ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県魚沼市、大澤城跡です!!

2015-06-18 08:36:53 | 城跡・館跡・陣屋跡
大澤城跡は、尾瀬の入口銀山平に向かう国道352号線の北側山稜にあります

魚沼市役所の東約4kmのところです

目印になるのは、科学の碑への案内板です


国道から見上げた城山です

登り口駐車場の案内板です、駐車場にはトイレもあります

ここまで車で上がれますが、駐車スペースは無いので、登り口駐車場に置きましょう

直ぐ右手には科学の碑があります

化学の碑です



由来記です

林道を登って行くと、城山山頂が見えます

植林地と自然林の間を林道が登って行きます

舗装路から砂利道になります


尾根をまわりこんで山頂を見ながら進みます

林道は城山の北側へ回ります

右はスキー場への道です

西から東へ回って行きます

魚沼駒ヶ岳の山頂が見えます

山頂の放送施設です

放送施設のそばに、大澤城跡碑が有ります

説明碑があります
   村指定文化財
     史跡  大澤城史
   大澤城跡は、別の名を      ともいい、築城年代は不明であるが、明応の頃(1490年代)北麓に
  月岡氏の居館があったと伝えられる。
   その後、上杉氏の被官大澤右京亮が南麓に在り当城に拠り上杉憲房に党して、坂戸城主長尾氏と戦い、永正
  十一年(1514)正月の六日に父子ともに討死する、上杉憲房は大澤氏の断絶を惜しみ、羽川の発智山城入
  道の孫に、大澤氏の相続を命じる。
   天文四年(1535)文條の乱起こり、城を大澤伊達守は春日山城主長尾為影(謙信)に党して長尾房長と
  戦う、力戦むなしく正月二八日大澤において従士数十名と共に討死する。
   永禄三年(1560)長尾景虎関東出陣の折り大澤内匠助に在国警備の労を謝すと記録されている。
   以後、大澤氏の後裔詳らかならず、山頂の残塁黙して語らず今日に至る。
        昭和五十八年八月            湯之谷村 

山頂部は土塁の様になった部分に祠が並びます

山頂から西側の眺めです、スキー場のリフトが見えます

山頂南側の腰廓のような部分ですが、放送施設工事のために拡幅されたようです

では、戻りましょう
コメント
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