ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県富士見町、富士見「御射山神戸一里塚のケヤキ」です!!

2020-06-16 06:13:00 | 巨樹・大木
神戸地区は、富士見町役場の北東約5kmのところ

国道20号線の神戸八幡信号の茅野市より側に

国道からそれる形で甲州街道が左に上がって行きます

甲州街道に入って間もなく一里塚が有ります

左側の塚上に植えられたのが目的のケヤキです

右側の塚の前に車を止める事が出来ました

東側から見上げました

石碑が有ります
  石碑文面内容です
 江戸日本橋より下諏訪宿に至る
53里余りの道を甲州道中と云い
慶長15年開通され同時に日本橋
を起点として一里毎に道の両側に
方5間の地を占め、上に塚を築き
榎か欅を植えた。旅人は木陰に足
を投げ出して休み、握り飯を食し
次の一里塚を目当てに進んだ。こ
の塚は48里塚で、東塚は榎であ
ったが明治二十年代枯れ、西塚は
当時のままの欅で、県内唯一のも
の、県の史跡に指定されている。
  富士見町
昭和44年4月8日
   御射山神戸区


右側にもケヤキの立つ塚です、前に説明版が有ります

説明版です
富士見町指定史跡
  御射山神戸の一里塚
 関ヶ原の決戦に勝利した徳川家康
は、江戸を政治の中心とするため、
慶長7年(1602)に江戸と地方
を結ぶ幹線道路として五街道を定め
た。甲州街道(道中)はその一つで
、最初は甲府までであったが、慶長
15年ころになって下諏訪(中山道
)まで延長整備された。
 街道には、往来する人々のために
宿場や一里塚が設けられた。一里塚
は道中の目安のため一里(約4km
)ごとに街道の両脇に盛られた塚で
、大きさは5間(約9m)四方とい
われ、そこにケヤキやエノキなどが
植えられた。
 この一里塚は集落の北はずれにあ
って、江戸の日本橋から48里め(
49里との説もある)の塚であると
いわれ、明治中頃までその役割を果
たしていた。道路の東塚にはエノキ
が、西塚にはケヤキが育っていたが
、東塚のエノキは明治初期に枯れて
しまったという。
 残っている西塚のケヤキは、塚が
つくられた慶長年間に植えられたも
のと推定出され、樹齢はおよそ38
0年を数える。現在では目通り高で
幹の太さが周囲6,9m、樹高は約
25mの巨木となり、永い歳月を風
雪にたえて堂々たる風格をそなえ、
樹勢もなおさかんである。
 甲州街道でこのように塚・ケヤキ
ともに往時のものが保存されている
例は他になく、実に貴重な存在であ
る。
  平成10年3月
      富士見町教育委員会
*推定樹齢400年を過ぎたことになるようですね


北側から

直先の交差点から

では、次へ行きましょう
コメント
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