滝の口地区は、袖ヶ浦市役所の南東約6kmのところ
館山自動車道木更津北インターチェンジの直ぐ東側です
県道33号線の西側の道路を進むと右へ入る道路があります
右手に参道が有りますが、車を止める所が有りません
そのまま道路を進むと、入口と社殿の中間に出ます
道路は行き止まりになっているので
車を止めて行きましょう




参道入り口石段です

石段を上がると鳥居です

参道の左手に、出羽三山の石碑があります、ここまで車を入れることができました



スダジイです

根元に村社小高神社の標石があります



参道右手のスダジイの大木です


社殿が見えて来ました

右手に手水と境内社です

拝殿です

本殿の覆い屋です

説明版です
袖ヶ浦市指定有形文化財 ―建造物―
小高神社本殿
所 在 地 袖ヶ浦市滝の口449
管 理 者 小高神社
指定年月日 平成4年8月1日
小高神社は滝の口の氏神社で、かつては小鷹大明神と呼ばれていた。
日本武尊が東征の折にこの地で賊を平定したことにちなんで創建され、
寛和2年(986)には社殿を再建したと伝えられている。
祭神は日本武尊。
祭礼日は、昭和30年の平川町合併後に生活改善運動の一つとして9月27日から
7月24日に変更になった。
屋根は「杮葺き」、本殿は「一間社流造」である。間口は三間社と同じであるが、
中央の柱間を非常に大きく取って扉口としている。両側の柱間は幅の狭い板壁で、
鯉の滝登りの彫刻がある。
本殿の建設は、二重虹梁にして彫刻を入れる場所を増やすなどの特徴から元禄年代
(1688~1704)より少し下り、拝殿の前にある石灯篭と同じ宝永2年(1
705)頃と考えられる。
平成8年3月 袖ヶ浦市教育委員会


本殿の右手に大イチョウが在ります

保存樹木等指定標識がありますが消えかかっています,目通り幹周り9,2mの巨木です




南東側から見上げました
根元には実生のイチョウの苗が沢山芽を出しています

根元の境内社です




本殿西側のスダジイの大木です



境内西側に古墳の様な土盛が有ります
では、次へ行きましょう

館山自動車道木更津北インターチェンジの直ぐ東側です
県道33号線の西側の道路を進むと右へ入る道路があります
右手に参道が有りますが、車を止める所が有りません
そのまま道路を進むと、入口と社殿の中間に出ます
道路は行き止まりになっているので





参道入り口石段です


石段を上がると鳥居です


参道の左手に、出羽三山の石碑があります、ここまで車を入れることができました




スダジイです


根元に村社小高神社の標石があります




参道右手のスダジイの大木です



社殿が見えて来ました


右手に手水と境内社です


拝殿です


本殿の覆い屋です


説明版です
袖ヶ浦市指定有形文化財 ―建造物―
小高神社本殿
所 在 地 袖ヶ浦市滝の口449
管 理 者 小高神社
指定年月日 平成4年8月1日
小高神社は滝の口の氏神社で、かつては小鷹大明神と呼ばれていた。
日本武尊が東征の折にこの地で賊を平定したことにちなんで創建され、
寛和2年(986)には社殿を再建したと伝えられている。
祭神は日本武尊。
祭礼日は、昭和30年の平川町合併後に生活改善運動の一つとして9月27日から
7月24日に変更になった。
屋根は「杮葺き」、本殿は「一間社流造」である。間口は三間社と同じであるが、
中央の柱間を非常に大きく取って扉口としている。両側の柱間は幅の狭い板壁で、
鯉の滝登りの彫刻がある。
本殿の建設は、二重虹梁にして彫刻を入れる場所を増やすなどの特徴から元禄年代
(1688~1704)より少し下り、拝殿の前にある石灯篭と同じ宝永2年(1
705)頃と考えられる。
平成8年3月 袖ヶ浦市教育委員会


本殿の右手に大イチョウが在ります


保存樹木等指定標識がありますが消えかかっています,目通り幹周り9,2mの巨木です





南東側から見上げました



根元の境内社です





本殿西側のスダジイの大木です




境内西側に古墳の様な土盛が有ります

では、次へ行きましょう

