20230312
ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山崎正和つづき
11/05は、私の母方父方の祖母について書いた。子供時代、おばあさんの膝に抱かれていたころは、自分もやがてはおばあさんになるのだなんて、とうてい思えなかった。しかし、もう「おばあさん」は目前。
息子はまだ中学生だし、自分の孫から「おばあさん」と呼ばれる日は、もう少しあとのことになるだろう。
が、日本語では親族を呼ぶ「おばあさん」「おばさん」「お姉さん」などが、他人に呼びかける言葉としても使われている。八百屋の店先では「お姉さん、大根安いよ」なんて呼び止められている私も、やがては電車の中で若者に「おばあさん、ここどうぞ」と席を譲られて、きっとなり「わたくし、あなたのような孫を持った覚えがございませんので、あなた様からおばあさんと呼ばれる筋合いはございません」とかなんとか言いながら、ずうずうしくも座席にどっしり腰を据える、イヤミな婆あになるに違いない。
女性には2度の年齢ショックがある。最初は30歳前後のとき。見知らぬよその子供から「おばさん」と呼び止められて、ショック!「あたしがオバサンだってえ。ちょっと、そこのガキ!いったいどこ見てあたしをオバサン呼ばわりするのよ!こんなに若くて美しいのに」
2度目は、見知らぬ他人から「おばあさん」と呼びかけられたとき。「ちょっとぉ、いったいどこ見て私を~以下同文」
25歳のとき姪が誕生して、めでたく私は叔母さんになったのだが、ガンとして姪には叔母さんと呼ばせなかった。「おねえちゃん」と呼ばせていたのだ。自分が母親になってから、ようよう姪から叔母ちゃんと呼ばれても気にならなくなった。
息子が遅く生まれて、まだ中学生であるのをいいことに、何かの集まりで年齢さぐり出しトークになると「中学生の息子がいるんですが、これが少しも勉強しませんで、、、」などと言うことにしている。すると敵は「中学生を持つ母親ならだいたい、40代、いや22歳で生んで中学1年生の母親なら、13を足して35歳くらいか」なんて勘定しているのがわかる。フッフッフ。公称35歳。
ところが、第2番目のショック!がついに来た。
11/03に、息子の学校文化祭へ行ってクラスで上演した演劇を見た話を書いた。三谷幸喜の脚本が実にうまくて、とにかく笑いっぱなし。ほんとにうまい喜劇作家だ。マクベスを演じる一座をめぐるシチュエーションコメディなのだが、セリフのくすぐりやパロディに大ウケ。
息子は「役をおろされた大根役者」の役なので、自分の出番のほかは奥へはいってしまう。息子が出ていない場面が退屈になるんじゃないかという心配はふっとんだ。
他の観客は笑わず、私だけが笑い出すこともある。たぶん、中学生には昔のギャグやパロディはわからないし、「軽井沢夫人」なんてセリフで笑えるのは、むかし日活ロマンポルノを見たか、現在クドカンドラマ「マンハッタンラブ」を見ているかだ。
マクベスがパロディで「もしも明日があるのなら、思いのすべてを言葉にして、君に届けることだろう」なんて、セリフを言ったとき、西田敏行の「♪もしもピアノが弾けたなら、思いのすべてを歌にして~」というのが思い出されてクスクスッ。でも、中学生達にはこの歌わからない。うまれる前の歌だもの。
私が笑い出すと、他の人もつられて笑うっていうこともあった。中学生の稚拙な演技でもこれほど笑えるってことは、三谷幸喜は天才だ。誰よりも大笑いをして帰宅した。笑うのが大好き。笑うと免疫力が高まり、寿命が延びる。笑いは長寿の元である。
役者は観客に支えられ、観客は役者の演技で寿命を延ばす。
劇が終わってから、「どうだった、うまく演じられた?」と息子に感想を聞く。「うん、僕はね。ぼくのセリフ客によくうけてたし。ぼくは裏にひっこんじゃうから、他の人がでているときのことわからないけど、ソンチョーの話だとね。ひとりよく笑ってくれる観客がいて、笑いの起爆剤になってありがたかったけど、おばあさんだから、笑いのテンポが半テンポずれるんだって。そいでもって他の観客がおばあさんにつられて笑うから、観客が笑うころには次のセリフがかぶってしまって、やりずらいったらありゃしない、って言ってた」
ちょっと待ったあぁぁ!そのおばあさんってのは、まさかまさか、私のことじゃあるまいか?村長がうちに遊びに来たとき、私は家にいなかった。私は息子の親友村長の顔をよく知っているが、村長は私を知らない。村長は大笑いをしている私を見て、「なんだい、このおばあさんの大笑い」と思いながら演技していたのだ。おばあさんだってぇえええ!いったい私のどこ見て、おばあさん呼ばわり、、、と鏡をみれば、皺白髪、、、、そりゃねぇ、見たままを口にする心正しき中学生の感想!
