国道323号線を西に走っていると
上越新幹線の高架を潜って間もなく道路左側に案内板が有ります
ここから3,2km北側の集落から中山峠側に登って行きます
子持山と小野子山の間の南面に在ります
登って行くとまた案内板がありました
大石の並ぶ交差点を右に入ると間もなく
八木沢清水遺跡です
東屋が遺跡です
群馬県指定史跡 八木沢清水縄文時代住居跡の石碑です
説明版です
群馬県指定史跡 八木沢清水縄文時代住居跡
1、名称と員数 群馬県指定史跡 「八木沢清水縄文時代住居跡」
一軒(90平方メートル)
2、指定年月日 昭和58年2月22日
3、所 在 地 群馬県北群馬郡小野上村大字小野子756番地の3
4、指定 理由 群馬県文化財保護条例第38条の規定による
指定等の基準第6の1の1による
縄文時代草創期の竪穴住居跡としては県内最初の発見例である。
5、史跡の概要 八木沢清水縄文時代住居跡は、昭和51年9月、養魚池の築造工事を行った
角田辰次氏によって発見されました。
昭和52年8月から本格的な発掘調査をした結果、縄文時代から弥生・古墳
時代に及ぶ住居跡・土坑などの遺構や土器・石器などの遺物が確認されまし
た。特に、地表下約1、5m、関東ローム層(赤土)上面で発見された住居
跡は縄文時代草創期後半(約6000年~8000年前)のもので、群馬県
内初の発見例であることがわかりました。
この住居跡は直径4,5~5mの楕円形、深さは傾斜面に建てられていた
ため、南側で14cm、北側で4cmになっていました。
床面は、中央部が若干低く壁に向かって徐々に高くなっています。柱穴と
思われる直径16~26cm、深さ13~40cmの穴が16個見つかりま
したが、その配列に規則性はあいませんでした。
また、住居跡からは撚糸文と押型文とよばれる土器と石器が出土しました
が、炉と思われる施設や焼けた土の痕跡はありませんでした。
昭和60年9月1日 群馬県教育委員会・小野上村教育委員会
ジオラマです
八木沢清水遺跡
文様の付け方
生活の道具
縄文カレンダー
遺跡面です
南側は果樹園になっています
では、次へ行きましょう
少し下って来ました、南側の榛名山がきれいでした
上越新幹線の高架を潜って間もなく道路左側に案内板が有ります
ここから3,2km北側の集落から中山峠側に登って行きます
子持山と小野子山の間の南面に在ります
登って行くとまた案内板がありました
大石の並ぶ交差点を右に入ると間もなく
八木沢清水遺跡です
東屋が遺跡です
群馬県指定史跡 八木沢清水縄文時代住居跡の石碑です
説明版です
群馬県指定史跡 八木沢清水縄文時代住居跡
1、名称と員数 群馬県指定史跡 「八木沢清水縄文時代住居跡」
一軒(90平方メートル)
2、指定年月日 昭和58年2月22日
3、所 在 地 群馬県北群馬郡小野上村大字小野子756番地の3
4、指定 理由 群馬県文化財保護条例第38条の規定による
指定等の基準第6の1の1による
縄文時代草創期の竪穴住居跡としては県内最初の発見例である。
5、史跡の概要 八木沢清水縄文時代住居跡は、昭和51年9月、養魚池の築造工事を行った
角田辰次氏によって発見されました。
昭和52年8月から本格的な発掘調査をした結果、縄文時代から弥生・古墳
時代に及ぶ住居跡・土坑などの遺構や土器・石器などの遺物が確認されまし
た。特に、地表下約1、5m、関東ローム層(赤土)上面で発見された住居
跡は縄文時代草創期後半(約6000年~8000年前)のもので、群馬県
内初の発見例であることがわかりました。
この住居跡は直径4,5~5mの楕円形、深さは傾斜面に建てられていた
ため、南側で14cm、北側で4cmになっていました。
床面は、中央部が若干低く壁に向かって徐々に高くなっています。柱穴と
思われる直径16~26cm、深さ13~40cmの穴が16個見つかりま
したが、その配列に規則性はあいませんでした。
また、住居跡からは撚糸文と押型文とよばれる土器と石器が出土しました
が、炉と思われる施設や焼けた土の痕跡はありませんでした。
昭和60年9月1日 群馬県教育委員会・小野上村教育委員会
ジオラマです
八木沢清水遺跡
文様の付け方
生活の道具
縄文カレンダー
遺跡面です
南側は果樹園になっています
では、次へ行きましょう
少し下って来ました、南側の榛名山がきれいでした