長岡地区は、南陽市役所の南東約1kmのところ
南陽警察署の東側の南北に通る道路に案内板が出ています
道路を西に入って赤湯小学校の南側を道なりに進むと
綺麗に復元された?稲荷森古墳が見えて来ます
古墳の東側に駐車場が整備されています
案内板です
大きな前方後円墳が見えて来ます
史跡稲荷森古墳の石碑です
前方部です
後円部です
南西側から
西側の接合部から墳丘に登ってみました
前方部です
後円部です
接合部の面が段築一段目です
後円部南東斜面です
段築二段目です
後円部頂上です
方位版が有ります
北側の建物は赤湯小学校です
後円部頂上より小さな前方部を見ました
段築の三段目です
西側には、刈り取り前の田圃が黄金色でした
国指定史跡 稲荷森古墳
1、指定 昭和55(1980)年5月24日
2、所在 南陽市長岡1175番地 他
3、指定事由
昭和9年の発見後、緒調査の結果、東北地方
有数の規模を持ち、日本海側では北限の卓越し
た古式の前方後円墳と判明し、東北古代史を解
明するうえで重要な位置を占める。
4、古墳の寸法 全長 96m
後円部の直径 62m
前方部に長さ 34m
後円部の高さ 9.6m
前方部の高さ 4m
5、指定地面積 10,182.7㎡
稲荷森古墳の造り方説明です
稲荷森古墳は、今までの4回の発掘調査により
つくり方やおおよその年代、保存が良い古墳であ
ることなどがわかりました。
1600年以上も前に、これほど大きな古墳を
つくることができた首長(王)の権力は相当なも
のです。
稲荷森古墳の整備説明です
昭和62、63年度に、史跡整備のために南陽
市教育委員会が行った発掘調査や諸調査に基づき
、平成元年度から同4年まで保存と活用を目的と
した整備工事が行なわれました。
墳丘は保存状態が良好なため部分的修復にとど
め、全体としては現状保存をめざし、また自生植
物により墳丘斜面を保護しています。
南陽市内の主な古墳時代の遺跡の説明です
では、次へ行きましょう
南陽警察署の東側の南北に通る道路に案内板が出ています
道路を西に入って赤湯小学校の南側を道なりに進むと
綺麗に復元された?稲荷森古墳が見えて来ます
古墳の東側に駐車場が整備されています
案内板です
大きな前方後円墳が見えて来ます
史跡稲荷森古墳の石碑です
前方部です
後円部です
南西側から
西側の接合部から墳丘に登ってみました
前方部です
後円部です
接合部の面が段築一段目です
後円部南東斜面です
段築二段目です
後円部頂上です
方位版が有ります
北側の建物は赤湯小学校です
後円部頂上より小さな前方部を見ました
段築の三段目です
西側には、刈り取り前の田圃が黄金色でした
国指定史跡 稲荷森古墳
1、指定 昭和55(1980)年5月24日
2、所在 南陽市長岡1175番地 他
3、指定事由
昭和9年の発見後、緒調査の結果、東北地方
有数の規模を持ち、日本海側では北限の卓越し
た古式の前方後円墳と判明し、東北古代史を解
明するうえで重要な位置を占める。
4、古墳の寸法 全長 96m
後円部の直径 62m
前方部に長さ 34m
後円部の高さ 9.6m
前方部の高さ 4m
5、指定地面積 10,182.7㎡
稲荷森古墳の造り方説明です
稲荷森古墳は、今までの4回の発掘調査により
つくり方やおおよその年代、保存が良い古墳であ
ることなどがわかりました。
1600年以上も前に、これほど大きな古墳を
つくることができた首長(王)の権力は相当なも
のです。
稲荷森古墳の整備説明です
昭和62、63年度に、史跡整備のために南陽
市教育委員会が行った発掘調査や諸調査に基づき
、平成元年度から同4年まで保存と活用を目的と
した整備工事が行なわれました。
墳丘は保存状態が良好なため部分的修復にとど
め、全体としては現状保存をめざし、また自生植
物により墳丘斜面を保護しています。
南陽市内の主な古墳時代の遺跡の説明です
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