比志地区は、北杜市役所の北東約9kmから14kmのところ
県道23号線韮崎増冨線沿いの広い地域です
鳥井坂トンネルです
トンネルを貫けるとすぐ左斜めに入る道があります
(「比志のエゾノキ」の案内板が有りますが、斜めに曲がっていて見えませんでした)
坂道を下りると橋が見えて来ます
橋を渡るとすぐ右に参道入口です、案内板が出ています「比志のエゾノキ」はもう少し先の様です
立派な鳥居が建っています、車は川沿いの道を社殿の脇まで入りました
郷社 比志神社です
文化財説明版です
県指定文化財
比志神社本殿付棟札
昭和40年8月19日指定
須玉町比志872
比志神社所有
この神社は、日本三代実録(延喜元年
・901年)所載の古社で蔵王権現また
は比志権現とも称せられた。
甲斐国志によると大永2年うしろの山
御崎平から塩川州上に遷座し、同8年日
向大和守是吉が修造したとあり大永8年
(1528年)造営銘のほか修理時のも
のあわせて7枚の棟札がある。
飛騨の内匠伴野庄高野住人頭領吉沢因
幡守信村、小衛清左衛門尉等が材料を木
曽の山宮に採り畢生の技術を尽くして建
立したものであり、幣軸構え一間社流造
りで軸廻り、妻飾りなど室町時代の意匠
を示している。
昭和61年12月1日
山梨県教育委員会
須玉町教育委員会
神門です
水盤です
御由緒の石碑です
比志神社 旧郷社
御祭神 広国押武金日命(安閑天皇)
誉田別命 (応神天皇)
大巳貴神 (大国王命の別名)
祭日 春祭(祈年祭) 3月25日
例大祭 7月15日
附 八坂大神神事
秋祭(新嘗祭)11月23日
御由緒
当社は伝によると、文武天皇大宝元(701)年
9月15日本村西北隅の御崎平に鎮座、大永2(1
522)年御崎平より現在の地に遷祀されたといわ
れ、六国史の一つである三代実録に、貞観元(86
3)年比志神に従五位下を援くとあり、国史現在社
所載の古社である。
甲斐国志などによると旧称蔵王権現といわれ、御
岳金桜神社などと同じ奈良平野の金峯山、甲州金峯
山に関係をもつ神社で、大永8年、日向大和守一族
の修造にかかりその社殿は飛騨の匠の作といわれ、
昭和40年山梨県文化財として指定されている。
本年諸社殿大改修竣工にあたり、これ記念して神
社略誌を建立した。
昭和55年11月23日
比志神社宮司 藤原茂男
左手に神楽殿です
拝殿です
本殿です
説明版です
山梨県指定文化財
志比神社本殿 一棟附棟札7枚
昭和40年8月19日指定
日本三代實録(901)年にも記録が残る古い神社
で蔵王権現、または志比権現とも称せられた。
大永8年(1528年)の棟札(県指定)には日向
大和守是吉が信州伴野庄(長野県佐久地方)の古澤因
幡守を頭領に修造させたとある。また、大永7年には
、武田信玄の父、信虎が伴野氏を援けに出兵すること
などもあった。
北佐久郡の駒形神社には、木鼻の上部に葉状の絵様
を付けたものがあり、同様なものが当社と近くの神部
神社(県指定)にみられる。
当地方と佐久地方が密接な関係を物語るものである。
平成6年3月 山梨県教育委員会
須玉町教育委員会
拝殿の左に目的の大杉です
神楽殿脇から見上げました
説明版です
県指定天然記念物
比志神社の大スギ
所有者 比志神社
指定年月日 昭和36年12月7日
スギの巨樹として県下有数のものである。
樹齢5~600年といわれている。
根元の周囲 11,70m
目通り幹囲 8,18m
枝張り 東 8,00m
西 7,00m
南 8,30m
北 6,80m
樹高 33,00m
昭和56年2月16日
山梨県教育委員会
須玉町教育委員会
本殿脇から見ました
本殿を左手から見ました
こちらは参道のアカマツの大木です、河原の土手道から見ました
