吉生地区は、石岡市役所の西北西約13kmのところ
県道7号線で柿岡地区を抜けてフルーツラインを南に進み吉生信号を西へ入ります
公民館をすぎて、道路が南へカーブする外側(西)に香取神社が鎮座します
道路脇に車を止めさせて頂きました
西向きの参道から鳥居です(西向き参道の先は畑で先へは行けないようです?)
拝殿です社殿の屋根の改修中で足場が組まれていました
本殿です
社殿の左側(北側)にケヤキとエノキの大木が在ります
説明版です
石岡市認定保存樹
「吉生香取神社のケヤキ(欅)とエノキ(榎)」
認定年月日 平成15年10月3日
樹種名 ケヤキ(ニレ科・ケヤキ属)エノキ(ニレ科・エノキ属)
所在地 石岡市吉生字辻914番地
管理者 香取神社氏子総代
幹周 4,7m 5,5m
樹高 25,6m 30,0m
推定樹齢 不詳 不詳
当神社の創建年代は不詳であるが、戦国時代この地で続い
ていた小田対佐竹の戦いに際し、小田方についた当時の領主
が元亀2(1571)年武運を祈って村の氏神に定められた
と伝えられる。以来御神木とされてきたスダジイは社殿の右
奥にあり、推定樹齢4百年余り。
一方、このケヤキとそれに並ぶエノキはその後かなりの年
数を経て、植栽されたものと思われる。時代が下がって平成
14年4月スダジイは老齢化のため東側半分が裂け落ちてし
まった。先人がこの難を予測し、次代の後継木としてここに
2本の樹を植えたものであろうか。
なお、境内に見える土俵は昔行なわれていた奉納相撲の名
残であるが、現在は祭礼の日の行事として子供たちに相撲を
とらせるため小型化・平面化されている。
平成15年10月 石岡市教育委員会
ケヤキを南側から見上げました
ケヤキの東にエノキの巨木です(北側から)
北東側から
御神木のスダジイの大木ですが、西側半分が涸れてしまっています
北側の道路から見ました
拝殿南側に三角点でしょうか
では、次へ行きましょう
県道7号線で柿岡地区を抜けてフルーツラインを南に進み吉生信号を西へ入ります
公民館をすぎて、道路が南へカーブする外側(西)に香取神社が鎮座します
道路脇に車を止めさせて頂きました
西向きの参道から鳥居です(西向き参道の先は畑で先へは行けないようです?)
拝殿です社殿の屋根の改修中で足場が組まれていました
本殿です
社殿の左側(北側)にケヤキとエノキの大木が在ります
説明版です
石岡市認定保存樹
「吉生香取神社のケヤキ(欅)とエノキ(榎)」
認定年月日 平成15年10月3日
樹種名 ケヤキ(ニレ科・ケヤキ属)エノキ(ニレ科・エノキ属)
所在地 石岡市吉生字辻914番地
管理者 香取神社氏子総代
幹周 4,7m 5,5m
樹高 25,6m 30,0m
推定樹齢 不詳 不詳
当神社の創建年代は不詳であるが、戦国時代この地で続い
ていた小田対佐竹の戦いに際し、小田方についた当時の領主
が元亀2(1571)年武運を祈って村の氏神に定められた
と伝えられる。以来御神木とされてきたスダジイは社殿の右
奥にあり、推定樹齢4百年余り。
一方、このケヤキとそれに並ぶエノキはその後かなりの年
数を経て、植栽されたものと思われる。時代が下がって平成
14年4月スダジイは老齢化のため東側半分が裂け落ちてし
まった。先人がこの難を予測し、次代の後継木としてここに
2本の樹を植えたものであろうか。
なお、境内に見える土俵は昔行なわれていた奉納相撲の名
残であるが、現在は祭礼の日の行事として子供たちに相撲を
とらせるため小型化・平面化されている。
平成15年10月 石岡市教育委員会
ケヤキを南側から見上げました
ケヤキの東にエノキの巨木です(北側から)
北東側から
御神木のスダジイの大木ですが、西側半分が涸れてしまっています
北側の道路から見ました
拝殿南側に三角点でしょうか
では、次へ行きましょう