によると。
ネアンデルタール人は、家族の絆がとても固く、一家でまとまって生活していました。家族が亡くなるとお墓に花を供えていたことが、花粉の分析でわかっています。狩りをするにも家長の体力がもっとも大切。家族が協力して暮らしていましたが、家長を失うと、残された家族は生き抜くことが難しかった。家族の絆は固くても、他の家族とのつながりは薄く、他からの援助は期待できなかったのです。
一方、クロマニヨン人はいくつかの家族が集団を作って暮らしたので、群れで狩りや採集を行い、収穫したものは、群れ全体で分かちあいました。狩りができない子供にも、お年寄りにも。
文化人類学の研究によると。現代まで狩猟生活を行っていたコイサン族(昔はブッシュマンと呼ばれていた)は、狩猟の獲物を、どの人にも平等に分けていたそうです。
「分かち合い」し合えたことが、クロマニヨン人が発展できた理由、と人類学者や文明史学者はみなしています。群れの中で親を失った子がいたとしても、皆でその子を育て、狩りに出ることができなくなったお年寄りにも獲物を分ける。お年寄りは、子供たちに培った知識を伝えることで、群れはより多くの経験と知恵を蓄えることができました。
現代社会。トップから8人の大富豪が抱える富は、低いほうの36憶人の富を上回っているそうです。はしかやマラリアにかかっても、医者も薬もなく、栄養失調の子を育てていくこともできない36憶人。トップから20人の大富豪の富は、76億人のうちの50憶人の富と同じ。おそらく、日本人の多くは、その他大勢の「そこそこ食べていけて、文化生活も享受できる」26億人のほうに入っているでしょうから、「自分が食べていけるのだからそれでいい」と感じている人が多数なのでしょうね。
すなわち、現生人類は格差をよしとしています。分かち合いができなくなっているのです。
分かち合いができなくなった現生人類は、たぶん、やがて滅びます。次に地球を支配するのは、ミュータント新人類なのか、それとも鳥の一種が進化して恐竜以上に栄えるのか。ミミズが進化して地球の主役になるかもしれませんし、粘菌が進化する、というのも考えられます。
さて、家族の絆です。
春庭夫は、6月12日に骨折して18日に手術をしました。春庭は、仕事を5時に終えると病院へ行き、夫のはきかえパンツ洗濯などをしたり、夫事務所のごみを出したり、けなげな妻をやっていましたが、、、、
6月下旬の木曜日。夫の事務所と病院を2往復した日がありました。夫から「事務所固定電話の留守番電話に録音されたメッセージをメモしてきて。それから着信電話番号をメモしてきて」と命じられました。私にとって、数字にかかわることをするのは、なにより大嫌いなことです。(ちなみに、夫はいまだにケータイもパソコンも拒否している変わり者です)。
私が数字で好きなのは、数字とともにユキチさんとか一葉さんの顔がついている場合だけ。顔で判断できるから、数字を見なくてもよい。それ以外だと、いっさいの数字がダメ。
ディスクレシア(識字困難症)は、近年、ハリウッドスターのトム・クルーズもそうだということが公表されて、一般の認知も進みました。ことばは理解できるのに、文字の識別が困難な人たちがいるのです。
私の「数字はいっさいダメ」というのは、学習障害のひとつで、算数障害(ディスカりキュア)の一種じゃないかしら。数字が目の中をよぎると、頭の中全部が混乱するのです。小学校のうちは、数字もせいぜい二桁だから、まだよかった。自慢じゃないが、高校の数学Ⅱというのは半分も理解できず、数学Ⅲというのは、最初の授業から放棄しました。ベクトルだぁ?極限だ?対数だ?導関数だ?なんのこっちゃ。以来、数字を見るとめまいがする。
私が数字に弱いことを知っているのに、夫は、そんな私に電話番号を書いて来いという。自分は数字に強く、電話番号を書くくらい、目をつぶってもできると思っています。
何度も電話を操作して、ようやく番号を書き留め、ストレスいっぱいになって病院に戻り、夫に言いました。
「とっても簡単なステップを教えるから、退院したらリハビリがわりにダンスをおどってね。マイケルジャクソンの曲にしよう」
もちろん夫はいやだ、と言いました。夫は、音楽は演歌まで。なかんずく嫌いなのがダンス。「でもあなたは、私に、一番苦手な数字を書かせたじゃない。どうしてあなたは、数字を嫌がる私に数字を書いて来いと言って、自分は苦手なことをやろうとしないの。同じことでしょう」と文句を言いました。すると夫は「じゃ、もう病院こなくていい」と、言い放ちました。
