卜雲寺は、横瀬町役場の東南東約1,5kmのところ
国道299号線の横瀬橋信号を東へ入り道なりに進みます
参道入口から卜雲寺への道路は細く急でクランクしていますので
心配な人(私)は、少し奥のマス釣り堀の向かいに臨時駐車場が有ります
案内板です
秩父札所巡礼路の案内板です
参道入り口に大きな石灯篭が一本あります(西善寺に有ったものと一緒です)
隣には日本百番霊場秩父補陀所六番荻野堂となっています
足元に道標石です
説明書きです
巡礼古道 道しるべ石
心求(高橋㐂兵衛)・はまを願主とする道標で、
元禄15(1702)年に建てられた。
左側側面刻字「みぎ 七ばん」
参道を上ります
左手の細道に「巡礼道」の立て看板が有ります
参道曲がり角にお地蔵様です
説明書きです
ねがい地蔵尊
此の地蔵尊は元文2年(1737年)6月
16日に当地に平沼与左衛門によって創立さ
れたものであります。
此の年代は江戸徳川八代将軍吉宗公の時代
で、当地に疫病が流行しその病気平癒祈願を
行ない地蔵尊の御慈悲を賜りました。
それから今日まで子育・身体健全・延命の
ねがい地蔵尊として遠近を問わず多くの方々
の信仰をあつめて居ます。
ご縁日 6月16日
右に曲がると本堂まえの石段が見えました
振り返ると南に武甲山です
本堂です
説明版です
町指定文化財 昭和48年1月31日指定
秩父観音霊場札所六番 卜雲寺
本尊 聖観世音
御詠歌 初秋に風吹きむすぶ荻の堂
宿かりの世の夢ぞ覚めける
当寺の本尊は古代末期より発生した山岳信仰の
流れをくむ蔵王権現社の本尊として長く武甲山頂
にあり、その後山岳信仰の推移とともに荻野堂移
され長享年間(1487頃)の札所再編により卜
雲寺管理となった。当寺と武甲山との関係は札所
成立期の歴史的背景として貴重である。この寺の
寺宝として清涼寺式釈迦像、縁起絵巻等があり、
観音堂は明治9年火災で全焼現在の建物はその後
のものである。
横瀬町教育委員会
本堂の懸額には禅客の故事が書かれています
一人の禅客来りて六年の間和歌の工夫せしが、
ある日誰とも知らぬ一首の和歌を詠じ
禅客この一首を聞き忽ち無常迅速の
理を悟り其の声の処を 尋ね見れば
一株の荻の下に 詠歌の短冊あり
誠に観音の霊感なりと 多くの人々霊験を豢り
今の荻ノ堂を建立 繁盛の地となれり
本堂前向側に六地蔵様です
六地蔵様建立についての石碑です
六地蔵尊建立について
平成二年は日本百番秩父三十四ヶ所観音霊場
午歳總開帳の年に当り全国各地より多数の善男
善女の参拝者が秩父観音霊場を訪れました。
当秩父観音霊場札所六番においても檀徒一同
心をこめて参拝者方々の受入れに当たり観世音
の功徳力をより深くより広く参拝者の方々の心
に伝えるべくつとめてまいりました。
このたび午歳總開帳の記念事業として浄財を
もって六地蔵尊の建立を発願いたした次第です
。
六地蔵尊は現世の苦を救い幸せをもたらし、
後世を浄土安楽に導いて下さる地蔵尊として庶
民信仰の永い歴史が有ります。ここに多くの方
々の御参拝を謹んで北異願い建立の趣旨としま
す。
平成3年2月吉日秩父観音札所六番
向陽山卜雲寺總代檀徒一同
標柱には、文化財が列記されています
卜雲寺の清涼寺式釈迦如来立像(町指定有形文化財〈彫刻〉)
札所六番紙本着色荻野堂縁起絵巻(町指定有形文化財〈絵画〉)
札所六番荻野堂(町指定史跡)
境内西側には薬師堂です
隣には卜雲稲荷神社です
ユキノシタが綺麗です
梅ですね
境内から荻野堂がかつて山頂にあった武甲山が見えました
