20191112
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(24)日本語教師養成講座
春庭の日本語教室だよりを再録しています。
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2006/09/20 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(1)模擬授業
私の「日本語教育研究」の授業では、日本語学を復習しつつ、さまざまな第二言語教授法も学び、日本語教授法を考えていけるよう指導しています。
学生たちが、一人前とはいかなくても、半人前くらいの日本語教師として通用するように、1年間ふたつの学期で授業を続けます。
半人前めざして、四分の一人前くらいでおわるのが関の山なんですが。
半年コースの最後の2回は、一人10分程度の模擬授業を実施します。
50分授業の指導案を書き、指導案に基づいて10分間、教師として授業をやってみます。
今日20日は、日本語教育研究のクラスの模擬授業発表後半をおこないます。先週の水曜日にクラスの半分が発表を終えています。
クラスを4つの班に分けてあります。発表班のひとりが日本語教師の役を演じます。
モデル授業案をもとに、自分が割り当てられた文型の教え方、ドリルの仕方を「50分授業の教案」としてまとめ提出します。
そのなかの10分間分を「授業シナリオ」にします。映画のシナリオのように、場面、時を設定します。どれくらいの人数のクラスなのか、生徒の国籍、レベル、これまでにどのくらいの時間日本語授業を受けてきた学生なのかを自分たちで設定して、教室の準備をします。コースデザインをするのです。
この設定によって、教師役のセリフ、生徒が答えるであろうことばを予想し、教室でやりとりされるすべてのセリフを書き込みます。
現実の教室では「アドリブ続出」となり、シナリオどおりに授業が進むことなどないのですが、はじめて教師役を体験する学生には、まずは、シナリオ執筆と、シナリオにそった授業展開を体験してみることが必要です。
授業を行う先生は、「シナリオライターであり、演出家であり、俳優であり、生徒という出演者の演技指導係であり、プロデューサーでもあり、いわば、教室という劇場のすべてをとりしきる、統括者なのだ」と、学生に話しています。
教室の主人公は日本語学習者ですから、脇役の教師は、主役の日本語学習者のよい表情、よいセリフをひきださなければなりません。
発表班の学生は、ひとりが先生役を演じ、他の学生は生徒役になります。同じ班なので、お助けの「よくできる生徒役」を演じます。
他の班の学生は、何人かが「まったく日本語ができなくて、理解もおそいし、リピートのおうむがえし練習も口がまわらない役」を演じます。
残りの学生は、コメンテーター役。です。模擬授業をじっと観察して、よい点と改善点をみつけ、コメント表にかきこみます。この書き込みも「第3レポート」として、成績評価の対象になりますから、学生たち、コメントもいっしょうけんめい書き込みます。
<つづく>
2006/09/21 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(2)日本語教師の役を演じる
日本語教師養成コースの「教育実習」では、ほんとうの日本語教室へ出向き、さまざまな外国人に教えるところもありますが、私の模擬授業では、教える相手は留学生ではなく、学習者の役を与えられた日本人学生なので、実際の日本語授業とは異なります。
しかし、学生達はかなり緊張しながら、それぞれ苦心して授業案を書き上げ、皆の前で「日本語の先生役」を演じます。
10人前後の「学習者役」になった学生へは、「あなたたちは、はじめて日本語を習う学習者の役なんですから、中学一年生のときはじめて英語をならったときのことを思い出してね」といってあります。
しかし、みんな自分が不出来な中学生だったことを忘れて(いや、彼らはきっと優秀な生徒だったのかもしれないが)、スラスラと先生のあとについてリピート練習をしたり、初級なのに難しい漢字が読めたり、どうも優秀すぎます。
学習者役の日本人学生たち、日本語を母語としているのだから、日本語ができるのは、当然なんだけれど、実際の日本語をはじめて習う学習者に教えるときは、そんなスラスラと授業は進まないのが現実です。
私ひとりが「不出来な学習者」の役を引き受け、先生がいっしょうけんめい教えても、発音を間違えたり、先生のことばが理解できなかったりのふりをします。
初級の学習者に新しい文型(新出文法事項)を教えるのに、日本語で説明してはいけないと、何度言っても、日本語で説明をしてしまうのです。
「ここにいます。そこにあります」という「こそあど」表現と、「ある、いる」の文型を教える授業。
「私の周りは、ここ、といいます」と、日本語先生役の学生が授業をはじめました。
出来の悪い生徒役がたずねます。
「先生、マワリ、なんですか?トイイます、なんですか?トイイます、わかりません」
「ここにあります」という基本の文型を習う初級者には、日本語で「周り」という言葉を聞いても理解出来ない。「と、いいます」などの引用の言い方を習うのも、初級の後半になるので、「トイイマス」がわかりません。
多くの先生役のミスは、日本語だけで日本語を教える際、学習者がまだ習っていない日本語をつかってしまうことです。
「では、わたしが言ったとおりのまねしてください」なんて、学習者に呼びかけても、「わたし」はわかるけれど、「では」も「言ったとおりに」も「まね」も、まだ習っていないことばですから、わからないのです。
