堀の内のケヤキは、大月市役所の東約6kmのところ
JR中央本線とりさわ駅の東1kmほど
国道20号線と県道30号線の交差点の東側を南に入った所です
東の道路から見た大ケヤキです、境内の東側に公民館が有ります、脇に車を止めさせていただきました
諏訪神社です
諏訪神社の説明版です
諏訪神社
御祭神 建御名方命
たけみなかた
相 殿 大穴牟遅命 大山津見命 邇邇藝能命 木花佐久夜毘賣命
おおなむち おおやまつみ ににぎ このはなさくやびめ
御祭日 例大祭 宵宮8月21日 本祭8月23日 御米三合祭旧暦10月15日
御由緒 信州諏訪大社より御祭神「建御名方命」を勧進したものであるが、経緯、年月
等は不詳である。しかし御本殿より大同年号(西暦806年)記載の木簡が発
見されたことからそれ以前の御壮創建と考えられる。
御神徳 地域住民の守護神であるとともに、古くから水の神として生活水を守り、農耕
上は五穀豊穣をもたらし、狩猟上は大猟をもたらす等、人間の生命維持の根源
神である。
中世以降は特に威烈ある神として、「戦勝」「武運長久」の祈願対象とされた。
一方風の神と謂れ、病気平癒の信仰がある。
鎌田氏館跡の説明版です
大月市指定文化財
第12号(史跡)
鎌田氏館跡
指定年月日 昭和44年8月8日
所 在 地 大月市富浜町鳥沢堀之内
管 理 者 諏訪神社
建暦3年(1213)、和田氏による合戦の後、蒲田兵衛尉〈かまたひょうえのじょう〉
(為成〈ためなり〉とも言われている)は、鎌倉幕府より戦功としてこの付近一帯の福地
郷を与えられた。
北方の堀切りと、東・西・南方の自然を要害として館を構えた。
面積約1500㎡、諏訪神社はその中心地の一部と推定される。
平成16年3月 大月市教育委員会
手水です
拝殿は地味なものですが、立派な本殿です
境内社の御天神様です
こちらの石塔にも注連縄が掛けられています
大ケヤキです
堀の内の大ケヤキの説明版です
大月市指定文化財
第22号 天然記念物(植物)
堀の内の大ケヤキ
指定年月日 昭和49年8月8日
所 在 地 大月市富浜町鳥沢33
管 理 者 諏訪神社
根廻り19,0m、幹根境の周囲10,6m、それより1,5m上の目通り幹囲8,0m
枝張りは東方13,2m、西方9,0m、南方12,8m、北方13,5mで、樹高は約
35mである。
特にこの木の枝張りは立派で、直立した下幹部の状態もみごとである。
樹勢の旺盛な点に於いてもケヤキの巨樹としても県下屈指のものである。
(計測値は指定時のもの)
平成15年3月 大月市教育員会
南側から
東側から
では、次へ行きましょう
JR中央本線とりさわ駅の東1kmほど
国道20号線と県道30号線の交差点の東側を南に入った所です
東の道路から見た大ケヤキです、境内の東側に公民館が有ります、脇に車を止めさせていただきました
諏訪神社です
諏訪神社の説明版です
諏訪神社
御祭神 建御名方命
たけみなかた
相 殿 大穴牟遅命 大山津見命 邇邇藝能命 木花佐久夜毘賣命
おおなむち おおやまつみ ににぎ このはなさくやびめ
御祭日 例大祭 宵宮8月21日 本祭8月23日 御米三合祭旧暦10月15日
御由緒 信州諏訪大社より御祭神「建御名方命」を勧進したものであるが、経緯、年月
等は不詳である。しかし御本殿より大同年号(西暦806年)記載の木簡が発
見されたことからそれ以前の御壮創建と考えられる。
御神徳 地域住民の守護神であるとともに、古くから水の神として生活水を守り、農耕
上は五穀豊穣をもたらし、狩猟上は大猟をもたらす等、人間の生命維持の根源
神である。
中世以降は特に威烈ある神として、「戦勝」「武運長久」の祈願対象とされた。
一方風の神と謂れ、病気平癒の信仰がある。
鎌田氏館跡の説明版です
大月市指定文化財
第12号(史跡)
鎌田氏館跡
指定年月日 昭和44年8月8日
所 在 地 大月市富浜町鳥沢堀之内
管 理 者 諏訪神社
建暦3年(1213)、和田氏による合戦の後、蒲田兵衛尉〈かまたひょうえのじょう〉
(為成〈ためなり〉とも言われている)は、鎌倉幕府より戦功としてこの付近一帯の福地
郷を与えられた。
北方の堀切りと、東・西・南方の自然を要害として館を構えた。
面積約1500㎡、諏訪神社はその中心地の一部と推定される。
平成16年3月 大月市教育委員会
手水です
拝殿は地味なものですが、立派な本殿です
境内社の御天神様です
こちらの石塔にも注連縄が掛けられています
大ケヤキです
堀の内の大ケヤキの説明版です
大月市指定文化財
第22号 天然記念物(植物)
堀の内の大ケヤキ
指定年月日 昭和49年8月8日
所 在 地 大月市富浜町鳥沢33
管 理 者 諏訪神社
根廻り19,0m、幹根境の周囲10,6m、それより1,5m上の目通り幹囲8,0m
枝張りは東方13,2m、西方9,0m、南方12,8m、北方13,5mで、樹高は約
35mである。
特にこの木の枝張りは立派で、直立した下幹部の状態もみごとである。
樹勢の旺盛な点に於いてもケヤキの巨樹としても県下屈指のものである。
(計測値は指定時のもの)
平成15年3月 大月市教育員会
南側から
東側から
では、次へ行きましょう