大通寺は、太田市役所の西南西約6km、木崎幼稚園が併設されています。
反町薬師から県道332号線を南へ、工業団地の中を西へ
目印は、太平記ゆかりの地”冠掛けの松”です
案内版です
楼門です
曹洞宗宝広山大通寺です
新田義貞公冠着松の石碑です
本堂です
本堂の前に有るのが、冠掛けの松です
幹の高さは低く笠松に仕上げられています
説明版です
新田の名木
樹木名 松
所在地 大通寺境内
目通り 2,1メートル
元弘三年(1333)新田義貞が、鎌倉幕府討伐のため生品神社で挙兵し、鎌倉へ向かう途中この松に
冠をかけて、休憩したと伝えます。当時の松は枯れてしまい、この松は二代目として赤堀から移植されて
おります。
新田義貞の歌碑
「立ち帰り またも来て見ん 冠着の 松よ千歳を 我に契らば」
春秋庵白雄の句碑
「夏にこもる 御僧いくたり 松の風」
平成十七年三月 新田町観光協会
楼門の東側にあるのが大ケヤキです
説明版です
新田の名木
樹木名 欅
所在地 大通寺境内
樹 齢 500年以上
目通り 6,4メートル
樹 高 十五メートル
大通寺は戦国時代の天文二年(1533)太田金山城主、横瀬泰繁の先室(大通寺殿蘭室玄芳大姉)の開基です。
創建当時の植栽と思われます。
終戦直後までは、西方に安置している金毘羅宮が、樹木に接し鎮座していました。
昭和四一年(1966)九月二五日の台風二六号は県内各地に猛威を振い、当樹も折損しましたが、元気を回復
して隆々たる勢いで繁茂しています。
平成十七年三月 新田町観光協会
西側から
北側には傷が大きく成っています
南側から
東側根元です
遊びにきていた幼稚園の子共達が、ケヤキの洞に入って遊んでいます、ケヤキが元気なのも子供が元気なのも良い事です
では、次へ行きます
反町薬師から県道332号線を南へ、工業団地の中を西へ
目印は、太平記ゆかりの地”冠掛けの松”です
案内版です
楼門です
曹洞宗宝広山大通寺です
新田義貞公冠着松の石碑です
本堂です
本堂の前に有るのが、冠掛けの松です
幹の高さは低く笠松に仕上げられています
説明版です
新田の名木
樹木名 松
所在地 大通寺境内
目通り 2,1メートル
元弘三年(1333)新田義貞が、鎌倉幕府討伐のため生品神社で挙兵し、鎌倉へ向かう途中この松に
冠をかけて、休憩したと伝えます。当時の松は枯れてしまい、この松は二代目として赤堀から移植されて
おります。
新田義貞の歌碑
「立ち帰り またも来て見ん 冠着の 松よ千歳を 我に契らば」
春秋庵白雄の句碑
「夏にこもる 御僧いくたり 松の風」
平成十七年三月 新田町観光協会
楼門の東側にあるのが大ケヤキです
説明版です
新田の名木
樹木名 欅
所在地 大通寺境内
樹 齢 500年以上
目通り 6,4メートル
樹 高 十五メートル
大通寺は戦国時代の天文二年(1533)太田金山城主、横瀬泰繁の先室(大通寺殿蘭室玄芳大姉)の開基です。
創建当時の植栽と思われます。
終戦直後までは、西方に安置している金毘羅宮が、樹木に接し鎮座していました。
昭和四一年(1966)九月二五日の台風二六号は県内各地に猛威を振い、当樹も折損しましたが、元気を回復
して隆々たる勢いで繁茂しています。
平成十七年三月 新田町観光協会
西側から
北側には傷が大きく成っています
南側から
東側根元です
遊びにきていた幼稚園の子共達が、ケヤキの洞に入って遊んでいます、ケヤキが元気なのも子供が元気なのも良い事です
では、次へ行きます