怒り心頭。そうなると、これまで35年間のうらみつらみが一気によみがえります。
娘息子の学芸会。劇で主役を演じてもリレー選手に選ばれても、「運動会だの学芸会だの喜んで見に行くやつの気がしれない」と言って、一度も見てやったことなかったこと。息子生まれてから、一度もいっしょに旅行してやったことがないこと。いっしょに散歩する遊んでやるとか皆無。
子供二人にしてみれば、精神面でも生活面でも、父親として関わること薄かった人です。それなのに、父が怪我をしたといえば、娘も息子も入院の世話をして、事務所の掃除までしてあげている。事務所のそうじ、たいへんだったと、文句は言っていたけれど。なんていい子たちに育てたんでしょう、私はえらい、と、自分で自分に言いました。姑が亡くなった後、だれも言ってくれないから。
7月21日も、猛暑の中娘は、父からの電話を受けて、郵便物チェックやメダカの餌やりのため事務所をに行き、病院で父の話し相手をして、暑かったあと帰って来ました。当初は1か月くらいという入院期間の予定でしたが、年寄りはやはり治りが遅いらしく、退院時期はまだ未定。
ちゃんとリハビリに励んでいることを自慢していたということですが、足だけじゃなく、家族ほったらかしの根性もリハビリすべきでしょう。
夫婦の絆、ですってぇ。こんな綱、切ってやるぞ、と35年言い続けて、鋏もさびついた私がばかなのよね。

A: オレたちって、つながっているよナァ、絆で結ばれている。
B:これって、絆なの?拘束具だと思うけど。ま。働くってことは拘束されているってことだから、今の世でせっせと働くには、拘束されるのには目をつぶらなきゃあね。ちょっとお、そんなにくっつかないでよう。
A: だって、オレたちの絆が、、、、、
B: だから、これって、拘束だっつうの。
夫が歌える唄「わたし、馬鹿よねぇ、おばかさんよねぇ、、、、」
はい、私がおばかさんです。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記絆唄(1)おばかさん絆
「絆とは、もともとは家畜をつないでおくための綱」という中国漢字字源の説明を読むと、人間にとって、絆って拘束具のひとつとも言えるんだなあ、と思います。
ネアンデルタール人は、現生人類クロマニヨン人と同じような知能を持ち、体力的にはより優れていたという研究結果が出されています。地球上に同時期に繁栄をしていた人類のうち、なぜ、ネアンデルタール人は滅んでしまい、クロマニヨン人が地球上に76億人もの個体を繁栄させることができたのか。
一説によると。
ネアンデルタール人は、家族の絆がとても固く、一家でまとまって生活していました。家族が亡くなるとお墓に花を供えていたことが、花粉の分析でわかっています。狩りをするにも家長の体力がもっとも大切。家族が協力して暮らしていましたが、家長を失うと、残された家族は生き抜くことが難しかった。家族の絆は固くても、他の家族とのつながりは薄く、他からの援助は期待できなかったのです。
一方、クロマニヨン人はいくつかの家族が集団を作って暮らしたので、群れで狩りや採集を行い、収穫したものは、群れ全体で分かちあいました。狩りができない子供にも、お年寄りにも。
文化人類学の研究によると。現代まで狩猟生活を行っていたコイサン族(昔はブッシュマンと呼ばれていた)は、狩猟の獲物を、どの人にも平等に分けていたそうです。
「分かち合い」し合えたことが、クロマニヨン人が発展できた理由、と人類学者や文明史学者はみなしています。群れの中で親を失った子がいたとしても、皆でその子を育て、狩りに出ることができなくなったお年寄りにも獲物を分ける。お年寄りは、子供たちに培った知識を伝えることで、群れはより多くの経験と知恵を蓄えることができました。
現代社会。トップから8人の大富豪が抱える富は、低いほうの36憶人の富を上回っているそうです。はしかやマラリアにかかっても、医者も薬もなく、栄養失調の子を育てていくこともできない36憶人。トップから20人の大富豪の富は、76億人のうちの50憶人の富と同じ。おそらく、日本人の多くは、その他大勢の「そこそこ食べていけて、文化生活も享受できる」26億人のほうに入っているでしょうから、「自分が食べていけるのだからそれでいい」と感じている人が多数なのでしょうね。
すなわち、現生人類は格差をよしとしています。分かち合いができなくなっているのです。
