小立野地区は、生坂村役場の南約3kmのところ
国道19号線の下生野歩道橋の所に案内板が有ります
犀川の右岸(東側)に平七社が鎮座します
境内に車を止める事が出来ました
地区の案内図です
鳥居前からケヤキを見ました
平七社拝殿です
本殿は高い所の覆屋の中です
説明版です
平七社 本殿・棟札【村指定文化財】
慶安4年(1651)の検地帳に、「七社大権現、
社領畑1町5畝」とある。天神七代を祀る古社で、祭
神は「国常立神(クニノトコタチノカミ)」である。
昔は今より下段の沢近くにあったが、明治になって
現在の場所に上げた。沢の名前を天神沢という。
本殿は天明6年(1786)木曽福島上田村の齋藤
仙左衛門の作で優れた建築である。内には明治32年
奉納の俳句画が26面掲げられている。祭礼は秋に船
に人形を飾って引き盛んであったが、平成元年に廃止
された。
天神坐像【村指定文化財】
境内社である天神社の祭神として祭られている。像
高29cm、寄木造、玉眼、二百年以上前の神像彫刻
として生坂では最も優れる。
ケヤキ【村指定保存樹木】
周囲5m、高さ20mの大ケヤキがある。
平成23年3月 生坂村教育委員会
社殿の裏側にケヤキの巨木が在ります
天神様です
説明版です
当時の小立野村内の天神様は各同姓、
隣組等で祀られ、穀物の生育、蚕繭等の豊作
を願い、鎮守はそれぞれの地区により管理信
仰されていた。しかし文明開化の明治政府に
なると神仏分離令による廃仏毀釈が発令され
一村一社に統合が勧められた。
明治8年小立野村を含め4村が合併し生坂
村が誕生した。ここに祀ってある天神様は、
当時の小立野村内各地にあったものを一同こ
こに集められ祀られたと思われる。
社務所の裏側から見ました、合体木のようです
北側道路から
では、次へ行きましょう
国道19号線の下生野歩道橋の所に案内板が有ります
犀川の右岸(東側)に平七社が鎮座します
境内に車を止める事が出来ました
地区の案内図です
鳥居前からケヤキを見ました
平七社拝殿です
本殿は高い所の覆屋の中です
説明版です
平七社 本殿・棟札【村指定文化財】
慶安4年(1651)の検地帳に、「七社大権現、
社領畑1町5畝」とある。天神七代を祀る古社で、祭
神は「国常立神(クニノトコタチノカミ)」である。
昔は今より下段の沢近くにあったが、明治になって
現在の場所に上げた。沢の名前を天神沢という。
本殿は天明6年(1786)木曽福島上田村の齋藤
仙左衛門の作で優れた建築である。内には明治32年
奉納の俳句画が26面掲げられている。祭礼は秋に船
に人形を飾って引き盛んであったが、平成元年に廃止
された。
天神坐像【村指定文化財】
境内社である天神社の祭神として祭られている。像
高29cm、寄木造、玉眼、二百年以上前の神像彫刻
として生坂では最も優れる。
ケヤキ【村指定保存樹木】
周囲5m、高さ20mの大ケヤキがある。
平成23年3月 生坂村教育委員会
社殿の裏側にケヤキの巨木が在ります
天神様です
説明版です
当時の小立野村内の天神様は各同姓、
隣組等で祀られ、穀物の生育、蚕繭等の豊作
を願い、鎮守はそれぞれの地区により管理信
仰されていた。しかし文明開化の明治政府に
なると神仏分離令による廃仏毀釈が発令され
一村一社に統合が勧められた。
明治8年小立野村を含め4村が合併し生坂
村が誕生した。ここに祀ってある天神様は、
当時の小立野村内各地にあったものを一同こ
こに集められ祀られたと思われる。
社務所の裏側から見ました、合体木のようです
北側道路から
では、次へ行きましょう