KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

桜開花

2021年03月14日 | 俳句
天気 晴 強風
 
昨日は春の嵐、今日は気温は上がったらしいが北風が吹き荒れて、まさに歳時記の「春疾風」という季語を実感する。といっても出かけた訳ではないが、鉄筋の建物でも窓が風で鳴るし、外の木々が大きく揺れる。隣の林の写真、まだ冬木に見えるがよく見ると少し新芽が出始めていた。
都心の桜も開花したそうだし、春は何事にも関係なくやってくる。
 
体調最悪。昨日は午前中に洗濯をして、午後には厚い冬のコートと春物を替えるため、大きなスーツケースと格闘する元気があったのに。
常勤の看護師さんは一人しか居ないので、彼女が休みの日は毎回のように違う派遣の看護師になる。いつもの看護師も最近替わったばかりだが、私のことをよく知ってくれている。が、今日は運悪く初めての看護師。熱を測りに来たとき(これは毎日している)、酸素量も測ってもらったら、かなり低めに出た。「手が冷たいからかしら?」と言っただけで、一回測ってお終い。こんなに低くては、コロナ患者だったら問題視するでしょ。
でも、他の症状は何もないからコロナでないことは確実で、持病の膠原病のせいかなあ・・と。明日、いつもの看護師さんに相談しよう。たいして安心材料にはならないけれど。
 
昼食後に窓の外を眺めていたら、あ、ツバメが・・ちょっと早いから見間違い?いつもなら4月になってからだった。でも、間違いなく2羽のツバメが私の目の前を横切った。何でも咲くのが早い今年なら、ツバメも間違って半月早く来てしまうこともあるのかなあ?
公園の山茱萸も、大分咲き揃ったはず。黄色い花は元気を貰える。

 
鬱々と籠りてをれば初つばめ  KUMI
 
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春の嵐

2021年03月13日 | 俳句
天気 大雨
 
昼頃から風雨が強くなり、湾岸の方には大雨洪水警報が出たようだ。こちらは、写真のように窓に降りこむほどの強い雨と風。窓からベランダ(普段は出られない)の手摺りまで1.5mほどあるのに窓がびしゃびしゃになるのは珍しい。北風の時だけだろうから、台風の時はそう降りこむこともないと思う。
雷鳴も、昼から夕方までかなり派手に聞こえていた。
春と冬の空気が喧嘩していて、そろそろ春が勝ちそうなので、明日からは暖かくなるかもしれない。
とにかく、不安定な彼岸頃の天候は気象病の人間にはとても辛い。昨日が最悪で、ちょっとのことで血圧が急上昇したのも、出かけてからの動悸・息切れも、すべて今日の気圧急降下の「予知」だったようだ。かえって、気圧の下がりきった今日の午後になってからの方が気分は良くなった。
 
あと1週間に迫った緊急事態宣言の期限と、ここの外出禁止令。感染は拡大の方向へ向かっている。変異株とやらに主流が代わってきているらしい。今更のように都知事は同じ自粛を繰り返し呼びかけるだけで・・もう、自粛は限界ですよ。聞くことに飽き飽きしていますよ、ことに若い人たちは。
お花見はダメ、と言うのなら、都立の公園の桜を「通り抜け」にして、今の閉園ももう中止してください。そうしないと、ゲートのない桜の名所が大混雑になりますよ。

でも、お隣の山梨県知事は「お花見・歓送迎会、大いに結構」と奨励している。すぐ隣、わが家からは電車に乗れば東京駅よりも山梨県の駅の方が近い。なのに、感染者はゼロの日が続き、3月になってからの9名(だったかな?)も、もう治癒して、入院患者はいないそうだ。
飲食店の感染予防を自治体が監視して、きちんとしている店に「お墨付き」の看板を与えている。
東京なぞ、貼るのは勝手、というだけのステッカーで、貼ってあったって密状態・予防のアクリル板もない店ばかりだ。夜の営業を延長したら、悲惨な結果になるのは目に見えている。医師会は危機ばかり言うのに、殆どの患者は公立病院へ押し付けて、コロナの治癒した後遺症だけの患者の入院すら拒否している病院ばかり。いつになったら、我々に自由な時間が与えられるのだろう?
山梨県民になれば良かった。果物は美味しいし、温泉はたくさんあるし、ワインは美味しいし・・コロナを防ぐ知事さんが居るし。