分かち合いができなくなった現生人類は、たぶん、やがて滅びます。次に地球を支配するのは、ミュータント新人類なのか、それとも鳥の一種が進化して恐竜以上に栄えるのか。ミミズが進化して地球の主役になるかもしれませんし、粘菌が進化する、というのも考えられます。
さて、家族の絆です。
春庭夫は、6月12日に骨折して18日に手術をしました。春庭は、仕事を5時に終えると病院へ行き、夫のはきかえパンツ洗濯などをしたり、夫事務所のごみを出したり、けなげな妻をやっていましたが、、、、
6月下旬の木曜日。夫の事務所と病院を2往復した日がありました。夫から「事務所固定電話の留守番電話に録音されたメッセージをメモしてきて。それから着信電話番号をメモしてきて」と命じられました。私にとって、数字にかかわることをするのは、なにより大嫌いなことです。(ちなみに、夫はいまだにケータイもパソコンも拒否している変わり者です)。
私が数字で好きなのは、数字とともにユキチさんとか一葉さんの顔がついている場合だけ。顔で判断できるから、数字を見なくてもよい。それ以外だと、いっさいの数字がダメ。
ディスクレシア(識字困難症)は、近年、ハリウッドスターのトム・クルーズもそうだということが公表されて、一般の認知も進みました。ことばは理解できるのに、文字の識別が困難な人たちがいるのです。
私の「数字はいっさいダメ」というのは、学習障害のひとつで、算数障害(ディスカりキュア)の一種じゃないかしら。数字が目の中をよぎると、頭の中全部が混乱するのです。小学校のうちは、数字もせいぜい二桁だから、まだよかった。自慢じゃないが、高校の数学Ⅱというのは半分も理解できず、数学Ⅲというのは、最初の授業から放棄しました。ベクトルだぁ?極限だ?対数だ?導関数だ?なんのこっちゃ。以来、数字を見るとめまいがする。
私が数字に弱いことを知っているのに、夫は、そんな私に電話番号を書いて来いという。自分は数字に強く、電話番号を書くくらい、目をつぶってもできると思っています。
何度も電話を操作して、ようやく番号を書き留め、ストレスいっぱいになって病院に戻り、夫に言いました。
「とっても簡単なステップを教えるから、退院したらリハビリがわりにダンスをおどってね。マイケルジャクソンの曲にしよう」
もちろん夫はいやだ、と言いました。夫は、音楽は演歌まで。なかんずく嫌いなのがダンス。「でもあなたは、私に、一番苦手な数字を書かせたじゃない。どうしてあなたは、数字を嫌がる私に数字を書いて来いと言って、自分は苦手なことをやろうとしないの。同じことでしょう」と文句を言いました。すると夫は「じゃ、もう病院こなくていい」と、言い放ちました。
怒り心頭。そうなると、これまで35年間のうらみつらみが一気によみがえります。
娘息子の学芸会。劇で主役を演じてもリレー選手に選ばれても、「運動会だの学芸会だの喜んで見に行くやつの気がしれない」と言って、一度も見てやったことなかったこと。息子生まれてから、一度もいっしょに旅行してやったことがないこと。いっしょに散歩する遊んでやるとか皆無。
子供二人にしてみれば、精神面でも生活面でも、父親として関わること薄かった人です。それなのに、父が怪我をしたといえば、娘も息子も入院の世話をして、事務所の掃除までしてあげている。事務所のそうじ、たいへんだったと、文句は言っていたけれど。なんていい子たちに育てたんでしょう、私はえらい、と、自分で自分に言いました。姑が亡くなった後、だれも言ってくれないから。
7月21日も、猛暑の中娘は、父からの電話を受けて、郵便物チェックやメダカの餌やりのため事務所をに行き、病院で父の話し相手をして、暑かったあと帰って来ました。当初は1か月くらいという入院期間の予定でしたが、年寄りはやはり治りが遅いらしく、退院時期はまだ未定。
ちゃんとリハビリに励んでいることを自慢していたということですが、足だけじゃなく、家族ほったらかしの根性もリハビリすべきでしょう。
夫婦の絆、ですってぇ。こんな綱、切ってやるぞ、と35年言い続けて、鋏もさびついた私がばかなのよね。

A: オレたちって、つながっているよナァ、絆で結ばれている。
B:これって、絆なの?拘束具だと思うけど。ま。働くってことは拘束されているってことだから、今の世でせっせと働くには、拘束されるのには目をつぶらなきゃあね。ちょっとお、そんなにくっつかないでよう。
A: だって、オレたちの絆が、、、、、
B: だから、これって、拘束だっつうの。
夫が歌える唄「わたし、馬鹿よねぇ、おばかさんよねぇ、、、、」
はい、私がおばかさんです。
<つづく>