長瀬神社は、加茂市役所の東南東約4kmのところ
加茂川の北側台地に鎮座しています
県道9号線は加茂川の左岸(南側)を通っています
若宮中学校の東側か加茂川を右岸に渡り、
勤労者体育センターのところを戻るように西へ進むと
左手の林の中に神社が有ります
西側に参道があります、鳥居前に車を置かせていただきました
西側参道入り口の鳥居です
立派な手水舎が有ります
長瀬神社石碑ですが枝に隠れてしまいました
長い石段を登ります
目通り幹周り4m程の大杉があります
参道の両側に立派な境内社が並びます
社殿です、南向きに建っています
説明版です(大ケヤキの前に建ています)
長瀬神社(八幡宮)
長瀬神社は、今から1400年前欽明天皇の勅命により、上条、狭口の両村の産土神として、
瀬織津姫命・言代主命・気足長姫命・誉田別命・玉依姫命の五柱を祀る式内社である。
約350年前の元和・寛永の頃には青海庄八ヶ条(北は田上町湯川から南は三条市塚之目に
及ぶ41村)の一の宮と称され、庄内の神社を統括したといわれる。
幕府・寺社奉行・藩主の当神社に対する崇敬は厚く、社殿鳥居神具祭器等の造営購入に当って
寄進や御免勧化の得免が寄与され、祭礼や造営見分などには、出張役人を派遣した。
拝殿は寛永年間(約180年前)に建て直され、本殿は弘化年間(約130年前)に越中の
名工松井角平によって4年間の歳月をかけて建造されたもので、釘を使わない建築であり、各所
にみられる彫刻とともに芸術品である。
6月15日の神幸に参列する金色して六角の大御輿は弘化5年に新調されたもので、全国でも
めずらしい宝物である。 加 茂 市
加茂市観光協会
神楽殿です
神庫脇の大杉です、こちらも目通り幹周り4m程です
直ぐ南側には稲荷社
諏訪神社が有ります
南側い参道を下りると加茂川に出ました
目的の大ケヤキは、南側参道入り口の鳥居脇にありました
説明版です
加茂市の名木
樹木名 「ケヤキ」(ニレ科)
樹 高 約10m
幹 周 約 6m
樹 齢 推定1000年
稀にみる巨木で、根が道路を狭くしている。
たび重なる洪水から向上条地区を守ってきた。
平成2年8月決定 加茂市教育委員会
東側から
参道から見上げました
加茂川土手からの全景です
では、次へ行きましょう
加茂川の北側台地に鎮座しています
県道9号線は加茂川の左岸(南側)を通っています
若宮中学校の東側か加茂川を右岸に渡り、
勤労者体育センターのところを戻るように西へ進むと
左手の林の中に神社が有ります
西側に参道があります、鳥居前に車を置かせていただきました
西側参道入り口の鳥居です
立派な手水舎が有ります
長瀬神社石碑ですが枝に隠れてしまいました
長い石段を登ります
目通り幹周り4m程の大杉があります
参道の両側に立派な境内社が並びます
社殿です、南向きに建っています
説明版です(大ケヤキの前に建ています)
長瀬神社(八幡宮)
長瀬神社は、今から1400年前欽明天皇の勅命により、上条、狭口の両村の産土神として、
瀬織津姫命・言代主命・気足長姫命・誉田別命・玉依姫命の五柱を祀る式内社である。
約350年前の元和・寛永の頃には青海庄八ヶ条(北は田上町湯川から南は三条市塚之目に
及ぶ41村)の一の宮と称され、庄内の神社を統括したといわれる。
幕府・寺社奉行・藩主の当神社に対する崇敬は厚く、社殿鳥居神具祭器等の造営購入に当って
寄進や御免勧化の得免が寄与され、祭礼や造営見分などには、出張役人を派遣した。
拝殿は寛永年間(約180年前)に建て直され、本殿は弘化年間(約130年前)に越中の
名工松井角平によって4年間の歳月をかけて建造されたもので、釘を使わない建築であり、各所
にみられる彫刻とともに芸術品である。
6月15日の神幸に参列する金色して六角の大御輿は弘化5年に新調されたもので、全国でも
めずらしい宝物である。 加 茂 市
加茂市観光協会
神楽殿です
神庫脇の大杉です、こちらも目通り幹周り4m程です
直ぐ南側には稲荷社
諏訪神社が有ります
南側い参道を下りると加茂川に出ました
目的の大ケヤキは、南側参道入り口の鳥居脇にありました
説明版です
加茂市の名木
樹木名 「ケヤキ」(ニレ科)
樹 高 約10m
幹 周 約 6m
樹 齢 推定1000年
稀にみる巨木で、根が道路を狭くしている。
たび重なる洪水から向上条地区を守ってきた。
平成2年8月決定 加茂市教育委員会
東側から
参道から見上げました
加茂川土手からの全景です
では、次へ行きましょう