雨音に負けじと暴れ春の雷  KUMI
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眼鏡こわれた

2021年03月12日 | 俳句
天気 曇
 
写真は、今日行ったお店。なぜここへ行ったかというと・・
 
朝、9時から入浴することにして、さて、冷蔵庫の上の水のペットボトルを持っていこうとしたら・・そのそばに置いてあった普段使用の眼鏡にぶつけてしまった。なぜそこに置いたのかが不明でもあり。
眼鏡のすべり落ちた床の上で変な音が・・あらまあ、ツルの片方が根元からポッキリと折れていた。最近、少し緩くなってきた、とは思っていたけれど。白内障の術後に作り直したが、古いフレームでレンズだけ替えた。なので、もう5年以上使ったかもしれない。金属疲労も仕方ないか・・と思ったものの、レンズだけ替えるにしても店まで行かねばならない。
まさか、眼鏡の修理も出かけてはいけない、とは言われないだろうけれど・・などと事務所で外出の交渉をする面倒を考えていたら、血圧が跳ね上がった。入浴前のチェックで中止される数値。お風呂場の近くの職員のステーションで下がるまで、しばらく足止めになった。そして、シャワーだけの入浴。
あ~あ、何でもっと早くスペアを作っておかなかったのか。
白内障手術で老眼がなくなり、パソコン用と読書用も新しくした。でも、乱視用の普段使いの眼鏡は、古いフレームに新しいレンズを入れて作り替えただけ。スペアがないと旅行などに行ったとき困るので、今までは必ず作っていたのだが・・
後日にしよう、と。そのうちにコロナ騒ぎがあり、一つで間に合うのでスペアのことは忘れてしまった。
 
眼鏡なしでの外歩きは怖い。右眼の緑内障の視野狭窄はゆるゆる進んでいて、今は三分の一以上欠けている。幸い、真ん中が無事なのでまっすぐを見るには困らず暮らしているものの、眼鏡なしだと、足元がボヤけて距離感覚が弱くなる。おまけにマスクが邪魔・・という状態で、隣駅のデパートの眼鏡店まで。
とにかく、一時間ほどの待ち時間でレンズをフレームに合わせて加工してくれた。良かった~これで解決。


ちなみに、眼鏡の苦労話をすると「遠近両用にすればいいのに・・」と助言をいただく。それが出来ないのは、上記のように右眼の下の方が殆ど見えないので下だけ度の違う眼鏡はかえって怖い。

そして、待ち時間に、久しぶりに大好きな無印○品へ寄って春用のカーディガンなど買ってみる。同じフロアの○ニクロは、今日から税込み価格販売で9%安くなる、ということで混雑していた。「今日から」であって「今日だけ」ではないのに。レジは長蛇の列。なので隣の無印の店内はガラガラ。私はとっても助かった。感染者のまた増えるような日々、やはり人ごみは怖い。
 
淡(あは)々と連なる遠嶺花こぶし  KUMI
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穏やかな3月11日

2021年03月11日 | 俳句
天気 晴
 
 昨日の午後、今日の予報を見たら穏やかで暖かい、という珍しい天気になりそうだった。歯科の予約をしてみると、今日の午前10時15分が空いていた。しめしめ、早めに出て遠回りして・・お散歩して、すぐ近くの歯科へ行けば良い。
天気も良いし、体調も久しぶりに軽快だ。
 
ということで、以前の家の近くを一巡りして、いつも見ていた花をあれこれ眺めてきた。上の写真は、いつもわが家から見下ろしていた辛夷の木。なんと、もう満開だった。桜は、思ったほどに蕾は膨らんでいなかった。でも、近くのお邸の、名前の解らない早咲きの桜は、満開だった。足元には、もうハナニラが。

