川俣の関跡は、国道122号線が利根川を渡る昭和橋のたもとにあります
道の駅はにゅうの反対側(西側)です
利根川を渡る昭和橋です、新たに片側二車線になっています
史蹟川俣関所跡石碑です
説明版です
旧跡 川俣関所跡
川俣関所跡は慶長年間(1596~1615)に設けられ、明治二年(1869)に廃止されるまでの
約二百六十年間続いた。
この関所は江戸城警備のため設けられ、一般に「出女に入鉄砲」といわれるが、江戸に人質になってい
る諸大名の婦人の脱出を防ぎ、また江戸の安全をはかるため鉄砲のはいるのを厳しく取り締まった。日の
出に開門、日の入りに閉門し、夜中は一般人の通交を禁じた。
関所は利根川沿岸に設けられたものであるが、河川改修のため今ではその跡は川底になってしまった。
関所跡は、はじめ史跡として県の指定をうけその後昭和三十二年の改修工事により現在の地にひが移転
され、昭和三十六年九月一日集積と指定変更された。
昭和三十六年九月一日 羽生市教育委員会
定め書きです
定
一、 此関所を通る輩 番所の前にて笠 頭巾をぬぐべき事
一、 乗物にて通る面々は 乗物の戸をひらくべし 但、女乗物は番の輩 差図にて女に見せ
可通之事
一、 公家・門跡衆・諸大名 参向の節は 前かどより 其沙汰可有之間不及改之 自然不審
の儀 あらば可為各別事
右可相守此旨者也 仍執達如件
貞享三年四月 奉行
工作物の占用許可証票です
祠が並びます
新郷ふるさと歩道案内板が有りました、近くに多くの文化財が有るようですが、また今度にしましょう
では、次へ行きましょう
道の駅はにゅうの反対側(西側)です
利根川を渡る昭和橋です、新たに片側二車線になっています
史蹟川俣関所跡石碑です
説明版です
旧跡 川俣関所跡
川俣関所跡は慶長年間(1596~1615)に設けられ、明治二年(1869)に廃止されるまでの
約二百六十年間続いた。
この関所は江戸城警備のため設けられ、一般に「出女に入鉄砲」といわれるが、江戸に人質になってい
る諸大名の婦人の脱出を防ぎ、また江戸の安全をはかるため鉄砲のはいるのを厳しく取り締まった。日の
出に開門、日の入りに閉門し、夜中は一般人の通交を禁じた。
関所は利根川沿岸に設けられたものであるが、河川改修のため今ではその跡は川底になってしまった。
関所跡は、はじめ史跡として県の指定をうけその後昭和三十二年の改修工事により現在の地にひが移転
され、昭和三十六年九月一日集積と指定変更された。
昭和三十六年九月一日 羽生市教育委員会
定め書きです
定
一、 此関所を通る輩 番所の前にて笠 頭巾をぬぐべき事
一、 乗物にて通る面々は 乗物の戸をひらくべし 但、女乗物は番の輩 差図にて女に見せ
可通之事
一、 公家・門跡衆・諸大名 参向の節は 前かどより 其沙汰可有之間不及改之 自然不審
の儀 あらば可為各別事
右可相守此旨者也 仍執達如件
貞享三年四月 奉行
工作物の占用許可証票です
祠が並びます
新郷ふるさと歩道案内板が有りました、近くに多くの文化財が有るようですが、また今度にしましょう
では、次へ行きましょう