今日から暦の上では秋の立秋です
まだまだ暑い日が続きますし、新型コロナウイリスのため、マスクをしていると、熱中症に成りやすくなりますので注意してくださいね😉❗❗
では、今日の投稿です
三富上釜口地区は、山梨市役所の北北東約12kmのところから
笛吹川右岸の国道140号線沿いから甲武信岳へ至る広い地区です
道の駅「花かげの郷 まきおか」を過ぎて
旧三富村に入り山梨市三富支所を過ぎると
徐々に高度を上げて行きます

広瀬ダムです

ダム本体前に
駐車場が有ります

広瀬ダム案内図です


ダム下流側です


上流側です

ダム標準断面図です

広瀬ダムの貯水位は夏と冬で違います

大きな水源の碑です

水神碑です

故郷の碑です

広瀬ダム建設協力感謝の碑です
広瀬ダムは、着工以来多くの
方々の深い御理解と御協力によ
って完成しました。永年住みな
れた故郷の地が湖底となるため
他の地へ転土された32戸の協
力者をはじめ伝来の貴重な墳墓
・畑・山林などを提供された協
力者は62名に及んでいます。
特に亀田林業所殿には、15㌶
に及ぶ山林提供、広瀬事業所及
び墳墓の移転、ダム本体の芯を
形成する233000立方mに
及ぶ山土の無償提供等のほか、
ダム周辺緑化のために多数の苗
木を寄贈されました。
広瀬ダムの完成にあたり、以
上を銘記し、深く感謝の意をさ
さげます。
昭和50年3月
山梨県

法面水平移動量測定基準点が国道側に有ります

雁坂峠の説明版です
雁坂峠の由来
1、日本で一番古い歴史をもつ峠(日本三大峠の一つ)
2、武田信玄公が整備した軍道(甲斐九筋の一つ、烽火台の道)
3、罪人の国外追放の道(罪人の駆(かり)雁坂峠の語源)
4、信仰の道(身延山・善光寺・三峰山・伊勢講往来の道)
5、シルクロード(甲斐と秩父の物資交流の道)
6、雁門の道(渡り鳥、雁の群の航路)
「日本書紀」の景行記による
と日本武尊が東征のため通った
道が雁坂峠では日本最古の峠道
であったとされている。
日本列島には多くの山や峠が
あるが、雁の名のつくものはほ
とんど見当たらない。しかし雁
坂峠付近には雁の名のつく山々
が集中的に存在している。
昔、里人が毎年秋になれば、
高い山脈の稜線を雁行状にスレ
ズレ山越えして行く雁の群れに
強烈な印象をうけて名付けたも
のと云われている。
また、和歌で有名な凡河内躬
恒が雁坂峠を「秋風に山飛ひ越
えてくる雁の羽むけにきゆる峰
の白雪」と歌い新拾遺集のなか
に残している。
山頂付近からは古銭や縄文中
期の遺物が出土しており歴史を
物語る峠でもある。
中世の時代甲斐の九筋の一つ
で、秩父街道の難所とされた雁
坂峠の入口は、当地で、ここか
ら赤志を通り急峻な道を登り詰
めると雁坂峠の山頂で、この峠
は奥秩父の縦走路と交わってお
り、ここから北側は増富の瑞牆
山、南側は雲取山につながって
いる。
また、この雁坂峠は八里八町
人家なしと云われた険しい峠で
もありました。平成10年4月
23日雁坂トンネル(延長66
25m)として開通したが、峠
は今も昔の姿を留めています。
平成14年度
三富村教育委員会
*トンネルには向かわずに戻ります
では、次へ行きましょう

笛吹川右岸の国道140号線沿いから甲武信岳へ至る広い地区です
道の駅「花かげの郷 まきおか」を過ぎて
旧三富村に入り山梨市三富支所を過ぎると
徐々に高度を上げて行きます

広瀬ダムです


ダム本体前に


広瀬ダム案内図です



ダム下流側です



上流側です


ダム標準断面図です


広瀬ダムの貯水位は夏と冬で違います


大きな水源の碑です


水神碑です


故郷の碑です


広瀬ダム建設協力感謝の碑です
広瀬ダムは、着工以来多くの
方々の深い御理解と御協力によ
って完成しました。永年住みな
れた故郷の地が湖底となるため
他の地へ転土された32戸の協
力者をはじめ伝来の貴重な墳墓
・畑・山林などを提供された協
力者は62名に及んでいます。
特に亀田林業所殿には、15㌶
に及ぶ山林提供、広瀬事業所及
び墳墓の移転、ダム本体の芯を
形成する233000立方mに
及ぶ山土の無償提供等のほか、
ダム周辺緑化のために多数の苗
木を寄贈されました。
広瀬ダムの完成にあたり、以
上を銘記し、深く感謝の意をさ
さげます。
昭和50年3月
山梨県

法面水平移動量測定基準点が国道側に有ります


雁坂峠の説明版です
雁坂峠の由来
1、日本で一番古い歴史をもつ峠(日本三大峠の一つ)
2、武田信玄公が整備した軍道(甲斐九筋の一つ、烽火台の道)
3、罪人の国外追放の道(罪人の駆(かり)雁坂峠の語源)
4、信仰の道(身延山・善光寺・三峰山・伊勢講往来の道)
5、シルクロード(甲斐と秩父の物資交流の道)
6、雁門の道(渡り鳥、雁の群の航路)
「日本書紀」の景行記による
と日本武尊が東征のため通った
道が雁坂峠では日本最古の峠道
であったとされている。
日本列島には多くの山や峠が
あるが、雁の名のつくものはほ
とんど見当たらない。しかし雁
坂峠付近には雁の名のつく山々
が集中的に存在している。
昔、里人が毎年秋になれば、
高い山脈の稜線を雁行状にスレ
ズレ山越えして行く雁の群れに
強烈な印象をうけて名付けたも
のと云われている。
また、和歌で有名な凡河内躬
恒が雁坂峠を「秋風に山飛ひ越
えてくる雁の羽むけにきゆる峰
の白雪」と歌い新拾遺集のなか
に残している。
山頂付近からは古銭や縄文中
期の遺物が出土しており歴史を
物語る峠でもある。
中世の時代甲斐の九筋の一つ
で、秩父街道の難所とされた雁
坂峠の入口は、当地で、ここか
ら赤志を通り急峻な道を登り詰
めると雁坂峠の山頂で、この峠
は奥秩父の縦走路と交わってお
り、ここから北側は増富の瑞牆
山、南側は雲取山につながって
いる。
また、この雁坂峠は八里八町
人家なしと云われた険しい峠で
もありました。平成10年4月
23日雁坂トンネル(延長66
25m)として開通したが、峠
は今も昔の姿を留めています。
平成14年度
三富村教育委員会
*トンネルには向かわずに戻ります
では、次へ行きましょう

