上市田地区は、高森町役場の南西約2kmのところ
役場前の道を西へ登って行きます
大丸山公園東信号を左(南西)へ進みます
道なりにのぼって行き、上市田東信号をまた左(南)へ
間ヶ沢大橋を渡った先のコンビニの前に松岡城の案内板が有ります
松岡城は左(南下)ですがここを右(北上)に進むと
道路右手に杉の巨木が見えて来ます
南西側道路脇に
車を止めさせて頂きました

南西側道路から見ました



南側から


南西側の入り口から見上げました

高森町史跡 松岡古城跡の文化財標柱です

説明版です
高森町史跡松岡古城跡
平成27年3月9日指定
時代 平安時代末期~鎌倉時代末期
指定面積 1332㎡
所有者 上市田区・松源寺
松岡氏が市田郷に定着し、市
田郷を管理するようになったと
推定される平安末期から、鎌倉
時代を経て建武年間に東方の要
害の地に松岡城を築き、これに
移った頃までの約250年間の
居館の跡地であると考えられて
いる。
また、松源寺の管理する「お
家塚」と呼ばれる地には、松源
寺開基の松岡貞正公の奥方の供
養塔が祀られていることも松岡
氏との関係性を大いに示すもの
である。
北東側は間ヶ沢の浸食谷によ
る自然要害とし、南東側には新
井堤の上下に連なる堀跡が残さ
れており、この堀と間ヶ沢の間
の台地上が古城と呼ばれている
。
近辺にはコウジ・横大道・ク
ネ添・堀など城下町に関連する
地名も残っている。
高森町天然記念物
一本杉(夫婦杉)
平成27年3月9日指定
種類 スギ
樹齢 約600年(成長錐による試料採取結果)
樹高 25m
幹周 6、0m
所有・管理 上市田区
地元の住民の間では、一本杉
とも夫婦杉とも呼ばれている。
古くから平地に高く聳える姿は
、遙か遠方からもそれと分かる
ので、座光寺の如来寺(現善光
寺)参りの人々の目印として誰
知らぬ人のない名木であったと
いわれている。
平成23年3月には、高森町
自然愛護会によって将来に保存
すべき巨樹・名木として選定さ
れている。
地域に残る名木であり、地域
の宝として次代へ伝えるための
重要な文化財である。
高森町教育委員会

高森町の巨樹・古木・名木No26の標識です




南西側から



西側から




北西側から
では、次へ行きましょう
役場前の道を西へ登って行きます
大丸山公園東信号を左(南西)へ進みます
道なりにのぼって行き、上市田東信号をまた左(南)へ
間ヶ沢大橋を渡った先のコンビニの前に松岡城の案内板が有ります
松岡城は左(南下)ですがここを右(北上)に進むと
道路右手に杉の巨木が見えて来ます
南西側道路脇に


南西側道路から見ました




南側から



南西側の入り口から見上げました


高森町史跡 松岡古城跡の文化財標柱です


説明版です
高森町史跡松岡古城跡
平成27年3月9日指定
時代 平安時代末期~鎌倉時代末期
指定面積 1332㎡
所有者 上市田区・松源寺
松岡氏が市田郷に定着し、市
田郷を管理するようになったと
推定される平安末期から、鎌倉
時代を経て建武年間に東方の要
害の地に松岡城を築き、これに
移った頃までの約250年間の
居館の跡地であると考えられて
いる。
また、松源寺の管理する「お
家塚」と呼ばれる地には、松源
寺開基の松岡貞正公の奥方の供
養塔が祀られていることも松岡
氏との関係性を大いに示すもの
である。
北東側は間ヶ沢の浸食谷によ
る自然要害とし、南東側には新
井堤の上下に連なる堀跡が残さ
れており、この堀と間ヶ沢の間
の台地上が古城と呼ばれている
。
近辺にはコウジ・横大道・ク
ネ添・堀など城下町に関連する
地名も残っている。
高森町天然記念物
一本杉(夫婦杉)
平成27年3月9日指定
種類 スギ
樹齢 約600年(成長錐による試料採取結果)
樹高 25m
幹周 6、0m
所有・管理 上市田区
地元の住民の間では、一本杉
とも夫婦杉とも呼ばれている。
古くから平地に高く聳える姿は
、遙か遠方からもそれと分かる
ので、座光寺の如来寺(現善光
寺)参りの人々の目印として誰
知らぬ人のない名木であったと
いわれている。
平成23年3月には、高森町
自然愛護会によって将来に保存
すべき巨樹・名木として選定さ
れている。
地域に残る名木であり、地域
の宝として次代へ伝えるための
重要な文化財である。
高森町教育委員会

高森町の巨樹・古木・名木No26の標識です





南西側から




西側から





北西側から

では、次へ行きましょう

