長坂町大八田地区は、北杜市役所の北西約7kmのところ
中央自動車道の長坂インターチェンジ入口から西へ
県道32号長坂高根線を1km程進むと
北杜市立甲陵高校入口が有ります(高校への道路は通行止めでした)
一つ手前(東側)の道路を南へ下ると直ぐに八幡神社が南向に鎮座します
神社前(南側)の田圃の縁に車を止めさせて頂きました
南側の田圃の中から八幡神社を見ました
社殿の前に目的の大ケヤキです
西側から南に少し傾いて立っています
南側から見上げました
社殿です
境内に大きな石碑が有ります
八幡神社と甲斐源氏発祥の記
甲斐源氏の勃興は、今を距たる九百余年前の
長元2年源頼信が甲斐守となるに始まる。当時
甲斐には柏前、真衣、穂坂の官牧があり、頼信
その子頼義はこれが復興につとめ、更に隣接す
る広大な八ヶ岳山麓の原野に私牧をもとめ軍馬
を飼育し荘園を建置し、大いに民生を厚くした
。
古伝によれば、その開発の中心地に源氏の守
護神である ”誉田別命” を京都の石清水より
勧請し、頼義の子頼光は、広大な神領と壮大な
社殿を寄進した。八幡宮(おおはったのみや)
と尊称した。即ち、当八幡大神社であり、甲斐
の八幡信仰の発祥であって、大八幡の荘名・大
八田の杮名はこれから起こる。
逸見郷は、大八幡荘を中心に開発され、義清
を経て清光が、逸見山の要害に谷戸城を築くに
及んで、甲斐源氏の基礎は確立され、子孫各地
に分派繁栄し、甲斐はその一族の支配するとこ
ろとなり、八幡宮も亦各地に勧請され、当社は
総社に仰がれるに至った。
古祠は6・7丁東にあり、総社にふさわしい
壮麗な社殿であったが、水害によって流失し、
現在地に移築された。旧祠側に日本武尊御東征
の副将軍大伴武日命を祀る嗽神、西方に命の妃
大炊姫を祀る弁天社がある。
茲に氏子相謀りその由来を碑に刻し永く後世
に伝えるのである。
昭和45年10月1日
宮司 塚川宜正 撰
社殿右手のケヤキの大木です
東側道路沿いに説明版がありました
(史跡)八幡大神社
所在地 長坂町大八田4404
管理者 八幡大神社
甲斐源氏の勃興は今から900余年前の長元
2年(1029年)源頼信が甲斐守となるに始
まる。当時甲斐には柏前・真衣・穂坂の官牧が
あり、頼信とその子の頼義は、復興につとめ、
更に隣接する八ヶ岳山麓の原野に私牧をもとめ
、軍馬を飼育し荘園を建置じし民生を厚くした
。
古伝によれば、その開発の中心地に源氏の守
護神である誉田別命を京都の石清水より勧請し
頼義の子の義光は広大な神領と壮大な社殿を寄
進し、大八幡宮と尊称した。
これが八幡大神社であり、甲斐の八幡信仰の
発祥地であって大八幡の荘名、大八田の名
はこれから起こっている。その後頼清を経て清
光その子光長に至っていよいよ尊崇厚かったが
水害により流失し、現在地に移されたものであ
る。 昭和47年3月1日
長坂町教育委員会
石碑の一部抜粋かな・・・・
では、次へ行きましょう
中央自動車道の長坂インターチェンジ入口から西へ
県道32号長坂高根線を1km程進むと
北杜市立甲陵高校入口が有ります(高校への道路は通行止めでした)
一つ手前(東側)の道路を南へ下ると直ぐに八幡神社が南向に鎮座します
神社前(南側)の田圃の縁に車を止めさせて頂きました
南側の田圃の中から八幡神社を見ました
社殿の前に目的の大ケヤキです
西側から南に少し傾いて立っています
南側から見上げました
社殿です
境内に大きな石碑が有ります
八幡神社と甲斐源氏発祥の記
甲斐源氏の勃興は、今を距たる九百余年前の
長元2年源頼信が甲斐守となるに始まる。当時
甲斐には柏前、真衣、穂坂の官牧があり、頼信
その子頼義はこれが復興につとめ、更に隣接す
る広大な八ヶ岳山麓の原野に私牧をもとめ軍馬
を飼育し荘園を建置し、大いに民生を厚くした
。
古伝によれば、その開発の中心地に源氏の守
護神である ”誉田別命” を京都の石清水より
勧請し、頼義の子頼光は、広大な神領と壮大な
社殿を寄進した。八幡宮(おおはったのみや)
と尊称した。即ち、当八幡大神社であり、甲斐
の八幡信仰の発祥であって、大八幡の荘名・大
八田の杮名はこれから起こる。
逸見郷は、大八幡荘を中心に開発され、義清
を経て清光が、逸見山の要害に谷戸城を築くに
及んで、甲斐源氏の基礎は確立され、子孫各地
に分派繁栄し、甲斐はその一族の支配するとこ
ろとなり、八幡宮も亦各地に勧請され、当社は
総社に仰がれるに至った。
古祠は6・7丁東にあり、総社にふさわしい
壮麗な社殿であったが、水害によって流失し、
現在地に移築された。旧祠側に日本武尊御東征
の副将軍大伴武日命を祀る嗽神、西方に命の妃
大炊姫を祀る弁天社がある。
茲に氏子相謀りその由来を碑に刻し永く後世
に伝えるのである。
昭和45年10月1日
宮司 塚川宜正 撰
社殿右手のケヤキの大木です
東側道路沿いに説明版がありました
(史跡)八幡大神社
所在地 長坂町大八田4404
管理者 八幡大神社
甲斐源氏の勃興は今から900余年前の長元
2年(1029年)源頼信が甲斐守となるに始
まる。当時甲斐には柏前・真衣・穂坂の官牧が
あり、頼信とその子の頼義は、復興につとめ、
更に隣接する八ヶ岳山麓の原野に私牧をもとめ
、軍馬を飼育し荘園を建置じし民生を厚くした
。
古伝によれば、その開発の中心地に源氏の守
護神である誉田別命を京都の石清水より勧請し
頼義の子の義光は広大な神領と壮大な社殿を寄
進し、大八幡宮と尊称した。
これが八幡大神社であり、甲斐の八幡信仰の
発祥地であって大八幡の荘名、大八田の名
はこれから起こっている。その後頼清を経て清
光その子光長に至っていよいよ尊崇厚かったが
水害により流失し、現在地に移されたものであ
る。 昭和47年3月1日
長坂町教育委員会
石碑の一部抜粋かな・・・・
では、次へ行きましょう