では、次へ行きましょう
県道23号線韮崎増冨線沿いの広い地域です
鳥井坂トンネルです
トンネルを貫けるとすぐ左斜めに入る道があります
(「比志のエゾノキ」の案内板が有りますが、斜めに曲がっていて見えませんでした)
坂道を下りると橋が見えて来ます
橋を渡るとすぐ右に参道入口です、案内板が出ています「比志のエゾノキ」はもう少し先の様です
立派な鳥居が建っています、車は川沿いの道を社殿の脇まで入りました
郷社 比志神社です
文化財説明版です
県指定文化財
比志神社本殿付棟札
昭和40年8月19日指定
須玉町比志872
比志神社所有
この神社は、日本三代実録(延喜元年
・901年)所載の古社で蔵王権現また
は比志権現とも称せられた。
甲斐国志によると大永2年うしろの山
御崎平から塩川州上に遷座し、同8年日
向大和守是吉が修造したとあり大永8年
(1528年)造営銘のほか修理時のも
のあわせて7枚の棟札がある。
飛騨の内匠伴野庄高野住人頭領吉沢因
幡守信村、小衛清左衛門尉等が材料を木
曽の山宮に採り畢生の技術を尽くして建
立したものであり、幣軸構え一間社流造
りで軸廻り、妻飾りなど室町時代の意匠
を示している。
昭和61年12月1日
山梨県教育委員会
須玉町教育委員会
神門です
水盤です
御由緒の石碑です
比志神社 旧郷社
御祭神 広国押武金日命(安閑天皇)
誉田別命 (応神天皇)
大巳貴神 (大国王命の別名)
祭日 春祭(祈年祭) 3月25日
例大祭 7月15日
附 八坂大神神事
秋祭(新嘗祭)11月23日
御由緒
当社は伝によると、文武天皇大宝元(701)年
9月15日本村西北隅の御崎平に鎮座、大永2(1
522)年御崎平より現在の地に遷祀されたといわ
れ、六国史の一つである三代実録に、貞観元(86
3)年比志神に従五位下を援くとあり、国史現在社
所載の古社である。
甲斐国志などによると旧称蔵王権現といわれ、御
岳金桜神社などと同じ奈良平野の金峯山、甲州金峯
山に関係をもつ神社で、大永8年、日向大和守一族
の修造にかかりその社殿は飛騨の匠の作といわれ、
昭和40年山梨県文化財として指定されている。
本年諸社殿大改修竣工にあたり、これ記念して神
社略誌を建立した。
昭和55年11月23日
比志神社宮司 藤原茂男
左手に神楽殿です
拝殿です
本殿です
説明版です
山梨県指定文化財
志比神社本殿 一棟附棟札7枚
昭和40年8月19日指定
日本三代實録(901)年にも記録が残る古い神社
で蔵王権現、または志比権現とも称せられた。
大永8年(1528年)の棟札(県指定)には日向
大和守是吉が信州伴野庄(長野県佐久地方)の古澤因
幡守を頭領に修造させたとある。また、大永7年には
、武田信玄の父、信虎が伴野氏を援けに出兵すること
などもあった。
北佐久郡の駒形神社には、木鼻の上部に葉状の絵様
を付けたものがあり、同様なものが当社と近くの神部
神社(県指定)にみられる。
当地方と佐久地方が密接な関係を物語るものである。
平成6年3月 山梨県教育委員会
須玉町教育委員会
拝殿の左に目的の大杉です
神楽殿脇から見上げました
説明版です
県指定天然記念物
比志神社の大スギ
所有者 比志神社
指定年月日 昭和36年12月7日
スギの巨樹として県下有数のものである。
樹齢5~600年といわれている。
根元の周囲 11,70m
目通り幹囲 8,18m
枝張り 東 8,00m
西 7,00m
南 8,30m
北 6,80m
樹高 33,00m
昭和56年2月16日
山梨県教育委員会
須玉町教育委員会
本殿脇から見ました
本殿を左手から見ました
こちらは参道のアカマツの大木です、河原の土手道から見ました
では、次へ行きましょう