佐久地区は、石岡市役所の北西約9kmのところ
県道7号線で柿岡へ、柿岡から県道64号線を北へ進みます
約3km東側に入った集落が佐久です
集落の中に鹿島神社が鎮座します
参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました
案内板が有ります
参道入口です
東向きの参道です
参道脇には石碑です
鳥居です、目的のスギが見えます
社殿です
社殿の裏側に回ると巨大な幹が見えました
説明版です
茨城県指定天然記念物 佐久の大杉
昭和16年3月31日指定
樹高 28,6m
幹周り 8,9m
推定樹齢 千三百年
この大杉は、鹿島神社の御神木として、長い
歳月にわたり地域の人々に親しまれ崇拝されて
きました。伝承によれば、神社が創建されたと
いわれる応永期(1384~1428)には、
「すでに千年に近い杉」として知られていたと
いわれています。
度重なる落雷や台風等の被害によって、樹勢
の衰退が目立つようになったことから、平成9
年から12年にかけて、茨城県・八郷町・佐久
の大杉保存会・樹木医が一丸となり、樹勢回復
の治療に取り組みました。土壌改良、大枝の落
下防止のための銅管支柱の取り付け、樹幹の亀
裂部分への特殊な樹脂の注入などが施され、現
在は着葉量も増加し、緑もますます濃くなって
きました。
また、土壌改良により発根した多数の細根を
保護するために、樹木医の橋本憲二氏から見学
者用の歩廊が寄贈されました。この巨木を後世
に残すためにも、歩廊から見学されますようご
協力お願いいたします。
平成21年3月 佐久の大杉保存会
石岡市教育委員会
こちらも
県指定天然記念物
佐久の大杉
指定年月日 昭和16年3月31日
所在地 石岡市佐久
杉は湿潤な日本の風土に適した、日本固有の
樹種である。古代より住居、日用品等に活用さ
れてきた。稲作が伝来した際用水の管理等に大
きく貢献した。
当大杉は鹿島神社の神木として地域の人々の
厚い信仰をうけ、長年月にわたりかつ稀にみる
丁重さで余命を保ってきた。
経、樹齢等、東日本を代表する巨樹である。
数次にわたる落雷、台風等の損傷を受けながら
、数本の大枝になお緑の活力を保っている姿は
、御神木にふさわしい尊さである。
昭和6年3月 石岡市教育委員会
大杉の周りを左回りに見て回ります
北西側から
西側から
南西側から
南側から
南東側から
では、次へ行きましょう
県道7号線で柿岡へ、柿岡から県道64号線を北へ進みます
約3km東側に入った集落が佐久です
集落の中に鹿島神社が鎮座します
参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました
案内板が有ります
参道入口です
東向きの参道です
参道脇には石碑です
鳥居です、目的のスギが見えます
社殿です
社殿の裏側に回ると巨大な幹が見えました
説明版です
茨城県指定天然記念物 佐久の大杉
昭和16年3月31日指定
樹高 28,6m
幹周り 8,9m
推定樹齢 千三百年
この大杉は、鹿島神社の御神木として、長い
歳月にわたり地域の人々に親しまれ崇拝されて
きました。伝承によれば、神社が創建されたと
いわれる応永期(1384~1428)には、
「すでに千年に近い杉」として知られていたと
いわれています。
度重なる落雷や台風等の被害によって、樹勢
の衰退が目立つようになったことから、平成9
年から12年にかけて、茨城県・八郷町・佐久
の大杉保存会・樹木医が一丸となり、樹勢回復
の治療に取り組みました。土壌改良、大枝の落
下防止のための銅管支柱の取り付け、樹幹の亀
裂部分への特殊な樹脂の注入などが施され、現
在は着葉量も増加し、緑もますます濃くなって
きました。
また、土壌改良により発根した多数の細根を
保護するために、樹木医の橋本憲二氏から見学
者用の歩廊が寄贈されました。この巨木を後世
に残すためにも、歩廊から見学されますようご
協力お願いいたします。
平成21年3月 佐久の大杉保存会
石岡市教育委員会
こちらも
県指定天然記念物
佐久の大杉
指定年月日 昭和16年3月31日
所在地 石岡市佐久
杉は湿潤な日本の風土に適した、日本固有の
樹種である。古代より住居、日用品等に活用さ
れてきた。稲作が伝来した際用水の管理等に大
きく貢献した。
当大杉は鹿島神社の神木として地域の人々の
厚い信仰をうけ、長年月にわたりかつ稀にみる
丁重さで余命を保ってきた。
経、樹齢等、東日本を代表する巨樹である。
数次にわたる落雷、台風等の損傷を受けながら
、数本の大枝になお緑の活力を保っている姿は
、御神木にふさわしい尊さである。
昭和6年3月 石岡市教育委員会
大杉の周りを左回りに見て回ります
北西側から
西側から
南西側から
南側から
南東側から
では、次へ行きましょう