上を向いて咲いていたクリスマスローズ

そして乙女椿
 
 
カメラを持ってきたかった~と思った。が、帰りにはドラッグストアで買いたいものがあるので、カメラが邪魔になる。哀しいこと。早く買い物が自由になれば、と思うけれど、感染者は上昇し始めてしまった。またまたまた、外出面会禁止令(緊急事態宣言とはリンクしない)は延長になりそうだ。もう2ヶ月半・・。
予約時間まで少し間が出来てしまったので、歯科まで数分の市の公園のベンチで日向ぼっこ。3歳くらいの女の子と母親が遊んでいた。
咲いている花を見上げて、女の子が「桃の花みたい」と。


その通り、伸び放題の桃の木なのだ。葉っぱが出てきていて花は終わり近い。「似てるけどどうかなあ」と母親。きっと、雛祭に桃の花も飾ったのだろう。
「桃の花ですよ。よく解りましたね」と私が言ったら、母親がびっくりして「○ちゃん、お花をよく見てたのねえ」お花の好きな子は良い子になりますよ、と言ってあげたかった。私みたいに・・と付け加えて。
こんな、当たり前の光景を、真昼の大震災は消し去った。
今日を無事に暮せたことに感謝しなくては。
 
敢えて、大震災のことは書きません。

走る子と追ふ母の背に春日差し  KUMI
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脱力感

2021年03月10日 | 俳句
天気 晴

雲一つない空なのに、山は薄茶色に霞み、黄砂のような、杉花粉のような。
無論、今日も写真はないので、3年前の公園の花、真紅の寒木瓜。
こちらは、紅椿。

三月十日のことは毎年色々と書いてきたので、今日はもういいかな・・本当は良くない。戦争を何とか記憶する最後の年代なのだから、この日の記憶は残した方が良い。
昨日、私の長姉と同年代と思われる隣でいつも食事をされるお姉さまが「私たちの年代が、戦争を覚えている最後だわね」と言っていた。女学校の1年生だったらしいから、長姉と同じくらいだ。姉は、女学校(今の中学校)の何年生?横須賀の海軍の軍需工場で学徒動員され働いていた。学校は東京だったから、寮でもあったのだろう。終戦の直前、工場は爆撃され、姉は大怪我をして、家族の疎開先の千葉の海辺の村へ帰宅した。私は、今でも姉の包帯を巻かれた足と、痩せてとんがった顎を思い出す。
私だって戦争は知っていますよ、と昨日、お姉さまに言いたかったが黙っていた。話せば、B29のひっきりなしの爆音が耳元に思い出されてしまう。育った村は房総半島のど真ん中、東京襲撃の飛行機の通り道だった。大空襲のあと、海の向こうで真っ赤に染まった東京の空も記憶から消えない。
私は、かなり大人になっても(中年まで)飛行機のエンジン音に心臓がドキドキして耳を塞ぎたくなったものだ。

このところ、確定申告と「格闘」している。家を売った譲渡所得、といっても課税対象にならない額。でも申告だけはしなくてはならないと言われたのだが・・普通の確定申告はいつも自分でしていたので、簡単に出来ると思っていた。なので、コピーするものなどあるので、外へ自由に行ける日が来たら、とほったらかしだった。
その日が来そうもないので手を付けてはみたものの・・頓挫中です。説明書を読む気力を振り絞ったものの、理解力がなくなっている。
このところ体調も最悪の日続きで、やる気と根気が全く湧かない。おまけに相談出来る機関の電話はまったく繋がらない。たまたま繋がった「無料相談」、詳細は教えてくれず「税理士紹介します、ご住所を」費用を訊いたら、15万ですって!?
おまけに、私が予測したように先週が感染者の底のようで街にはこれから増加しそう。今のうちに税務署の相談窓口へ行ける手筈をした方が良いかなあ・・などと、このお手上げ状態・・どうなるのだろう、私も東京も日本も・・何とも言えぬ脱力感。

三月十日闇と光と爆音と  KUMI
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