松之郷地区は、東金市役所の北約3kmのところ
県道119号線を北へ進むと、八坂神社前に出ました
境内に駐車スペースが有ります
八坂神社です
案内板です
八坂神社
伏見天皇の御代、正応2年(1289年)に、久我台(現在県立東金商業高等学校校地)
の城主、北條武蔵守平久時が居城鬼門鎮護のため、京都下京区祇園町に鎮座する、官幣大社
八坂神社の祭神である素戔嗚尊の分身を請い、現地に奉祀されたと記録されている。
本殿の建造年代はあきらかではないが、元禄2年9月(1689年)雨屋を再建したとの
記録があるので、本殿の屋根のいたみの状態からみて、其の以前かなりの年月を経て居ると
推定される。
環境庁・千葉県
鳥居前のイチョウです
説明版です
八坂神社の銀杏
八坂神社は、正応2年(1289)に久我城主北條久時の勧進と伝えられ、神仏習合時代
は天王様と称された。
指定の銀杏は、境内の西南、鳥居の左側にある神木で、目通り3,7m、高さ約20mを
測る雌株で、高さ約5mのところから欅のやどり木が寄生する珍しい状態にある。
銀杏は、イチョウ科の落葉高木で、雌雄異株であり、雌株は秋に結実する。
公孫樹とも呼ばれる。
以前は指定の銀杏の西方に対をなして欅の高木があり、市指定文化財であったが、平成1
4年に朽ち落ちてしまった。
八坂神社の森は九十九里浜庶民の帰途の目安であったという。
東金市教育委員会指定第5号
昭和53年11月8日 指定
拝殿です
神使いの牛です
説明版です
本殿の建物です、幣殿が無い珍しい建方です
説明版です
内陣の説明版です
境内社です
本殿東側に大杉があります
南西側から見上げました
北側から、目通り5,8mの巨木です
本殿西側の杉の大木です、ショベルカーが入って整地作業が行われています
では、次へ行きましょう
県道119号線を北へ進むと、八坂神社前に出ました
境内に駐車スペースが有ります
八坂神社です
案内板です
八坂神社
伏見天皇の御代、正応2年(1289年)に、久我台(現在県立東金商業高等学校校地)
の城主、北條武蔵守平久時が居城鬼門鎮護のため、京都下京区祇園町に鎮座する、官幣大社
八坂神社の祭神である素戔嗚尊の分身を請い、現地に奉祀されたと記録されている。
本殿の建造年代はあきらかではないが、元禄2年9月(1689年)雨屋を再建したとの
記録があるので、本殿の屋根のいたみの状態からみて、其の以前かなりの年月を経て居ると
推定される。
環境庁・千葉県
鳥居前のイチョウです
説明版です
八坂神社の銀杏
八坂神社は、正応2年(1289)に久我城主北條久時の勧進と伝えられ、神仏習合時代
は天王様と称された。
指定の銀杏は、境内の西南、鳥居の左側にある神木で、目通り3,7m、高さ約20mを
測る雌株で、高さ約5mのところから欅のやどり木が寄生する珍しい状態にある。
銀杏は、イチョウ科の落葉高木で、雌雄異株であり、雌株は秋に結実する。
公孫樹とも呼ばれる。
以前は指定の銀杏の西方に対をなして欅の高木があり、市指定文化財であったが、平成1
4年に朽ち落ちてしまった。
八坂神社の森は九十九里浜庶民の帰途の目安であったという。
東金市教育委員会指定第5号
昭和53年11月8日 指定
拝殿です
神使いの牛です
説明版です
本殿の建物です、幣殿が無い珍しい建方です
説明版です
内陣の説明版です
境内社です
本殿東側に大杉があります
南西側から見上げました
北側から、目通り5,8mの巨木です
本殿西側の杉の大木です、ショベルカーが入って整地作業が行われています
では、次へ行きましょう