では、次へ行きましょう
国道299号線の横瀬橋信号を東へ入り道なりに進みます
参道入口から卜雲寺への道路は細く急でクランクしていますので
心配な人(私)は、少し奥のマス釣り堀の向かいに臨時駐車場が有ります
案内板です
秩父札所巡礼路の案内板です
参道入り口に大きな石灯篭が一本あります(西善寺に有ったものと一緒です)
隣には日本百番霊場秩父補陀所六番荻野堂となっています
足元に道標石です
説明書きです
巡礼古道 道しるべ石
心求(高橋㐂兵衛)・はまを願主とする道標で、
元禄15(1702)年に建てられた。
左側側面刻字「みぎ 七ばん」
参道を上ります
左手の細道に「巡礼道」の立て看板が有ります
参道曲がり角にお地蔵様です
説明書きです
ねがい地蔵尊
此の地蔵尊は元文2年(1737年)6月
16日に当地に平沼与左衛門によって創立さ
れたものであります。
此の年代は江戸徳川八代将軍吉宗公の時代
で、当地に疫病が流行しその病気平癒祈願を
行ない地蔵尊の御慈悲を賜りました。
それから今日まで子育・身体健全・延命の
ねがい地蔵尊として遠近を問わず多くの方々
の信仰をあつめて居ます。
ご縁日 6月16日
右に曲がると本堂まえの石段が見えました
振り返ると南に武甲山です
本堂です
説明版です
町指定文化財 昭和48年1月31日指定
秩父観音霊場札所六番 卜雲寺
本尊 聖観世音
御詠歌 初秋に風吹きむすぶ荻の堂
宿かりの世の夢ぞ覚めける
当寺の本尊は古代末期より発生した山岳信仰の
流れをくむ蔵王権現社の本尊として長く武甲山頂
にあり、その後山岳信仰の推移とともに荻野堂移
され長享年間(1487頃)の札所再編により卜
雲寺管理となった。当寺と武甲山との関係は札所
成立期の歴史的背景として貴重である。この寺の
寺宝として清涼寺式釈迦像、縁起絵巻等があり、
観音堂は明治9年火災で全焼現在の建物はその後
のものである。
横瀬町教育委員会
本堂の懸額には禅客の故事が書かれています
一人の禅客来りて六年の間和歌の工夫せしが、
ある日誰とも知らぬ一首の和歌を詠じ
禅客この一首を聞き忽ち無常迅速の
理を悟り其の声の処を 尋ね見れば
一株の荻の下に 詠歌の短冊あり
誠に観音の霊感なりと 多くの人々霊験を豢り
今の荻ノ堂を建立 繁盛の地となれり
本堂前向側に六地蔵様です
六地蔵様建立についての石碑です
六地蔵尊建立について
平成二年は日本百番秩父三十四ヶ所観音霊場
午歳總開帳の年に当り全国各地より多数の善男
善女の参拝者が秩父観音霊場を訪れました。
当秩父観音霊場札所六番においても檀徒一同
心をこめて参拝者方々の受入れに当たり観世音
の功徳力をより深くより広く参拝者の方々の心
に伝えるべくつとめてまいりました。
このたび午歳總開帳の記念事業として浄財を
もって六地蔵尊の建立を発願いたした次第です
。
六地蔵尊は現世の苦を救い幸せをもたらし、
後世を浄土安楽に導いて下さる地蔵尊として庶
民信仰の永い歴史が有ります。ここに多くの方
々の御参拝を謹んで北異願い建立の趣旨としま
す。
平成3年2月吉日秩父観音札所六番
向陽山卜雲寺總代檀徒一同
標柱には、文化財が列記されています
卜雲寺の清涼寺式釈迦如来立像(町指定有形文化財〈彫刻〉)
札所六番紙本着色荻野堂縁起絵巻(町指定有形文化財〈絵画〉)
札所六番荻野堂(町指定史跡)
境内西側には薬師堂です
隣には卜雲稲荷神社です
ユキノシタが綺麗です
梅ですね
境内から荻野堂がかつて山頂にあった武甲山が見えました
では、次へ行きましょう