西鉄天神大牟田線とふろうまえ駅と、ふつかいち駅の間に
参道を西向きに王城神社が鎮座します
西鉄天神大牟田線とふろうまえ(都府楼前)駅です
駅前の案内板です、目的の王城神社も飛梅の原木の場所も乗っていませんね~スマホのマップを見て移動します
王城神社入口です
水盤です
説明版です
王城神社由来記
王城神社は、大国主命の子でえびす様として
あがめ親しまれている事代主命をお祀りしてい
ます。古来、えびす様は、市(いち)の売買を
守る神として商売の尊崇が篤く、また農・漁業
の守護神として崇敬されてきました。
王城神社の始まりは、天智天皇4年(西暦6
65年)、都府楼が建てられたとき、それまで
武甕槌命と相殿で四王寺山に祀られていた事代
主命を筑前国衙庄(現在の通古賀5丁目、旧小
字扇屋敷)にお移ししたことに由来し、また、
王城神社の名称は、王城山(四王寺山)の神と
して王城大明神と崇め奉られていたことにより
ます(船賀法印「王城神社縁起」)
その後延喜元(901年)年、都府楼南館(
榎寺)に謫居の身となった菅原道真公を始めと
して、太宰府の盛衰を反映しながらも時の官人
、武人たちの参詣を受けてきました。しかし、
神社の長い歴史の中では、戦火の余波をこうむ
ることもしばしばで、たとえば天正6「(15
78)年には高橋紹運を攻めた秋月勢の兵火に
かかって社殿が焼失してしまいました。このと
きは領主小早川隆景の寄進を受けましたが、宮
田の寄進を始めとして氏子村民により祭礼や神
社の運営が支えられてきました。
近年では、王城神社は明治5(1872)年
に旧水城村の村社に定められました。現在も毎
月1日に旧水城地区の各神社代表を交えて月次
祭が、また春・夏・秋にはおこもりや夏祭り、
宮相撲が行なわれ、九州で最も古いえびす様と
尊称されながら現代を生き続けています。
平成23(2011)年10月吉日
王城神社氏子会
狛犬です
拝殿です
本殿です
拝殿の北側に目的のクスノキが在ります
西側から
北西側から
拝殿脇から
本殿脇(南東側)から幹周5,7mの巨木です(クスノキとしては一般的なサイズなのが残念ですが~)
境内社です
では、次は飛梅原木です
王城神社の東へ直ぐの住宅の庭に、飛梅原木が在ります
飛梅原木です
説明版です
「飛梅」原木の縁由
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ」
太宰府天満宮の御社頭に、毎年はるのさきがけを
告げる「飛梅」は、天神様菅原道真公の御神徳を顕
彰して、参けいの人々に親しまれておるます。
菅公が右大臣より左遷され、太宰權帥としてこの
地に配流の時、都の旧邸の公の愛梅が、公を慕って
一夜のうちに飛んで来たので「飛梅」と名付けられ
ました。
大宰府に於ける菅公の配所は「南館」(鴻臚南館)
でその一部が御旅所の榎寺となっています。
「飛梅」の由来は、菅公の恩寵にあずかった伊勢
神宮の神官が、公を慕って大宰府に西下する途中、
都の旧邸より、公の遺愛の紅梅を根分けして携え、
「南館」の庭前に植えたと伝えられています。
天満宮の本殿造営に時、現在の社前に移植されま
した。
この「飛梅」の原木は「南館」の庭にあった往昔
のあかしとして、幾世代もこの地に植え継がれまし
た。現在は浄土真宗正行寺の「榎寺多屋」の境内に
、菅公を偲ぶよすがを留めております。
-太宰府市通古賀の「飛梅」を護る会-
では、西鉄天神大牟田線ふつかいち駅から博多天神に戻りましょう
参道を西向きに王城神社が鎮座します
西鉄天神大牟田線とふろうまえ(都府楼前)駅です
駅前の案内板です、目的の王城神社も飛梅の原木の場所も乗っていませんね~スマホのマップを見て移動します
王城神社入口です
水盤です
説明版です
王城神社由来記
王城神社は、大国主命の子でえびす様として
あがめ親しまれている事代主命をお祀りしてい
ます。古来、えびす様は、市(いち)の売買を
守る神として商売の尊崇が篤く、また農・漁業
の守護神として崇敬されてきました。
王城神社の始まりは、天智天皇4年(西暦6
65年)、都府楼が建てられたとき、それまで
武甕槌命と相殿で四王寺山に祀られていた事代
主命を筑前国衙庄(現在の通古賀5丁目、旧小
字扇屋敷)にお移ししたことに由来し、また、
王城神社の名称は、王城山(四王寺山)の神と
して王城大明神と崇め奉られていたことにより
ます(船賀法印「王城神社縁起」)
その後延喜元(901年)年、都府楼南館(
榎寺)に謫居の身となった菅原道真公を始めと
して、太宰府の盛衰を反映しながらも時の官人
、武人たちの参詣を受けてきました。しかし、
神社の長い歴史の中では、戦火の余波をこうむ
ることもしばしばで、たとえば天正6「(15
78)年には高橋紹運を攻めた秋月勢の兵火に
かかって社殿が焼失してしまいました。このと
きは領主小早川隆景の寄進を受けましたが、宮
田の寄進を始めとして氏子村民により祭礼や神
社の運営が支えられてきました。
近年では、王城神社は明治5(1872)年
に旧水城村の村社に定められました。現在も毎
月1日に旧水城地区の各神社代表を交えて月次
祭が、また春・夏・秋にはおこもりや夏祭り、
宮相撲が行なわれ、九州で最も古いえびす様と
尊称されながら現代を生き続けています。
平成23(2011)年10月吉日
王城神社氏子会
狛犬です
拝殿です
本殿です
拝殿の北側に目的のクスノキが在ります
西側から
北西側から
拝殿脇から
本殿脇(南東側)から幹周5,7mの巨木です(クスノキとしては一般的なサイズなのが残念ですが~)
境内社です
では、次は飛梅原木です
王城神社の東へ直ぐの住宅の庭に、飛梅原木が在ります
飛梅原木です
説明版です
「飛梅」原木の縁由
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ」
太宰府天満宮の御社頭に、毎年はるのさきがけを
告げる「飛梅」は、天神様菅原道真公の御神徳を顕
彰して、参けいの人々に親しまれておるます。
菅公が右大臣より左遷され、太宰權帥としてこの
地に配流の時、都の旧邸の公の愛梅が、公を慕って
一夜のうちに飛んで来たので「飛梅」と名付けられ
ました。
大宰府に於ける菅公の配所は「南館」(鴻臚南館)
でその一部が御旅所の榎寺となっています。
「飛梅」の由来は、菅公の恩寵にあずかった伊勢
神宮の神官が、公を慕って大宰府に西下する途中、
都の旧邸より、公の遺愛の紅梅を根分けして携え、
「南館」の庭前に植えたと伝えられています。
天満宮の本殿造営に時、現在の社前に移植されま
した。
この「飛梅」の原木は「南館」の庭にあった往昔
のあかしとして、幾世代もこの地に植え継がれまし
た。現在は浄土真宗正行寺の「榎寺多屋」の境内に
、菅公を偲ぶよすがを留めております。
-太宰府市通古賀の「飛梅」を護る会-
では、西鉄天神大牟田線ふつかいち駅から博多天神に戻りましょう