美麻青具地区は、大町市役所の北北東約12kmのところ
県道31号長野大町線で山の中を辿って
県道33号線との交差点が「青具」信号です
信号の南西側に、国指定重要文化財旧中村家住宅が在ります
あいにく休館日でしたので、塀の外から撮影させて頂きました
車は門の前の駐車スペースに止める事が出来ました
旧中村家住宅です
納屋の様な建物ですが土蔵だそうです
文化財標柱です
説明版です
国指定重要文化財
旧中村家住宅 二棟
平成9年12月3日指定
主屋 桁行25,5m 梁間10,9m
寄棟造 茅葺 南西隅もんぎち附属
土蔵 土蔵造 桁行10,8m 梁間7,3m
二階建 切妻造 茅葺 正背面軒柱付
住宅の旧所有者である中村家は、江戸時代初めの
慶長19年(1614)に上方からここに来て帰農
定住したと伝えられ、初代彦右衛門は、慶安3年(
1650)の松本蕃の検地で持高12石5斗余の本
百姓となっている。二代目庄右衛門はそのころ青具
村の組頭をしており、ついで三代目佐五右衛門も正
徳二年(1712)に同村の庄屋に任ぜられ、以後
の代々もたびたび正屋など村役人を務め、当主まで
13代を数える。
現在の主屋は、元禄11年(1698)3月、二
代目庄右衛門とその子佐五右衛門の代に、隣村千見
村真面の大工九平によって建立されたことが中村家
の年代記で、県内現存の建立年代が明確な民家では
最古である。また間口14間・奥行6間・建坪84
坪(約278㎡)の大きさは当時の民家としては屈
指である。栗・桂材を多用しているため、300年
の風雪にもよく耐えてきた。間取りは、間口の下手
半分が土間と馬屋で、土間の一部を土座(土間の上
に直接に茅・筵を敷いた床)とし、上手半分が居間
・寝間・客間に使われ、居間の床も建立後ほぼ35
年間は土座で、その後今のように板の間になった。
居間と客間の間や奥座敷の外側に一間幅の「ゆりか
」(入側のなまり)がついたり、奥座敷の床の間が
妻側を向くのは古い形式である。
土蔵hあ、安永9年(1780)3月、六代目武
左衛門運備の代に隣村佐野村の大工政右衛門らによ
って建立されたことが、年代記・普請帳ならびに土
蔵入口の裏白と呼ばれる漆喰塗の防火戸の表に書か
れた墨書銘で明らかで、県内現存の建立年代が明確
な土蔵でへ古い方に属し、構造も素朴で古風である
。間口6間・奥行4間の建物で、栗の側柱を三尺間
隔に立て、外側は中塗り仕上げの土壁、内側は栗の
厚板の落し込み壁とする。屋根は置屋根で、その扠
首尻に軒支柱を立てて屋根の荷重を支えている。当
初は屋敷入口近くに主屋と向かい合って建てられた
が、昭和48年に道路拡幅のため現位置へ曳き移転
された。
このように主屋・土蔵は民家建築上極めて貴重で
あるため、旧美麻村では中村家から敷地とともに譲
渡を受けて保存修復工事を行い、現状のように復元
整備された。今後は建物の保存と活用に一層心掛け
たいの願っている。
平成18年3月 大町市教育委員会
では、次へ行きましょう
県道31号長野大町線で山の中を辿って
県道33号線との交差点が「青具」信号です
信号の南西側に、国指定重要文化財旧中村家住宅が在ります
あいにく休館日でしたので、塀の外から撮影させて頂きました
車は門の前の駐車スペースに止める事が出来ました
旧中村家住宅です
納屋の様な建物ですが土蔵だそうです
文化財標柱です
説明版です
国指定重要文化財
旧中村家住宅 二棟
平成9年12月3日指定
主屋 桁行25,5m 梁間10,9m
寄棟造 茅葺 南西隅もんぎち附属
土蔵 土蔵造 桁行10,8m 梁間7,3m
二階建 切妻造 茅葺 正背面軒柱付
住宅の旧所有者である中村家は、江戸時代初めの
慶長19年(1614)に上方からここに来て帰農
定住したと伝えられ、初代彦右衛門は、慶安3年(
1650)の松本蕃の検地で持高12石5斗余の本
百姓となっている。二代目庄右衛門はそのころ青具
村の組頭をしており、ついで三代目佐五右衛門も正
徳二年(1712)に同村の庄屋に任ぜられ、以後
の代々もたびたび正屋など村役人を務め、当主まで
13代を数える。
現在の主屋は、元禄11年(1698)3月、二
代目庄右衛門とその子佐五右衛門の代に、隣村千見
村真面の大工九平によって建立されたことが中村家
の年代記で、県内現存の建立年代が明確な民家では
最古である。また間口14間・奥行6間・建坪84
坪(約278㎡)の大きさは当時の民家としては屈
指である。栗・桂材を多用しているため、300年
の風雪にもよく耐えてきた。間取りは、間口の下手
半分が土間と馬屋で、土間の一部を土座(土間の上
に直接に茅・筵を敷いた床)とし、上手半分が居間
・寝間・客間に使われ、居間の床も建立後ほぼ35
年間は土座で、その後今のように板の間になった。
居間と客間の間や奥座敷の外側に一間幅の「ゆりか
」(入側のなまり)がついたり、奥座敷の床の間が
妻側を向くのは古い形式である。
土蔵hあ、安永9年(1780)3月、六代目武
左衛門運備の代に隣村佐野村の大工政右衛門らによ
って建立されたことが、年代記・普請帳ならびに土
蔵入口の裏白と呼ばれる漆喰塗の防火戸の表に書か
れた墨書銘で明らかで、県内現存の建立年代が明確
な土蔵でへ古い方に属し、構造も素朴で古風である
。間口6間・奥行4間の建物で、栗の側柱を三尺間
隔に立て、外側は中塗り仕上げの土壁、内側は栗の
厚板の落し込み壁とする。屋根は置屋根で、その扠
首尻に軒支柱を立てて屋根の荷重を支えている。当
初は屋敷入口近くに主屋と向かい合って建てられた
が、昭和48年に道路拡幅のため現位置へ曳き移転
された。
このように主屋・土蔵は民家建築上極めて貴重で
あるため、旧美麻村では中村家から敷地とともに譲
渡を受けて保存修復工事を行い、現状のように復元
整備された。今後は建物の保存と活用に一層心掛け
たいの願っている。
平成18年3月 大町市教育委員会
では、次へ行きましょう