北野三社神社は、大月市役所の東約6kmのところ
国道20号から南へ入って、堀の内のケヤキの前の道を南に下ります
桂川を渡って、県道513号線を西に進み河岸段丘の崖を桂川側へ降ります
周りを田圃に囲まれた崖際に神社が有ります
広い境内の脇に車を置かせていただきました
稲刈りが行われていて、軽トラがイチョウの脇に止まっていました
境内入口に大銀杏が有ります
.
主幹をなくしても、二本の枝が生きています
手水です
右側の社殿
中央の社殿
軒下に説明版が有ります
北野三社神社由緒書(保管古文書による)
祭 神 御嶽大神(日本武尊) 子守大神(大巳貴尊)
勝手大神(少名彦尊) 津島神社(素戔嗚尊)
多賀神社(伊弉諾尊) 八幡大神(誉田別尊)
熊野神社(伊弉冊尊) 蚕 神(雅産霊尊)
合祀神 天満天神(菅原道真) 諏訪明神(健御方尊)
前顕三神御嶽大神子守大神勝手大神を本社とし其外津島神社外四神を相殿とす
合祀神は本社の資格にて別殿を置く
由 来 該神社祭祀の起源 る遺遠にして詳確の由緒として観るえき古史の存在えずと
も古来里邑の口碑に傳るものと多少経跡の有るものを以て鑒察を為す る其
の信憑の微すべきもの在り即ち景行天皇の四十年東夷 而彊を侵掠す天皇即
日本武尊に剱 を授東征せしむ尊遂に賊軍を殺戮し を京 に奏すを も国土
未だ に属し妖雲毒霧 朦として天日為に暗く道の倚で通する無く軍の行く
るべきなしゆえ爰に於てか天尊浄池をとし小壇を築き是れに繞らす竹 の王蘺
を以て而ふしてタコ佩帯の神剣を捧げ謹で皇祖天神に祈誓し給ふ神霊感應遽に
現れ雲霧を乍ら消散し旭日東天に・・・
左側の社殿
境内南東端のイチョウです
大きな乳の下がった十分な大木です
では、次へ行きましょう
国道20号から南へ入って、堀の内のケヤキの前の道を南に下ります
桂川を渡って、県道513号線を西に進み河岸段丘の崖を桂川側へ降ります
周りを田圃に囲まれた崖際に神社が有ります
広い境内の脇に車を置かせていただきました
稲刈りが行われていて、軽トラがイチョウの脇に止まっていました
境内入口に大銀杏が有ります
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主幹をなくしても、二本の枝が生きています
手水です
右側の社殿
中央の社殿
軒下に説明版が有ります
北野三社神社由緒書(保管古文書による)
祭 神 御嶽大神(日本武尊) 子守大神(大巳貴尊)
勝手大神(少名彦尊) 津島神社(素戔嗚尊)
多賀神社(伊弉諾尊) 八幡大神(誉田別尊)
熊野神社(伊弉冊尊) 蚕 神(雅産霊尊)
合祀神 天満天神(菅原道真) 諏訪明神(健御方尊)
前顕三神御嶽大神子守大神勝手大神を本社とし其外津島神社外四神を相殿とす
合祀神は本社の資格にて別殿を置く
由 来 該神社祭祀の起源 る遺遠にして詳確の由緒として観るえき古史の存在えずと
も古来里邑の口碑に傳るものと多少経跡の有るものを以て鑒察を為す る其
の信憑の微すべきもの在り即ち景行天皇の四十年東夷 而彊を侵掠す天皇即
日本武尊に剱 を授東征せしむ尊遂に賊軍を殺戮し を京 に奏すを も国土
未だ に属し妖雲毒霧 朦として天日為に暗く道の倚で通する無く軍の行く
るべきなしゆえ爰に於てか天尊浄池をとし小壇を築き是れに繞らす竹 の王蘺
を以て而ふしてタコ佩帯の神剣を捧げ謹で皇祖天神に祈誓し給ふ神霊感應遽に
現れ雲霧を乍ら消散し旭日東天に・・・
左側の社殿
境内南東端のイチョウです
大きな乳の下がった十分な大木です
では、次へ行きましょう