年齢からいえば、確かにクラスメートのお母さんの中で、私が一番年寄りだ。村長のママなんて、すごく若くてきれい。自分のママから見たら、私がおばあさんに見えたのは、仕方があるまい。私は息子を39歳で生んだのだ。
私の中学生のときのクラスメートの一人は、39歳のとき、孫が誕生していた。
というわけで、11/03文化の日は、「春庭、はじめて人様からおばあさんと呼ばれた日、記念日」になったのでした。
<あひるの昼寝Duck抱く駄句>
遠き日を笈に拾うて明治節(明治は遠くなりにけりのココロ)
文化の日 老婆は一日にしてならず(樋口恵子に一票)
おいおいと老いにも慣れて栗ひろう(マロングラッセ大好きです)
門跡尼寺の細き裏道吾亦紅(皇室ゴシップ大好きなので、河原敏明『昭和天皇の妹君』を買ってしまった)
菊見事死ぬときは出来るだけ派手に(日野草城のパロディ、11月25日三島命日に)
亡き母の年を数える十三夜(11月25日が母の誕生日。三島命日といっしょ)
マクベスの長き台詞や桐一葉(『桐一葉』『マクベス評釈の緒言』の著者は逍遥)
息子はまだ中学生だし、自分の孫から「おばあさん」と呼ばれる日は、もう少しあとのことになるだろう。
が、日本語では親族を呼ぶ「おばあさん」「おばさん」「お姉さん」などが、他人に呼びかける言葉としても使われている。八百屋の店先では「お姉さん、大根安いよ」なんて呼び止められている私も、やがては電車の中で若者に「おばあさん、ここどうぞ」と席を譲られて、きっとなり「わたくし、あなたのような孫を持った覚えがございませんので、あなた様からおばあさんと呼ばれる筋合いはございません」とかなんとか言いながら、ずうずうしくも座席にどっしり腰を据える、イヤミな婆あになるに違いない。
女性には2度の年齢ショックがある。最初は30歳前後のとき。見知らぬよその子供から「おばさん」と呼び止められて、ショック!「あたしがオバサンだってえ。ちょっと、そこのガキ!いったいどこ見てあたしをオバサン呼ばわりするのよ!こんなに若くて美しいのに」
2度目は、見知らぬ他人から「おばあさん」と呼びかけられたとき。「ちょっとぉ、いったいどこ見て私を~以下同文」
25歳のとき姪が誕生して、めでたく私は叔母さんになったのだが、ガンとして姪には叔母さんと呼ばせなかった。「おねえちゃん」と呼ばせていたのだ。自分が母親になってから、ようよう姪から叔母ちゃんと呼ばれても気にならなくなった。
息子が遅く生まれて、まだ中学生であるのをいいことに、何かの集まりで年齢さぐり出しトークになると「中学生の息子がいるんですが、これが少しも勉強しませんで、、、」などと言うことにしている。すると敵は「中学生を持つ母親ならだいたい、40代、いや22歳で生んで中学1年生の母親なら、13を足して35歳くらいか」なんて勘定しているのがわかる。フッフッフ。公称35歳。
ところが、第2番目のショック!がついに来た。
11/03に、息子の学校文化祭へ行ってクラスで上演した演劇を見た話を書いた。三谷幸喜の脚本が実にうまくて、とにかく笑いっぱなし。ほんとにうまい喜劇作家だ。マクベスを演じる一座をめぐるシチュエーションコメディなのだが、セリフのくすぐりやパロディに大ウケ。
息子は「役をおろされた大根役者」の役なので、自分の出番のほかは奥へはいってしまう。息子が出ていない場面が退屈になるんじゃないかという心配はふっとんだ。
他の観客は笑わず、私だけが笑い出すこともある。たぶん、中学生には昔のギャグやパロディはわからないし、「軽井沢夫人」なんてセリフで笑えるのは、むかし日活ロマンポルノを見たか、現在クドカンドラマ「マンハッタンラブ」を見ているかだ。
マクベスがパロディで「もしも明日があるのなら、思いのすべてを言葉にして、君に届けることだろう」なんて、セリフを言ったとき、西田敏行の「♪もしもピアノが弾けたなら、思いのすべてを歌にして~」というのが思い出されてクスクスッ。でも、中学生達にはこの歌わからない。うまれる前の歌だもの。
私が笑い出すと、他の人もつられて笑うっていうこともあった。中学生の稚拙な演技でもこれほど笑えるってことは、三谷幸喜は天才だ。誰よりも大笑いをして帰宅した。笑うのが大好き。笑うと免疫力が高まり、寿命が延びる。笑いは長寿の元である。
役者は観客に支えられ、観客は役者の演技で寿命を延ばす。
劇が終わってから、「どうだった、うまく演じられた?」と息子に感想を聞く。「うん、僕はね。ぼくのセリフ客によくうけてたし。ぼくは裏にひっこんじゃうから、他の人がでているときのことわからないけど、ソンチョーの話だとね。ひとりよく笑ってくれる観客がいて、笑いの起爆剤になってありがたかったけど、おばあさんだから、笑いのテンポが半テンポずれるんだって。そいでもって他の観客がおばあさんにつられて笑うから、観客が笑うころには次のセリフがかぶってしまって、やりずらいったらありゃしない、って言ってた」
ちょっと待ったあぁぁ!そのおばあさんってのは、まさかまさか、私のことじゃあるまいか?村長がうちに遊びに来たとき、私は家にいなかった。私は息子の親友村長の顔をよく知っているが、村長は私を知らない。村長は大笑いをしている私を見て、「なんだい、このおばあさんの大笑い」と思いながら演技していたのだ。おばあさんだってぇえええ!いったい私のどこ見て、おばあさん呼ばわり、、、と鏡をみれば、皺白髪、、、、そりゃねぇ、見たままを口にする心正しき中学生の感想!
年齢からいえば、確かにクラスメートのお母さんの中で、私が一番年寄りだ。村長のママなんて、すごく若くてきれい。自分のママから見たら、私がおばあさんに見えたのは、仕方があるまい。私は息子を39歳で生んだのだ。
私の中学生のときのクラスメートの一人は、39歳のとき、孫が誕生していた。
というわけで、11/03文化の日は、「春庭、はじめて人様からおばあさんと呼ばれた日、記念日」になったのでした。
<あひるの昼寝Duck抱く駄句>
遠き日を笈に拾うて明治節(明治は遠くなりにけりのココロ)
文化の日 老婆は一日にしてならず(樋口恵子に一票)
おいおいと老いにも慣れて栗ひろう(マロングラッセ大好きです)
門跡尼寺の細き裏道吾亦紅(皇室ゴシップ大好きなので、河原敏明『昭和天皇の妹君』を買ってしまった)
菊見事死ぬときは出来るだけ派手に(日野草城のパロディ、11月25日三島命日に)
亡き母の年を数える十三夜(11月25日が母の誕生日。三島命日といっしょ)
マクベスの長き台詞や桐一葉(『桐一葉』『マクベス評釈の緒言』の著者は逍遥)
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20230311
春庭20年前はまだ「おばあさん」と呼ばれることに抵抗があったことがわかるが、2023年、立派な高齢者となって、75歳から高貴幸齢者と呼ばれるのも目前です。
高貴でもなく幸齢者でもない、ただの年寄りになり、おばあさんライフを楽しむ余裕はない。政治的に正しい表現では「ご高齢の女性」です。