「先生のいうのをくりかえす練習をする、リピート練習をする」ということを、学習者にわからせるところから授業がはじまります。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(24)日本語教師養成講座
春庭の日本語教室だよりを再録しています。
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2006/09/20 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(1)模擬授業
私の「日本語教育研究」の授業では、日本語学を復習しつつ、さまざまな第二言語教授法も学び、日本語教授法を考えていけるよう指導しています。
学生たちが、一人前とはいかなくても、半人前くらいの日本語教師として通用するように、1年間ふたつの学期で授業を続けます。
半人前めざして、四分の一人前くらいでおわるのが関の山なんですが。
半年コースの最後の2回は、一人10分程度の模擬授業を実施します。
50分授業の指導案を書き、指導案に基づいて10分間、教師として授業をやってみます。
今日20日は、日本語教育研究のクラスの模擬授業発表後半をおこないます。先週の水曜日にクラスの半分が発表を終えています。
クラスを4つの班に分けてあります。発表班のひとりが日本語教師の役を演じます。
モデル授業案をもとに、自分が割り当てられた文型の教え方、ドリルの仕方を「50分授業の教案」としてまとめ提出します。
そのなかの10分間分を「授業シナリオ」にします。映画のシナリオのように、場面、時を設定します。どれくらいの人数のクラスなのか、生徒の国籍、レベル、これまでにどのくらいの時間日本語授業を受けてきた学生なのかを自分たちで設定して、教室の準備をします。コースデザインをするのです。
この設定によって、教師役のセリフ、生徒が答えるであろうことばを予想し、教室でやりとりされるすべてのセリフを書き込みます。
現実の教室では「アドリブ続出」となり、シナリオどおりに授業が進むことなどないのですが、はじめて教師役を体験する学生には、まずは、シナリオ執筆と、シナリオにそった授業展開を体験してみることが必要です。
授業を行う先生は、「シナリオライターであり、演出家であり、俳優であり、生徒という出演者の演技指導係であり、プロデューサーでもあり、いわば、教室という劇場のすべてをとりしきる、統括者なのだ」と、学生に話しています。
教室の主人公は日本語学習者ですから、脇役の教師は、主役の日本語学習者のよい表情、よいセリフをひきださなければなりません。
発表班の学生は、ひとりが先生役を演じ、他の学生は生徒役になります。同じ班なので、お助けの「よくできる生徒役」を演じます。
他の班の学生は、何人かが「まったく日本語ができなくて、理解もおそいし、リピートのおうむがえし練習も口がまわらない役」を演じます。
残りの学生は、コメンテーター役。です。模擬授業をじっと観察して、よい点と改善点をみつけ、コメント表にかきこみます。この書き込みも「第3レポート」として、成績評価の対象になりますから、学生たち、コメントもいっしょうけんめい書き込みます。
<つづく>
2006/09/21 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(2)日本語教師の役を演じる
日本語教師養成コースの「教育実習」では、ほんとうの日本語教室へ出向き、さまざまな外国人に教えるところもありますが、私の模擬授業では、教える相手は留学生ではなく、学習者の役を与えられた日本人学生なので、実際の日本語授業とは異なります。
しかし、学生達はかなり緊張しながら、それぞれ苦心して授業案を書き上げ、皆の前で「日本語の先生役」を演じます。
10人前後の「学習者役」になった学生へは、「あなたたちは、はじめて日本語を習う学習者の役なんですから、中学一年生のときはじめて英語をならったときのことを思い出してね」といってあります。
しかし、みんな自分が不出来な中学生だったことを忘れて(いや、彼らはきっと優秀な生徒だったのかもしれないが)、スラスラと先生のあとについてリピート練習をしたり、初級なのに難しい漢字が読めたり、どうも優秀すぎます。
学習者役の日本人学生たち、日本語を母語としているのだから、日本語ができるのは、当然なんだけれど、実際の日本語をはじめて習う学習者に教えるときは、そんなスラスラと授業は進まないのが現実です。
私ひとりが「不出来な学習者」の役を引き受け、先生がいっしょうけんめい教えても、発音を間違えたり、先生のことばが理解できなかったりのふりをします。
初級の学習者に新しい文型(新出文法事項)を教えるのに、日本語で説明してはいけないと、何度言っても、日本語で説明をしてしまうのです。
「ここにいます。そこにあります」という「こそあど」表現と、「ある、いる」の文型を教える授業。
「私の周りは、ここ、といいます」と、日本語先生役の学生が授業をはじめました。
出来の悪い生徒役がたずねます。
「先生、マワリ、なんですか?トイイます、なんですか?トイイます、わかりません」
「ここにあります」という基本の文型を習う初級者には、日本語で「周り」という言葉を聞いても理解出来ない。「と、いいます」などの引用の言い方を習うのも、初級の後半になるので、「トイイマス」がわかりません。
多くの先生役のミスは、日本語だけで日本語を教える際、学習者がまだ習っていない日本語をつかってしまうことです。
「では、わたしが言ったとおりのまねしてください」なんて、学習者に呼びかけても、「わたし」はわかるけれど、「では」も「言ったとおりに」も「まね」も、まだ習っていないことばですから、わからないのです。
「先生のいうのをくりかえす練習をする、リピート練習をする」ということを、学習者にわからせるところから授業がはじまります。
<つづく>