ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県魚沼市、四日町諏訪神社の大欅は切られてしまいました!!

2015-06-20 16:24:21 | 巨樹・大木
諏訪神社があるのは、魚野川と破間川の合流点の東

国道25号線からJR只見線の四日町信号を渡った北側にあります


諏訪神社です

手水です、魚と亀の頭から美味しそうな水が出ています

参道です

拝殿です

本殿です

丹後跳ね越しの石です

石碑が有ります
    丹後跳ね越しの石
   慶長五年(1600)八月二日、上杉遺民一揆の戦乱に下倉山城を守る城将小倉主膳の苦戦を救おうと、
  六日町の坂戸城から堀丹後守直竒が援軍を率いて駆け付けた。破間川原の激戦の中、丹後守は大石に身を寄
  せ鉄砲で自分をねらい撃とうとしている敵兵を発見、真正面から立ち向かい、平安城という名槍を投げつけ
  た。同時に敵が発砲、丹後守の馬は大石の直前で竿立ちになり、石と敵兵を一跨ぎに跳ね越した。間一髪で
  敵弾はそれ、槍は敵の胸板を貫いて穂先は土に突き刺さった。
   のちに丹後守は村上十万石の領主となり、参勤交代の往き帰りに、
   「子の石は、わしの命を救ってくれた石じゃ」
   と懐かしみ、馬で跳ね跳び越えて見るなどした。
   時代は下って元禄の頃、丹後守の子孫堀左京亮が、先祖のほまれを刻むこの石を身近に置きたいと、運び
  出そうとした時、四日町の村人は、
   「この石は「丹後跳ね越し石」と申しまして、馬の病気を治してくれる大切な石ですから、持ち出さない
  でください」
   と願った。その頃村人は丹後守をその法名「鉄団宗釘大居士」からとって「鉄団様」と呼んでいたが、こ
  の石のくぼみに大豆を入れて水に浸し、
   「南無、鉄団様跳ね越し給え」
   と拍手を打って祈り、一晩おいて馬に食べさせると病気が治ったという。子供の夜尿にも同様のまじない
  がおこなわれてきた。
   「そのような大切な石なら、川原に置いて洪水に流されでもしたら大変じゃ。神社の境内に運んで置け」
   という堀左京亮の指示で境内に運ばれ、大切にされてきたものである。
  
破間川と魚野川の合流点の北に下倉山が聳えています、今は関越自動車道のトンネルが通ります

鮭魚明神です、右の石が川の渕より網に掛かった大鮭の頭です、この石にも伝説があります

社殿の右手には、会津藩烈士之碑があります


拝殿前左手の大欅です、南東側から


北西側から

全景は撮れませんでした



2014年11月に、大きな3本の欅が、樹勢の衰えを理由に切られてしまいました、残念です

諏訪神社の社殿の西側には、同じくらいの規模の社殿があったそうですが、今は無くなってしまっています
(かつての風景は、ネットで見る事出来ます)

では、次へ行きましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする